21:父と子 - 3/8

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 まさかのメンバーの食事風景に東眞は苦笑を隠しきれないまま、いつもどおりに晩御飯を机の上に乗せた。折角買ってきた材料も机に座っている人間が東眞を除いて唯一人なために、残った分は鍋に入ったままである。
 ひどく不服気に、というよりも腹立たしげに対面に座っているつんつん頭のレヴィに東眞はどうぞ、と言った。
「む、パスタか」
「はい。ところで…他の方は?」
「任務だ」
「XANXUSさんもですか?」
 その呼び方にレヴィは一瞬だけ米神に青筋を立てかけたが、そうだ、と返事をするだけに収まった。
 東眞も椅子に座って手を合わせる。レヴィは先に食べ始めていた。文句がないことは不味くない証拠なので、ほっと安心する。二人だけの食卓はいつもよりも妙に閑散としているように感じた。黙って食事が終わるのも別に問題もなかったが、レヴィが耐えかねたように口を開いた。
「ボスとスクアーロ、それからベルが同じ任務に行っている。マーモンとルッスーリアはドイツに向かった」
「ドイツですか」
 それはまた遠いですね、と話を続けた東眞にレヴィはどうせ観光でもして時間をつぶしている、とそっけなく返した。と、そこで東眞はふと気付いたようにマーモンとベルフェゴールの前の三人に話を戻す。
「いつ、帰ってこられるかご存知ですか?」
「…分からん。終わり次第帰ってくる。夜が明ける前には、戻ってくるだろう」
 晩御飯食べますかねと少し不安げにすると、レヴィはどうだろうな、と返した。
 スクアーロとベルはともかく、ボスは作りたてでないと機嫌を損ねるような気がした。だが、待っていたら夜が明ける可能性も十分に考えられる。暗殺の主体が夜に置かれているとはいえ、だ。それまで目の前の女を起こしているのはボスに申し訳が立たない。適度な休息を与えてしかるべきだ。
「貴様が起きてる必要はない。ボスは俺が迎えて差し上げる」
「…レヴィさん料理できます?」
「…」
 む、と東眞の言葉にレヴィは口をへの字に曲げた。最低限のことはできるが、それがXANXUSの口に合うかどうかは別の話である。口ごもったレヴィに東眞は声をたてて朗らかに笑い、それから私も待っていますよとパスタを口に入れた。
 そして、それにと言葉が続く。
「お帰りなさいって、言いたいですし」
「…分からん女だ」
 さりげなく惚気られたような気がして、レヴィは水を飲んでそれを適当に誤魔化した。その視界に普段はないものが入って、レヴィはあれは何だ、と床に開いてたてかけられていた傘を示す。
 東眞はそれにお借りしたものなんですよ、と笑って返す。
「昨日話していた方のものなんです。帰りに雨が降り出した時に貸して下さったんです。乾かしてから返そうかなと」
「借りた?その男はどうしたのだ」
「なんでも迎えの車が来るそうで…傘を返す前に立ち去られたんです」
 風邪ひかなかったでしょうかね、と東眞は多少不安げな色を顔に浮かべる。
 しかしながら、レヴィは他のことを考えていた。先程の「迎えの車」という言葉である。迎えの車などどこの金持なのだろうかと考える。目の前の女は悔しいがボスの女であり、顔見せこそしていないが、それなりに知られてはいる。情報操作はシルヴィオに一任してあるのだから、黒眼黒髪―――つまりは日本人女性に今、声をかける人は少ないのではないだろうか。
 少なくとも迂闊に声をかけられるような状況ではない。一般人は全くの別として、迎えの車が来るような人間がそれを知らないのは奇妙である。
 だが、とレヴィは目の前でパスタを口に運んでいる東眞に目を向けた。
 東眞の外見は遺憾ながら取り立てて美人というわけでもない。何故ボスが気に入ったのか未だ理解に苦しむところがある。ボスならば彼女のような平凡な女性でなくて、もっと見目の良い美人もよりどりみどりであっただろうに。
 それをせずに彼女を選んだのはおそらく何か感じるところあってのことなのだろうが。それは置いておく。そういうわけで、彼女は女性としての魅力はあまりない。確かに人を安心させるような雰囲気はあるし、話を聞くのも上手である。褒める言葉が続くようで悔しいが、あう人間にはぴたりとはまるタイプなのだろう。それのパズルのピースがぴったりとあったのが、ボスであるというわけで―――――、何を考えているんだ、とレヴィは頭をかいた。
 周囲の人間が東眞にどことなく甘い以上自分がしっかりせねばならぬのは自明のことである。ふん、と一つ鼻を鳴らしてまだ皿に残っているパスタを食べるのを再開した。
「明日は晴れると良いですね」
「…明日も出かけるのか」
「毎日出かけていますよ。公園とか、街並みとか…何度見ても飽きません。それに散歩は好きなんです」
 犬でもいれば朝にも晩にも散歩に行けるんですけどね、と笑った東眞にレヴィはやめておけ、と忠告した。生き物を飼えば、ベルフェゴールが悪戯で殺す可能性もある。尋ね返すだろうか、と思っていたが東眞はそうですか、と返しただけだった。
 天気予報はどうだったか、とそんなことを考えながらレヴィは少し前に置かれているグラスに手を伸ばした。

 

 ぐしゃ、と既に出血多量で死に至っている人間の頭部を踏みつけた。
 所々どころか、至る所に血液が散乱し、酸化を終了させているその赤黒い色は壁にべっとりとこびりついていた。鼻につく腐敗臭は三日か四日、もしくは一週間近く経過している死骸の放つ悪臭である。ぷん、と蠅が舞っている。
 隠れ家であるこの場所はそうそう人が入り込めるような場所にはなっていない。それどころかこちらから連絡がなければ、誰も気づかないようになっている。だからこそのこの状態であるわけだが。
 春もそろそろ過ぎかけている気温で、幸い雨が降っているので少しばかり気温は落ちているが、死体の腐敗はさらに進んでいる。ぐずぐずになっているというわけではないので、死体の顔かたちはそこまで崩れているわけではない。
 ブーツでうつぶせになっている男を仰向けに転がす。首のない死体はその分だけ少し軽かった。少しばかり離れたところには、写真にあった男の顔があった。依頼書によれば、イタリア人とドイツ人の混血。職業は運び屋。銃火器の密輸の際にそれを横流ししていたとのことだったように記憶している。ボンゴレ自体とは深く関わり合いはなかったが、傘下ファミリーに被害が及び、さらに発見ができないということでこちらにまで回ってきた。
 くだらねぇ仕事回しやがってと書類を初めに見たときは思ったものの、普通に行えば成功確率は問題ないし、断る理由もない。本当は明日、この任務は行う予定だった。だが、それを急遽今日に行えとの任務変更が来た(御蔭で休暇が潰れた)
 しかし来てみればこの有様である。
 館にいる人間は皆殺し。見事な惨劇が演出されている。逃げ延びたと思われる痕跡は一切なく、つまりはここに隠れていた人間はことごとく全て殺されたということになる。と、その時緊張感のない声が部屋に入ってきた。
「なーぁ、ボス。みんな死んじゃってるんだけど。マジつまんねー」
 帰っていい?と酷くつまらなそうに言ったベルフェゴールにXANXUSは待て、と命令した。
「部屋は全部調べたのか」
「調べた調べた、全員死んでたって。つーかさ、なんで死んでんの?これさ、俺たちの任務じゃなかった?」
 腕を後頭部で組んで溜息を吐くベルフェゴールをよそに、XANXUSは耳の通信機に話しかけた。勿論、少し放しておくことは忘れない。
「おい、カス」
『カスじゃねぇって言ってんだろうがぁ!!』
 当然の抗議をるせぇ、の一言で跳ね返してXANXUSは外の様子はどうか尋ねる。スクアーロは真面目な声に戻って、こっちも同じだぁ、と返した。
『細い穴みてぇのが大量に地面にあんだが…銃痕でもねぇし…死体にも同じ傷があるぜぇ』
「武器はどうした」
『それがねぇ。こんだけ傷跡がありゃ何かありそうなんだが…ねぇなぁ』
 XANXUSは足で転がした死体を見下ろす。胸のあたりには血の染みができている。だが、それは銃と考えるには染みが小さすぎた。内部から確実に殺されている様子が窺えた。黙ったXANXUSにスクアーロが話しかける。
『死体も所々の奴は獣に喰われてるし、食い残しも腐ってらぁ。持ち帰っても役に立たねぇぜ』
 中は流石に獣が入ってくることはなかったのだろうが、この腐敗しているものを持ち帰る気にはなれない。それは自分たちではなく、その道の専門家が請け負うべきことだ。尤もルッスーリアのお眼鏡にかなう死体があれば、それは勇んで持ち帰られるのだろうが。勿論それはここにルッスーリアがいればの話で、実際に彼は、彼女は、他の任務にあたっている。本日の居残りはレヴィだけである。
 そんなことを考えていると、スクアーロからまた喧しい声が伝えられる。
『しっかしこうまでひどけりゃ、シルヴィオに貰った名簿も役にたたねぇなぁ』
「構わねぇ。どうせ全員殺られてる」
 逃げ出した痕跡がないのは先程確認した通りだ。今考えなければならないのは、一体誰が自分たちよりも先に、しかも数日前にここの連中を殺したのか、だ。
「ベル」
「んぁ?」
 何、ボス、と退屈そうに立っていたベルフェゴールは少し笑みを口元に刻んで反応する。それにXANXUSは例のものは見つかったのか、と尋ねた。それにベルフェゴールは首を横に振った。
「他の部屋にねーしさ、残りはここだけだと思ってんだけど」
「…戻れ、どカス」
『てめぇが外見て来いって言ったんだろうがぁ…』
 呆れた様子でスクアーロはそうぼやいたが、了解、と返事をして通信を切った。
 今回の任務は今殺されている男と、その他部下十数名を根絶やしにすること――――と、男が横流ししていた武器のリストを見つけることである。殺されている、ということは後々問いただすことにしても、問題の武器リストがまだ見つかっていない。ベルフェゴールを信用するならば、リストはこの部屋にある。だがこの部屋には何もない。あるものと言えば、男の死体だけである。
「う゛お゛お゛ぉおい、ボス。戻ったぜぇ。で、肝心のブツは見つかったのかぁ?」
「それを今から探すんだよ、このカスが。てめぇの頭は飾りか」
 ちっと舌打ちをしてXAXUSは男の死体を蹴り戻した。ベルフェゴールが頭部をサッカーボールのように蹴っていたので、真面目にやれ、と釘を刺した。
 スクアーロは部屋を一回り見て、そして怪訝そうに眉根を寄せた。
「何もねぇ――――と、思うがなぁ」
「探せ」
「…あんのかぁ?」
 ごつごつと隠し扉でもないか、とスクアーロは壁を叩きはじめる。だが一周しても壁の音は全て同じだったようで、それらしいものは発見できなかった。役立たずが、とXANXUSはスクアーロを詰る。てめぇだって見つられてねぇだろうがぁ、とスクアーロは抗議したが、速攻で蹴りが入って、スクアーロは数回咳きこむ。
「ばっかでー」
「…うるせぇぞぉ」
 うしし、と笑ったベルフェゴールをスクアーロは睨みつけた。と、その時視界に妙なものが映る。ベルフェゴールが先程まで蹴って遊んでいた男の頭部。力なく垂れた口の中。
「ベル、そいつちょっとよこせぇ」
「うげ、こんなの欲しーのかよ。頭おかしいんじゃね?」
 ベルフェゴールの揶揄を気にすることなくスクアーロはすでに腐敗を始めている男の頭を掴んだ。そして、顎から下をすっぱりとその剣で切り落とす。ただでさえ胴体と離れていたものが、また二つになった。気の毒ななれの果てである。
 二つになった頭部は上顎と下顎を覗かせながら床に転がった。その奥歯、一つだけ色の違う歯にスクアーロの目は吸いついた。
「ボス、見つけたぜぇ」
「…どこだ」
 XANXUSの問いかけにスクアーロはここだぁ、と言ってさらに剣を振り落とす。ど、と鈍い音をたてて切っ先は下顎の奥歯を砕くようにして突き立った。崩れかかっていた肉から色の違う歯がことりと落ちる。スクアーロはそれを手袋をした手で拾い上げて、XANXUSに投げた。
「周到なカスだ」
 は、とXANXUSは歯を見て笑った。歯の内装にチップが組み込まれている。こんな手のこんだことをするくらいならば、どうしてばれぬようにできなかったのか、全く理解不能である。チップの部分だけ爪先で取ると、歯は床に打ち捨てた。ブーツがその上に乗って歯は呆気なく潰された。
 外を見れば随分と月が下がって来ている。帰る頃には朝日がひょっとすれば拝めるかもしれないくらいである。外を眺めているXANXUSにスクアーロはにやにやと笑って声をかけた。
「なんだぁ、東眞のことでも考えてやがんのかぁ?アイツのことだから、てめぇのこと待ってるかもしれねぇなぁ」
 お熱いことだぜぇ、と揶揄したスクアーロに再度容赦ない蹴りが飛んだ。
 しかし、とXANXUSはこの自分たち以外の誰かによって行われた暗殺が気にかかった。突然の任務変更も、それによって起こった出来事も。何かがあるような気がして仕方がない。
 蹴りつけられた衝撃からスクアーロは立ち上がって、ふいと転がっている胴体に目を向ける。絨毯を濡らすほどにはあるが、随分と出血の少ない死体。
「…あれだなぁ…銃弾よりももっと細い――――針か糸みて――――――え、」
 だなぁ、と言いかけてスクアーロははっと気付いた。それにXANXUSも気付く。しかしスクアーロはいや待てぇ、と手を出す。
「確かに仕事で来てるっつってたが…ボンゴレとは関係ねぇっつってたぞぉ」
「……シルヴィオに連絡を入れろ。聞きだしておけ」
 背を向けたXANXUSにスクアーロは慌てて声をかける。
「ま、まてぇ、支払いはどうすんだぁ」
 それにXANXUSは鬱陶しげに振り返って、は、と鼻で笑った。
「てめぇのポケットマネーでも出せ、どカス」
「け、経費から出すのが普通だろうがぁ!!」
「るせぇ、てめぇがぶち壊したモンに当ててんだよ」
 分かったか、と歩きはじめたXANXUSにベルフェゴールが後を追う。
 取り残されたスクアーロは、今度から任務の際はもう少し器物破損には気をつけた方がいいかもしれない、とそんなことを考えた。