26:振り回されて三回転 - 4/5

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 くい、と持ちあがった顔と、そのきょとんとした目にルッスーリアは歓喜の悲鳴を上げた。
「いやぁあん!可愛い!可愛いわぁ!ちょっとカメラカメラ!」
 ぱしゃりと写真を取りながら、喜ぶルッスーリアの隣で東眞は仰向けになっているセオを見ていた。小さな顔の中の目や口は、顔いっぱいに笑顔を作ってあぁ、と小さく声を漏らした。それにまたルッスーリアは声を上げる。
「首も据わってきたし、ホント、大きくなったわねぇ」
「本当に」
 そうですね、と東眞は伸ばされた手に指先を触れさせる。すると小さな手はその指先をつかんで、きゃっきゃと笑った。小さな命はどんどんと大きく、立派に成長していっている。
 セオは仰向けの状態で足を交差させたりして遊んでいる。だが、それが突然、ころりと転がって腹ばいの姿勢になった。それにルッスーリアはあらあら、と微笑む。
「寝返りがうてるようになったのかしら?」
「そういえば、これが初めてだと思うんですが…」
 しかしながら、体の下にしてしまった腕が、筋力がまだついていないせいで抜けずに、うんうんとしている。東眞とルッスーリアは黙ってその様子を見守る。迂闊に手を出すよりも、こういったことは待った方がいい。けれども結局手は抜けずに、セオの顔はくしゃりと歪んで東眞を見上げると、しゃくりあげた。
「あーぁ、ぁ…うー」
「あら、泣きだしちゃったわぁ。マンマに助けを求めるなんてね」
 まだまだねぇ、とルッスーリアは苦笑しながら、東眞がセオを仰向けに戻すのを見て笑う。東眞も抱き上げた体の柔らかさに、それでもまだ成長途中なのを実感して口元を微笑ませた。
 暫くするとセオはまた自分から腹ばいになって遊ぶ。けれどもやはり手は敷いたままになって、ぐずり始める。今度はルッスーリアがセオを仰向けにした。
「可愛いわねぇ」
「はい」
「離乳食は…来月あたりからが一般的かしら」
「そうですね。取り敢えず今から少しずつ考えてはいるんですけど…気に入ってくれればうれしいです」
「東眞の料理はおいしいから大丈夫よ。そんなに心配しなくても」
 と、笑ったルッスーリアにつられるようにして、東眞は微笑む。
 するとそこに大きな重たい音が響いた。ルッスーリアと東眞の二人はそちら、音がした方へと視線をやる。
 その巨体とツンツン頭。難しそうな顔をしている男はずずーんと仁王立ちをして、小さな子供を見下ろしていた。セオの瞳が陰に触発されて、ふいと上を向く。そして、レヴィの顔を捉えた。数秒間の間が空く。
「ちょっとレヴィ、あんまり難しい顔してると泣いちゃうわよ。あなたただでさえ怖い顔してて、子供には泣かれっぱなしじゃないの」
「…む」
 しかし、セオは泣かなかった。
 代わりに、今度は腹ばいでも手を下に挟まなかったのか、その手で胸辺りまでを持ち上げることに成功しており、そこでレヴィを見上げて、首を小さく傾げた。それにルッスーリアは目を丸くして、大層驚いた様相を示す。
「あら、レヴィを見ても泣かない子供がいたのね」
「XANXUSさんの顔見なれてるからだと思いますけど」
「…ボスの顔が怖いっていうのは自覚あったのね…」
 東眞の一言にルッスーリアは口元を引きつらせて、笑った。それに東眞は、まぁ、と答えた。
 一般的に見て、XANXUSの顔が怖くないという方に分類されるとは思わない。何しろ目付きが悪い。優しい目の時もあるが、普段は眉間に皺が寄っているうえに、三白眼。しょっちゅう舌打ちをかますし、よくグラスも飛ばしている。どう考えても温厚その他、優しい系統のカテゴリに分類するにはいささか問題が多すぎるように思える。
 よかったじゃない、レヴィとルッスーリアは慰めにもならない言葉をレヴィにかけた。レヴィは膝を折ってセオとその距離と詰める。抱きたそうにしていたので、東眞はそっとレヴィに声をかけてみる。
「抱きますか?」
「…い、いや!おおおお、俺が、抱いては………抱いても、いいのか…?」
 最終的には願望に勝てずにレヴィはおそる、と東眞に視線を移す。
いけないなどということは当然なく、むしろ好ましいくらいで東眞はどうぞ、とセオを絨毯から持ち上げるとレヴィに差し出した。
 まるでXAXNUSがセオを抱くかのように(とはいっても最近は慣れてきた模様で)、レヴィは本当に恐る恐るセオをその腕の中に抱き抱える。レヴィの腕の中で、セオはあぅ、と一つ笑って手を伸ばした。誰かに抱きあげてもらうのが好きなようで、いつも抱き上げると笑顔を広げる。そのせいか、ベルフェゴールはセオが出ているとしょっちゅう抱き上げるし、良き遊び相手になっている。
「…か、かわいいな…」
「レヴィからそんな言葉が出るなんてびっくりよ。ねぇ、東眞」
「そんなことないですよ。なんだか、嬉しいです」
 自分の子を可愛いと言ってもらえて嬉しくない親などいない。
 東眞は朗らかに微笑んで、有難うございますとレヴィに告げた。レヴィはうむ、と頷いてから東眞にセオを返す。その東眞の腕に返ったセオの顔を見て、ルッスーリアはくすくすと笑った。
「それでもマンマの腕の中が一番見たいねぇ。この子大きくなったらボスと東眞の取り合いでも始めるんじゃないかしら?」
「そんなことないですよ」
 掌で髪をかき上げるような動作をすれば、心地よいのかセオは、頬を緩ませた。そして東眞はルッスーリアが差し出したその腕に、セオをもう一度預ける。
 レヴィはそこでふと思い出したように東眞に尋ねた。
「そういえば貴様、体の調子はもういいのか」
 まさかレヴィからそんな質問がされるとは、かなりの予想外で東眞は一度目を瞬いてから、随分と間の抜けた声ではい、と答える。しかし慌ててはっと、我に返ると言い直す。
「あ、はい。もう」
「にしては、シャルカーンの出入りが多いな」
「…完全、というわけではないですから」
「そうなのか?」
「はい」
 心苦しさを覚えながら、東眞は顔を笑わせた。レヴィは東眞のその笑顔を見ながら、ならば、と続けた。
「早く体を回復させろ。それが貴様のすべきことだ」
「――――――有難う、ございます」
 躊躇いを押し隠して東眞はやはり微笑んでいた。ルッスーリアはセオと遊びながら、かわいいわぁ、と繰り返す。レヴィはそんな様子を眺めながら、目を細める。
「しかし第一子が男とは、貴様もやるな。よくやった!」
 ぞくりと東眞の背筋が凍えるように冷える。喉元に言葉が引っ掛かって上手い返事が出てこない。しかしレヴィはそれに気づくことなく、セオとルッスーリアの方を眺めながら、しっかりと一二度頷く。
「二人目の子はどちらだろうな。二人目ができたら、ボスもさぞかし喜ぶことだろう。男と女か…ウム…。日本で確かそれににた諺があったと思うのだが…なんだったか…」
「一姫二太郎かしら?レヴィ」
「それだ!」
 それはもう無理ねぇ、とルッスーリアは笑う。何しろ一姫二太郎は、一人目は女の子という言葉であるからだ。一人目がセオであった以上、流石にそれは無理である。
 ルッスーリアの講座を聞いて、レヴィはそうかと頷いた。
「だが、女の子は一人は欲しいのだろうか、ボスは」
「どうかしらね。でも女の子が産まれて、もしお嫁に行くときになったらどうなるかしら。あと彼氏ができた時」
 ルッスーリアの言葉にレヴィはムム、と同様に唸る。俺の目の黒いうちは、とルッスーリアはからかい交じりにXANXUSの真似をしながら、セオの手に玩具を持たせたりした。
 東眞は、どこか遠いところでその会話を聞いていた。耳をふさいでしまいたい。レヴィとルッスーリアの会話は、心を、締め付ける。手は自然と腹の上に来ていた。
「九代目なんて、女の子ができたらそれはもう猫っ可愛がりするんじゃないの?一人目の孫でこれ何だもの」
 そう言ってルッスーリアはティモッテオが送ってきたセオへのプレゼントを眺めながら苦笑した。
 玩具、ぬいぐるみ、ベビーベッド、椅子、クレヨンその他多数。毎日、とは言わないが来れない代わりにそれをよこす。それに時折電話をかけてきて、セオの声を、ともううきうきとした様子で求める。余程初孫が可愛いらしい。カメラやビデオを送ってくれ、とXANXUSに頼んでいて、ざけんな!とXANXUSが電話を叩っ切るのは記憶にまだ新しい。
 目に入れても痛くない可愛がりようというのはああいうことを言うのだろう。
 しかし、二人は―――――――――――――ない。ないのだ。もう、産まれない。産めない。
「?どうした、顔色が優れんぞ」
「東眞?気分でも悪いの?」
 こちらに気づいた二人に、東眞は首を慌てて横に振った。そして笑顔を作る。精一杯の、笑顔を。
「いいえ」
 その返答にルッスーリアとレヴィは一度顔を見合わせて、もう一度東眞を見る。しかし、平気ですと続けた東眞にそれ以上何かを言うこともできず、そうと答えるしかない。
「でもあれね、ベルがいないとちょっと静かねー」
 いつも遊んでるから、との言葉に東眞はそうですねと返す。本日ベルフェゴールはドイツまで、マーモンと一緒に行動している。ルッスーリアはセオの頬を突きつつ、ひょっとして寂しかったりするのかしら、と言葉に明るさを含ませてそう尋ねる。
「そうかもしれないですね。ベル、よく遊んでてくれますから。でもスクアーロにもなついてるんですよ」
「あー…あれはボスがスクアーロに押し付けてるからだと思うんだけど」
 違うかしら、とルッスーリアはセオを抱き直してからりと笑う。
 よくセオを持ち出しているXANXUSだが、結局泣きだされると弱いのかその世話をスクアーロに押し付けてしまう。東眞を呼べばいいものを、それをしないから、結局鉢がスクアーロに回ってくるのである。
 申し訳ないんですけれど、と東眞は苦笑した。
 その噂のスクアーロも本日は任務である。うきうきと朝方、刀の手入れをしていたのですぐに分かった。そして東眞はふいと時計を見上げて、ああと声を上げる。
「もうお昼ですか」
「あ、いいのよ東眞。座ってて頂戴。お昼なら私が作るから!」
「すみません、有難うございます」
「いいのよ、気にしないで。あなた、Jrの夜泣きとかでずっと大変だったでしょ?少しくらい休んでもいいのよ」
 そのささやかな気遣いに東眞は穏やかな色を目元に浮かべて、再度礼を述べた。それにルッスーリアはほっとしたような顔をして、そしてレヴィに手伝うように告げた。

 

「坊ちゃん、見て下さい。うわ…小さいですねぇ」
 パソコン画面に表示された写真に哲は素直な感想を述べる。修矢もそれを覗き込んで、本当だなと素気なく返して、すぐさま視線をそらす。その態度に哲は首をかしげつつ、どうされたんですか、と尋ねた。
「どうもこうも!――――――…そいつ、あいつに似てる」
「…そんなくだらない理由で…親ですから似るのは当然ですよ、坊ちゃん」
「…親だから必ずしも子が似るとは限らないだろうが!お前が好きなプリンの材料の一つ、卵だって、あれは鶏が産むんだぞ!お前は鶏とヒヨコが似てるとでも言うつもりか!」
「…霊長類と鳥類を比べないでください、坊ちゃん」
「同じ生き物だろうが。一括りにしろ」
 そんな無茶な、と修矢の言葉にげんなりとしながら、哲はパソコン横に置いていたプリンに手をつけた。が、しかしそれは哲の手が届く前に修矢が奪い取って、そして、哲が何かを発言する前に修矢の口の中に消えた。
 哲の顔が空よりも青くなる。あく、と顎がカタカタと動いた。
「――――――――――…っ、ぁ、う…」
「お前、食べ過ぎ」
 辛辣にそう言い放った修矢に哲は今にも泣きそうな顔で抗議する。だが修矢は聞く耳を持たない。それどころか、両耳に栓をして、哲の言葉を一向に聞こうとしない。
「あんまりです!」
「…哲、お前さ、今週一体何個プリン平らげてるんだ?自覚ないようだから聞いてやる」
「?月曜日に二つ、火曜日に三つ…水曜は食べられなかったので、木曜日に六つ、金曜日に…」
「もういい」
 聞いているだけで甘ったるくなり吐きそうになるので、修矢はストップをかけた。しかし哲は、聞いてこられたのは坊ちゃんでしょうに、と軽く首をかしげる。信じられない対応である。
「いい加減にしろ!お前のエンゲル係数の半数はプリンだ!」
「そんなことはありません。他にもきちんと食べています」
「真面目な顔して言い返すな。兎も角、お前は来週はプリン禁、し…」
 だからな、と言いかけて絶望に似た表情を浮かべた哲に修矢は言葉を喉で詰まらせた。健康慮って言っているというのに、何故だかこちらが悪いことをしているような気分にさせられる。
 修矢はひらりと手を振って、溜息をついた。
「一日に一つ。それ以上はダメだからな」
 それを言い終わった瞬間の哲の顔を横目で見て、修矢は盛大に溜息をついた。そしてパソコンの画面を見て、あの時のあの赤子が成長していく姿とともに映っている姉の姿を見て、少しだけ違和感を覚えた。
 その、どこか、そうどこか――――――――――それはほんの陰りにしか見えないような目元にある、僅かな、悲しみに。