38:Capomafia o Padre - 3/8

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 そんなことがあったんですか、と東眞はスクアーロの話を聞いて穏やかに笑う。それにスクアーロはおおと車を運転しながら鷹揚に返事をした。
「セオが」
「餓鬼の成長は早いもんだなぁ。全く、小せェ頃は何考えてるか一目瞭然だったのに、ここ最近じゃちっとも分かんねえぞぉ。ま、気性が荒い方でもなし、あんま手がかからねぇのは楽でいいがなぁ」
「何でもかんでも一人でやろうとして、反対にぐしゃぐしゃにしてますけどね」
 そういうところも可愛いんですがと声を鳴らしながら、東眞はふと窓の外を見て、スクアーロに車を止めるよう頼む。どうしたぁ、と不思議に思いながらスクアーロは道路のわきに車を停車させた。
 東眞は車が止まったのを確認してから扉を開けて、外に出ると、くるりと反転して運転席のスクアーロに頼む。
「すみません、先にセオを迎えに行って下さい。ここからなら歩いて五分もかかりませんし」
「なんだぁ?」
 突然の言葉にスクアーロは怪訝そうに眉を寄せる。東眞は斜め後ろにある小さな店を指差した。その小ぢんまりとした店は、小さいながらもお洒落で可愛らしい様相をしている。そしてショーウィンドウには、美味しそうなケーキが数多く並んでいた。
「可愛い騎士にアップルパイを買って行ってあげようかと」
 母を守りたいと豪語した小さな騎士へのプレゼントですと、嬉しげに眼を細めた東眞にスクアーロは成程なぁ、とそれにつられるようにして笑う。
「なら先に行くが、何かあったらすぐに連絡よこせぇ」
「はい。セオのことお願いします」
 おおとスクアーロは返事をして、そして車のアクセルをぎゅいと踏んだ。

 

 幼稚園まで送り届けてくれた母と別れて随分と経つ。時計を見て時間を確かめれば、もう少しもしないで迎えが来る時間である。早めに迎えが来る子供はもう数人家族と合流していた。セオはその声を聞きつつ、手元に広げてある絵本をめくりながら、むっすりと先日のことを思い起こす。
 皆が皆して自分を子供扱いするのはやはりどうにも腑に落ちない。もう俺は子供じゃないのに、とセオは思いつつ、ページをめくった。絵本に書かれている話を横に流し読みをしながら、父と母が抱き合っている姿を脳裏に思い返して、やはりしょんぼりとする。あんなに悲しい顔をしていたのに、自分が前に来たその一瞬で、優しく明るい笑顔に変わった。自分だってと口先を軽く尖らせる。
 自分だって、マンマを抱きしめてあげることはできるし、大丈夫といくらでも言うことはできるのに。
 ベルフェゴールの言葉がセオの耳に繰り返されるが、笑って元気でいるだけでは満足できないのである。セオは唇を強く噛みしめて、絵本の上の手で拳を作ると強く握りしめた。痛みが、脳に伝わる。
 一度、マンマを深く酷く傷つけたからこそ、余計にもう悲しませたくないし傷つけたくない。守ってあげたい。力もある。なのに、マンマは自分に頼ってくれない。もっともっと頼ってほしい。もうこんなに大きくなった。犬の散歩だって一人で行けるし、一人で起きられるし、お風呂にだって一人で入れる。それに着替えも一人でできるし、夜中のトイレも怖くない。それから、銃も使えるし、ナイフの使い方も覚えた。ルッスーリアからムエタイだって教えてもらっている。
 だから、とセオは一度握りしめた拳をゆっくりと開く。小さな手を見下ろす。父の手よりも母の手よりも小さい、やはり、小さな子供の手を。
「小さいから、駄目なのかな?」
 分かんないや、と溜息交じりにセオはそう一言こぼした。すると、読んでいた本に影がかかって少しばかり見づらくなる。絵が好きな絵本なので、絵は明るいところではっきりと見たい。
 通りかかっただけならば影はすぐに退くだろうとセオは少し待ったが、影は一向に退かない。退いて、と一言声をかけようとして顔を上げた先にあった顔に、セオは何とも言えない微妙な表情をする。そばかすがよく目立ち、くるくると猫っ毛の少年。セオはその少年が誰か、知っていた。しかし、関わり合いになりたくない存在でもあった。自分としては珍しい感情に戸惑いつつ、セオは退いて、とその言葉を口にしようとしたが、それよりも先にそばかすの子が口を開く。
「お前、セオだろ」
「…だから?ねぇ、退いて。俺、絵本読んでるんだ。ローガンがそこに立ってるとよく見えないから」
 セオの言葉を無視して、ローガンはひょいとそこにしゃがみこんで、セオが読んでいた本を反対側から見る。そして一言、だっせーと笑った。ダサいだろうかとローガンの言葉が全く理解できずに、しかしセオはそれに関して怒ることもせずに、怪訝そうに眉を寄せた。
「どうして?」
「絵本なんて俺たちみたいなすげー男たちのすることじゃねーよ」
 やはり、セオにはローガンの言葉は分からない。セオはXANXUSが新聞を読んでいるところをよく見るし、ルッスーリアはよく料理の本を読んでいる。スクアーロは剣に関する書籍をそろえているし、マーモンに至ってはあらゆる本を所有しており、その幅は広すぎてセオは見せてもらっただけで目を回しかけた。レヴィやベルフェゴールも、それぞれに好きな本を持っていたりして、別に本を読むことに対して劣等感を抱いている様子もなく、むしろ読むことを推奨しているようにすら、セオには受け取れた。
 どうして、とセオは理解できない言葉を紡ぐ、目の前の理解が到底及ばない異星人にもう一度問うた。同じ言葉を掛けられて、ローガンはは、と軽く鼻を鳴らしてセオを馬鹿にした。しかし、セオはそれをどうとも思わない。
「ばっかだなぁ。そんなことも分からないのかよ。俺たちはな、そんな女がするようなことはやらないんだ!料理とか掃除とか、あとままごととかな!」
「本を読むのは、女のすることなの?ローガンの言うこと、俺には分からないや。料理を男がしたっていいんじゃないの?ルッスーリアはいつも美味しいホットケーキとかお菓子作ってくれるし、ジェロニモが時々作ってくれるパスタも俺、大好きだよ」
「セオって変。おかしーんじゃねーの?」
「変?」
 何がだろうか、とセオは理解できないままにローガンの言葉をただ繰り返す。反論をするという行為はセオの中には存在しなかった。何故ならば、セオにはローガンの言うことがさっぱり理解できない。
 確かに、男らしくあれとは教わったてきたが、それ以上に自分の周りの人間は個性を大事にしている。そして誰もそれを否定することはしない。それに女のすることというのもセオには理解できない。ローガンの言葉は、セオの胸には何一つ届かなかった。
 変と尋ね返したセオに、ローガンはそーだよ、と自信に満ちた瞳をきらきらと輝かせる。綺麗だ、とセオは思った。
「変だろ?こんなところで絵本とかよんじゃってさ、もっと外で遊べばいーのに。ぬいぐるみとかも好きなんだろ?男らしくねーよ、それって。それにさ、セオって女の言うことよくきいたりするじゃん。あれもおかしいって。もっとさ、こう、なんてーの?」
 うーんと自分の言葉を形にできないローガンは唸る。セオは静かにローガンを見つつ、何を言っているのだろうかと首を傾げた。ぬいぐるみはノンノがくれた宝物だし、女の子の言うことを聞くことだっておかしいことではない。頼まれて、相手ができないことで自分ができることならばやってあげるというのが、男と言うものではないだろうか。セオは、そうやってスクアーロにルッスーリアに、それに母に教わった。そして、それに関して父親も何かを言ったことはない。
 考えているセオを他所にローガンは話を続ける。
「男は守ってやるのが仕事なんだ!男は強くてかっこよくて、それから立派でなくちゃな!」
「守って、やる?」
「そうだよ。守ってやるんだ。そうでなくちゃ駄目なんだ。それに俺は大きくなったらファミリーのボスになる男だからな!みんな、俺のこと様付けするし、俺ってすごく偉いんだぞ!」
「だから?」
 暖簾に腕押し状態な会話にローガンは非常にがっかりとした表情を顔に乗せる。だーかーらー、と間延びした声で、少しばかり相手に圧迫感を与えるように、ローガンはセオとの距離を詰めた。セオは不思議そうな顔をしたまま、その銀朱の瞳で相手の瞳を困ったように見つめる。しかし、退くことはしない。
 ただ、嫌な笑い方だな、とセオは思った。
「セオも俺のファミリーにしてやってもいいぜ。ダディは強いし偉いしすげーし、それに俺にすっごく優しいから何でも言うこと気いてれるんだ!俺が頼めば、セオのことだって部下にしてやるよ」
「…いいよ、興味ない」
 自信満々と言った様子の少年にセオはよく分からない生物を見る目でそうあっさりと答えた。セオの答えにローガンは勿論のこと不満げな顔をする。立ち上がった分、セオを見下す形になっているローガンはむっと顔をしかめた。
「何だよ。俺の言うこと聞けよ。お前のとこなんて、ダディが一言言えば簡単につぶせるんだからな!」
「…退いてよ。本、読めないから」
 これ以上付き合っていられないとばかりにセオはローガンから目をそらして絵本へと目を戻した。変なのはどっちだろうとセオは考えたが、もはやそんなことにも興味が薄れて行った。目の前の少年は自分が興味を持つだけの人間ではないとセオは無意識下で判断して、そのように対応した。そして同時に、関わり合いになることを嫌った。
 セオの反応にかっとローガンは耳まで真っ赤にする。セオとしては侮辱したつもりはないが、ローガンは馬鹿にされたと当然のようにそう受け取った。いい加減にしろよ!と声がはじけて、ローガンはその手でセオが読んでいた本を奪い取った。
「返してよ。俺、それ読んでるんだ」
「何だよ!俺の言うこと聞けよ!」
 癇癪を起して本を放り投げたローガンにセオは冷たい目を向けた。
「嫌だ。ローガンの部下になんかなりたくない。俺、ローガンのこと嫌いだ」
「――――!俺がわざわざ部下にしてやろうって言ったのに!」
「他の子誘えばいいよ。でも、俺は嫌だ」
 セオはくるりと踵を返してローガンが放り投げた本を拾い上げ手に取ると、日差しの暖かい窓際に腰をすとんと下ろして本を開くと、その中に描かれている明るい絵へと目を注いだ。
 完全に自分の存在を無視したセオにローガンは首まで真っ赤になったが、ふっと何を思ったか、腕を組んで勝ち誇った顔で口を開く。セオは大して興味もなさそうに本を左から右へと読んで行った。しかし、その行動をローガンの言葉で止めた。
「俺のママが言ってたけどさぁ、セオのママってNIPなんだって?」
 NIP、と言う単語にセオは目を動かした。その単語を、セオは映画で見たことがあって知っていた。ベルフェゴールに尋ねた時、彼が何と答えたかも、セオはきちんと覚えていた。
 セオの注意が自分に向いたことにローガンはさらに口元を歪めて饒舌に語りを続ける。
「セオも大変だよなぁ。ああいう駄目なママもつから、そういう駄目な風に育てられるんだよ。物事が分からないっていうんだ、そういうの。それにさ、セオのダディも実は大したことないんじゃねーの?ママはセオのママのこと失格だって言ってた。マフィアの妻失格だって。セオ、妹も弟もいないんだろ?俺、弟がいるんだ。ダディはママが大好きでさ、だから子供ができるんだって!セオはさ、ママがNIPだから、きっとダディの方が…えーと、なんだっけ、そう!愛想尽かした!んじゃねーの?俺から見ても、セオのママって美人じゃないし、俺のママの方がずーっと美人だしさ。やっぱNIPの血が
「黙れよ」
 ふつん、とセオの中で何かが途切れた。
 目の前の少年が何を言ったのか、セオは最後まで聞きたくなかった。それ以上その口で自分の父や母を貶める言葉を聞くことを耐えられなかった。同時に許せなかった。父が自分に何と言って今まで武器の使い方や力の使い方を教えてきたか、セオははっきりと覚えている。
『今はまだ、てめぇを守る時にだけ力を使え』
 自分を守る時だ、とセオは思った。自分の誇りと尊厳を守るために。自分が何よりも大切に思っている者を侮辱された、それを享受することは、セオにはできなかった。
 全身の血液が沸騰するような激しい怒りを覚えた。気付けば、鍛えられてきた体は自然と動いていた。相手の喉元を自分の掌が押し潰す。うえと息の詰まった苦しげな声が溢れたが、セオはそれを無視した。壁に押し付けて銀朱の瞳で相手を睨みつける。ローガンの瞳が、すっと恐怖と驚愕で彩られた。
「ぇ、お…っ!」
「お前、黙れよ」
 ぎりぎりと強い掌が相手の首を絞めつけて行く。苦しめ、とセオは思った。こんな奴は生きている価値などないと同時に感じた。このまま殺してしまおうかとセオは締めつける手に力を込めながら、冷たい瞳で相手を見下ろす。次第に思考がおぼろげになって行く。ただ、頭の中に残っているのは、この自分が今現在痛めつけている相手を、決して許してはいけないという感情と、湧き立つような、しかしどこまでも冷え切っている低温火傷を引き起こしそうな怒りだけだった。
 壁に押し付けた分相手の体重が預けられて軽くなる。セオはそのままずりずりと壁を這わすようにしてローガンの体を持ち上げて行く。ローガンの体は、ぎりぎり、爪先がつくかつかないかの位置まで持ち上げられる。酸素が足りなくなっていく中で、ローガンはセオの腕をがりがりとひっかいた。
「あ…っぁ、か、はっ、あ、ぁれ、か…ま、ま、だで、ぃ」
 うるさい、とセオは静かに思いながら、相手の抵抗が静かになって行くのを、焼けつくような怒りの中で静かに見ていた。死んでしまえばいい。そう、セオは単純に思った。このまま苦しんで、自分の手で死ねばいいと、思った。
 命は大切なものだとか、命を軽く見てはいけないだとか、幾度となく教えられてきた言葉は、今のセオには届かなかった。セオにとって、目の前の命は命ではなかった。自分の両親を侮辱し貶めた命。そんなものは、命に数えられるべきではない。
「―――――――…死ねよ、おま
「何してる、Jr」
 え、と最後まで言い終わる前に、セオの腕を大きな腕が掴み取った。強い痛みと痺れが走り、セオの手は自然とローガンを放した。ローガンの体は重力に従って床に落ちる。うぇえ、とローガンは咳込みつつ、胃の中のものを吐き出す。
 駆けつけたスクアーロは小さな少年を、見た。セオの口が僅かに動く。
「放してよ、スクアーロ」
「…何してる、てのは聞こえなかったかぁ」
「――――放せよ。俺、そいつ、許せない」
 銀朱の瞳にはっきりとした殺意がこもる。ぞぁとスクアーロはその殺意に身を震わせた。想像以上の純粋な殺意が溢れかえっている事実にスクアーロは息をのんだ。
 彩度の低い銀朱の瞳は既にスクアーロを捉えておらず、倒れて咳込みを続けるローガンへと向けられる。セオの視線に気づいたローガンはひっと短い悲鳴を上げた。セオは腕を掴まれたまま、ローガンの方へと歩みを寄せる。ローガンは両腕で頭を抱え、恥も外聞も殴り捨てて、先程の勢いが嘘のようにして自分を守るように丸まった。
「ごめん!ごめ…っごめん、なさ…っ!」
 涙声で許しを請うローガンに、セオが向けている瞳は殺意のこもったそれだった。す、と足が持ち上げられて、ローガンが丸まっている体のすぐ横にたたきつけられる。大きな音がして、丸まった子供の方がびくりと大きく震える。
「お前、何て言った?俺のマンマとバッビーノのこと、何て言った?なぁ、もう一回言ってみろよ。その口引き裂いて、二度とものが言えないようにしてやる」
「Jr!」
「放してって、言ってるでしょ。スクアーロ。俺、こいつだけは許せない」
 咎めたスクアーロをセオは肌を震わせるような殺気を放ちながら睨みつけた。
「こんなやつ、俺が殺し
 てやる、と言いかけた言葉をスクアーロはセオの頬をぶって止めた。打ちつけた平手の力はそこまで強くないので、セオの頬は軽く赤みが差しただけに終わる。
 一つ、息をついてスクアーロはセオの両肩を掴んで自分の方へと向けさせた。
「Jr、落ち着け。俺たちは、そんな下らねぇことに手を下したりはしねぇ」
 Jr、とスクアーロはもう一度その呼称を繰り返してセオの肩をゆすった。しかし、セオの銀朱は歪められ、眉間に深い皺がよる。
「くだらないって、なに。マンマとバッビーノ馬鹿にされたんだ。俺の、マンマと、バッビーノを馬鹿にしたんだ。マンマのこと、俺のことを大切に思ってくれてる人のことを、あいつ、何も知らない癖に馬鹿にしたんだ!」
「…落ち着けぇ。いいかぁ、」
「知らない!あんな奴、死ねばいい―――――…マンマ」
 マンマ、とセオの瞳はスクアーロの背後に向けられた。はっとスクアーロはそこでようやく注意に気を払い、後ろに知った気配があるのに気づいて振り返る。セオは、先程までの殺気を嘘のように消して、マンマと繰り返した。信じられないものを見たような顔を母へと向けている。
 スクアーロは振り返った先に居た女性の顔を見た。東眞はその腕に買ってきたアップルパイの箱を持っていた。
「…なんで、そんな顔、するの。マ
 ンマ、とセオはスクアーロの腕を振り払い、母へと手を伸ばしたが、東眞が先に足を向けたのは、壁でうずくまってあからさまに怯えているローガンの方だった。嘔吐物で汚れたその口を、ハンカチを取り出してぬぐい、大丈夫ですかと声をかける。始め怯えていたローガンも次第に落ち着きを取り戻し、そして東眞の姿を視認すると、ばちんと触れていた手を跳ねのけた。それにセオはすぐに反応して、拳を握ったが、それはスクアーロが押さえつける。
 セオは吠えるようにしてスクアーロを怒鳴った。
「放してよ!」
「駄目だ」
「あいつ…!あいつ!」
「ローガン!」
 今度は悲鳴染みた声がその場に駆け込む。美しい曲線が東眞とローガンの間に割り入って、東眞を突き飛ばすようにしてエマは我が子を腕に抱きしめた。ローガンはママ!と一杯の涙をためてその胸の中でワンワンと泣く。ぎり、とセオは歯を食いしばって、母に抱きかかえられているローガンを睨みつける。
 鋭い声が東眞へと飛んだ。
「ちょっと!どういうつもりなの!ローガンに怪我させるなんて…っ首に指のあとまで付いてるじゃない…!一体どういう教育してるのよ!」
「ママ!あ、わぁ、うえ、あいつ、セオ、のやつ…っおれを、ころっそ、と…!」
 飛ばされた叱責に東眞は一つ溜息をつく。そんな母の姿を見て、セオはようやく溜飲を下げた。握りしめていた拳の力がなくなって、スクアーロはセオの手をゆっくりと放す。
 東眞はエマの言葉にまっすぐに顔を上げた。
「子供同士の喧嘩に、ヒステリックになるのは止めてください」
「…何ですって…!」
 静かに、東眞はエマに言葉を紡ぐ。怒っているのだろうかとスクアーロはその表情を観察しながら思う。エマはその真っ白な肌を真赤に高揚させて、東眞を睨みつける。しかし、東眞はそれから一切の視線をそらすことをせずに、まっすぐにその瞳を見返した。
「――――貴女のご自慢の教育方法で育てられた子供が、彼ですか?よく、泣かれますね」
「…なっ…!」
 たっぷりの皮肉をこめて東眞はすっくと立ち上がるとエマを見下ろした。しかしそれ以上何かを言うこともなく、セオの方へと視線をずらした。母の視線にセオはびくりと肩を震わせる。
「俺」
「謝りなさい、セオ」
「い、嫌だ。謝らない!俺、悪い事、してない!そいつが悪いんだ!」
「…謝りなさい、セオ。聞こえませんでしたか」
 初めて、上から見下されて話される距離感に、セオはぎゅぅと唇を噛んだ。何がいけないのか、分からない。母のために怒ったのに、何故反対に自分が怒られるのか、セオには理解できなかった。
 セオ、と東眞は名前を繰り返す。
「嫌だ。謝らない」
 頑なに拒んだセオに東眞は小さく溜息をついて、そうですかと返す。
「帰ってから、話しましょう。失礼します、Ms.エマ」
「待ちなさい!」
「お断りします。セオは理由もなく暴力を振るうことはしない子です。貴女が笑った、私の教育です。その子がセオに何を言ったのかしたのかは知りませんが…セオもやりすぎたことは後できちんと謝らせます。意味も分からない謝罪は何のためにもなりませんので。貴女はお子さんに、人に対して言っていいこと悪いこと、していいことと悪いことを教えるべきではないですか?セオ、帰りますよ」
 ぎりっと形の良い唇を噛んだエマに東眞はすいと背を向けて、セオの手を掴んだ。セオは掴まれた手の冷たさに視線を落とし、何かを言おうと口を開きかけたが、それをまた閉じた。
 そして、スクアーロは二人の背中と睨みつけてくる一つのきつい視線を横に受け、やれやれと言った様子で肩をすくめると、大股で、先に歩きだした二人の背中を追いかけた。