27:自覚と覚悟 - 2/10

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 もぞり、と小さな体がルッスーリアの腕の中で動く。ルッスーリアは壁に掛けられている時計を見上げて、もうこんな時間なのね、とこぼした。
「ボスたちが出かけてから随分たったわねぇ…あら、Jrも起きちゃったみたいだし」
 もうマフィアランドについて、遊んでいるころだろうかとルッスーリアは見当をつける。
 ぱちぱちとセオはルッスーリアの腕の中で瞬いて、それからその朱銀の瞳をうろつかせる。小さな手がぱちんとルッスーリアの腕を叩いて何かを訴えようとしているが、生憎ルッスーリアにはそれは分からない。
 軽く首を傾げたルッスーリアにスクアーロがどうしたぁ、と声をかけてのぞきこむ。
「飯かぁ?う゛お゛ぉ゛おい、なんか泣きそうじゃ…ねぇのかぁ…こいつ…」
 嫌な記憶が掘り返されるのをスクアーロは思い出しつつ、顔をしかめる。マーモンのおしゃぶりでも吸わせておけばいいのだろうか、とそんな考えに思いいたって、少し離れたところでベルフェゴールと一緒にテレビを見ているマーモンに声をかけた。
 しかしながら、当然、マーモンはスクアーロの言葉を断る。
「何で僕が。大体彼女とボスをマフィアランドに行かせたのは君たちが計画したことだろう?残念だけど、僕が君たちのしたことによってできた皺寄せに苦労させられるいわれはないね」
「てめぇ…ちったぁ協力しようってぇ気概はねぇのかぁ…」
「ないよ」
 すぱんと一言で断られて、スクアーロはがっくりと肩を下ろす。まだ泣き始めてはいないが、セオはルッスーリアの腕の中で鼻をすすってぐずり始めている。レヴィが慌てた様子でオムツの様子を尋ねたが、そんな臭いもしないし、そういったことではないようである。
 普段はこれでもかというほど構ってくるベルフェゴールも今はテレビに夢中な様子で、こちらに構ってこない。これは幸か不幸か。
 スクアーロはその腰辺りまで流れている銀髪に手を突っ込んで、頭をひっかくとティモッテオが持ってきていたぬいぐるみを前に出してみた。しかしながらあまり効果はない。きょろりと視線は何かを探している。
「…何が欲しいんだぁ。ボスみたいに黙ってても分かんねぇぞぉ」
 そう言ってから、スクアーロはそうでもないか、と思い直す。少なくともXANXUSは欲しいものは要求してくる。尤もその要求の仕方にも問題があるのだが。
 親子そろって我儘に育ちませんように、と切実にそうこの状況を目前にしてスクアーロはそう願った。
 するとその時、ふわりと上から大きな袖が降ってくる。何事か、と思いスクアーロは視線を上げたが、ルッスーリアの声によってそれが誰かがすぐに判明した。
「あらシャルカーン」
「オヤオヤ、今にも泣いちゃいそうデスネ」
 赤ん坊は泣くのが仕事デスシ、とまるで他人事のようにシャルカーンはしゃがんだスクアーロの上に覆いかぶさるようにしてセオを覗き込む。当然あまりいい気分ではなく、スクアーロはすぐに立ち上がって、シャルカーンを跳ねのける。
「人の上に当然のようにのっかてんじゃねぇ!」
「怒りっポイヒトは迷惑デス」
「…てめぇ…そういやあん時三枚に下ろすっつってまだ下ろしてなぁったよなぁ…」
 金属の音をちらつかせて、スクアーロはシャルカーンに凄んだが、どこ吹く風といった様子でシャルカーンは軽くスクアーロを無視した。そしてルッスーリアの腕に抱かれているセオの頬をついついと突いて体をひょいと持ち上げる。所謂高い高いの状況である。数回そうして、シャルカーンはその後をレヴィに任せた。
「レヴィの方が身長高いデスシ、ダイジョウブデスヨ。ちょっとやそっと落としたくらいジャ、死んだりしまセンカラ」
 ネ、とさらりと危ない発言をしてシャルカーンはにっこりと笑う。その腕からレヴィはセオを預かって、一番高い位置で高い高いをした。
 そんな光景を見ながら、シャルカーンは笑顔のまま誰ともなく話を始める。
「コノ時期の赤ちゃんは記憶力がついてきてるんデスヨ」
「じゃぁ、東眞を探してたの?」
「デショウネ。マンマを探す行動はよく見られますシ、サッキ泣こうとしたのは東眞サンを呼び戻そうとしたからデショウ」
「う゛お゛お゛おぉ゛い!!てめぇ、無視すんじゃねぇ!!」
 がなりたてたスクアーロをさらに無視して、シャルカーンはくるりと一回転するとまた話を続ける。レヴィはそんなシャルカーンの話を耳には挟みつつ、高い高いをされて楽しんでいる(ように見える)セオに感無量であった。
「ソレト、自我の芽生えもコノ頃だって言われてマス。レヴィやルッスーリアは見なれてマスカラ、普段と反応変わりませんケド、知らなイ人だったりするト、対応違いマスヨ」
 じっと見つめたりデスネ、とひょいとその大きな袖を持ち上げて、シャルカーンは楽しげに笑った(普段から笑ってはいるが)しかしそこでようやく話を自分が聞きたいことへと戻した。
「ソウイエバ、ボスと東眞サンどこ行ったんデスカ?」
 そんな素朴な疑問にスクアーロはマフィアランドに行ったことを告げる。それにシャルカーンはきょとんと首をかしげた。
「マタ、それは似合わないところニ」
「…まぁ、ボスに似合うなんざ誰も思っちゃいねぇぜぇ…」
 ははとスクアーロは乾いた笑いをこぼす。
 勧めた人間が言うセリフでもないが、XANXUSに遊園地が似合うとは到底思えない。むしろ浮いている。尤も、だからこそディーノにお守りを頼んだのだが(結局自分たちもあのような娯楽施設には適合できない)
 スクアーロの態度を横目で見ながら、シャルカーンはソウナンデスカ、と頷く。それにスクアーロは先程の仕返しとばかりに口元を歪めて嫌味を言う。
「なんだぁ?てめぇも行きたかったのかぁ、マフィアランド。」
「機会があれば行きたいデスネ。面白ソウデス」
 しかしそんな嫌味も普通の質問同様にさらりとかわされてスクアーロはげんなりとする。全くこれでは腹を立てているほうが損を、大損をしているのと変わりない。
 だが黙り込んだシャルカーンにスクアーロは僅かな違和感を覚えた。ソウデスカ、と珍しく小さく繰り返したその呟きにも、である。
「用事でもあったのかぁ」
「イイエ」
 タダ、とシャルカーンはスクアーロの質問に、レヴィの腕からようやくセオを預かって、その頭をなでるとルッスーリアの腕に返す。そして、とすんと椅子に腰を下ろした。細い細い、開いているのかどうかさえも定かではないその目がスクアーロに向けて微笑んだ。どこか、うすら寒い笑みだった。マァ、とシャルカーンは小さく肩をすくめて、それに言葉を続けた。
「楽しんでくるト、イイデスネ」
「…そりゃなぁ…」
 そうだが、とこぼれたスクアーロの言葉はシャルカーンの言葉に反応してというよりも、むしろ、その静けさに本能的に返ったような言葉だった。表面上の言葉が多い、ある意味それはマーモン以上かもしれない、シャルカーンはルッスーリアの腕にいるセオをつついて笑った。
 パパーとマンマが待ち遠しいデスネ、とそんな笑いを口端に滲ませて。

 

 だるい、と心底そう思いながらXANXUSは観覧車の中で外の景色を眺めていた。
 跳ね馬が案内役と言うのだけは気に食わないが、これらのそろえられたアトラクションを楽しむというのがよくわからない。アトラクション自体を楽しむ二人について行きながら、こぼした溜息は数知れず。
 そもそもこの程度のアトラクションなど、面白くとも何ともない。実質任務中の方がはるかに動いているし、風を切っている。のろのろ動く観覧車の窓から見える景色もそう楽しいものではない。
 思わず溜息をつくような景色が見たいのであれば、もっといい場所を知っている。だが、目の前の女はそれを眺めながら、笑っていた。楽しげに。その笑みが見れただけでも、とXANXUSは少しばかり来てよかったかもしれないという気持ちを起こした。
 曰く「観覧車はカップルで乗るもの」らしく、二人揃って詰め込まれたのだが。
「楽しいか」
 ぽつりとXANXUSは外の景色に目を細めている東眞にそう尋ねた。それに東眞は視線をXANUXSに向けて、最近は滅多に向けることのない屈託のない笑顔を顔一杯に広げた。
「はい。XANXUSさんは」
「だりぃ」
「…でも、セオが少し心配です」
「死にゃしねぇ、ルッスーリアもいんだろうが。てめぇは黙って座ってろ」
 そこに、と最後の言葉を省いてXANXUSは東眞同様窓の外を眺めた。広がる海は空の色を模している。東眞もつられるように外を眺めて、綺麗ですね、とぼやいた。
 吸い寄せられるようにして海を眺めている東眞にXANXUSはぼつりと呟いた。
「夏に」
「はい?」
 突拍子もなく始まった単語に東眞はぱちんと目を一度瞬いてから、どうにも間の抜けた返事をする。XANXUSは東眞に視線を合わせることもなく、その言葉に返した。
「連れて行ってやる」
 海に、という単語もまた省く。省いても伝わっていることをXANXUSは知っていた。それが伝わる人間であることを知っている。東眞はその言葉に自然と頬笑みを唇に乗せて、目元を緩ませた。その嬉しげな表情に、こんなことで喜ぶものなのか、とXANXUSはそう思った。そんなことでよければ、どこにでも連れまわしてやるのにと思いつつ。
 確かに出産してから今日まで外に出していなかったのだなと、そんなことをXANXUSは振り返る。
 二人を乗せた観覧車は最上部からだんだんと下へ降りていく。一番高い位置から見えていた海の色は下がっていくほどにその色を変えた。
 目の前に座る女の瞳に映しだされる海の色を眺めながら、XANXUSは満足げに瞼を落とした。
 会話もないまま暫くもすると、観覧車は出発地点、つまりは終着点について扉が開かれる。着きましたよ、と声を掛けられてXANXUSは下ろしてた腰持ち上げると背をかがめてその扉をくぐる。地面に足がついてふと視線を上げると、笑顔でディーノが柵の向こうに立っていた。帰れ、と思いつつも口には出さず、XANXUSは東眞の後ろをゆっくりと歩いた。
 開かれた出口から東眞が出る。
「どーだった?この観覧車から一望できる景色はすごくいいって評判なんだぜ」
「とても綺麗でした。海の色が、」
 すごく、と二人の会話を聞き流しながらXANXUSはふと視線の端に見かけたベンチに鷹揚に腰かけた。そんなXANXUSに二人は気づいて、小さく苦笑する。
 東眞はディーノとの会話を一時中断して、そちらの方へと足を運ぶ。
「XANXUSさん」
「何だ」
 簡素だがいつもの答えに、東眞は微笑を浮かべる。少しの間の後、XANXUSが瞳をあげる前に、東眞は続きの言葉を述べた。
「ジュース買ってきますね」
 喉渇きましたし、と続けられたそれにXANXUSは一言も返事をしない。せずとも伝わっているのでそれで良しとする。
 足音が遠ざかって、影が消えると、もう一つの影がそこにかかった。XANXUSは瞳を持ち上げる。そんな睨みつけるような瞳にディーノは苦笑しながら、ひらりと手を振ってその隣に座る。
「いいひと見つけたな」
「るせぇ、カス」
 ディーノの呟きにXANXUSはそう吐き捨てた。それが照れ隠しなのかどうなのかは定かではない。ただ、声のトーンに棘が含まれていないことだけは分かった。
 そんなXANXUSにディーノはめげずに話しかける。
「個人的にはお前が結婚して、まさか子供ができるなんて思ってもなかった」
 返答をしないのは想定済みだったので、ディーノはそのまま会話とは呼べない会話を続ける。
「嬉しいな。こうやってお前と――――――――――普通に会話ができるのは」
 信じられない、とディーノは屈託なく笑った。
XANXUSはそれに一度だけ視線を動かして、そしてまた視界からディーノを消した。返答の代わりに、小さく鼻を鳴らしてXANXUSはベンチにずっかりと背中を預けた。

 

 きょろり、と東眞はジュースを売っている店を探す。するとその時、後ろから脹脛に衝撃が来た。思わずこけかけたが、一歩踏み出して押しとどまる。
 一体なんだろうかと思って振り返ると、そこには非常に悲しそうな顔をしたまだ年端もいかない少女が立っていた。
「マァン、マ…」
 迷子だろうか、と東眞は思う。綺麗なブロンドの少女は東眞の足元で目に一杯の涙をとうとうため始めた。それにセオの姿を思い出して、東眞は膝を折るとその少女の頭を優しくなでる。
 日本語は間違いなく通じないだろうから、東眞はその代わりに微笑んだ。微笑んだのが分かったのか、少女はゆっくりと視線を上げて、涙でいっぱいの瞳を東眞に向けた。
「大丈夫、すぐに見つけてくれるから」
 泣かないで、と東眞は少女を抱き上げて、赤子をあやすように数回背中を叩く。そうしながら、周囲に視線をうろつかせる。誰か探している人がいるはずなのである。
 十分ほど探していると、ひどく慌てた様子の女性を東眞は見つけた。そして声をかけようとして、しかしそれは喉もとで止まった。
 東眞の腕に抱かれていた少女はその女性を見て、マンマ!と喜びの声を上げる。東眞は無言のまま、暴れた少女を地面に下ろす。母親の方へとかけていった少女は、その優しげな女性に抱きついて、マンマ!と泣きついた。それに女性は優しく頭をなでて抱き締める。少女はひとしきり泣いた後、東眞の方を指さしてイタリア語で何かを母親に告げた。それに母親は頷いて、少女を連れてから、東眞の前へと来た。そして少女の母親は、目を細め、穏やかな笑顔を東眞に向けてその手を握りしめた。
「Grazie!!」
 もう一度Grazie、と今度は少女の方から言葉が発された。そして女性は握っていた東眞の手を離すと、もう一度Grazieと礼を言って、その場を離れた。
 東眞は握りしめられた手に視線を落とす。そして、遠ざかっていく妊婦と少女をじぃと見ていた。
 数秒間そこでじっと突っ立っていたが、当初の目的を思い出して、店を探す。先程まで見つからなかったのが、嘘のようにそれはあっさりと見つかった。尤もそれは自動販売機だったが。
 兎も角、東眞はコインを入れて、そしてボタンを押す。がらん、と乾いた音が自動販売機に響いた。その振動は指先にも伝わる。三つ、音がして東眞はそのジュースを腕に抱える。しかしやけに重たい。
 帰ろうと足を向けたが、その足が動かない。
 自分の周囲に響く笑い声が、まるで嘲笑のように聞こえた。幾ら望んでも手に入らないもの。
 マンマ、パパ―と少年が二人組の周囲を元気に走っている。そしてその後ろから少し背の低い少年が同じように走って、前方の少年を追いかけていた。そして女性の腕には赤ん坊が。視線をそらした先には、同じように子供がいる夫婦がベンチに座ってジェラードを食べていた。
 視界がふらついて、東眞は頭を軽く振ってその景色を吹き飛ばす。胸の奥が、締め付けられているかのように痛い。遠くから響いてくる笑い声が四肢を縛り付ける。帰っているつもりだった足は、ふらふらと当てもなく歩いているだけとなる。
 重たい。
 ひどく、泣きたくなった。
 母親を呼ぶ声があちらこちらで響き、その残響は残滓になって東眞の胸の蟠りへと落ちていく。目を背けてきたわけではないが、ただ一人で抱え続けてきた出来事が重たい。たまらなく、重い。だから足が先に進まない。
 それ以上そんな景色を見るのはあまりにもいたたまれなく、東眞は人通りの少ない方へと足を向けて、壁に背中をつける。抱えたジュースの冷たさが腕の感覚を奪っていく。
「」
 ずるり、と背中は壁を伝ってずり落ちていった。抱えたジュースは冷たく、空っぽの腹に音もなく押し付けられて、いた。