21:父と子 - 4/8

4

 まさか、とXANXUSは目を見開いた。
 扉を開ければ中は明るく、それは今が夜明け前ギリギリとは思えない明るさだった。普段であれば消されている灯りが今でも灯されたまま、そして部屋は換気でもしたのかと思えるほどに澱んでいない。
 レヴィならば兎も角、確かに急な任務で出かけることは叶わないとは告げたが、まさか、と再度思いつつブーツで床を鳴らしながら歩く。そう言えば腹も減ったことを思い出す。朝食まで待つのか、それともシャワーを浴びてから寝るか、どちらか一つである。寝るならば昼まで寝る。
 スクアーロとベルフェゴールは先に報告書を提出するように命じたので、後ろにはついて来ていない。
 一際明るい光が洩れてきている扉に手をかけて押し開けた。暗さに目が慣れていたところに眩しい光が目を指す。光の強さに僅かに目を細めた。それも少しずつ慣れてくる。
「ボス!ご無事でしたか」
 だが、残念な声が迎えただけだった。期待はずれで、XANXUSの機嫌は氷点下まで達する。待っているわけもないかと考え直して、ふつりと湧いた苛立ちをレヴィを一つ殴ることで解決させてXANXUSは室内に音を立てて入る。だが、ふとそこで奇妙な事実に気付く。机の上、ちょうど三人分の食事の用意がされている。
 レヴィがワインを用意して待っていることは珍しくないが、食事の準備がされていることは滅多にどころか、全くない。一体何だ、と思いつつ振り返りかけて、その背中に声がかかった。
「おかえりなさい」
 XANXUSさん、と柔らかな声がした。と、同時に空いた腹に響く匂い。
 ゆっくりと振り返れば、手に軽食のサンドイッチが乗せられた皿を三つほど持った東眞が笑顔で立っていた。それに、ひどく心が和んだ。
「――――――起きていたのか」
 XANXUSはそういいながら、平常を心掛けていつも通り椅子に腰掛ける。気持ちの奥底に湧いた感情は一切表に出さない。手に持っていた皿をXANXUSが座った椅子の前にことりと置く。サンドイッチは当然素手で食べられるので、XANXUSはそれを手に取った。
 東眞は首をくるりと回して、あと二人の姿を探す。
「報告書だ」
「…あれ、そうなんですか?じゃぁ、私部屋に持って行っていますね」
 それにXANXUSの片眉がつり上がる。それにいち早くレヴィが気付いて東眞の手から皿を奪い取った。
途端軽くなった両手に一度瞬きをしたが、それが何故なのかすぐに気付いて東眞は隣に立ったレヴィを見上げた。あの、と言いかけた東眞にレヴィは、俺が持って行く、と問答無用で背を向けた。彼女に味方をするわけではないが、自分が一番に持って行きたいのはボスが快くいられることである。溢れかけた涙をぐっと飲み込んでレヴィは二つの皿と共に部屋から消えた。
 二人きりになった、二人では妙に広い部屋の中でXANXUSはすいと東眞にグラスを突き出して飲み物を要求する。それに笑って東眞は一つ返事をして、差し出されたグラスに冷水をとくりと注いだ。グラスに口をつけてXANXUSはサンドイッチをまた無言で食べ始める。
「はい」
 と、質問もしていないのに返事をされてXANXUSは怪訝そうに東眞に目を向ける。それに東眞は、起きてたんですよと少し前にされた質問に答えた。それに少し遅れてXANXUSは気付いて、ああと短く返事をする。
「おかえりなさい、XANXUSさん」
最後のサンドイッチを食べきったXANXUSに東眞はもう一度そう繰り返した。
 おかりなさい、という言葉は驚くほどに耳になじんだ。時折ルッスーリアが任務から帰った際にそう声をかけたりするが、その言葉とはまた違う。喉から出かけた言葉が少しばかり引っ掛かって、あぁ、と少々擦れた声になった。
「――――――、帰った」
 はい、と東眞はその言葉に笑顔を向けた。そしてXANXUSは食後にと淹れてくれた温かなミルクティーを口にして、一息ついた。テーブルクロスが敷かれた上に、一口分減ったカップが柔らかな音をたてて置かれる。
「今日、暇か」
 ほろ、とこぼされた言葉に東眞はゆっくりとそちらに目を向ける。XANXUSはカップに視線を注いだまま、ゆるやかに口を開いた。
「暇なら―――――――出かける」
 そう言ってカップの口に再度口を近づけて、手の角度で中の液体を口内に含む。はい、ともう一度東眞は同じ返事をして、二人の話は終わった。XANUXSは仮眠を取る、と言って東眞の手を引っ張った。
「あの」
「寝ろ」
 夜を明かして待っていた東眞にXANXUSは乱暴にそう告げた。後でスクアーロとベルフェゴールが報告書をつけて持ってくるだろうが、ノックの音など無視をすることにした。
 引かれる手を東眞はそっと握り返して、有難う御座いますと礼を述べた。勿論XANXUSはそれに返事をしなかった。

 

 指先がロマンス小説の一ページをめくる。そして、それはすぐに放り投げられた。ああ、つまらないといわんばかりに。投げられた先にあった金色にその投げられて放物線を描いた本がぶつかって落ちる。ページを見せた本を手袋をはめた手が取る。
「ヴィル、投げるな。当たった」
「あー悪い悪い。当てるつもりはなかったんだって」
 悪かったよ、とヴィルヘルムは軽く謝ったが、機嫌の悪そうな溜息がこぼれただけだった。それにヴィルヘルムは倒していた上半身を起こして、何だよ怒るなよとむすくれる。
 しかしヴォルフガングの機嫌の悪さは直らない。
「…もしかして、XANXUSを俺一人が担当したの怒ってんのか」
「黙れ。怒って無い」
 口調には明らかなとげがあり、ヴィルヘルムは小さく肩をすくめた。そこまで拗ねるようなことをした覚えはないというのに。
 大体ヴォルフガングの武器は近距離には全く向いていない。自分の武器とて中近距離で、接近戦は使えはするがベスト、とは果たして言い難いものがある。それを接近戦も遠距離までもこなせるXANXUSと当たらせるならば明らかに自分が当たった方がいい。
 今回の依頼は割が良かったのと、ボンゴレには一度だけ借りがあったからそれを返すためだけに受けたのだ。もう二度とあんな馬鹿な依頼は受けない。跳ね馬だか種馬だか知らないが、彼を囮にボンゴレは一体何をたくらんでいたのだろうかとそんな疑問が頭をもたげたが、それは自分たちが考えることではない。馬鹿馬鹿しい、とそう思い直して、拗ねるなよと再度ヴォルフガングに情けない声を出した。
「…怒ってはいない。二度とヴィルだけであんな無謀な賭けに出るな」
「…怒ってんじゃん」
「…怒って無い。ともかく、」
 と小言が続きそうになったのでヴィルヘルムは先に両手を軽く上げて降参のポーズを取る。
「わーるかったよ、もうやらないから」
 そう怒るな、となだめたヴィルヘルムにむっとして、ヴォルフガングは視線を逸らした。だが、ぽつりと言葉をこぼした。
「この間の仕事」
「あーあれ?ボンゴレの仕事が入ってたからついでに受けた奴だろ。割と払いも良かったし、その上仕事楽だったからラッキーだったよな」
「違う、そうじゃない」
 溜息交じりにそう言って、深い海の色が空色を覗く。やけに真面目なので、ヴィルヘルムは居住まいをただした。ヴォルフガングは、あれは、と先程の言葉を続ける。
「ボンゴレと関係無かった事は、ないんじゃないのか」
「相手方は関係無いって言ってたけどな…別にそっちの内情は俺たちが気にすることじゃない。俺たちは依頼されて、それを遂行するだけだ」
 だからお前は甘いんだよ、とヴィルヘルムはひらりと手を振って投げ捨てたロマンス小説を再度手にとって、文字を追いはじめる。しかしながら、それはあっというまにただの天井になった。読んでいた本はヴォルフガングの手の中に。
 ヴォル、とヴィルヘルムはそれを返すように要求する。
「お前はいい加減そうやって依頼以外のことを考えるのをやめたらどうなんだ。そうやって一々考えてたら身が持たない。それに、俺たちはあいつらの仲間でも何でもない。ましてやシルヴィオのような情報屋でもない。俺たちがあいつらを心配することは一切ない」
「…だが、東眞がいる。俺たちの、知り合いがいる」
 その言葉にヴィルヘルムは顔から完全に表情をなくした。深い青の色よりも明るい色のはずの空色が、異常なまでに冷たく鈍い光を放った。
「死ぬぞ、ヴォル」
 そんな甘いことを言っていると、と、ヴィルヘルムの口が動いた。
 部屋の温度が一気に三度ほど下がったような錯覚に襲われて、ヴォルフガングは僅かに身震いした。緩やかなはずだった空気が一瞬で引き絞られて、ぎちぎちと耳障りな音を奏で始めている。ひゅ、と喉から冷たい息がこぼれた。
「大体お前、あの時修矢たちを何で戦闘不能にしなかった。足止めするなら、神経打ち抜きゃよかったのに」
「…足止め、なら別にあの壁でできた」
「こっち向け、ヴォル。突破されただろうが。確実な方法を取れよ。相手が知り合いだろうが親友だろうが、俺たちがするべきことはたった一つだ。俺はお前がお前のミスで死にそうになっても助けない。そしてお前のミスで俺を殺すな。――――――――――いいか、ヴォル」
 強い眼光でそう言われて、ヴォルフガングは唾を飲んだ。顔を顰めたが、まだ首は縦に振っていない。ヴィルヘルムはあまりにも冷たい声で、総毛立つような低さでもって言葉を発した。
「お前なんかより、東眞の方がよっぽど殺し屋に向いてる」
 ぎょ、とその言葉にヴォルフガングは目を見開く。
 そんな馬鹿な話はない。あんな身体能力で殺し屋などになれるわけがない。そう、目で語っていたをヴィルヘルムは汲み取ったのか、小さく唇を動かしてその答えを与えた。
「東眞は俺を「自分の敵」だと判断したら撃ってきた。ヴォル、お前は俺がお前の敵になった時に――――――、俺を殺せるか」
 ヴォルフガングは明らかに言葉に詰まる。できはしない。唯一人の兄を殺す覚悟はない。視線を泳がせた弟にヴィルヘルムは小さく溜息をこぼして軽く首を横に振った。
「…俺に、お前を殺させるような真似はするなよ」
 ヴォルフガング、とはっきりと名前を呼ばれ、体を強張らせた。
 どちらかと言えば、兄よりも自分の方が表情が冷たいや恐ろしいと言われがちだが、そんなことはない。自分などよりも兄の方がもっと、冷たく、凍りつくような冷徹で冷静な判断力を持っている。明るい面が大きいのでそれをくみ取れる人間は少ないが。
 誰よりも恐ろしいのはこの兄だ。
「だが」
 それでも渋ったヴォルフガングにヴィルヘルムは頭を押さえた。そして分かったよ、と返す。
「シルヴィオに確認をとっておく。だけどこれで最後だ」
 次はない、と告げてヴィルヘルムは腰を起こしてその部屋を出ていった何故だか無性に、たまらなくみじめな気がしてヴォルフガングは視線を平行に走り続けているフローリングに落とした。