25:新しい命 - 3/6

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 痛い。呼吸すらままならない。どこか遠くで人の声がするのだが、何を言っているのか、いまいちよく聞こえない。
 東眞はひきつるように息をして、全身に走った痛みに呻いた。その時、東眞の耳に聞き知った名前が聞こえた。
「シャルカーン様」
「ハイハイ、ドウモデス。東眞サン、意識はありマスカ?」
 顔に影が落ちて、東眞はそれに答えようとしたが、縛るような痛みに喉で声が詰まる。その表情をゆっくりと見て、それからすぃと視線を上げると、医療班の人間に声をかけた。
「陣痛が始まっテ、どれくらいになりマスカ?」
「スクアーロ様の仰られた時刻からすると、もうかれこれ三四時間になるのですが…。過強陣痛の傾向がある上に、陣痛が始まっているのに子宮口が開いていないのです」
「マッタク」
「はい、全く」
 このままでは、という言葉にシャルカーンは袖から手を出して、東眞の下腹部に手を乗せる。ゆっくりと弧を描くように、何かを探るようにして難しそうな顔をした(とはいえども、顔はほぼ笑顔のそのままである)三十分くらいそうしていて、それからようやっと手を離した。
 そしてもう一度東眞に話しかける。
「東眞サン、話せマスカ?ワタシの声、聞こえてマスカ?」
「――――…ぁ、い、こ、ぇ、て…ま、す」
 少しだけ体が楽なって、東眞は声を絞り出してシャルカーンの言葉に答えた。イイデスカ、とシャルカーンはゆっくりと東眞に今の状況を伝える。
「オハナシした通り、危ない状況デス。頑張れマスカ」
「がん、ばり…ま、す…まれ、ま、す」
「イイ答えデス。頑張ってくだサイ」
 にっこり、とシャルカーンは微笑んでから、初めて腕まくりをした。浅黒い肌をしたその細めの腕が外気にさらされる。不安そうな眼をした東眞にシャルカーンはもう一度笑って、それから
「ワタシがついてマスカラ」
 安心してくだサイネ、と告げた。その笑顔に東眞はもう一度、はいとしっかり頷いた。

 

 一体何時間ここに座っているのか、スクアーロはもうよく分からなくなっていた。シャルカーンが入ってから、おそらくもう六七時間は軽く経過している。長い。青白い顔をして入って行った東眞の顔を思い出せば、ぞっと身が震えてしまう。ああいう顔をする痛みをもう六七時間も続けているということだ。
 XANXUSに連絡を入れたが、なかなか帰ってこない。もう会食は終わっているであろう時間であろうはずなのに、まだ来ない。ただ自分の目の前に座っている彼の義理の父、ボンゴレ九代目だけはいやに落ち着いた様子であった。一体どこから情報を聞いたのか(多分シルヴィオだろうが)XANXUSに連絡を入れてから一二時間したのちに、慌てた様子でやってきた。
 息がつまりそうな空間で、溜息をつきかけた時、ようやく扉が荒々しく開かれた。らしくもなく肩で呼吸している自分の上司がそこにいた。
「――――、餓鬼はどうした」
「ま、まだだぁ」
 閉ざされている扉に目を向けて、何故閉ざされているとばかりに蹴りつけようとしたので慌ててそれを止める。落ち着けぇ、とはがいじめにしたが、即座に蹴り飛ばされた。背中を椅子に打ち付けて、数回せき込んだ。苛立ちが最高点に達しているのか、いつも以上に眉間に皺が寄っている。火薬のにおいが、鼻をついた。
 スクアーロは上半身を起こして、XANXUSに問う。
「…なんだぁ、襲撃にでもあったのかぁ」
「るせぇ!」
 とうとう扉を殴りそうになったXANXUSにスクアーロはさっと全身から血の気が引く。
 そんなことでもして、中の人間に大事があればどうするつもりだと言いたいが、どうやら本人はそれに気づいてないらしい。だが、立ってそれを止めるだけの力は残っていないし、もう駄目なのかとスクアーロの頭には出産にはどうにも不釣り合いな言葉が浮かんだ。
 しかし、そこに穏やかな声が割って入り、XANXUSの動きがぴたりと止まった。
「落ち着きなさい、XANXUS」
「黙れ、老いぼれ。大体何でてめぇがここに居やがる」
 ぎろっとXANXUSはスクアーロを睨みつけたが、ティモッテオは慌てて、違うとその間違いを正した。それをまたXANXUSは獣のような反応で、その鋭い眼光をティモッテオに戻した。怒りの矛先がそれてスクアーロはほっと胸をなでおろした。
 強く睨みつけていたXANXUSだったが、暫くも睨みあっていれば(睨んでいたのはXANXUSのみだったが)落ち着いてきたのか、声に平静が戻ってくる。
「…中の様子はどうなってる」
「私も分からない。入れないようになっていてね」
「入れねぇようにだと?」
 怪訝そうに眉を潜めたXANXUSにスクアーロはシャルカーンの野郎が、と付け加えておいた。それと、と思い出したように付け加える。
「なんとか陣痛だったかぁ?」
「過強陣痛だよ、スクアーロ」
 ティモッテオはスクアーロの間違いを丁寧に正して、こつんと杖の先を床に乗せた。だが、とそしてその言葉にゆっくりと付け加えた。
「彼は大丈夫だと言っていたから、落ち着くといい」
 座りなさい、とティモッテオは優しい動作で自分の隣を叩いた。
 XANXUSはもう一度だけ部屋の扉を見て、それから視線をそらすとティモッテオが叩いた椅子とは反対の、向かい側の椅子に嫌がらせのように腰掛ける。それにティモッテオは苦笑して、小さく肩をすくめた。XANXUSは口元をひき縛り、開いていた目を閉じた。
「てめぇが押し付けたくだらねぇ会食のせいで、余計な手間がかかった」
「すまないね、XANXUS。私も外せないようができてしまっていて」
「あぁ?外せねぇだ?今ここに俺よりも早くいるジジイが何言ってやがる」
 ふざけたことぬかしてんじゃねぇ、とXANXUSは足を机の上に放り投げて、大きな音を立てる。しかし、ティモッテオはもはやその程度で驚くこともなく、小さく笑っただけだった。
「だが、あそこの料理は絶品だったろう?」
 そういう問題でもないだろうとスクアーロは思ったが、しかしながらティモッテオはにこやかに、あまりにもにこやかに微笑むので、XANXUSも怒るのをやめた。
 ペンは剣よりも強し、非暴力は暴力よりも強しの状況を目の当たりにしつつ、スクアーロはこの親子のやりとりに一人小さく溜息をついた。東眞さんと子供と食べに行くといい、とティモッテオはそうXANXUSに微笑んだ。
「私もご一緒さ
「一人で食ってろ。死に損ない」
 くたばれ、ともう一言付け加えてXANXUSは口を閉ざした。
 男という生物は、こういう時、ただ待つばかりである。
 一時間経過しても、二時間経過しても、五時間経過しても誰もその部屋から出てこない。ふとスクアーロはシルヴィオからの電話を思い出して、修矢を迎えに行くことをXANXUSに告げた。
「バイク借りるぜぇ」
「事故ってそのまま死ね」
 新しい命が生まれようとしているこの場において最も不似合いな言葉をXANXUSはスクアーロに投げつけた。XANXUSのこの口の悪さはもういつものことなので、スクアーロはほぼ諦めた状態で、溜息を投げた。
 行くか、と思ったときに扉が音を立てて開く。思わず産まれたのかと思ったが、その様子はない。
 XANXUSに初めて動きが見られたが、医療班の人間はXANXUSが何かを言う、その前にそちらの情報を告げる。しかし、その前に一拍の間が開いた。それが妙な緊迫感を産む。そして、XANXUSの前に立っている医療班の男は、非常に気まずそうにそれを口にした。
「…頑張られておられますが、その」
「とっとと言え、カスが」
 相手を射竦めるようにして睨みつけたXANXUSに男はようやく口をもう一度開いた。
「最悪の状況も、万が一ではありますが、子宮破裂なども起こりうる可能性があります。子宮破裂が起これば、最悪死ぬ可能性もありまして、どうか、その―――――ぁ、がっ!」
「ボス!」
 男の胸倉をひっつかみ、持ち上げたXANXUSに出ていこうとしたスクアーロは慌てて踵を返して止めに入る。止めに入ろうとしたスクアーロに、XANXUSは持ち上げていた男を投げつけた。一人分の重さを受けて、スクアーロは男を受け止めつつ床に倒れる。
 XANXUSは男を投げ付けて、閉ざされた扉の方に向かう。投げ飛ばされた男は慌ててそれに待ったをかける。
「お、お待ちください、XANXUS様!今入られては…っぐ、ふ…っぅ、」
 腹部を一度蹴られて、男は胃の内容物をげほりと床に吐き出す。XANXUSはその胸倉をもう一度つかんで壁に叩きつけた。
「――――――――カスごときが俺に命令してんじゃねぇ」
「ボス、お、落ち着けぇ!」
 男の重みが退いて、スクアーロは再度XANXUSを止めに入る。だがそのスクアーロも何なく蹴り飛ばされた。怒りにまかせて部屋の扉を壊そうとしたXAXUSにスクアーロはすぐさま立ち上がってまた止めに入る。
 医療のことはよくわからないが、それでも東眞が危険な状態なことくらいは分かる。だとするならば、ここでXANXUSは止めておかなくてはならない。この男が、これ以上後悔しないように、苦しまないように。
「おち、つ、」
 しかし何という力だ、とスクアーロは顔を顰める。もう一人誰か欲しい。ティモッテオも流石に力でかなうわけもなく、XANXUSと諫めてはいるが、その言葉は男の耳に入っていない。
 途方もない力に負けるかと思われた時、明るい、しかし慌てた色も含む声が響いた。
「ボスにスクアーロ!一体どうしたのよ!?スクアーロから貰ったメール読んで喜んで帰ってきたと…、」
「んなこたぁどうでもいい!ルッスーリアぁ!ボスを止めろぉ!!」
「え、ぇ?」
 しかし目の前の状況は尋常ではないので、ルッスーリアはスクアーロの言葉に従ってXANXUSを止めに入った。何があったのよぅ、との言葉に、スクアーロは一言、東眞の容体がよくねぇと返した。が、それだけで充分であった。
「ベルたちもそろそろ帰って来ると、おぶっ!」
「ル、ルッスーリアぁ!」
 肘を顔面に食らったルッスーリアをスクアーロを呼ぶが、ルッスーリアは割れた眼鏡で大丈夫よぉ、と笑い返した。鼻血を流して笑う姿は少々奇妙だったが。
「この…っカス共が…っ―――――――!!」
 赤い瞳がゆるりと動き、その掌に眩い光球が姿を現す。
 それにはさしものスクアーロとルッスーリアもぎょっと、目を見開く。その二人分の力が抜けた瞬間を見逃すことなく、XANXUSは二人を振り払った。床にたたきつけられて、呻くが、そんなことは言っていられない。
 扉に再度向かったXANXUSだったが、その動きがぴたりと止まる。その視線の先には扉から先へは行かせないとばかりにティモッテオが立っていた。XANXUSはそこの立つ男を睨みつけて、のけ、と発言しようとしたが、その前にティモッテオの言葉の方が先に来る。
「落ち着きなさい、XANXUS」
「るせぇ。退け、死に損ないが」
 かっ消すぞ、と付け加えたXANXUSにティモッテオはゆるやかに首を横に振った。
「落ち着いて考えなさい、XANXUS。お前が今ここで入ってできることなど何一つない。お前が今、彼女のためにできることは扉を開けず、邪魔をせず、椅子に座ってその無事を祈ることだ」
「…」
 歯を食いしばったXANXUSにティモッテオは畳かけるようにして、続けた。
「XANXUS。お前は――――――――彼女を殺したいのかね」
 そこまで言われて、ようやくXANXUSは手にともしていた憤怒の炎をおさめ、そして先程まで座っていた椅子に腰を乱暴に落とす。 ティモッテオもそれに安心したのか、向かい側の椅子に再度ゆっくりと腰を下ろした。そして、ひびの入った眼鏡をはずして、ルッスーリアは予備の眼鏡をかけた。
 そんな騒がしい喧騒が終わったころに、レヴィやベルフェゴールたちがひょいと姿を現した。ベルフェゴールはルッスーリアに、子供がまだ生まれていないかどうかを呑気に尋ねる。
「じゃぁ、俺は行ってくるぜぇ」
 ボス、とスクアーロはまたXANXUSが暴れださないことを祈りながら、修矢を迎えに出かけた。