21:父と子 - 6/8

6

「そうか…ところで、家光」
 家光の話を聞いた老人は、多少の緊迫感を持った声で尋ねた。それに家光はぴっと自然と背筋を伸ばして、はい、と答える。
「ひょっとして、ヴァリアーに回した任務変更をしたのは…私のためか」
「…出過ぎたことをしました。まだXANXUSが九代目に会うのは早いかと、思いまして」
 一礼をした家光に老人は心労をかけているようだ、と小さく笑った。そして、小さくなっていく二つの影を一望できる場所から眺めながら、しかし、と呟いた。
「―――――私が、動かなければいけないと、思うのだよ」
 家光としてはまだ九代目は兎も角、XANXUSの方の準備ができていないように見えた。
 こうやって遠目で見ていれば彼の角も随分と取れたように、見える。けれどもそれは彼の傍に立つ女性に対してだけなのかもしれない。九代目がXANXUSに会いに行くのではなくて、XANXUSが九代目に会いに行くることこそが重要と思える。だからこそ、任務変更の依頼を出した。九代目から、会うべきではないと判断した。
 家光は小さくかぶりを振って、話を変えた。
「XANXUSたちが持ち帰った兵器の横流しリストですが、解析が終了しました」
「ああ、そちらはどうだった?」
 家光はぱらぱらとファミリーの名前を羅列していき、最後のファミリーの名前を告げた。
「コモファミリーです。ここへの横流しが一番多かったです」
「…コモか…」
「VARIAに任務を任せますか」
 一拍の後に、老人はこつんと持っていた杖を鳴らして、いや、と首を横に振った。見逃そう、と柔らかな髭の間から言葉が零れた。
「だが釘はさしておこう。エストラーネオファミリーのようにならぬように目は光らせておいてくれ」
「分かりました。それと九代目、XANXUS達が到着した時にはすでに標的は死亡していたそうです」
「…手を回されたのか」
「おそらくは、コモだと。横流しがばれるのを恐れての。ですが、殺した方はリスト回収まで依頼はされていなかったようですな」
 じゃり、と家光は皮靴で砂利を鳴らした。顔には苦々しい色が浮かんでいる。時期的にハウプトマン兄弟かと思われますが、と付け加えたが老人はそれに対しては、そうかと答えただけだった。
 そして、また家光、と続ける。
「お前はそう思うかもしれないが、」
 話が繋がらず、家光は初めて不思議そうな色をその双眸に浮かべる。老人は、ボンゴレの九代目はもう誰も座っていないベンチを見つめて、ほんの小さく笑った。
「私はやはり、XANXUSに会う切っ掛けを作るのは、私のすべきことだと思う」
 父として、とは続けられなかったが、家光はその何よりも重い言葉に何を言うべきなのかわらず、すっと瞼の奥に目を隠した。
 空っぽのベンチにはまた新しい他の人間が笑顔で腰かけていた。

 

 書類とにらめっこをしつつ、深く深くXANXUSは溜息をついた。
 その前に淹れたての紅茶が入ったカップがかちりと置かれる。そしてその隣にはワンカットのチーズケーキが乗せられていた。目線を上げた先には、東眞が困ったような顔をして笑っていた。
「根を詰めてもいいことありませんよ」
 一息入れませんか、と微笑んだ東眞にXANXUSは書類を少し脇にずらしてカップとチーズケーキの皿を手前に持ってきた。そして、何も言わずにフォークでチーズケーキを一口大に切って口に放り込む。ふと、そこでXANXUSは部屋から出て行こうとしていた東眞に声をかける。
「どこ行く」
「え、ああ、紅茶の葉切らしちゃったんでちょっと買いに行ってきます」
「…すぐに戻れ」
「自転車借りますね」
「勝手にしろ」
 その言葉に、行ってきますと返事が返って来て、扉が呆気なく閉じられた。
 XANXUSはチーズケーキを最後まで口に放り込んでから、紅茶を最後まで飲み干す。脇にずらしていた書類を再度目の前に持ってきて、全く嫌になるほどの崩れた書体を解読に近い状態で読み進めながらチェックを入れる。
 あの後すぐにシルヴィオに確認を取らせた。が、入って来た情報は大したものではなかった。
 ハウプトマン兄弟がコモファミリーに依頼を受けて男を数日前に殺していた。おそらくコモは横流しの発覚によってボンゴレに消されるのを恐れたが為。だがリストまで作ってあるとは考えておらず(なんと浅はかな)見逃して現在の情報に至る。リストはどうせなくてもシルヴィオに聞けばわかるのだろうが値が張る。他者に頼るよりかは自分たちで解決した方が断然よい。
 そしてもう一つ、突然の任務変更願。こちらはシルヴィオに問いただすよりもボンゴレ本部に尋ねた方が早いと判断して連絡を取ったが、返事はあまりにも下らないことだった。ただ単に次に回す大きめの任務により時間を割いて欲しかったからだなどというふざけた理由だった。忌々しい。
 紅茶をもう一杯要求しようとして、そして東眞が出かけていたことをふと思い出してXANXUSはソーサーにカップを割れそうな勢いで叩きつけた。
 背中の窓からのぞく空は少しばかり曇っており、明日はまた天気が崩れるかもしれなかった。

 

 かちゃかちゃと自転車をこぎながら東眞は籠の中に入れた茶葉の袋を見下ろす。缶ではなく袋詰の量り売りで売っている店があって、そこの茶葉は本当においしいので東眞はよく利用していた。しかし残念なことに今日は気に入りのダージリンが売り切れていて、アッサムになった。XANXUSはいつも文句一つ言わずに紅茶を飲んでいるが、一体何が好きなのだろうかと東眞はふと思った。そして今度聞いてみようとも考えた。
 昨日の会話、あれは何か聞いて欲しかったのだろうかと東眞は今更ながらにそう思う。だが実際のところ、XANXUSはそう東眞に聞いておきながら聞いてほしくなさそうな顔をしていた。だからそれは触れてはいけないと思った。本人が話してもいいと、自らが口にしてもいいと思えるまでは待っているつもりでいる。ひどく、辛そうな顔をしていたように見えた。それが何故か不思議とベンチに座っていたあの老人とかぶったように見えたのは、黙っていた。
 もしこの二人に何らかの関連があるとしても、それは大したことではないのである。自分はXANXUSを好きになった。今、目の前にいる彼を、好きになった。それはかつてのXANXUSでもなければ、未来のXANXUSでもない、他ならぬ自分自身が知っているXANXUSを好きになったのである。紆余曲折、色々あったものの、それでも好きだといえる。愛しているとはっきり答えることができる。
 だからXANXUSが自分に何か話していないのは気にならない。大体人に隠し事の一つや二つあるのは当然なのだ。触れられたくないこと、聞いてほしくないこと、目を向けて欲しくないこと、あってもなんら不思議なことではない。
 人を愛するというのは、それら全てを受け入れることではないかと東眞は思う。
 その人の全てを認める。受け入れる。その上で信じて、愛する。いつかXANXUSが自分にそれを打ち明けても構わないと思える日がくればいいと、それだけの女性になりたいと密かにそう願う。
 折角昨日は晴れていたのに、今日はちらほらと雨雲が見え始めている。ひょっとしたら明日辺りから雨が降るかもしれない。
ペダルを少し強めに踏んでスピードを上げる。だが、東眞はふとブレーキをかけた。
「こんにちは」
 そして今日は自分から声をかける。ベンチに座る老人は穏やかな顔をしてこんにちは、と返した。
「今日は何を買って来たのかな」
「今日は茶葉です。ダージリンが欲しかったんですけど、売り切れでアッサムにしました」
「アッサムはミルクティーにするととても美味しいよ。あの子も、よく飲んでいた。今日はお急ぎかな」
 珍しく自転車に乗っている東眞に老人はそう尋ねる。それに東眞ははい、と苦笑した。
「早く帰って来いと言われまして」
「彼に、かね」
「はい。そんなに心配しなくても大丈夫なんですけどね」
 ああ、と東眞はそこではっと傘を持ってきていないことに気付く。
「すみません、傘をお借りしたままで。次にお会いした時にでもお返しします」
「いや、気にしなくても構わないよ。たまたま持っていただけだったから。風邪はひかなかったった…ようだけれど」
「御蔭様で。本当に助かりました」
 そろそろ帰らないと怒るだろうかと東眞はふいと道の先に視線を向けた。老人はそれに気付いて、では今日はこの辺で、と一言かける。東眞はすみません、と謝ってからペダルに足を乗せた。
 しかし、そこで老人がああ待って、と制止をかけた。踏みかけたペダルにまだ力は乗っていない。
「はい」
「これを、あなたの彼に渡してもらってもいいだろうか」
 そう言って老人は懐から一枚のよれた紙を取り出し、さらさらとなれたようにペン先を滑らせる。インクが乾いたのを確認してから老人はその紙を四つ程に折って何をかいたのか分からぬようにして東眞に差し出した。それを受け取る。
「これは…?」
「この間も言ったけれど、イタリア男は嫉妬深いんだよ。急いで帰れと言われているのに道草を食っていれば怒られるだろう?私から一筆添えておいたから、それを見せればきっと怒ることもない。しがない老人の話相手をしてくれているお嬢さんが怒られるのは忍びない」
 その言葉にぷ、と東眞は吹き出してから、分かりました、と答えた。
「じゃぁ帰ってこれを渡しますね。怒らないでくれると思いますか」
「そう願うよ」
 ひら、と老人は手を振った。東眞はもう一度だけ礼を述べてペダルを今度こそしっかりと押した。ぐいぐいとこいで風を切るように走ってみる。
 大抵は歩きで町まで行くが、急ぎの時はこうやって自転車で向かう。一度自転車があれば便利ですねといったのを真に受けたのか、一週間後位につきだされた品だ。嬉しかったが、後でスクアーロにXANXUSがカタログと数日にらめっこしていたという話を聞いて、思わず笑ってしまった(後でスクアーロが殴られていた)
 自転車を使うと時間が半分くらいで済むので速くていい。あっという間に到着して、東眞はきっとブレーキをかけて止まる。車庫まで押して行ってスタンドを立ててから鍵をしっかりとかけると籠の中に入れていた茶葉の袋を取り出した。そして少し小走りで庭をかけて、大きな扉を押して入る。途中でルッスーリアとすれ違い、軽い挨拶を交わしてから台所に向かって、戸棚の保存瓶の中に茶葉を入れてから戻した。
 そして、ポケットに入れたままの小さな紙片を取り出して、取敢えずXANXUSに渡しておこうと東眞は少し前までいた執務室に向かった。数回ノックをすれば、入れ、との声が返ってくる。
「遅ぇ、何してやがった」
「すみません、お爺さんと会いまして」
「与太話に付き合ってんじゃねぇ」
 すみません、と東眞は再度謝って、貰った紙片をXANXUSに渡した。XANXUSは非常に怪訝そうな顔をしてそれを受け取る。
「何だ」
「魔法の紙です」
「?」
 わけのわからねぇことを、と思いつつXANXUAは渡された紙を指先で一つ開き、二つ開き、そして、その内容を見た。吊り目がちの目が大きく見開かれ、その紙片を凝視する。
 それは、知った筆跡。見間違えるはずもない―――――――――――その、
 顔色を変えたXANXUSに東眞は声をかけた。
「どうかしましたか。それ、何が
 書かれていたんですか、と東眞が問う前にXANXUSの手の中の紙片は燃えて、灰も残さずに消えてしまった。
 そして東眞はXANXUSの表情を見て、今までの情報で地図を描きだし、そして大まかのことを理解した。ああそういうことなのか、と老人とそして目の前の愛しい人との関係を知った。それから、XANXUSがあの時言いかけた、言葉も。
 項垂れ、唇を強く噛みしめているXANXUSに東眞は何も言わずに、足音をたてぬように注意してからその部屋を出た。扉の閉まる音は、曇天の空の中で少しばかりくぐもった音となった。