25:新しい命 - 2/6

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 退屈だ、と思いながら目の前の会話が右から左へと抜けていく。
 どうせこいつらは自分を九代目の息子としてしか必要としておらず、勿論のことそういう世界なのではあるが、いい加減に鬱陶しい。大体ここにいるのだって、ボンゴレ九代目が急用で出られなくなり、その代理できただけの話だ。きっちりと着込んだスーツが窮屈である。とはいえ、九代目の代理としてきている以上、相手が何かしでかさなくてはこの場から逃れることもできない。もしくは相手がワインを飲み干すまでである。皿の上の料理はすでになくなっていた。後は、囲んでいる男、最後の一人のワインがなくなるまでである(自分の分は給仕が注いだが一口で飲み干せる)
 自分の立場が分からぬほど阿呆ではない。退屈だ、と思った時ぶぶ、と携帯が震えた。一言断ってから席を立つ。部屋から出て、一体どこのどいつだと思いつつ携帯の画面を見て眉間に皺を寄せる。切ってやろうかと電源のボタンの上に親指が乗ったが、気まぐれか何かか退屈か、XANXUSはほぼ初めてと言っていい程初めて、その携帯に出た。
「何だ、カス」
『う゛お゛お゛ぉ゛おい!!産気づいたぞぉ!』
「産気づいてんのはテメェの頭だ。ドカス」
 喧しい声にやはり出るのではなかった、とXANXUSは携帯を少し耳から遠ざけて、大きく舌打ちをする。スクアーロは切られそうになったのを第六感か何かで察知したのか、違ぇ!と大声で引き留めた。
 それにXANXUSはるせぇと一言短く言うと、電源に親指を添え直した。が、その動きは次の言葉で止まる。
『東眞が産気づいたってつってんだぁ!』
「…あ?」
 聞き知った名前にXANXUSは電話を再度耳に押し付けた。今のは聞き間違いであったのかどうかの再確認である。
「カスが。予定日はあと二カ月も先だ」
『早産だぜぇ。今、医務室に入ってる。シャルカーンの野郎もそろそろ戻ってくるころだぁ』
「まだ産まれてねぇんだな」
『産まれてねぇぞぉ。だがなぁ…』
 気になるところで言葉を区切ったスクアーロの頭にグラスを投げ飛ばしたい衝動を押さえつつ(無論この場でそれは叶わないが)XANXUSは珍しくそれを待った。三秒経ったら電話を切るところである。スクアーロもそんな気質は流石に承知しているらしく、手早く次の言葉に入った。
『何しろ早産の上に初産だぁ。シャルカーンは餓鬼の心配はいらねぇっつってたが…今は医療班のやつらが見てる』
 戻りたい、とXANXUSは素直にそう思った。スクアーロの言葉をそれ以上聞く前に電源を落とす。だがまだ戻れない。この(自分からすれば)くだらない会食もボンゴレがボンゴレたるためには席を外すわけにはいかない。
 携帯電話に目を落として、それからそれをXANXUSはポケットにしまった。そして一度閉めた扉の前に立つ。給仕がその扉を気を利かせて開いた。XANXUSは一度離れた席にもう一度着いた。
 残すところは、目の前の相手のワイングラス一杯である。そう思い、目の前のグラスのワインを飲み干した。とっとと飲み終えろ、とその鋭い眼光でしっかり脅しながら。

 

 苛々と修矢は動かない車の中で足を踏みならしていた。流石に渋滞ばかりはどうしようもない。ぎりぃっ、と耳障りな音が修矢の口から洩れる。しかし、とうとう痺れを切らしたのか、運転手に向き直る。
「チャーターがあるっていう空港はどこだ」
「はい、」
 運転手は突然の質問に、滑らかに答える。それに修矢はよし、と頷いて扉を内側から開けた。
「ぼ、坊ちゃん!?」
 哲が止める間もなく、修矢は道路上、丁度走ってきた自転車を無理矢理止める。何かやりとりをしていたが、自転車に乗っていた男は数枚の福沢諭吉を持ってひらりと手を振る。そして修矢はその自転車に跨った。
 その光景を見て、哲も慌てて自動車から降りる。運転手の制止は流石に耳に入らない。
「坊ちゃん!ぼ――――――――!」
「後で来い!」
 がしっとペダルを踏んだ修矢のその姿はまるで、バーゲンセールに向かう女のようだったと哲は後にシルヴィオに語る。
 修矢はそのままペダルを押した。自分の最高速度を持って自転車をこぐ。流石歩道に渋滞は存在しない。ノンストップ状態で自転車をこぎ続ける。途中赤の信号が見えたが、歩道橋に自転車を乗りあげ無理矢理こぎそのまま大通りを通り抜ける。最短距離を取るために、頭の中に叩きこんである地図を最大活用して細い路地などを遠慮なく自転車で通り抜けた。
 開けた視界に見えたのは白いガードレール。先に見えるのは半ば断崖絶壁、とまでは言わないが、大変見晴らしがいいところである。だが、そこの下には離陸準備を終えたチャーターが見えた。
 勿論のこと、修矢はそのまま躊躇することなく、ガードレールにぶつかる寸前前輪を持ち上げて乗り上げ、そして―――――――――飛んだ。一瞬体が味わう無重力間に内臓が浮く感触を覚えながら、それが終わると同時に自転車の両輪はコンクリートの地面に落ちた。突如現れた自転車と少年に操縦士やその場にいた人間に緊張が走る。
 痺れかけた手足を動かして修矢は顔を上げた。そして、叫ぶ。
「チャーター!イタリア!姉貴のとこに早く!!!」
 そして、哲がたどり着いた時にはもうチャーター機は離陸した後だった。哲は仕方なく電話を取って、そして今は空の上にいる修矢にメールだけを送っておいた。

 

 はっとスクアーロは顔を上げた。そしてその先に見えた、東洋の服に安堵の息を漏らす。
「遅ぇじゃねぇかぁ!」
「無茶言わないで下サイ。これでも最短通路最速で来たんデスヨ」
 ワタシ肉体労働派じゃないノニ、とシャルカーンはぷくと頬を膨らませて一つ非難をしてから、東眞が入っている病室に目を向ける。スクアーロは何も言われていなかったが、こっくりと頷いた。
「九代目が分娩台他多数買いそろえてくれて助かりマシタ」
「初孫の顔がみてぇだけじゃねぇのかぁ」
 呆れたように言ったスクアーロにシャルカーンはドウデショウネ?と笑い、その扉の取っ手に手をかけた。
 スクアーロは慌ててXANXUSと修矢に連絡を入れていたことを報告する。それがどう関係するのかは本人にもわからなかったが。その言葉にシャルカーンはワカリマシタ、と断ってから、その部屋の中に姿を消した。
 どっと力が抜けて、スクアーロは椅子に倒れこむようにして座る。体の力をぐったりと抜こうとした時、ぶぶ、とポケットの携帯電話が震えた。びくりと飛び上がってその携帯電話を、相手も確かめずに耳に押し当てる。
『よぉ、スクアーロ』
「…てめぇかぁ…何の用だぁ」
 こっちは忙しい、とスクアーロはこれでもかというほど厭な顔をして、溜息をついた。忙しかったのはつい先ほどまでで、現在は別に忙しくはないが。
 電話向こうの男、シルヴィオは、まぁそうだろうなと笑う。
『今そっちに坊主が向かってっから、空港着いたら迎えに行ってやってくれよ。ノーノに頼まれててな』
「…あの餓鬼が?こっちに?連絡入れたのはついさっきだぜぇ」
 妙に動きがいいとスクアーロはそれを疑問に思いつつ、眉間に軽く皺を寄せる。そもそも九代目にはまだ連絡すら入れていない。どちらにしろ、シルヴィオが絡んだということは、あらかじめ九代目が航空券、もしくはチャーター機を用意していたということである。おそらくは修矢に連絡がいけば、シルヴィオに連絡がはいりそれで、という構図が目に浮かぶ。用意周到と言うべきか。
 そうなると九代目も暫くすれば来るのだろうとスクアーロはあたりをつけた。電話をかけた際のXANXUSはいやに冷静だったが、目の当たりにするとまた違う。それは経験してよく分かった。
『ま、よろしくな』
「…待てぇ、迎えに行ってやるんだから、次の情報量チャラにしろぉ」
 ただ働きはゴメンであるとばかりにスクアーロは低く唸るようにして威嚇した。それにシルヴィオはく、と笑ってから、半額、ときっちりとチャラは断ってくる。とはいえ、半額でも珍しいのでスクアーロはそれに頷いた。到着予定空港と日時を確認して、スクアーロは電話を切る。
 そして、東眞とシャルカーン、それから医療班が入っている扉に目を向けた。あの痛そうな声が思い起こされてぞっとする。
「…母親ってぇのは偉大だぜぇ…」
 あの痛みに耐えて餓鬼を産むのだから、とスクアーロは思わず自分の腹をさすった。できることならば、味わいたくない痛みである。男でよかった、とスクアーロはそう、本気で思った。