38:Capomafia o Padre - 5/8

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 黒い色を纏う。死を運ぶ色を身につける。武器を確かめる。不備がないかを確かめる。死神などは存在しない。ただ自分たちは死を相手に運ぶだけである。死神のように公平さなど存在しない。ただ、自分たちの利潤にもとり砥がれた牙と爪を獲物に突き立てるだけなのだ。名誉ある男として、誇りと尊厳を持って。正義か悪かなどは自分たちの暗闇の中には一片たりとも存在しない。
 あるのはただ、
「行くぞ」
「おお。車で行くのかぁ?」
「カスが。10km先の場所に徒歩で行きてぇならそうさせてやる」
 ばさりとコートが空気をはらむ。それに銀を流す男は、遠慮するぜぇと声を唸らせて獰猛な光をその目に宿した。片手にはいつでも相手の命を奪い取れる武器が装着されている。今か今かと戦いを、猛り狂うかのように全身が求めている。
 赤の男は車の後部座席への取っ手に手をかけた。が、しかしその手はふと止まる。銀の男はどうしたぁと尋ねたが、赤い男は何も答えない。シルバーの取っ手から手を離して、ジィと車を睨みつける。そして黒と赤の男は銀の男を運転席に蹴り込み、自分は助手席へと乗り込んだ。腰の重みが、ゆっくりと、冷たい音を立てた。

 

 うっく、とセオはベッドに突っ伏してた顔を上げる。
 父親の言葉が全く理解できない。何も悪いことなどしていない。あんなことを口にした人間を生かしておくなど許せることではない。力があるのに、力を何故行使してはいけないのか、セオはやはり理解できなかった。あれを殺せば母が悲しい顔をすることもなくなる。自分は後悔などしたりしないし、それで誇りが傷つくこともない。人を殺すことは、怖くない。
 ぐちゃぐちゃになった思考で、セオはふっと外に止まっている車を見た。廊下からは、今日はボスが任務に出られるそうだと声が聞こえた。それにセオはぐいと涙をぬぐい立ち上がる。そして子供の頭で考える。
「…俺は、もう子供じゃないんだ」
 子供だからいけないと言うのではないかとセオは思った。
 ルッスーリアやスクアーロ、それに父親であるXANXUSが血の臭いを漂わせて帰ってきていることはセオも気づいていた。そして、それが何を意味するのか、うすうす勘付いてもいた。彼らはきっと誰かを殺している。しかし、誰もそれを口に上げて自慢することはない。自分の前では何も言わない。だから何も尋ねない。誰かを殺して誰かを生かして誰かを見捨てて誰かを持ち上げて、彼らはいつもの日常を過ごしていく。命は重いものだとマンマに何度も何度も、それはもう口でその言葉を繰り返せられるくらいに教えられてきた。同時に、自尊心と自制心をもって、自分が正しいと思うことをしなさいと教えられてきた。
 マンマを守りたかった。悲しい顔をさせたくなかった。
 バッビーノのようになりたかった。大切な人を大きな手で守りたかった。
 それでも、それでもまだ自分の手は小さくて、子供じゃないと何度思っても体はまだ子供である。でも心は立派な男である。大切な人を守りたい、誇りを傷つけられたくない。それをなす人間がいたら、自分はそれを力を持って排除する。怖くない。自分を守るために、大切な人を守るために、力を行使することなど怖いことではない。殺すことなど恐れない。命を軽んじてなどいない。殺すに値する発言をした人間を罰する、息を吸うことさえも憎らしく思ったから殺そうとしたのがどうしていけないのか。分からない。
 殺すのが大人の仕事なのだろうか、とセオはぎゅぅと冷たいガラスにつけた手を強く握りしめた。そして唇を引き結ぶ。耳を澄ませ、周囲の気配を探り、ベッドの下に隠し持っていたロープを取り出すと、ベッドの脚の一本、最も窓に近い場所に括りつける。解けない括り方はレヴィから教わった。ぎゅ、ぎゅと数回引っ張ってそれがしっかりと結ばれていることを確認して、セオは窓を開けると外にその縄を放り投げた。部屋は一階にあるが、まだ背の低いセオはそこから飛び降りるには、いささかの問題があった。セオは窓際に椅子を引っ付けて、外に投げたロープを伝い地面に下りる。
 両足が地面についたことで、セオはほっと一息ついた。そして、きょろりと周囲を見渡して誰もいないことを確認すると、車庫から出されている、恐らく今日使われるはずであろう車にこそこそと近づいた。漆黒の重々しい車へと歩み寄り、玄関とは逆の方向の扉をできるだけ音を立てないようにして開けると、セオは後部座席の下にもぐりこんだ。小さな体はバックミラーにも映らない。
 すぅと呼吸を静かにしながら声を待つ。二人分の足音ががつがつと近づいてくる。後部座席の扉を開くための取っ手に手がかけられた。僅かに開いたそれにセオはぎょっと息を飲む。どうか開かないでと願いながら、息を潜めて気配を殺す。しかし、扉は開かれることなく、開きかけられた扉は反対に乱暴に閉められた。そして、運転席の扉が開いて、スクアーロが蹴り飛ばされるようにして乗り込み、助手席には父であるXANXUSが乱暴に席に着く。ふ、ふ、とセオは一度ざわついた心音を殺しつつ、車内の気配と自分の気配を同化させていく。自分と言う存在を誰にも気づかせないように。

 

 セオの気配がようやく完全に消えた頃、スクアーロはXANXUSが耳をすましてようやく聞こえる程度の声量で、珍しく会話を試みた。ボス、とスクアーロの声にXANXUSは赤い瞳を揺らしてそちらへと視線をやる。視線だけしか動いていないので、頭部の動きや、その下についている体は微動だにすることはない。また、返事をすることもなかった。
 視線だけで何だと返答をしたXANXUSにスクアーロはちらと同じように視線を後ろへとやる。バックミラーには映されていないが、そこに一体誰が潜んでいるのか、スクアーロもXANXUS同様に車に乗り込んだ瞬間に気付いた。一度だけ揺れ動いた人の気配に気づけないようでは暗殺業は廃業である。
「どうするんだぁ。大体」
「黙ってろ、ドカス。…前倒しになったが――――仕方ねぇ」
 仕方ない、と言う単語にスクアーロは怪訝そうに眉を顰めた。その言葉の真意を図りかねる。
 暗闇の中をライトもつけない車が走り抜けていく。ヘッドライトをつけていないために、漆黒の車はいともたやすく闇に溶けた。暖房が利いた車内の中で、スクアーロは最終確認をXANXUSにする。
「標的はゴドフレード・アッバードとその部下二名の計三名だなぁ」
「そうだ。今夜、イグナツィオの野郎の酒場に来ると言う情報が手に入った。イグナツィオには連絡を入れてある。殺せ」
 殺せ、と言う単語に後部座席の気配が一度ゆらめいた。しかし、XANXUSはそれを気に止めることなく言葉を続ける。
「息の根を確実に止めろ」
「Si, mio capo(了解、ボス)」
 き、とスクアーロはそこでブレーキを踏んだ。車が慣性の法則に従って、僅かに揺れをもたらす。車の横には、四階建てのビルが最上階に光を灯して起立している。最上階、イグナツィオの酒場は外から見えることがない。他の階の明かりだけがビルの存在を闇の中に浮かび上がらせていた。
 やることは一つ。
 スクアーロは運転席の扉を押し開ける。そしてその後にXANXUSものっそりと重厚な空気をその身にまとい、助手席から外に出た。暖房が利いていた内部とは違い、冷え切った外は吐き出す息すらも白く染まる。ボス、先に行くぜぇとスクアーロは扉を押し開けた。XANXUS自身もそちらへと足を向けたが、ぴたりとそこで立ち止まり、車の中で動いた気配に一度目線をそちらへとやる。だが、何も発言することはなく、爪先をビルの内部へと向けて、その階段へと足を登らせた。
 がつ、がつっと石で作られた階段を蹴りつけるようにして登り、先に業務用エレベーターを開けて待っている銀色の男の元へと足を運ぶ。中に入れば、その質素で寂れた臭いのするエレベーターは音を立てて閉まった。互いに何か言葉を交わすことはない。交わす必要もない。交わす必要のある言葉はすでにもう打ち合わせで済ませられている。この後はただ純粋なる暴力で標的の命を奪うだけである。
 エレベーターの階を示すランプが最上階を指示して止まった。多少耳障りな音が鳴ってから鉄でできたその扉が両脇に開く。簡素な裏側の灰色の世界に黒い点が二つ墨汁のように落ちた。がつん、と重たいブーツが音を立てる。目指す先の明るい表の裏の世界の光が扉から漏れ出している。光と同じくして、男の声が三人分、愉しげな笑いを潜ませて溢れだした。その声は、二つの黒い影が扉を開ければあっと言う暇もなく散ることだろう。
 そしてスクアーロは長い脚を持ち上げて軽く折り曲げる。閉ざされた扉の向こう側に向かって、力一杯その足を蹴りだした。靴底が強い衝撃を味わい、激しい音を立てながら扉は外側に向かって勢いよく開いた。扉の向こう側はまず初めにカウンター。大量の酒瓶が戸棚に並べられており、カウンターの奥にいた髭の生えた男は、黒い二つの影を認めた途端、そのカウンターの陰にしゃがみこんだ。そして、スクアーロの瞳は、カウンターの向こうに居る三人組のうちの一人、赤毛が目立つ男へと向けられた。齢の程は大体四十。渡された写真の人物とその人物の顔は、スクアーロの中で見事に一致した。
「てめぇ…イグナツィオ!!チクりやがったな…!」
 じゃきん、と中央の赤毛は暗がりの中から溢れだした黒い影に全身で戦慄と言う名の恐怖で震わせながらも、懐のホルダーに常備携帯していた拳銃を取り出した。回転式リボルバー。その銃口ははっきりとあぶれ出した銀の肉食獣に固定された。それでも鮫は止まらない。止まれば死んでしまう。呼吸が止まって死んでしまう。動き続けなければ、スペルビ・スクアーロと言う名を持った鮫は死んでしまう。後ろに振るった刃をスクアーロは銀の吐息に乗せて振るった。一発、相手の銃口から飛び出し、螺旋を描きながら自分を食い殺そうとしてくる獲物をその牙で薙ぎ払った。がちん、と非常に重たい振動が義手に伝わり、それは肩まで駆け上がるが、その程度で呼吸は止まらない。
 口元が戦いという歓喜で吊り上がり、スクアーロは二本の黒いブーツで包まれた足の靴底で強く地面を蹴った。飛ぶ、否、跳ぶ。泳ぐ、と表現するのが最も適しているのかもしれない。銀のカーテンがひらりとなびき、赤毛の男がもう一発、銃を震わせる。硝煙の臭いが鼻をかすめたが、その銃弾は髪の毛一筋かすることなく、後ろの壁にめり込んだ。
 圧倒的なまでの強さ。
 ゴドフレートはそれを二回引き金を引いたことで理解した。逃げなければと、踵を返した。扉には大きな獣が一匹立っている。静かに、あまりにも静かに。静かすぎることが反対に恐れを招いた。その足元には、上半身が消え去ってしまったと言う異様な光景になっている死体が一つ、それと頭部だけが綺麗に消え去っている死体が一つ、転がっていた。死体が履いているズボンと靴は見覚えがあった。ヴィート、チーロとゴドフレートは気心の知れた部下の名を呼んだ。死体である以前に声を発する器官そのものが消失してしまった骸がその呼びかけに返事をすることは、ない。
 あそこに飛び込めば、死よりも恐ろしい何かが待っている、という半ば本能に近い何かがゴドフレートの背筋を一瞬で駆け抜ける。ならば窓、と窓を見たが、ここは四階。飛び下りれば、死ぬ可能性も十分に考えられる。だが、他に逃げ場などゴドフレートには存在しなかった。窓を背中に、ゴドフレートは息を飲む。目の前に広がる銀色の死。そして、スクアーロは振りかぶっていた刃を男に向かって突き出した。
 だが、その刃が心の臓を貫通するかと思われた直前、一発の銃声と共にゴドフレートの背中のガラスが割れた。カーテンの後ろのガラスが激しい音を立てて一瞬で砕け散る。体重を預けていたゴドフレートの体は、四階から、落ちた。そしてスクアーロの剣は空を切る。
「ボス!」
「黙れ」
 スクアーロの非難を一言で黙らせ、割れ落ちたガラスをXANXUSはその足で踏んだ。割れる。そして、XANXUSは下を見た。ゴドフリートは生きている。背中を真赤な血で汚しつつ、男は立ち上がった。
「逃がすかぁ!」
「待て」
 そこから同様に飛び降りようとしたスクアーロをXANXUSは制す。何故止めると、牙をむいたスクアーロは上司の赤い瞳に映るものが一体何なのか、自分とは確実に違うものを見ていることに気付いて、すっと下へと目をやり、そして、驚愕でその瞳を大きく見開いた。

 

 二人の気配が去って暫くしてから、セオはこっそりと車の後部座席の扉を押し開けた。一度、父が立ち止まったような気がしたのだが気のせいだったのだろうかとドキドキしつつ、セオはゆっくりと足を石畳の上へと下ろす。吐き出した息は寒さですぐに白く染まった。寒さでぶるりと肌が震える。何か温かいものを着てくればよかった、とセオは考えたが後の祭りである。
 ふ、とセオはそこで足を止めて、何も手元に武器がないことに気付く。これでは、自分が殺せるというところを見せることができない。困ったと一度慌てたが、しかし、平然とその様子を傍観しているだけでも違うのではないかと考え直して、セオはうんと強く頷くと、一度開けた扉をバタンと音を立てて閉めた。
 だが閉めた途端に、上から激しい音が落ちてくる。真暗だった最上部がカーテンが揺れているのか明かりがちらちらと漏れ出ていた。今、戦っているんだろうとセオは呆然とその様子を下から呆然と眺めた。
「俺も、行かなくちゃ」
 強いところを見せなくては、とセオは急いた。そして、車の反対側にあるビルの入口へと走ろうと、車の横を回ろうとした。しかし、それは突然上から落ちてきたものに体を大きく震わせて、行動が止まる。大量のガラスがばらばらと目の前で砕け落ちる。セオは咄嗟に眼前に腕をクロスさせて、ガラスによる傷を防いだ。しかし数枚は当たり、身につけていた服を切り裂き、肌に痛みを残す。痛い、とセオは小さく声を上げた。
 完全に音がやんで、セオはおそるおそる腕の前で交差させていた手を解き、目の前の状況を認識しようと試みる。砕け落ちたガラス、そして――――赤毛の男が一人。セオの足元には回転式リボルバーが一つ、落ちた衝撃で男の手から滑り落ち転がっていた。
 男は死んでいるのか生きているのか、ピクリとも動かない。ぞくん、とセオは目の前の死体のような生物に体を震わせた。血の臭いが強い。否、男はまだ生きていた。背中を強くガラスで切っているのか、石畳の隙間には大量の血がまるで河川のように流れて滑り落ちている。だが、男は生きていた。
 ぐぅ、と成人男性の深く低い声が男の口からうめき声になって漏れ落ちる。男が生きていたことに、セオはびくりと肩を振るわせた。
 怖くない、とセオは自分自身に言い聞かせる。だがしかし、心と体は相反するように、目の前の状況に恐れを確実に感じていた。射撃場で向かい合う的とは違う。男は生きている。ナイフの練習も、向かい合う相手にセオを殺そうとする意図は一切なかった。男は体を反転させて、その口から血を吐き出す。
「ひ、」
 思わずこぼれたセオの幼い声に、男の目が持ち上がった。
 殺される。
 セオは本能的にそう察知した。見たな、とばかりに男の口がゆるりと動き、ガラスだらけの床を這う。セオは咄嗟に落ちていた拳銃を拾った。
「来ないで!」
 回転式リボルバーの操作方法はもう習っている。撃ち方は、知っている。セオは男に向けて銃口を構えた。息が荒い。頭から鼻から肩から背中から、真赤に染まった男にセオは恐怖しか感じない。
「――――…ぁ゛、い゛、かしちゃ、おか、ねぇ…」
「こ、こない、で」
 ぱちん、と男は懐からナイフを取り出し、それを構えた。セオは全身で男の殺気を感じた。殺される、ともう一度強く感じる。そして同時に死にたくないと思った。小さな手に大きな銃は、上手く構えられず、さらに恐れと慄きから銃口が上手く定まらない。バッビーノ、とセオは父の助けを求めた。だが、父は助けに来ない。来るはずもない。来られるはずもない。
 男はよろめく体で一歩、セオに近づいた。来ないでとセオはもう一度繰り返し、そして一歩下がった。
「あいつ、らの…仲間、だな…くそ…っ、く、そ…!」
「いや、だ…っ!こない、で…!」
 殺せると何度思っていても、指先が震えて引き金を引くことができない。何故引くことができないのか、セオには分からなかった。ローガンの首を締めあげている時は、頭の中が真っ白になって、ただ「殺す」と言う単語で埋め尽くされていた。
 だが今は違う。
 冷静になった頭で自分を殺そうとしている男と向き合う。自分は銃、相手はナイフ。絶対的な優勢にも関わらず、セオは恐怖で動きが完全に鈍っている。引き金を引くのが恐ろしい。人を殺すのが恐ろしい。自分が考えていたのよりも、銃は、ずっともっと、重かった。練習ではない実戦での引き金の重さは、セオの指にはまだ重い。
「餓鬼が…!ご、んなところ、で俺は、死ぬわけにはいかねぇ…!」
 男がナイフを大きくセオに振りかぶった。
 殺される。嫌だ、死にたくない。
 セオの体は、ほぼ自動に動いた。絶対的な恐怖は生命の危機を感じたその瞬間、命を放り投げることよりも、命を守ることを選択した。まるでスローモーションのように下りてくるナイフをゆるやかにセオは死にたくないと、ただそれだけを思い埋め尽くされていく思考の中で、腕を持ち上げた。
 そして、幼い指は引き金を引いた。