19:義弟と義兄の関わり方 - 8/10

8

 すぅ、と金色の短髪の男は両腕を持ち上げた。そして、その腕を―――――――――振り下ろした。

 

 空になったバスケットを見て、東眞はのんべりと微笑む。
 中に入っていたサンドイッチやフルーツの類はすべてそれぞれの腹の中におさまってしまった。結構沢山作って来たつもりだったのだが、男性陣の胃袋は底が知れない。
 ところで、と東眞は修矢に目を向けて問う。
「随分と怪我だらけだけど…どうかしたの?」
 東眞の質問に修矢はああ、と打撲や擦り傷を眺めながら答えた。
「朝ちょっとスクアーロと」
 そうぼやいた修矢に東眞はふわりと笑って、仲良くなったんだと告げる。すると修矢は一拍だけ間を置いて言葉を探す。そして、まぁ、とどちらともつかないような答えを返した。それには、と小さく鼻で笑う音が響く。
「カス同士仲良くやってりゃ世話ねぇな」
「…て
「まぁまぁ。修矢に友達ができて私は嬉しいよ」
 東眞は苦笑しながら修矢を押え、ポットに入れてきた紅茶をカップに注いでXANXUSに渡す。それを受け取り、XANXUSは小さく傾けて喉を上下に動かした。
「あ」
 ひょうと強い風が吹いて、置いていた紙コップがころころと芝生の上を転がる。東眞はXANXUSたちが座っている場所から立ち上がり、それを追いかけて、手にした。XANXUSはそんな光景に赤い瞳をゆっくりと動かして、眺めている。だが、自然だった瞳が一瞬で鋭いものに豹変する。手にしていたカップを傍の芝生に落した。カップが落ちる前に、修矢と哲も反応を強く示して、両者は膝をついていた位置からすぐさま飛んで離れる。その一瞬で東眞と三人の間に針の壁が出来上がった。XANXUSの赤い瞳から東眞の姿が銀の壁に消える。
 銀色の細い針が幾重にも組み合わさって向こう側への通行を阻んだ。
「――――――…っ姉貴!」
 三人を中心にできたその針の壁に向かって修矢は叫ぶ。姉だけが一人離されている。不味い、と切迫した焦りが修矢のうちに生じる。
「坊ちゃん、落ち着いてください」
「…っ、わか、って、る…っ!」
 憎々しげに舌打ちをして、修矢は袋から刀を取り出して構える。と、そこにもう数本の針が此方をめがけ飛んできたが、それは哲が下に敷かれていたシートでぱん、とはじいた。
 だが、そこで修矢はたった一人妙に静かな人物に気付いた。その男は針の壁をじぃと無言で眺めている。その表情には焦燥も緊迫も、無い。
 修矢は初めて男の名前を叫んだ。
「XANXUS!てめぇ、姉貴が心配じゃないのか!!」
 いきり立った修矢に目もくれず、XANXUSはひどくゆっくりとした調子で後ろの腰に添えてあった拳銃に手をかけた。赤いXがはっきりと記されている重たい銃。すぅ、とXANXUSは壁に向かって銃を伸ばした。きゅぅぃ、と光球がその銃口に集中していく。
 怒っているのか、と修矢は肌でそんな風に感じた。しかし修矢の瞳に、数本の針が入る。それは確かに銃を構えている男に向かっていた。
「…っ!」
 咄嗟に体が動いてその針を刀で薙ぎ払う。こんな男を、と内心では腹を立てていたが、動いてしまったものはしょうがない。
「アンタを…っ庇ったわけじゃない!アンタが怪我して姉貴が悲しむのが嫌なだけだ!」
 修矢の言葉をXANXUSは鼻で笑い飛ばす。
「うぬぼれんな。てめぇの助けなんざ必要ねぇ」
 かちん、とXANXUSの指が引き金を引いた。

 

 東眞は背後にできた針の壁に目を丸くたが、咄嗟に常備している銃を引き抜いて周囲を確認する。しかし、それは目の前に立った人影にすっと標準をすぐさま合わせることとなる。人影は空色の瞳を細めて、やわらかに微笑んだ。
「Hi、東眞。そんな物騒なもの向けないで」
 男は、ヴィルヘルム・ハウプトマンという名前のドイツ人の東眞の友人はやはり朗らかな笑みでそう告げた。だが東眞は一切の警戒心を解くことなく、しっかりと銃口をヴィルヘルムに固定する。そして警告を告げた。
「一歩たりとも動かないでください。動けば、撃ちます」
「大丈夫、東眞。別に君に危害を加えるつもりは一つもないよ。ちょっとした頼まれ仕事なんだ。だから―――――――――その銃を下ろしてくれない?手荒な真似はしたくない。五体満足ってことが条件だから」
「動かないでください」
 引き金にかかる指に僅かに力を込める。
 ヴィルヘルムはそれを見て、困ったなぁ、と小さく笑う。しかし両手を挙げたその姿勢は一切崩していない。標準をずらさないように、瞳でその姿をしっかりと見据える。それにヴィルヘルムはひどく悲しそうな顔をした。
「友達を、撃つの」
 その問いに東眞ははっきりとした声と言葉で答えた。
「私は今の自分の立場を理解しています」
 XANXUSの隣にいるということが一体どういうことなのか、東眞は分かっている。自分が取るべき行動が何なのか、それくらいは馬鹿でも分かる。大人しくヴィルヘルムの言うことに従うことはできない。
 場合によっては―――――――、殺すことも止むを得ない。
 元より、人を殺す覚悟はできている。そして殺される覚悟もできている。けれども殺される覚悟は殺されてもいい覚悟とは違う。
「首は、縦に振りません」
「…うーん、なんとなくその回答は予想していたけどさ…でもどうしてって聞かないの?こういう時の定番だと思うんだけど」
 違う?と問うたヴィルヘルムに東眞は静かに、緊張感を解かずに答えた。
「人の仕事に口を挟むつもりはありません」
「…ホント、察しがいいよね。だったら、恨みっこなし」
「はい」
 ひゅっとヴィルヘルムの腕が動きを見せ、東眞はためらうことなく引き金を引いた。サイレンサー付きの銃からぱすん、と音が鳴る。銃弾がまっすぐにヴィルヘルムの体を狙う―――――――が、その手前で銃弾は止まった。空中に止まったわけではない。東眞は地面を蹴って背面に数歩下がってヴィルヘルムとの距離を取る。何故銃弾がそこで止まって地面に落ちたのかが分からない以上、これ以上の接近は禁物である。幸い銃に銃弾は装填されているし、針の壁の向こうにはXANXUSがいる。それだけで東眞の心は十分に平静である。
 ヴィルヘルムは先程の立ち位置からは一切動いてはいない。飛距離をかせぐ武器でもない限り、この距離は上手く詰められることはない。何故動かないのか、そんな疑問を抱えながら、東眞は再度銃を構えた。だがその銃は少し上で、何かに引っかかったように下に押し戻された。
 ぎょ、と東眞は目を見開く。ヴィルヘルムの指がくい、と酷く小さな動きを見せた。それだけの動作だった。
「…っ」
「俺はこっちが本職だから、東眞に負けることなんて万が一にもない」
 皮膚に細い糸のような感覚をとらえながら、東眞は一歩も動くことができなかった。本当に、動けない。ただ何かに縛られている。
 動かない、動けない東眞にヴィルヘルムはすたすたと距離を縮めていく。
「東眞、夏休み辺りにドイツに遊びにおいでよ。XANXUSと一緒にさ」
 いいところだよ、とヴィルヘルムは何事もないように笑う。力を込めても、本気で指一本動かない。は、と東眞は短い息を吐いた。
「…これは、どういうことですか?」
「自分の手の内を明かす馬鹿はこの業界では生きてけないかな」
 さらっとはぐらかして、ヴィルヘルムは東眞に手を伸ばした。だが、伸ばした手は東眞に触れることなく、再度ひっこめられる。詰められた距離が一瞬で開き、そして東眞とヴィルヘルムの間に鮮やかなオレンジの光球で作られた壁が一瞬で通り過ぎた。
 そして東眞は全身がふつり、と自由になったことに気付く。
「そいつに触るんじゃねぇ」
 低い声がその耳に届いた。それが誰の声なのかは、よく、耳に馴染む程に知っていた。姉貴、ともうひとつ声が響いたが、それはすぐに再構築された針の壁の向こうに消えた。
 XANXUSだけはこちら側にきて、東眞を隠すようにして前に立つ。
「…うーん、できればXANXUSは向こう側にいて欲しかったんだけど…」
「ほざけ」
「なぁ、ちょっと東眞貸してくれないかな?ちゃんと返すからさ」
 駄目?とヴィルヘルムは頼みこむ。だが、XANXUSがそれに耳を貸すことはない。かちん、と銃をそちらに向けた。その銃の重みは東眞とは確実に違う。破壊力も、何もかもだ。
 ヴィルヘルムはそこでようやく顔から笑みを落とした。
「―――――――ま、已む無し、かな」
 仕方ない、と、ヴィルヘルムは東眞が見たこともないような底冷えする瞳をその空色に宿した。そして、その両腕を振るった。