38:Capomafia o Padre - 7/8

7

 東眞は足の先で地面を蹴りつけて玄関まで走る。XANXUSがその隊服に包んでいた物体は、否、人が誰であるかなど、この状況下から鑑みてはじき出される結論がたった一つであることを東眞は気付いていた。
 開いた扉の下に銀と赤の人間が立っていた。東眞は黒い塊を腕に抱えている男へと駆け足で歩み寄る。むせかえるような血の臭気は既に嗅ぎ慣れたものだったが、それを漂わせている人間が東眞にとっては大きな問題であった。XANXUSは抱えていた黒い塊、セオをその隊服ごと東眞へと渡す。
「風呂に入れてやれ」
「怪我は」
「ねぇ。全部、返り血だ。服はもう捨てろ。使えねぇ」
 分かりました、と東眞はXANXUSの言葉にそう返す。黒い隊服から、真っ赤に染まった小さな手が伸び、東眞の胸元の服を掴んだ。かたかたと震える手を握り返すためには片手を空けなければならないが、もう大きなセオを片手で抱きかかえることは東眞にはできない。代わりに抱えている腕に力を込めて、安堵させるようにして体と体を押し付けた。それに反応するかのように、セオは黒い隊服から両腕を伸ばして東眞に抱きついた。真赤、酸化を終えた血は黒味を増していたが、それでもセオの体は全身が真っ赤であった。あますところのない赤は東眞へと移る。
 震える腕と震える体で真赤な生き物は声を押し殺して母の肩で泣いた。
 東眞はすいと視線を上げて、XANXUSの赤い瞳を見る。酸化することのない、美しい赤がそこにあった。責めることはせず、何があったのか問うことはせず、東眞は一言、お風呂に入れてきますと断ってから背を向けた。
 遠ざかっていくその背中を見、XANXUS自身もごとんとブーツの音を立ててゆっくりと歩き出す。時間差で追いついたレヴィを視界の端にとどめると、酒を持ってこいといつものように命令した。レヴィは、はっときびと返事をして首を垂れる。返事を確認するまでもなく、それは是以外の何物でもないのを知っているXANXUSはレヴィの返事を聞くことはなく、先へと歩を進めた。
 内に伸びる緩やかな廊下の中に変化はなにもありはしない。否、そうではないだろうとXANXUSは考え直す。変わらないものなど古今東西それは、信念や古臭い伝統ぐらいしか存在しないのである。こうやって建っている建物でさえ、人が呼吸をし歩き走り戯れて行く中で徐々にその姿を擦り減らし、そこに人がいたと言う痕跡を刻み込んでいく。セオがまだものも分からぬほど幼いころ、クレヨンを持って廊下の白い壁に思う存分いたずら書きをして頭を殴ったのはいつの頃だったか。それでも懲りずに今度は床一面を虹色に仕上げた子供。褒めて褒めてと言わんばかりに目をキラキラさせたものだったから、前日よりも強く拳を落とした。笑った子供がすぐ泣いて、ルッスーリアが慌てて駆けつけて、東眞が壁に残された落書きの山を見て苦笑し、ベルフェゴールがさらに描き足し、レヴィとスクアーロはそれを消す作業に回った。
 隣に見える扉は、隊員たちのかくれんぼでいつもセオが隠れていた倉庫だった。小さな体は段ボール箱にすっぽりと収まり、息を殺して気配を断てば、なかなかに見つけることができない。幼く小さく柔らかな体はかくれんぼには最適で、どこにでもすっぽりと隠れてしまう。本棚と天井の隙間、ベッドと収納ケースの間、机の引き出しの中。
 小さいころから本を読み聞かされて育ったせいか、本も好きだった。死に損ないの老いぼれが大量にぬいぐるみやら本やら買い込んで送りつけて、一部屋の壁がそれで埋まってしまった。しかしセオは暇になればそこに籠って、本を読み漁る日もあった。分からない単語があれば仕事中にも関わらず何何と聞いてきて、鬱陶しくもあったので、しまいには電子辞書を与えたが、使い方を教えなかったせいで三日で壊し、結局仕事中に教えると言う流れは一切変わらなかった。
 窓からのぞく、今は暗くて日中の欠片もないが、その庭では強制参加をさせられた雪合戦や、そこで食べたランチ、セオとスクアーロはよくボールを使って遊んでいた。最初は地面を転がす球から、次にバウンドさせて、今では投げ合うことができている。幼いころに飼った犬も、今では成犬となり、その馬鹿でかい図体をお気に入りのテラスに日中は寝そべらせ、夜になれば室内の暖炉の前にごろりとしている。初めは軽々と背に乗っていたセオも、今では少し無理があるように思える。ただ、枕にはしているようで、暖炉前に寝そべっている犬に頭を乗せて、すやすやと眠っている姿はよく見かけた。
 ブーツの音が一つ、二つ三つとなる。歩いた分だけ時間が経つ。
 こうやって歩いている間にセオの時間もたっているのだなとXANXUSはそんな風に思えた。助けに行かせろと叫んだスクアーロの方が余程人間味のある父親らしい。自分は恐らくそう言ったものが欠けているのではないだろうかと思えた。あの状況下において、我が子の声が父を呼んだにも関わらずそれを傍観し続けた。言い訳にもならないが、だが、ああした方がよいと思えた。あの最上の機会を逃してはならない、と非常に合理的に判断をしたのだ。勿論殺させるつもりなどなかったが、それでも、とった行動は子供から見れば裏切り以外に他ならないのであろう。
 セオがどちらの道を選ぶのか、XANXUSにはもうよく分からなかった。もともと気質の優しい子ではあるし、誰かを進んで傷つけることを好まない。ならば、自分たちが所属するVARIAという組織にならば尚更、あの子供には向いていないのではないだろうかと考える。選ぶのは本人でしかないのだが、苦い気持ちになる。どんな選択になろうとも受け入れると約束をしたはずなのに、自分たちの方に来ないことを考えると、胸に僅かに痛みが走る。
 そうなった場合、セオは自分たちのことを、蔑みはしないだろう。非難もしないだろう。ただ、賛成はしないだろう。
 結局のところ、人殺しはいくら誇りや名誉を謳っても、ひたすら理不尽に命を奪う行為に変わりない。それをどう捉えるかは受け手の問題でしかないのである。息子に非難された程度で揺らぐ程度の誇りではない。罵りや蔑みは今まで飽きるほどに浴びてきた。だがしかし。
「――――…ドカスが」
 小さな子供は自分のことを果たして本当に理解してくれるのかどうか、XANXUSには分からなかった。

 

 俯いたままのセオから隊服を脱がせ、そしてボタンに手をかけた。身動き一つせずに表情を見せない我が子に東眞はかける言葉を見つけられない。指先がぬるりと生乾きの血で滑る。全てのボタンを外し、服を全部脱がすと先に行っていなさいとセオに告げた。それに小さく黒い頭が上下に動いて、血が肌に付着した部分がところどころに赤くなった背中を向けた。セオの服はどう考えても再び着ることはできそうにないので、ビニール袋に入れて口を縛りゴミ箱に捨てた。そして、東眞自身も服を脱ぐと、セオが待っている風呂場へと足を入れた。
 扉を開ければ、浴槽にたまった湯がふわと白い煙でその場を覆っている。湿度が高い浴室の中で、セオはぽつんと椅子に腰かけていた。シャワーのコックは既にひねられており、セオはその頭からざばざばと湯をかぶっている。流れて行く湯は、シャワーヘッドから出ている部分には透明だと言うのに、セオの体に触れた途端に血の色に染まる。血と湯が排水溝に流れて行った。小さな背中は未だ震えている。
 東眞は何も言わずにシャンプーを手にとって、それをセオの頭につけて、髪を洗う。泡立った髪は即座に桃色に染め上げられた。体に付着していた血液は上から流れていたシャワーで既に落ちている。ジャブザバと髪についた血をよく落とすように髪を二つの掌で混ぜると、そこにシャワーの湯を上から流した。桃色の泡が下へと流れて行き、血でべたついていた髪は指先を通すようになっていた。 流れるシャワーの隙間、ふ、と声がセオの口から溢れだした。
「――――…マン、マ」
 マンマ、とセオは体を振りかえらせて、母の体に飛び込んだ。服を着ていないので、その震えははっきりと如実に伝わった。温かいシャワーの中、肌についたセオの目から冷たい滴が二つ三つ四つと溢れて湯に混ざって落ちる。あぁ、と涙と共に溢れだした悲鳴に近い泣き声が声のよく響く浴室に反響した。
 東眞はシャワーを止めて、完全に血を落としたセオの背中をゆっくりと抱きしめる。
「こわ…っ、こ、こわっ、か…った、おれ、お、俺――――…っ!!」
「怖かったんですね。ええ、怖かったんでしょう。体が冷えますから、お風呂に浸かりましょう」
 ほら、とセオを両手で抱え、東眞はこけないように浴槽へと足をつけ、その体を湯につけてやった。ぐすぐすとセオは泣きながら、東眞の胸から顔を離さない。余程衝撃的で、恐ろしかったのであろうことは東眞にも容易に知れた。血まみれで帰ってきたことから考えるとそんなことは言わずもがな、想定内ではあったが。
 セオは母の胸で肩を震わせながら、なかなかしっかりとした文章にならない言葉を紡ぐ。
「俺、自分、こわかっ、た…!殺した…――――のっ、に、俺、ごめ、なさって、思っ、てない…っ!よかったって、いき、てて、よかったって、俺…っおもっう、おも、て、る…!ロ、ガンも、殺さな、くて、よか、った、おれ、よか、った…!」
 しがみ付いてくる腕はまだまだ幼く細く頼りない。荒療治、と称するのが最も適切なのだろうが、彼はそれによって一番大切なことを学んだ。最低で、しかし最善の方法で。
 東眞は泣いているセオの両肩をそっと包み、二人の距離を開けた。涙でぐしょぐしょになっている顔を濡れているタオルですすと拭い、見られる顔にする。しかしその顔はすぐに悲しげに歪み、ぼろぼろと涙をこぼした。顔を拭かれて少し落ち着いたのか、セオの口調はゆっくりと文章として成立し始める。
「くだらな、い、こと、ないけど、腹も、立ったけど、それだけで、殺しちゃ、駄目、なんだ…っ。殺す、のは、重くて、簡単で、でも、自分と同じ命、なんだ…だから、腹が立ったとか、そんな、そんなじゃないけど、よく分からないけど、駄目なんだ…!」
「――――聞いてますよ、ちゃんと。言葉にすることなんてないんです。ただ、セオ。何故駄目か、どうしてなのか、自分の中でちゃんと納得できたら、それで」
 いいんですよ、と東眞はセオのまだ丸みを帯びた頬を両手で包み込んだ。眉尻を下げて、セオはわぁと泣いた。三歳児のように、恐怖に震え、それから解放された安堵から泣いた。泣いて泣いて、体中の水分がなくなったころに、セオはようやく泣くのを止めた。
 鼻をすすりあげながら、セオはうっくと声を引っ張った。
「でも、マンマ」
「何ですか?」
「バッビーノたちは、それでも人を殺すの。俺、今日すごく、怖くて仕方なかった。見栄張って、意地張ってついて行ったけど、俺、バッビーノたちとは違った。こんな怖い思いして、自分が殺されるかもしれないから殺さなくちゃいけなくて、でもどうして?どうして、バッビーノたちはこんな気持ちになっても、殺すの?マンマは、バッビーノが怖くないの?」
 そう尋ねた我が子の髪をそっと撫で、東眞はええとはっきりと答えた。
「怖くありませんよ」
「人を殺すのは、怖いよ。重たくて重たくて、助かるためだって思っても、重かった。バッビーノたちは、助かるためじゃないんでしょ?ならどうして?」
「それは、私では答えられません。私は、あの人ではないですから」
 母の言葉にセオは視線を湯に落とし、湯船につかっている自分の指を見下ろした。それはすでに洗われており、血は一つもついていない。
「誇りとか、名誉とか…それは、人の命よりも、重たいもの?」
「…それに命をかけている人ならば、そうでしょうね」
「マンマは?」
 不安げに見つめられた瞳に東眞は一拍を置いて、セオの質問に答えた。
「私は、自分の命を守るために、人を殺せます。XANXUSさんの帰りを待つことが約束であり、あの人の帰る場所であることが私の誇りです。だから、私はそれを守るためならば、引き金を引くことを躊躇いません。でも、セオ」
「…何?」
 母の言葉にぐらついている思考を東眞は引き戻させる。自分で、考えさせるために。
「貴方は、違うでしょう」
 突き放されるかのように告げられた言葉に、セオは目を丸く見開いた。しかし、突き放すことはせずに大人しく続きの言葉を待つ。東眞はそのままゆっくりと言葉を続けた。
「セオ、人を死を背負うことはとても重いことです。だから、人の言葉を理由にしていてはいつかきっと、取り返しのつかないことになります。だから、自分で考えなさい。誰がこうだから自分もそうするではなく。貴方が、XANXUSさんたちの場所に行きたいのであれば、命を守るためだけではなく、それだけではなく、どうして人の死をそれ以上に背負い続けるのか。自分の中で答えが見つけられないのであれば、諦めなさい。見つけられないのに、そちらに行っては駄目ですよ」
「どうして?」
「…私もXANXUSさんも、そして貴方も、誰にとっても良いことにはならないからです」
 命を奪うと以前冷たい瞳で告げた赤い瞳を東眞は思い出す。まぎれもない本気でXANXUSがそう言ったことは、東眞にでも分かった。彼はそれをしなければならない立場であるし、情に流されることを許されない。セオに向けた銃口を外すこともなければ、引き金に込める力を緩めることもしない。
 だからこそ、そうならないようにしなくてはならない。誰にとっても最悪の結果にならないように。
 セオは答えを求めるような視線を東眞へと送る。けれども、東眞はその答えを持ち合わせていない。セオは一度視線をそらして、ぶつりと呟くようにして言葉を紡ぐ。
「俺ね、マンマ」
 俺、ともう一度続けて、セオは水面下の掌を見つめた。
「バッビーノみたいになりたかったんだ。ううん、なりたいんだ。あんな怖い思いしても、そう思ってるんだ。バッビーノは強くて格好良くて、でも…でも、ちゃんと分かってるんだ、色んなこと。俺みたいじゃないんだ。俺は、それがすごく、羨ましかったんだ。大人になりたいって思ったんだ。そしたら、たくさんの大切なもの、守れるって、思ったんだ」
 背伸びの言葉、ではないのだろうと東眞はセオの口からこぼれる言葉に大人しく耳を傾ける。セオは母の無言の誘いに言葉を続けた。
「…俺は、自分だけ守りたいんじゃないんだ。俺の、大切な人も、ちゃんと守りたいんだ。だから、強くなりたいんだ。バッビーノみたいに。でも、でも、俺、まだ、マンマの言う答えが、分からない。分からないまま、バッビーノの背中追いかけても、きっと、届かないって、俺も、思う。いつか、諦めちゃうような気がする。でも、それは駄目なんでしょ?バッビーノも、言ってた。一回だって」
 一度、そう、一度なのである。東眞はその選択の重さに、軽く眉間に皺を寄せた。一度しか選択の機会を与えられない。その上、一度そちらに踏み込めば、死を持ってでしかそちらから抜けるすべは存在しない。セオの言うとおり、一度諦めてしまえば、挫折すればその時点でセオは死んでしまう、否、殺されることだろう。
 苦しい表情をセオから隠して、東眞は目を閉じ、そして開けた。軽く唇を噛んで自身の掌を見つめている我が子がそこに居る。できることなど、それはほんの少しでしかない。我が子が可愛いなら、死の危険性を一つでも減らしてほしいと願うのならば、ここで口八丁を使いセオを諦めさせるべきだろう。そして、裏社会とはなんら一切関係のない世界に背中を押しだす。しかし、それはできなかった。どちらに強く偏る助言は東眞にはできない。
 この子の、人生なのだから。
 東眞はセオの顔を上から見下ろしながら、その悩む表情に手をそっと添えた。セオの銀朱が持ち上がり、マンマとその口が動く。そして東眞はセオへと言葉をささげる。毒にも薬にもならぬ言葉を、ただ、セオが自分の気持ちにだけには正直であるように、正直であれるように。自分に対して常に誠実な人間であるように。
「よく、考えなさい。貴方の答えが出るまで、XANXUSさんは待って下さるでしょうから。何日かかっても構いません。自分の中で答えが見つかるまで、悩みなさい」
 答えが出たら、と東眞はセオの頬に添えた手で少しばかりセオの頬を掴む、柔らかな頬はみょぉんと伸びた。
「ローガンに謝りなさい。どうして謝らなくてはならないのか、もう分かりますね」
「…うん。うん、マンマ」
「いい子です。お風呂からあがったら、林檎ゼリーを出しましょう。何も食べていないでしょう?」
 東眞の言葉に、セオの空腹中枢はようやく空腹を思い出したのか、ぐぅうと大きな腹の虫を鳴らした。それにセオはばちゃんと水の中で手を動かして、自身の腹の上にぽしと手を乗せて、少しばかり恥ずかしそうに頬を染めてヘラと笑い母を見上げた。
「お腹、空いちゃった。ルッスーリアのホットケーキもね、美味しかったよって、言うの忘れてたんだ。ちゃんと、俺、言わなくちゃ」
「そうですね。ホットケーキ、ルッスーリアに明日の朝ご飯にでも焼いてもらいましょうか」
「あのね、りんごジャム、すっごく美味しかったんだ」
「ええ、知ってますよ。ルッスーリアが時間をかけて作ったんですから。セオのために」
「俺の?」
「セオが喜ぶからって、空いてる時間見つけて作ってましたよ」
 ぶくとセオは鼻から下を湯船に沈めて、泡を作り、そしてにこぉと湯の中ではにかむ。すいと湯をかきわけ、そのまま東眞の体にべったりとくっついた。
「もうちょっと、こーしてて、いい?」
「…いいですよ。いくらでも」
 にこぉと明るい笑顔に戻ったセオの頭を一つ撫でて、東眞はのぼせないうちには上がらせないといけないなと思った。