19:義弟と義兄の関わり方 - 6/10

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 カーテンから時折入ってくる柔らかな日差しが次第に目を刺激する光に変わって来ている。
 短い黒髪を白い枕にうずめたまま、修矢はベッドの中で大人しくしていた。時差ぼけで辛いものの、もう少しだけ睡眠をとっておこうと体は休息を求める。
 時計の針は多分まだ五、六時だ。どうせ誰も起きてはいまい。
 修矢はそう考えて、全体重を柔らかなベッドにさらに沈めようとした。が、次の瞬間、肌に感じた刃が空気を切り裂く感触に体を起こしてベッドから転げ落ちるようにして避難する。は、と短く息を吐いて先程まで自分が寝ていたところを見れば、銀色の刃が突き立っていた。避けなければ死んでいた。
 がりと修矢は歯噛みをして、刃を突き立てた人物の名前を呼ぼうとしたが、先にその人物の方が部屋全体を震わせるような勢いで叫ぶ。
「う゛お゛ぉ゛おお゛おい!!いつまで寝てやがる!!」
「い、いつまでってスクアーロ、アンタ何言ってんだ。まだ六時にもなってない」
「よぉおおし!!外に出ろぉ!!光栄に思えぇ!てめぇの相手をしてやるぜぇ!」
 人の話を聞けよと修矢は思ったが、どうやら話がまともに通じそうな感じは一切しない。しかし、ここから動かければ動かないでまた厄介後に巻き込まれそうである。
 修矢は分かったよ、と一つ言って立ち上がった。寝巻きのままはあれなので、手早く着替えを済ませた。スクアーロは扉などお構いなしに窓を開け放って、そこから階下に飛び降りる。玄関があるならばそこから出ればいいのに、とそんなことを思った。スクアーロの後を追って修矢はだむ、と地面に着地する――――――――なんてことはせずに、きちんと玄関から出てスクアーロがいた場所まで歩いて行く。
 そうしていると、スクアーロは大声で、ちんたらするなぁ!と怒鳴りつける。
「じゃぁ、アンタも横着するんじゃない。玄関があるんだから玄関から出ろよ。玄関に失礼だとは思わないのか。ひいてはここを作ったやつにも失礼だぜ」
 まっとうな切り返しにスクアーロは一拍言葉を詰まらせたが、すぐに立ち直ってはっと笑い飛ばす。
「てめぇみたいにちんたら動いて時間を無駄にしねぇんだぁ!」
 面倒くさかっただけだろう、と内心で突っ込みながら修矢はそうか、と短く返した。そして、スクアーロは片手に持っていた袋を修矢に投げ渡す、というよりも投げつける。修矢は丁度自分の刀ほどの長さの袋を体に当たる前に手でしっかりと受け止める。そして、袋の口を解いた。そこから出てきたのは愛刀。
 怪訝そうにスクアーロを見た修矢に、スクアーロはやはり大声でその疑問に答えを返してやる。
「昨晩シルヴィオの野郎が持って来たぜぇ」
「田辺さんが?俺が寝た後か?」
 そうだぁ、とスクアーロは口元に笑みを広げた。獰猛な、笑み。その影が僅かにぶれて、修矢は半ば発作的に刀を袋から抜き取った。す、と浅い光を反射した刃を鞘の部分で受け止めた。鈍い痛みが全身に一瞬で走り、動きを縛る。鞘に、わずかにスクアーロの刃が食い込んでいた。
「―――――――っどんだけ、馬鹿力なんだよ…っ」
 このままにまともに受け続ければ、鞘は破損し刀が使い物にならなくなる可能性は大である。
 修矢は両手で支えていた鞘を片手にすることでその刃を受け流し、自身の体もスクアーロの横に回り込ませる。しかし、スクアーロもそれは見抜いていたのか、白い眼球の中をシルバーの目がぎょっと移動して修矢の影を捉える。力の方向を変えて、横腹から薙ぎ払おうとした刃を修矢は背を逸らすことでかわす。鼻の上、すれすれの位置を刃が通り過ぎた。髪は短いので食い千切られることはなかった。背を逸らしたその体勢からさらに後ろに手をついて、ぐん、と後ろに一回転すると足場をしっかりとさせる。
 スクアーロは笑みを深めて、しかし瞳の獰猛性は変わらずに灯したまま、腕の剣を構え直した。はぁ、と牙を見せて、凶暴性の強い獣は修矢をしっかりとその瞳の中に映しこんだ。狩りを、する獣のように。
「抜かねぇと――――――――怪我じゃ、すまねぇぞぉ!!」
 風の流れに銀色が揺らめく。修矢は迷うことなく鞘のついたままの刀をスクアーロに構えた。
「いくぜぇ!」
 大きく足を踏み込んで速度をさらに上げたスクアーロに修矢は瞳を鋭くさせる。振りかざされた刃が鞘に当たった、否、触れた直後に刃を一気に鞘から抜き放つ。そして一切迷うことなくスクアーロの首めがけてその刃を振り下ろした。銀色の髪を刃が切り取り頭と胴体を支える首に触れるかと思ったそれは、反射的行動で空振った。
 ざらり、と地面の間近で銀色の髪が揺れる。
「やるじゃねぇか…小僧」
「こう見えても、毎日鍛錬してるんでね」
 からん、と鞘がようやく地面に落ちた。修矢は抜き身の切っ先をスクアーロにしっかりと向ける。二つの黒い瞳はまっすぐにそちらに向かった。
「アンタが俺を殺す気なら、俺はアンタを殺す。俺は俺を守るためにアンタを殺す」
 俺の刀は、と修矢は刃をふるって下段に構えた。
「武のような刀じゃない」

護るために殺さない刀ではない。

「必要とあれば、目の前の敵は全て斬り払う。例えそれが―――――――姉貴の友人でも、だ。アンタに俺を殺す覚悟があるなら、その刃で俺を殺しに来い。全力を持って俺はアンタを殺す」
 殺気は、まがいものではなかった。
 スクアーロは確かに修矢を殺すつもりで斬りかかっていた。いい顔するじゃねぇか、とスクアーロは刃をひと振りして笑った。
「甘ぇこと抜かしてる野球小僧よか、ちったぁましなこと言うじゃねぇか…」
 一度は敗北した相手であるが、スクアーロにはやはり武の意見は理解できない。剣士として通じるところはあるにせよ、だ。一生理解し合うことのできない、互いの交わらない信念。
 殺し合いをするならば、こういう相手を選ぶのが最高である。
 しかしながら目の前の少年はまだまだ弱い。東眞のような信念における強さは目を見張るが、まだ腕がそれについて行けていない。あの地域を守る程度の力は備わっているのだろうが、まだまだ発展途上である。
「俺が刀を振るうのは護るためだ。アンタが剣を振るうのは殺すためだ。でも俺は―――――――――――そんなアンタは、」
 鞘を拾って、修矢はそれにちぃん、と刀を収めた。そして、ふっとスクアーロを見て笑う。その笑みにスクアーロは一瞬動きを止めた。
「嫌いじゃない」
 随分と良い顔をして笑っている。この少年も精神的な部分が成長したのだろうということは、よく分かった。白い病室の中で、依存に依存を重ねていた少年はもう目の前にいなかった。
「どうした?」
 スクアーロ、と名前を呼ばれてスクアーロははっと我に帰る。
 そして目の前の少年の頭に手を乗せてぐしゃぐしゃとその髪をかき混ぜた。すると修矢はぴくりと米神に青筋を浮かべる。
「……俺は、子供じゃないんだが…?」
「俺から見りゃまだまだ餓鬼だぁ」
 弟がいるならばたとえばこんな感じなのだろうか、とスクアーロは頭をなでながらそんな風に思う。そして、修矢にもう一度刀を抜くように指示をする。
「朝飯前の運動だぁ、付き合えぇ」
「いいぜ、相手になる」
 稽古、と初めてそんな空気になって修矢は刀を抜き放った。そして、今度は自分から地面を踏みきった。

 

 きん、と刃が響く音を耳にしながら、哲は窓の前に立ってその光景を眺めていた。そして良かった、と安心する。
 東眞がイタリアに来てから、修矢は前にもまして刀を振るうようになっていた。護らなければいけない。いつかその重圧に潰されそうな気配すらしていたが、哲にはそれに関して上手い解決策を見出すことはできない。
 表面上の変化は勿論一切なかった。上手く自分を制御して、役目を果たしている。相談事のできる友人も出来て、何も心配のないようには見えたが、それでも彼らはやはり修矢たちとは一線を引いた存在なのである。今では姉にも全部は頼れず、時折毒のようなものを胸の内に溜めこんでいく。それだけが心配ごとだった。
 だが、と楽しげな表情で刃を交わらせている光景を眺めながら哲は相好を崩す。
「…これならば、心配もいらないか」
「本当にねー」
「!!」
 気配もなくかけられた声に哲はびくっと全身を震わせて、慌てて振り返る。そこにいたのは緑の髪と赤い眼鏡が印象的な――――ひどく女性的な男性が一人立っていた。
 ルッスーリアは哲の隣に立って、ひょいと窓の外を眺める。
「色々ため込んじゃいそうなタイプだったらから、東眞が心配してたけど…大丈夫みたいね?」
「…え、えぇ…」
 状況について行けず、哲は何とも曖昧な返事をする。ルッスーリアは思い出したように、哲に剥き出しの銃を差し出した。
「シルヴィオからよ。昨日の夜二人が部屋に入った後来たの。部屋に持って行こうと思ったんだけど、東眞が疲れているだろうから明日渡してあげて下さいって」
 ことで、とルッスーリアは確かに銃を哲の手の上に乗せた。有難う御座います、と哲は礼を述べてそれを受け取るとホルダーに戻した。
「どういたしまして。えーと、哲?」
「あ、あぁ、はい。ルッスーリア氏、何でしょうか」
「いやーぁんっ!ルッスーリア氏だなんてよそよそしいこと言わないで頂戴!私と哲の仲じゃないのよ!」
 そんな仲になった記憶はないのだが、と哲は思いつつ、はぁ、と短く返した。返しが冷たいので、ルッスーリアは軽く手を振って冗談よ、と言った。
 そしてまた窓の外を眺める。
「東眞がこっちに来てから結構いろんなことがあったけど…弟君はどうなのかしら?」
「…良い、方向に変わっておられます。ただ、やはり時々は寂しいようですね」
「そう。あちらを立てればこちらが立たずってやつかしら。東眞も難しい男にばっかり好かれるのねぇ」
 大変だわ、とルッスーリアはくすくすと笑う。それに哲はそうですね、と呟きながら、窓の外を同様に眺めて、響く鉄の音に耳を傾けた。
「…尤も、坊ちゃんはXANXUS氏のような恋愛感情ではありませんが…自分を最も理解してくれたお嬢様がいないのがやはり辛いのでしょう」
 ただ、と哲はそこに言葉を続けた。それが少しばかり意外でルッスーリアは言葉を挟むことなく哲の言を聞いた。
「お嬢様にとっては、XANXUS氏の傍の方が…よいのでしょう。自分たちはお嬢様をいつも頼ってばかりです。お嬢様は自分たちの傍にいてはずっと頼ることはできない。どんなことも全部自分一人で解決して、笑っておられる。それは―――――…、見ているこちらは少し辛いのです」
「…知ってたの?」
「それは、」
 知っていました、と哲は苦しげに微笑んだ。
「ですが、自分も坊ちゃんもお嬢様に甘えずにはいられなかった。頼っていいと言えるだけの余裕がありませんでした。もうこんな年ではありますが、自分も――――――甘えていましたね。坊ちゃんのことをずっと任せきりにしていました」
「東眞は優しいものねぇ」
「全く、その通りです。ですが、こちらに来てお嬢様のあのように安心された顔を見て、安心しました。坊ちゃんもああいう態度ではありますが、やはり少し悔しいのでしょう」
「お姉ちゃんっ子だから?」
「それもありますが、自分がああいう表情をお嬢様にさせて上げられなかったのが、悔しいのだと思いますよ」
 多分、と付け加えたが哲の予想は大方当たっているのではないだろうか、とルッスーリアは思った。哲はくるりとルッスーリアと向き合って、そして始めてしっかりと頭を下げた。あまりにも真剣な様子に反対にルッスーリアが慌ててしまう。お嬢様を、と哲は頭を下げた状態で告げた。
「お嬢様を、宜しくお願いします」
 真面目な言葉にルッスーリアは、小さく笑った。そして、それはボスに言って頂戴よ、と肩をすくめた。