27:自覚と覚悟 - 10/10

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 三方をパソコンの画面に囲まれ、流れていく映像を横目で確認しながらジャンはキーを叩き続ける。口元にうっすらと浮かんだ笑みにはただ、愉悦しか映っていない。楽しくて仕方がない、そんな様子である。
 セキュリティの隙間から潜り込み、ありとあらゆる情報を抉り取る。積み重なる情報がパソコンの画面を上から下へと文字、画像、映像、それらとなって流れていく様をジャンは眼鏡の奥から眺める。
 一体何時間そうしていたのか、分からないほど、時を告げるのはXANXUSと約束した半日ごろになるアラームだけ。
 と、その時けたたましい音が部屋に響いた。ジャンの目の前の画像がそこで動きを止める。解析が終了し、隣に置いてあるコピー機からずらずらと白い紙の上に黒い文字が描かれていく。
 鳴り続けるアラームを手を伸ばして止めると、ジャンは印刷機から排出された用紙を手にとって、薄ら笑いを浮かべる。完璧である。
 うっとりとしながら、ジャンは目の前の自分の愛しい相棒へと語りかける。ちかちかと光る画面はそれにまるで呼応するかのようである(実際はそんなこともないのだが)
「流石は僕のニコラ。完璧だ。パーフェクト!」
 僕のニコラ、とジャンは数秒間、ともすれば数分間ニコラを抱き締めて、再度なったアラームを鬱陶しげに見やる。そして口先をとがらせて、ああ今行くさ、とアラームを蹴り飛ばした。蹴られたアラームは壁に当たって、そして壊れて落ちる。
 名残惜しげにジャンはニコラから離れると、にこやかに微笑む。
「行ってくる、ニコラ。本当はお前も連れて行きたいところだが、連れていけないからな…イザベラと行ってこよう」
 さぁ行こうイザベラ、とジャンはノートパソコンの上に透明の湿度などをコントロールカバーをつけて持ち上げた。危うく報告書を忘れかけて、それをはさんだファイルを持ち上げる。範囲が範囲であったため、以外に量がある。一声かけてそれを持ち上げると部屋から出る。報告書は人頼みでは許されない。
 逃げた、というのはジャンにとっては別段普通、他の連中が騒いでいるほど重要なことではない。一番大切なのは自分の愛しいパソコンのことだけである。外界のことなどどうでもいい。ただ一つ問題があるとすれば、そのパソコンを壊される状況にされることだけである。それ以外であれば、人がどれだけ殺されようが構わない。
 人は時にそんな自分の考えを狂ってると言うが、そうでもないと思っている。守るべき存在が、パソコンか、それともボンゴレファミリーか、たったそれだけの違いなのだ。大体人間などというそんな生き物は、すぐに心変わりする不安定で危うい存在ではないか。と、思う。
 VARIAに入隊したのは、スカウトがあったのと、その時に対面した男の確固たる鋭さが気に入ったが故である。勿論、VARIAという組織の本質が一体何であるかは熟知しているし、その上での入隊ではある。
 ああいう男は、基本的に何かをする目的遂行のためであれば、どのような犠牲を払うこともいとわない。それは、多分自分がパソコンに対する愛情とよく似ている(本人にそう発言しようものならば、殴られるもしくは半殺しにされることは間違いなしだが)
 ジャンはふつりと思考を一度落とすと、その思考をそれ以上進行させるのをやめる。そして目の前の重厚な扉に手を伸ばして、軽くノックした。そうすると、中から誰よりも重たい声が響いてくる。入れ、と。命令されるがままに、扉を開けて中をのぞけば、そこには相変わらずの空気を纏った男がいた。
 腕を組み、こちらを睨みつけてくるXANXUSにジャンは軽くファイルをかざして、完成した、と告げる。
「報告しろ」
「Si、ボス」
 命令に従って、イザベラをそっと淑女をベッドに下ろすかの如く仕草で机の上において、ジャンはXANXUSの前に数枚の資料を置く。そして、自分が持っていたファイルを開く。
「彼女が今現在いると思われる場所はここ。移動経路は車だと思う。彼女が、映った監視カメラが数点あったから、そこから絞り出した。でも運転席の人間は残念だったけど上手い角度で映ってなかったよ。ちなみに彼女が映っていたカメラも道路のものではなくて、店内の物。ガラスや鏡などに反射している風景からニコラが発見した。そこから考えると、相手は町中の監視カメラのことを知ってると思って間違いない」
 ジャンの説明を聞きながら、XANXUSは赤いマル印をつけられた建物を見下ろす。説明が続けられる。
「このアパートを使っている人間は現在三人。その名前を引き出して、個人情報と照らし合わせた」
 ざらり、とXANXUSの前に三枚の用紙がおとされる。顔写真と名前、そのほか出身地などの詳細が記されている。しかしながらそのどれもXANXUSが知っている人間ではないし、同時に東眞が知っている人間でもない。
「でもこれは名前から照らし合わせた結果であり確定情報とは呼べない」
 次の瞬間資料がXANXUSの手から奪われて、机の下にはたき落される。熱の入った様子でジャンは口元を歪めた。余程楽しかったと見える。それで、とその愉悦交じりの笑みを深めて、ジャンは報告する。
「この名前を偽名として使っている人間をリストアップした。それが、これ」
 十数名ほどの名前がリストアップされている用紙をジャンはXANXUSに渡す。それを上から眺めながら、奇妙な、イタリア人にはない名前を発見して、XANXUSは軽く眉をひそめた。その表情にジャンはそうさ、と笑う。
 XANXUSが目を止めた名前―――――――――――――シルヴィオ・田辺。
「それからその近辺の店での売買情報も調べた結果、幼児生活用品をある程度買い込んでいる情報もある。彼がいくら情報通でも店の監視カメラに映らない、ということは不可能だったみたいで、」
 ジャンはさらにもう一枚、静止画をXANXUSの前に出した。オムツなどを購入している男が、そこには確かに映っていた。そして、その男の名前は先程目を止めた名前の男と同一人物である。
 報告が終わって、ジャンは笑う。
「見つからないわけさ。何しろ彼女は情報の下に置かれているんだから。人の目で調べられるのは人の目が行くところだけだ。情報の下を行くには情報で潜るしかない。だけどもまぁ、彼の情報に幾ら限界がなくても、流石に情報の下を人の体が潜り抜けることは不可能だったわけだ」
 そう笑っているジャンの声を横に流しながら、XANXUSはマルの入った場所を今一度確認する。場所が分かったのであれば、することはたった一つである。
 ゆるりと立ち上がりかけたその時、人の声が電子音に変換されて届く。二つの視線がそちらを向いた。
『ボス、目的地に到着しました』
 どこに、というのは命令した本人は分かっている。XANXUSは緩やかに、しかしどこまでも低く背筋を凍らせるような声で答えた。
「待機しろ。命令次第―――――――――殺し尽くせ」
『は!』
 ぷつんと機器を伴ったが終了して、XANXUSは椅子から立ち上がると労いの言葉一つなくジャンの隣を通り過ぎた。そして扉に手をかける。その背中にジャンは軽く首を傾けてねだるような声で問いかけた。
「ボス。報酬はいいからさ、ニコラに新しい機器つけたいんだけど」
 それを人は報酬と呼ぶ。
 しかし、XANXUSはそんな些事など軽く無視をして、一言、勝手にしろと答えた。そして、その後、重い内開きの扉は自重に任せて閉められた。

 

「遅いぞ、哲」
 修矢は使い物にならなくなっている砂嵐の画面を見つめていた。それに哲は申し訳ありません、と謝罪してから修矢同様にその画面を眺める。
「監視カメラが」
「壊された。あるもの全部だ。意図的に壊しているとみて間違いない」
 そう言って修矢はきゅる、と巻き戻していたビデオを再生させる。チャンネルを変えて、砂嵐を静かな黒い画面に映した。ぶぶ、と僅かにテレビが音をたてたが、すぐにその不快な音は消え去り、画面は正常に再生される。
 流れていく映像の後、一瞬映った黒い影に修矢は停止ボタンを押した。見覚えのある服装。再生ボタンを押せば、画面はすぐに砂嵐となった。もう一度少し巻き戻して再生、停止させる。鼻辺りまでを覆面で隠した黒い隊服を身にまとった男。
 重い声で修矢は現状を哲に告げる。
「――――――――…監視カメラが壊された以上、敵の正確な位置は把握できない。ただ、あいつらが来た以上は四方を囲んでいるとみて間違いない」
「おそらくは」
 画面を眺めている修矢に哲は視線を落とす。
「お嬢様が心配ですか」
 『彼ら』が来たということは、東眞の身に何かあったということを同時に示す。哲の質問に修矢は愚問だなと笑った。そんなことは誰に言われずとも知れたことである。だが、次に続いたのは別の言葉だった。
「だが、俺が今一番に心配するのは姉貴じゃない。哲、皆は集金から戻っているな?」
「はい」
「広間に集めろ。外の警備の者も全員だ」
 ず、と腰を上げて修矢はその片手に鞘におさめられた刀をしっかりと手にする。
 言葉を告げた後、哲をおいて修矢は廊下をゆっくりと歩く。他の廊下から哲の召集の声と足音が響く。この一つ一つの足音全ての命を自分は背負っている。揺るがない、揺るがされない、揺るいではならない自分の地位。
 歩くたびに、かち、と刀の音がする。その重みが腕へとしっかり伝わる。それは重みだとはっきり告げていた。あらゆるものの。
 緊迫していく空気に肌が震える。周囲の重圧が一気に増していく。一人でも二人でもない、片手では足りない命の数が背に肩に腕に足に、ゆっくりと圧し掛かっていく。それを纏って歩き続ける。
 指をかけた襖の先には、恐らくもう全ての人間が自分を待っている。
 そして修矢は木をこすれされる音をさせながら襖を開いた。目の前に広がるのは、こちらを見据える瞳の数。畳の上に座った緊迫した男の、仲間の顔。
 修矢はそれらに押しつぶされることなく、その先頭、前に足を運んで向き合う。乾いた唇を一舐めして湿り気を持たせると、喉を動かして声を発した。
「敵衆だ」
 短い一言に、空気が揺れた。哲はそれを一睨みして落ち着かせる。修矢はその空気の中で自分がすべきことをなすべきことする。
「哲、開けろ」
「はい」
 修矢の言葉に哲は修矢の隣にあった畳を剥いだ。そこにあったのは床板でもなければ土でもない。一枚の扉。一度、言葉の間に拍を持たせてから、修矢は一瞬だけ揺らいだ空気に締りを持たせた。
「今から対峙する相手は今までのような相手じゃない。殺しが、本職だ。言葉の意味が理解できない奴は立て」
 誰も据わったまま動かない。
「逃げたい奴は、今逃げろ。それを選択するだけの自由がお前らにはある。ただし、逃げた奴は足を洗え。二度とこの世界に足を踏み入れることは桧の名にかけて許さない。残った仲間を探すことも、もしこの戦いで生き延びた仲間に声をかけることも許さない。堅気として、生きろ。もしこれを破った場合―――――――――生き残った仲間がそいつを殺す。全滅していたとしても、お前の息の根を止めに行く」
 繰り返すが、と修矢はそのまま言葉を続ける。
「相手は暗殺を生業とする。ただ殺すことだけを特化させた連中だ。そこには情けなど一片もない。ここに残れば、死を覚悟しろ。持ち場を墓場としろ。死を持って友を守れ。死を持って志を守れ。死を持ってお前たちの全てを賭けろ。死を持って、
 すぅと修矢は面を上げて、その瞳に鋭い光を宿す。
「桧の掟を守れ」
 静かで、それでいて凛とした声におぉ、と声が上がる。
 しかし、数人が立ち上がり、修矢の隣に開かれている扉の前に立つ。だが、誰もそれを責めることはない。
「生きろ。恥を晒すことなく」
 顔をまっすぐに向けてそう告げた修矢の隣を組員、であった、男たちは深く頭を下げた。眦に浮かぶ涙は落とさない。はい、とそう返して、その遠く離れた堅気への世界へと潜り込んだ。
 一人二人と消えていく中で、修矢はただ一人立つ。そして、とうとう誰も動かなくなった。三十数名の内、残ったものはその半数ほどであった。しかしそれでも十分であると修矢は思う。
「いいか」
 もう一度、同じことを繰り返す。まだ扉は閉じられていない。
「命を、奪い奪われる覚悟をしろ。相手が誰であれ容赦はするな。女子供成人老人、誰であれ。敵は己の全てを奪うものだ。相手は俺たちを殺しに来る。俺たちも相手を殺しに行く。命のやりとり以外にすべきことなど何もない。今ここに残っている奴等は逃げることは許されない。敵に背を向けることも許さない。恐怖に慄くことも許さない。それができないと言うならば、まだ逃げられる。新しい人生にかけて構わない。俺に命を渡す覚悟のある奴だけ残っていればいい」
 有無を言わせぬ瞳に、また二人程がその場から立ち上がり、そして去っていく。それが通り過ぎて、足音が消えたころ、修矢は哲に閉めろ、と命令する。畳を上にかぶせてしまえば、もうそこには何も残らない。
 一息吸ってから、修矢は腹筋を使って言葉を紡ぐ。
「命を奪いあう覚悟はできたか」
 答えはないが、それは答えとなった。修矢は刀を抜き放ち、それを畳に突き刺す。どっ、と鈍い音がした。
「桧の誇りを、胸に―――――行く手を遮るものを薙ぎ払え」
 おぉお、と今度は高く声が上がった。それに口元を笑わせて、修矢は哲に命令を下す。
「三班に分かれさせろ、相手もそう多勢で来ていないはずだ。東西の入り口を死守。俺は敵勢力の頭を潰す。南北には真ん中の扉を通しにして一班を置き、そこから両側を守らせろ。哲、お前は西の出口を任せる」
「…坊ちゃんは」
「東だ。一番初めに潰されたカメラは東だった。おそらくそちらから頭が来るだろうよ」
 その言葉に哲は難しい顔をする。腑に落ちない、というよりも承服しかねるといった顔である。自分の側近がそういう顔をする理由は修矢には十分分かっていた。
「流石に挟み撃ちにされたら困る。それに、いくら俺たちが他の組よりも戦闘に特化しているとはいえ、職業としてる奴等とは違う。だから、お前を西に置く。お前ならどうにかできるだろう?なんせ、あの田辺さんを兄弟子に持ってるわけだし」
「…あまり茶化さないでいただきたい」
 哲の低く唸るような声に修矢は一度視線をはずして、しっかりと自分よりも高い位置にある目を見上げた。そして、信頼の言葉を贈る。
「お前だからだ、哲。お前なら、背後を抜かれることはないと俺は信じる。だからお前に西を任せる。頭を潰すのに二人もいらない。俺が潰すから、お前はこの場を守れ。死守しろ」
 そう言われては哲も首を垂れるしかない。
「坊ちゃん」
「なんだ、哲」
 ばたばたと周囲が武器や配置についている中で、二人だけの空間はやけに静かである。哲はようやく修矢に背を向けた。そして修矢も哲とは反対方向に顔を向ける。背中を向けた状態で、二人は静かに語る。
 はた、と哲の足が一歩先に出る。その大きな背中を修矢は少し、見た。
「見せてやりましょう」
 その言葉に修矢はゆっくりと口元に笑みを添える。そして、二つ、
「ああ、見せてやろうじゃないか――――桧を、俺たちを甘く見るとどうなるか」
 どうせあいつらに油断の文字などそうそうないのだろうが、それでも修矢は笑った。
 二つの足音は正反対の方向へと、移動した。

 

 がつん、と黒いブーツの重たい音が地面に跳ねる。古ぼけたアパートの前にXANXUSは下りた。エレベーターは故障中で、その古びた階段を登っていく。重いブーツが一段乗るたびに、ぎしっと軋んだ音がした。
 ぎつぎつと音を立てながら階段を踏んでいく。
 目的の階について、部屋番号を横目にその細い通りを歩く。1、2、それから――――――3。足が止まって、やはり随分と古びた扉の前で制止する。耳を澄ませても、肌を震わせるような殺気は一切ない。尤も殺気があろうとなかろうと、そのようなものは全て、灰にする。
 触ればざりと音がする取っ手をつかんで、回す。そして扉を押し開けた。
 赤い瞳が薄暗い空間の中で鋭く、焼けつくような色を放つ。その赤い瞳の中に、赤とは酷く対照的な、青と緑の混ざった色が浮かべられる。
 その瞳をもつ男は、ソファに腰掛けて、XANXUSを見ていた。口元に勝ち誇った笑みを浮かべたまま。
 冷たい空間に楽しげな声が鳴った。
「ようこそ、御曹司」
 シルヴィオ・田辺はそう、底知れぬ怒りを持った男と対峙した。