38:Capomafia o Padre - 4/8

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 すとん、とベッドの端に腰を落ち着けた自分の息子の前に東眞は膝を落とした。いつもきらきらとこちらをまっすぐに見てくる銀朱の瞳は、今日はまるで逃げるように絨毯に向けられたままで、こちらを見てくることはない。スクアーロはボスを呼んで来ると退出してしまったので、今ここに残っているのは自分とセオの二人だけであった。セオに与えた部屋は一室で、そんなに広くもないが狭くもない。大きくなっても使えるくらいの広さではある。
 その部屋の大きめのベッドの端に腰かけている少年は、きつく拳を握りしめて、うんともすんとも言わない。ココに帰ってくるまで、車の中でさえ一言もセオは言葉を発さなかった。ただ、俯いて、唇をぎゅぅと噛んで、黙り通しである。
 東眞は一つ息を吐いて、セオ、とその小さな少年の名前を呼んだ。しかし、視線は上がらない。膝立ちになった姿勢であれば、セオがベッドに乗っているので、東眞の視線はセオと大体同じくらいの視線になる。まっすぐにセオが顔を上げれば、の話だが。
「セオ。こっちを見なさい」
「やだ」
 珍しく、というよりもほぼ初めて頑固に自分の言うことを聞かないセオに東眞はさてどうしようかと困る。第一次反抗期はいつだっただろうかと頭の端で考えながら、セオの顔を無理矢理上げさせることはせずに、言葉を選びながら語りかける。
「ならそのままでかまいません。何があったのか、教えてくれますか?」
「…やだ。言いたくない」
 握りしめられている拳の力がさらに強くなり、今度は歯をぎりっと食いしばって眦を吊り上げた。セオの様子に東眞は仕方なくだって真正面に向かいあっていたのを止め、セオの隣に腰を下ろす。ぎし、と大人一人分の重さにベッドがたわんだ。セオは東眞が座ったのとは反対側に目をそらして、唇を尖らせる。東眞もセオも黙ったまま、双方重たい沈黙を作り出した。
 黙まりを決め込んでいたセオの口が、沈黙に耐えかねてぱくりと言葉を吐いた。
「俺が、悪いんじゃない。あいつが悪いんだ」
「どうして悪いんですか?」
 開いた口を閉じさせることはなく、相手を責めることもなく、東眞はゆっくりとセオの言葉の意味を尋ねる。セオはそれに一瞬黙りかけたが、喉から声を落とした。
「バッビーノのこと悪く言った。それに」
 ぷつん、とセオはそこで声を切る。何か言うのを非常にためらう様な感じで、言葉を喉の奥に詰まらせてしまっている。それに、と東眞が問うてもセオは一言も発することはない。ぶんと激しく首を横に振って、大きく声と息を吐き出す。
「―――…っあいつが悪いんだ!」
「…XANXUSさんを悪く言われたのが、そんなに嫌だったんですか?」
 問われたことに、セオは唇をとがらせながら、ぼそぼそと言い返す。
「嫌だったよ。すごく、嫌だった。でも、でも…それだけなら、俺も言い返すだけだもん。だって、バッビーノは本当は凄く強いし格好良いし、あいつ、嘘言ってるだけだもん。バッビーノがどれだけ凄いか知らないから、嘘言ってるだけだったから、まだよかったんだ」
「だったら、どうしてそんなに怒ったんですか…殺そうなんて、どうしてしたんですか」
「あいつが!」
 あいつが、とセオはかっと目を見開いて東眞の方へと怒りを向けたが、それは東眞の顔を見た途端にびくりと強張って、また下を向いた。怖い顔をしているだろうかと疑問に思いながら、東眞は自分の頬に軽く触れたが別段引き攣っているわけでもない。
「怒りませんから」
「違う」
 セオはふるりと首を横に振って自分の握りしめている拳を睨みつけている。
 閉じてしまった貝の口を開けるにはかなりの労力を必要とすることだろうが、東眞にはその方法がとんと分からない。セオの纏っている空気は、母である自分だけには言いたくないと言っているようなものである。落とした視線で答えること自体を拒絶するセオに東眞は打つ手を失った。
 口を閉ざして、セオは東眞の隣にジィと固くなって座る。これ以上母を困らせたくないという気持ちと、理由を言って、母の傷つく顔を見たくないのと、二つの気持ちがぐちゃまぜになって、セオは口を開くことができなかった。去年、酷く傷つけたことは記憶に新しい。自分の我儘でとても悲しい思いをさせてしまった。そんな思いは、もうさせたくはなかった。
 ぎゅ、とセオはさらに唇を強く噛む。
 東眞は我が子が視線一つ合わせようとしないのに、ただ隣に座っていることしかできなかった。その時、扉がぐと力を込めて内側に開く。扉の向こうに立っている人物は黒と赤を特徴に持ったその人であった。XANXUSさん、と東眞は夫の名を呼ぶ。反対にセオはびくりと体を強く震わせた。
 XANXUSの口がゆっくりと開き、糞餓鬼がと言葉を落とす。セオは視線を下に落として拳を強く強く握る。代わりにその反論として、俺、と一人称を示す単語が口から発された。
「俺、間違ったこと、やってないもん…!だって、あいつが!あいつ、あ、ぁ…う」
 セオは隣に座っている母の存在を振りかえって、また口を噤んだ。それにXANXUSは上から見ていて気付いて、ふっと赤い瞳を東眞の方へと動かした。東眞はその瞳を受けて、一度心配そうにセオを見、しかし、お願いしますと一言XANXUSに頼んでからベッドから立ち上がるとその部屋を後にした。
 一人入って一人が抜けて、部屋はまた二人になった。
 セオは母が居なくなったことで、先程まで噤んでいた言葉を口にする。
「あいつ…っマンマのことNIPだって言った!」
 吐き出される言葉は止まるところを知らず、滝のようにセオの口から溢れ落ち、流れる。
「それに、マンマが…っバッビーノの妻として駄目だって言った。でも、でも一番許せなかったのは、子供が産めないこと、馬鹿にしたことだ!そんなの、そんなの皆、マンマのせいじゃない!あんなやつ、死ねばよかっだっ、い…!」
 ごん、と普段よりかは随分と軽い拳が頭に落ちる。叫んでいたセオはふっとそこで口をまた噤んだ。殴られた頭は当然のようにずきずきと痛んで、セオは両手でそこを押さえた。そしてむっと殴りつけた張本人を睨みつけた。
「なん、で!俺、悪いことやってないもん!マンマが日本人だから駄目だとか、変だよ!それに、子供が産めないのは、それは、仕方ないもん!マンマのせいじゃない!マンマは何も悪くないのに!あいつ、そんなマンマを馬鹿にしたんだ!」
「だからどうした」
 冷たく言い放たれた言葉に、セオは信じられないとばかりにその銀朱を大きく見せた。なんで、と口が動く。
「バッビーノ、悔しくないの。腹が、立たないの?マンマがあんな風に言われたのに…!」
「抜かせ。どうでもいい糞餓鬼の言葉に汚されるような人間じゃねぇ。そんな下らねぇ戯言にてめぇは何をしようとした」
「だって。そんな、俺、あんなこと言われて黙ってられない!俺は、マンマのこと大好きだもん!マンマのこと、守りたいんだ…!もう、悲しい顔させたくないんだ!俺は、マンマに悲しい顔させる人間は大っ嫌いだ!」
「なら、てめぇは何をしたんだ?」
 同じ言葉を違う意味を持たせてXANXUSはセオに問うた。それに、セオははく、と口を動かす。絞め殺そうとした腕を止められて、殺そうと相手を睨みつけている自分を見て、母親が自分に向けた顔を思い出す。ひどく、悲しそうな顔をしていた。何故そんな顔をするのか、セオには全然これっぽちも理解できなかった。
 XANXUSは黙ったセオを追い詰めるようにさらに言葉を投げつける。
「命を軽く見るなと誰に教えられた。誰がそれをてめぇに教えてきた。言ってみろ」
「…っ、でも」
「でももだってもあるか。誰がてめぇにそんな力の使い方を教えた。いいか、人を殺すことを軽く見るんじゃねぇ。生半可の覚悟しかねぇ奴が、衝動的に人を殺すな。『俺たち』はそんな情けねぇ真似は、しねぇ」
 言い渋ったセオにXANXUSは強く言い放つ。しかし、セオはその言葉に対して、食いかかった。俯いたまま、セオは背中を震わせて言葉を吐き出していく。
「でも…俺は、許したくない…っ!許せない!相手がどんな人間であっても!大切な人を馬鹿にされて、黙っていたくない…っ!マンマが大丈夫だって笑っても、俺が嫌だ!気にしてなくったって、慣れたって、嫌だって思うことは一緒なんだ!だから、だか、ら…っだから、だから…っ俺は、おぇ、うっ、うえ…っ」
 ぐすぐすと泣きだしたセオの隣にXANXUSはどすんと相変わらず乱暴に腰を下ろした。東眞よりもずっと重いその体がベッドを大きく揺らす。溢れ落ちる涙を両腕の掌で拭っているセオの頭に、XANXUSは今度は拳ではなくその大きな掌を乗せる。ぐしゃぐしゃと乱暴に頭をかき混ぜてその黒髪を揺らした。
 セオはうう、と泣きながら、父の脇腹に顔を押し付けた。ワイシャツに涙が染みて行く。これは鼻水もつけられているのかと眉間に皺をよせたが、引きはがすことはしなかった。
 あぁと今更ながらに声をあふれさせて泣く我が子の声を聞きながら、XANXUSは口を開いて、腹筋を動かすことでその低い声を出した。セオはぐすと声を少し落として、父の声を耳にする。
「…怒ったことは、褒めてやる。するなら半殺し程度にして、謝らせろ」
「…何で。あいつの顔、見たくない」
「なら、顔の形とどめねぇ程度に殴りつけろ。殺すな。今のてめぇが人を殺すのを許されるのは、自分の命を守るためだけだ。もう少し、てめぇが大きくなって、物事が分かるようになったら教えてやる」
 XANXUSはセオの頭をぐしゃぐしゃと撫でながら、諭すように声を押さえてそう我が子に告げた。
 しかし、セオはまだ分からない。あのローガンは許されざることを口にしたのだ。誇りに思えと言われた母を、誇りに思う父を、これ以上ないほどに侮辱して貶めた。それをした人間が息をしていることを、セオはやはり許せなかった。
 ぽつん、とセオはXANXUSから体を少し離して、その銀朱を父へと向けた。
「どうして?何で?守るためなんでしょ?そのための力なんでしょ?いつ、使うの?あの時に使わなくて、いつ―――…」
 ぐしゃん、と髪の毛ごと大きな手でセオはその視界を阻まれた。真黒な世界が目の前に広がる。大人の重みが乗り、沈んでいたベッドがぐっと持ちあがる。XANXUSは立ち上がって、セオの顔からその手をはずした。
「頭冷やして反省しろ。俺の言葉とあいつの言葉の意味を、もう一度よく考えろ。セオ」
「だって…!あ、ま、待って!」
 セオは父に手を伸ばしたが、その手は宙をかいて、扉はぱたんとしめられた。そして外側から鍵がかけられる。
 何でとセオは憤った。どうして褒めてくれないのか、どうして駄目なのか、セオには少しも理解できなかった。命の重みと言う単語は、セオの心にどうしても染み込んでは来ない。ローガンの、両親を貶めた言葉だけが、セオの心を縛りつけた。なんで、とセオはもう一度呟き、一人きりなったベッドに突っ伏した。

 

 はぁと東眞は一つ溜息をつく。その前にルッスーリアはコーヒーを一杯差し出した。芳しい香りが鼻を擽り、東眞は有難う御座いますとそれを受け取った。斜め前にはスクアーロがどっかりと腰を落ち着けて、同様にルッスーリアが差し出してくれたコーヒーを礼を言って口につける。そしてルッスーリア自身も、東眞の対面の椅子を引いて腰を落ち着けた。
 コーヒーを飲む中で静かになった空気の下、スクアーロが一番初めに口を開いた。
「しかしだなぁ…何と言うか、Jrの野郎がああいう怒り方をしたのは初めてじゃねえのかぁ?」
 その言葉に東眞はそうなんです、と溜息交じりにそう答えた。
「理由を聞いても答えてくれないし…反抗期ですかねぇ」
「反抗期、ねぇ」
 あれがそんなに生易しいものだろうかとスクアーロはセオに向けられた瞳を思い返しながらそう考える。殺意。あそこまで純粋な殺意は自分たちですら任務の時ぐらいしか感じない。力の使い所を間違えば、ああいう殺意は凶器にしかならない。咄嗟に止めたが、あそこで止めなければ、セオは間違いなくあの子供を殺していただろうとスクアーロは思う。
 殺そうとした時に単純に殺せるだけの力の差があることは、恐ろしい。自分たちも命を奪う立場の人間だが、それでも、その行為には目的も誇りも尊厳も、そしてまた、人の命を重く見る。力量の差の関係上、虫螻蛄のように殺すかもしれないだろう。しかし、自分たちは、殺害と言う行動において決して「自分が人を殺している」という感覚と感情を忘れることは、ない。だから激情に押し流されて人を殺すこともしないし、私情で人の命を奪うことも、また、ない。
 あの時のセオはとスクアーロは振り返り、軽く首を横に振った。東眞の声が耳に入る。
「人を一時の感情に流されて殺すことはしてほしくないんです。それはきっと何のプラスにもならない。怒ることも痛めつけることも、それなりの理由があるならば…褒めることはしたくありませんが、認めましょう。でも、殺人を感情の左右でしてほしくはないんです」
 ルッスーリアと東眞の会話をスクアーロはコーヒーを飲みながら聞く。
「そこには、何もありません。感情は信念などと違って流れるものですから、理由もない殺しにそのうちなってしまう。薄弱な理由で行われた殺しは、いつか自分の首を絞めることとなります。一生整理がつかない問題になる。そう言う思いは、してほしくないです。それに、腹が立ったからという、ただそれだけの理由で人を殺してしまう人間になってほしくはありません」
 自分の上司は、とスクアーロは考える。あの男も腹を立てれば人を殴ったり打ちのめしたりはするが、殺しはしない。サンドラ・ブラッキアリのことは例外に思えるのだが、だが、考えてみれば、彼女も十分にボンゴレの敵になり得た。ああいう感情型の女は何をしでかすか分からない。ファミリーの情報を敵対ファミリーに売る恐れも考えられる。全てを考えた上で殺した。やはり、命は重い。
 東眞は、とルッスーリアはコーヒーカップに両手を添えて尋ねる。
「あなた、批判しないのね。私たちのこと」
「して、どうします。自分の立場は分かっているつもりですし、誇りと信念にそれが添うのであれば、そしてそれに対して責任を取る覚悟がある人たちに、何を言うんです。責任を取る覚悟もない人であれば、何かを言うかもしれませんが。それもそのきっかけがあれば、の話ですけどね」
「殺しはダメってJrに教えてたから、てっきりそうだったのかと思ったけれど」
 ルッスーリアの言葉に東眞はそうですねと笑う。
「信念と誇りと、そして殺害に対する責任が取れない子供に殺人を推奨したいとは思いません。力を身につけさせているのであればなおさらです。いつか、それを兼ね添えて、その上でセオが引き金を引くならば、私は何も言いませんよ」
 自己防衛は別ですけれど、と東眞はそっと付け加えた。それに、違うの、とルッスーリアはさらに問いただす。東眞はそれはと頷いた。
「勿論、命を奪うと言う一点においては同じ行為でしょう。ただそこには、生存危機があります。殺さなければ殺される。私も、殺します。相手が自分を殺しにかかってきた、その時点で私の中で相手を殺す覚悟ができます。命は重いです。でも、自分の命も十分に重い。だからこそ、その時は自分のことを考えてほしい」
「ねぇ、東眞」
「はい」
 視線を上げた東眞に、ルッスーリアは真剣に問うた。それは以前、東眞がルッスーリアたちに言った言葉と非常に酷似していた。子供として、ただ一人の子供として見ていてくれるかと。
「Jrが私たちと同じ立場になった時、普通に受け止めてあげられる?」
 人殺しを生業とする者になった時、信念と誇りの下に血で染め上げられる道へと足を踏み入れた時。
 東眞は一度目を閉じた。それは、東眞にとって最も簡単な答えであった。一切悩む必要のない、セオがどの道を進んでも、東眞は同じ言葉を子に与える。
「当然です。そうでなくてもそうであっても。セオは――――自慢の息子ですから」
「そう。そう。なら、いいの」
 いいのよ、とルッスーリアは柔らかく微笑んだ。どちらにしろ、と東眞はコーヒーを口にしながらぼやく。
「今日のセオの行動は褒められたものではありませんが」
 どうしたら話してくれますかね、と溜息をついた東眞にスクアーロは多分セオは口を割らないだろうなと思った。そして、今頃セオの部屋にいるXANXUSを思って、
「ボスに任せりゃいいんじゃねぇのかぁ?」
「それもそうね」
「…でも、いいんですけど。私も、心配なんですよ」
 東眞はもう一度溜息をつき、そしてスクアーロは、そんなものなのかとコーヒーを飲みほした。