27:自覚と覚悟 - 9/10

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 通信を切ってスクアーロは深く溜息をつく。何しろ探しても探しても見つからないのでは埒が明かない。その上足取りさえもつかめないといった人探しには最低な状況だ。
 そんな溜息をつくスクアーロの隣では、東洋の服を身にまとったシャルカーンが屋根の上で何事もないかのようにちょこんと座っている。全くもってこれっぽちも緊張感がない。何故だか無性に腹立たしくなって、スクアーロはシャルカーンを怒鳴りつけた。
「う゛お゛お゛おぉ゛い!てめぇもさぼってねぇでちったぁ手伝えぇ!」
 しかしながら、怒鳴られた方は首を軽く傾けてこちらを向いただけだった。
「そんなコト言ってモ、見つからないモノは見つかりマセンヨ」
「…探す前から諦めてどうすんだぁ」
 ああ、とスクアーロはがっくりと肩を落として何度目になるか分からない溜息をついた。それにシャルカーンは曲げていた膝を伸ばして、こきんと首を鳴らす。夜空の下に広がる街灯の光を細い瞳で見つめながら、口元の笑みを下げる。
 この時間帯ではもう殆ど誰もこの界隈に外歩きする者はいない。その中で、一人の動く生きる人間を探す。それは自分たちにとってとてもたやすいことなのである。自分たちの時間で見つからないものをどうやって探しようがあると言うのか。
「外はモウ探したデショウ。彼女の徒歩範囲デ」
 徒歩以外の移動手段がなく、その上子供連れなので行動範囲は非所に狭いものとなっている。その中で手当たり次第、重箱の隅をつつくように探して、それは子供のかくれんぼではなく、気配を探ったりするような代物である。それでも見つからない。ならばもう徒歩移動範囲内に以内と想定するのが普通である。とはいえど、そうなれば何を移動手段としたのか。どれを取るにしても、それは人の手を借りたこととなる。誰かの手が借りられるとすれば行動範囲は一挙に広まっており、もはやそれは自分たちの手に負えない。
 暗殺者は暗殺に特化したものがなるもので、人を探すことに特化した人間がなるものではない。人間ではない動物の動く気配しかしない夜の街の屋根の上で一人と一人が対話をする。
「ワタシたちではどうしようもないデス。マーモンが帰ってくるのを待つカ、それとも情報屋やなんでも屋に連絡頼んだほうが有益デスヨ」
 シャルカーンの案には賛成だが、探せと命令が下っている以上、探すしかない。シャルカーン、とスクアーロは隣にいた男に呼び掛ける。名前を呼ばれた男はちらりとそちらに顔を向けた。
「あいつは帰ってくるかぁ」
 ぽつりとこぼしたその響きにシャルカーンはサァ、と返した。
「ワタシは彼女と付き合い浅いデスカラ。アナタの方がずっともっとよく知ってるデショ」
 それにスクアーロはまぁ、と返した。
 事実、自分の方がずっと東眞と関わりが深い。おそらくシャルカーンが知っているのは患者としての東眞だけなのだろう。XANXUSと東眞の、あの二人の関係を最も近くで見てきたのはほかならぬ自分たちなのである。
 振り返ればあの二人はいつだってすれ違いを繰り返して、それからもう一度求めあってきたように思う。繋がって離れて、離れて繋がって。今回もそうであればいいのにと、ひっそりと願わざるを得ない。無論、自分は殺せと命令があれば相手が肉親であれ友人であれ恋人であれ殺すだろうし、そういう風に、そういう風な社会に存在している。しかしながら個々人の感情というものは一般的な存在とも併立存在している。喜怒哀楽がないわけではない。だから、あの二人は見ていて微笑ましかったし(少し鬱陶しいと思えたときもあったが)そうあることが普通に思えている。
 いつだって致命的に思える擦れ違いがあった。ただ今回は、東眞の方に珍しく非があるのだが。今まではXANXUSが東眞の行動を勘違いしたり、または彼の生い立ちと性格、それに諸々の状況からコーザノストラの一人としての行動ですれ違っていた。そう、今日の今日まで、それらは東眞がXANXUSを包むことで解決してきた。だが、今回は東眞が謝罪する立場にある。
 あの男が人を許すのか。
 東眞だから、などという言葉はあの男の頭には存在しないのだろう。間違いなく。彼の怒りは誰に対しても等しい。あの怒りの前では話し合いや譲歩などは一切の意味がなく、全ては押しつぶされるためにある。
 ああ、とスクアーロはふとそこで理解した。
「…だから、かぁ」
 だから帰ってこない。帰ってこないのではなく、帰れないのである。XANXUSの怒りを深く知っているが故に。あの男の行動と性格をよく知っているが故に。
 飛び出したのもはたいたのも突発的なものだったのだろう。彼女の感情が溢れた結果だ、それは。しかし、彼女は冷静に物事をとらえられるという長所がある。溢れた感情の分だけ落ち着いたら、自分の非が理解できるはずだ(XANXUSにはできない芸当である)それを理解しても帰ってこないのは、骨身に染みるほどXANXUSを知っている所為である。
 足の骨を折ってでも、と言い放った男は非常に怒っている。正直な話、あの状態で人の話に耳を傾けるとは到底思えない。何しろ普段の状態でも人の話に耳を傾けるようなことはしない男なのだ(勿論任務などはまた別の話だが)今回は東眞に非があるので、許されるためにはXANXUSが東眞の話を聞く必要がある。だが、男の方に聞く気は一切ない。
 ならば男の前に出ても無駄に命を散らすだけである。子供と共に。殺さずとも、一生その身が自由になることはないだろう。今までとは違う意味で束縛される。
「スクアーロは」
 その時響いた声に、はっとスクアーロは意識を引き戻される。
 銀色を風に乗せながら声のした方を向くと、街灯を見下ろして風に東洋の服を揺らしている男が立っていた。いつも口元に笑みを乗せている男は(今も乗せているが)ゆるやかに尋ねた。
 妙に真面目な雰囲気なので、息を止めるその空間の中で耳をすませる。シャルカーンはくるっと動いて、袖を揺らした。
「イマ、飲みたい気分デスカ?」
「あ゛ぁ゛?」
 脈絡のない会話にスクアーロは拍子抜けする。余程重要な内容かと思いきや、全くどうでもいいことである。しかも、今現在自分たちは仕事中なのである。一体何を言っているのか、と口をぱくつかせると、シャルカーンはデモ、と袖を揺らす。
「コレダケ探してモ見つからないってコトは、イナイってコトですヨ。探すだけ時間の無駄デスネ。自動車や電車ナドの大型移動手段を取ったナラ、ワタシたちも探す方法を変えたほうがイイデス」
 珍しく尤もなことを言うシャルカーンにスクアーロは怪訝そうな顔をする。目の前にいるのはその男本人か、といったように。それに気づいたのか、シャルカーンは失礼デスネと憤慨した。
「ソレニ、さっきスクアーロもボスに報告してたように、拉致の件でも検討した方がイイと思いマスケド。マァ、拉致誘拐でなくても、匿われてるって可能性もあるとは思いますケドネ。ホラ、キャッバローネと仲良さげだったじゃないデスカ」
「…」
 シャルカーンの言葉に、そうか、とスクアーロは思い出す。
 東眞は誰も知り合いがいないというわけではないのだ。シャルカーンが言ったようにディーノとも、それからボンゴレ九代目とも繋がりがある。それにハウプトマン兄弟とも確か知り合いのはずだった。それから、情報屋、シルヴィオ。
 後者の二人は利益が伴わないと動かない存在のため、それをはねてもいい。だが前者の二人は主に利益を伴わない部分で行動するきらいがある。ファミリーの問題のため、ディーノの可能性は薄い。
「…九代目」
 初孫はこちらが頬を引き攣らせるほどに可愛がっていたあの老人ならば、要請さえあれば、東眞をかくまうことは当然するであろう。問題はどうやって九代目が東眞を見つけるか、東眞が連絡を取るかということである。四六時中見張っているわけではないのだから。
 うん、とスクアーロは小さく唸る。答えは出てこない。
「マアマア、スクアーロ。そんなに悩んでも答えなんて出てきまセンヨ。ダカラ」
「…だから?」
「お酒飲みまセンカ?」
 袖の中から(一体どこに入れていたのか)水筒を持ち出したシャルカーンにスクアーロは額に青筋を立てて剣を振り上げた。どうしてこうも緊張感のない男と組んだのか、と後悔しても、もう遅い。

 

 シルヴィオは取り敢えずのものだけを買って帰ると、部屋の扉を押しあける。すると、そのソファに余程疲れたのであろうか横たわっている細い体が目に入る。腕には小さな赤子。
 最初にこの女を見かけたのは写真の中であった。桧修矢の祖父、大地が見せた一枚の写真から。
 彼女は血の繋がりは一切なかったが、修矢によく似ていたために両親を殺されて桧に組み入れられる。組み入れたのは、大地。あらゆる手段を用いて、桧という地盤を固めた人間であり、男。
 同情する気はさらさらないが、彼女は新しい世界の中で立ち直り、新しい幸せを手に入れていた。小さな家族という幸せを。だが、それは唐突に崩れさる。尤も崩れたのも、大地が敷いたレールの上での話だったが。最後に、と訪れたイタリアの地で彼女はボンゴレ独立暗殺部隊のボス、XANXUSと出会う。出会い、惹かれ引き合う。そして修矢の父は子によって殺され、彼女はXANXUSによって救われる。尤もそれを救いと呼ぶのかどうかは本人次第である。色々問題もあったようだったが、彼らは結婚し、子を産む。そして現在に至る。
 波乱万丈と言えばそうだが、実際のところはそうでもないのかもしれない。恋をして愛して家庭を作った、要約すればそういう話だ。それは普通のものと大して変わらない。流石にそこにマフィアや裏社会の名前が入ってくるあたり、普通と称するには難しいのかもしれないが。
 それでも彼女はその中で精一杯に生きてきた。何が大切か、何が一番かを考えて。
 シルヴィオは買ってきた荷物を机の上に置くと、椅子の上に置いてあった毛布を横たわる東眞の上にかける。よく見れば目尻は赤く、頬は涙が伝った跡が残っている。泣いていたことは明白である。
 全くあのXANXUSという男は女を幸せにすることが余程苦手と見える。今更、ではあるが。それでも彼女は決して嫌いな男のそばにいることをよしとしない女性であるし、愛しているのだろうとシルヴィオは思った。愛していなければあの男と付き合うことなどできはしない。不可能だ。
 大変な道を選択したのも決断したのも彼女自身なのだから、自分はなにも言うことはない。それを支えることもせず、ただ傍観するだけである。今回手を加えているのは、報酬が入ったから。他に理由はない。一時の住まいを与え、時間を与え、考える余裕を与える。それで何をどうするのかも彼女自身が決めることである。
 どの道を選ぶのか、それによって彼女が死んでも生きても、それは自分の関するところではない。頼まれてはいるが、それはあくまでも手助けであって、彼女の生死の決断を揺さぶることではないのである。
 死ぬも生きるも彼女次第。
 シルヴィオはソファから見下ろしていただけだったその手を東眞の額に添える。熱はない。そこでふとパチリと朱銀の瞳を開いた赤子に目を落とす。命というものは、やはり美しい。
「マンマを守ってやれよ」
 分かっているのかいないのか、赤子はあぅ、と小さく返事をした。
 シルヴィオは笑って、それからソファから離れた。目が覚めた時に、精のつくものを食べさせてやった方がいい。台所に立って、ふとあの甘党の弟分を思い出す。
 さてはてあちらは一体どうなっていることやらと、想像は容易いのだがどう乗り越えるのかは彼ら次第である。尤も、簡単に潰れないからあのえげつない大地の爺さんが、今回あちらではなくこちらに自分をよこしたのではあろうが。
 米を洗いながら、シルヴィオは小さく笑った。