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東眞はとんとんと階段を下りて、車の傍に立っている四人に笑顔を向ける。まずはスクアーロにお帰りなさい、と。スクアーロはそれに、頷いた。
「御久し振りです、哲さん。元気にしてらっしゃいましたか?」
「息災で、お嬢様」
笑顔で返した哲に東眞はよかったです、と同じように笑顔で返した。修矢から料理がひどいと切々と語られてきてはいたものの、それに関しては一言も言わなかった。優しさと言うべきか。
そしてくる、と東眞は二人で並んで立っている金髪に目を向けた。
「Hi、東眞!ひさしぶり、それからおめでとう!」
きらきらと眩しい笑顔でヴィルヘルムは東眞の手をしっかりと掴んで上下に振る。否、手をしっかりとつかもうとした瞬間、ヴィルヘルムの足元に銃弾が撃ち込まれる。ヴィルヘルムは差し出した手を引っ込めてへらっと代わりに笑った。
どの銃から発射されたのかはもう視線を向ける必要もない位に明らかである。哲とスクアーロはそちらの方に視線を向けた。赤と黒の二つの瞳がいつの間にか明るい金色を睨みつけている。果たしてこれを愛されていると表現すべきか否かは悩むところであろう。
ヴィルヘルムは頭をかきながらもう一度、おめでとうと告げた。
「まさか相手があのXANXUSだとは思わなかったけどね」
「あれ、ヴィルはXANXUSさんを御存じなんですか?」
「んーま、仕事で一二回顔を合わせた程度かな」
にこ、と笑ったヴィルヘルムに東眞は一言笑顔で、そうですかと返しただけだった。東眞にはその情報だけで二人が「どんなこと」をしているのか分かったし、それに分かったところで関係があるわけでもない。自分にとって彼らはやはり普通の友人にしかすぎないのである。彼らが何者であろうとも、それは友人の評価を移動させるわけではない。
「Frau 東眞(東眞さん)、おめでとう」
「ヴォルフも御久し振りです、有難う御座います」
「しあわせ、なる」
こくこくと頷いてそう言うヴォルフガングに東眞はもう一度礼を述べた。
「ところでどうしてこちらに?」
尤もな質問にヴィルヘルムは事の経緯を東眞に教える。それに東眞はそうですか、と苦笑して、ご迷惑をおかけしましたと謝った。
ヴィルヘルムは慌てて両手を目の前で振って、青空の色をした瞳を大きく見開く。
「Nein!(違うよ!)俺としては東眞にまた会えて良かったと思ってるよ。日本はとってもいいとこだし、」
修矢の料理も結構おいしかったよ、と笑う。ヴィルヘルムの言葉に東眞は目を丸くして、修矢が料理を?と仰天する。
東眞が知る限り、味付け、下ごしらえはまともにできるが、修矢は加熱とうとう火を扱うことに関しての才能はゼロに等しい 焦げ付いた鍋を洗うのが大変だったのは良くよく覚えている。
「そうそう、榊の料理はひどいって言ってたな」
その言葉には東眞ははは、と苦笑する。
東眞が在日していた時も甘い味付けを好んでいたが、そこまでひどくはなかった。確かに少しばかりの手直しはしたが。ところが修矢のメール等を見る限り、進行しているというか、ひどくなっているというか、ともかく大変だった様子ではある。
「自分の料理はそう酷いものではないと思いますが…少なくとも焦がしたりはしません」
「そうなの、榊」
「はい」
多分今の哲の料理を食べたら自分もトイレに駆け込むことになるかもしれない、と東眞はそんな風に思った。自覚症状がないのは辛い。
と、その時ヴォルフガングが二三回ヴィルヘルムの肩を叩く。そして、ちらりと懐中時計を見せた。
「あ、そっか」
「用事でもあるんですか?」
「お仕事。もうちょっと話したかったけど、イタリアとドイツだしね。また遊びに来るよ。俺達しょっちゅういろんなところに飛んでるからさ、土産話とかも沢山聞かせられるし」
ああでも、とヴィルヘルムはちらりと扉の方に目を向ける。銃口はまだ此方を向いたまま。人差し指を口元に添えて、小さな声で囁くように告げた。
「―――――――彼に許可をとるのは大変そうだ」
ヴィルヘルムはだから、ととてもいい笑顔を向ける。その言葉に東眞は小さく笑って大丈夫ですよ、と答える。ヴィル、と名前を呼ばれてヴィルヘルムは慌てて、背中を向ける。
「Wiedersehen, Frau.(さようなら)」
「またな、東眞!」
そう言って二人はまた黒塗りの車に乗り込んだ。それ以外の帰り方はどうやら暗黙のうちで許可されていないらしい。
スクアーロは運転手に外に連れて行くように告げた。そして黒塗りの車は二人を乗せて発進する。木々の間に消えていくのを眺めながていると、おいと扉の方から声がかけられる。
「はい」
「来い」
挨拶はすんだろうとばかりにXANXUSは東眞を呼び寄せる。二つ返事で東眞はXANXUSの所に向かったが、その前に修矢の背が立ちはだかる。
「―――――――――――退け、カスが」
赤い殺気交じりの二つの瞳が修矢を見下す。それをしっかりとこれでもかという程に睨み返して、修矢は口角をくん、と吊り上げた。
「俺はアンタの部下でもないんでね。言うこと聞く言われはこれっぽっちもないんだよ」
「来い、東眞」
「姉と弟の絆をなめんなよ」
そんな二人を眺めながら、東眞は思い出したように一言を笑顔で告げた。
「ルッスーリアの手伝いしてきます」
夕食楽しみにしてくださいね、と東眞は二人の横を素通りして、そのまま室内に消えた。
取り残された二人はぎんっと鋭い視線を交わしあった後、背中を向けて互いに反対方向に歩きだす。
そんな光景を眺めていたスクアーロは哲に、どうにかならねぇかぁ、とぼやいた。哲はスクアーロの質問に、自分ではどうしようもありません、とわかりきった答えを返した。
食事とは、休息の場である。
皆にとって心安らぐ一時。食卓を囲み、和気藹藹と会話を交わすそれが食卓、食事というものである。
と、いうものである。
「…」
「はい」
どうぞ、と東眞は笑顔でXANXUSが差し出したグラスにワインを注ぐ。XANXUSは無言でそれを受取って、さも当然のようにそれを口に含む。
一見微笑ましいこの光景。が、しかし今日からはどうやら様子が違うようである。
「姉貴、俺、そのスパゲッティがいい」
「はいはい、どれがいい?」
「えーと、その、それそれ。貝が沢山はいってるやつ」
「あ、こっちはルッスーリアが作ったんだよ。凄く美味しいんだから」
沢山食べて、と東眞は笑顔でその皿を修矢に渡す。それを手渡されて修矢はふふん、とXANXUSに勝ち誇った笑みを向ける。何とも大人げない(子供だが)
哲はそう思いつつも自分でパスタをとろうと手を伸ばした。が、その皿はひょいと綺麗なマニュキアを塗った手で取られてしまう。一体誰かと視線を向ければ、鮮やかな緑の髪とサングラス。
「んふ、どれがいいかしら?」
「…いえ、自分で取れます。ルッスーリア氏」
「遠慮しないのよ!さ、言ってちょうだい!」
「…え、えぇ、ではそちらの野菜が多いパスタの方を…」
少々怯えながら哲は欲しいパスタを述べる。ルッスーリアはわかったわ!と華麗に美しく盛りつけられたパスタ哲の前に置く。有難う御座います、と哲が礼を述べると、ルッスーリアは、んふ、と微笑んだ。
「 わ た し の 愛情がたっぷり詰まってるから美味しいわよ?」
「…そ、そうですか…そうですね…」
上手い返しを思いつかず、哲は不器用にそう返した。しかし、パスタ自体は本当においしいのだから文句のつけようがない。
が、今回の食事で問題なのはこちらではない。
XANXUSの眉間に皺がよる。修矢と彼の間に火花が見えるのは気のせいではない、とVARIA幹部一同思っている。が、それを口に出さないのは、出さないのではなく出せないだけである。ことの機微には敏感なのに、こういうところは鈍感な東眞を多少憎らしくも思うくらいである。
東眞と言えば、相変わらずののんびりとした様子で二人の言うことに耳を貸している。修矢はパスタを美味しい、と素直に感想を述べながらきらっと目を輝かせた。そしてなぁ、と東眞に話しかける。
「なに?」
「今日一緒に寝ていい?だってほら、久しぶりだし。積もる話もあるだろ?」
「そ
「ざけんな」
東眞が答える前にXANXUSの言葉が飛ぶ。修矢はそれにむ、としながらXANXUSをフォークを持ったまま睨みつける。ちなみにXANXUSのフォークはすでに灰だ。
「アンタに俺の行動をとやかく言われる筋合いはないね。なぁ、姉貴」
「え、」
「…」
じっとりと横から痛い視線を(流石にこれは気付く)受けながら東眞は答えに詰まった。そこにルッスーリアが上手い調子で割入る。
「さ、本日のセコンドピアットよー!東眞と一緒に腕によりをかけて作ったんだから、おいしく食べてちょーだいっ」
助かった!と東眞はルッスーリアに心の中でお礼を述べる。視線で気付いたのか、ルッスーリアはぱちんっと可愛らしくウィンクをよこした。尤もサングラスでウィンクはよく見えないが。
東眞はXANXUSに説明をしながら、皿に取り分ける。
「今日のは修矢が来るってきいたから腕によりをかけたんですよ」
XANXUSさんお肉好きですよね、と笑いながら少し多めに東眞は肉を盛った皿をルッスーリアから受け取って机に置いた。む、としつつも自分の好みをよく分かっている点においてXANXUSは目をつむった。
しかし修矢はその料理の多さに目を見張っている。
「なあ姉貴、一体何皿あるんだ…?パスタって主食じゃないのか」
尤もな質問に東眞は苦笑する。ルッスーリアがそれに代わりに答えた。
「イタリア料理っていうのはね、アンティパスト、プリモピアット、セコンドピアット、コントルノ、ドルチェで構成されているのよ。アンティパスとは前菜、プリモピアットは一つ目のメイン料理のことでパスタやリゾット、それにスープのどれかを食べるの。 セコンドピアットは二つ目のメイン料理。肉か魚かのどちらかを食べることになっていて、コントルノは付け合わせのことよ。次にドルチェ、所謂デザート。最後の締めはコーヒーになってるの。ジャッポーネゼにはちょっと量が多いかもしれないわね」
無理はしなくていいのよ、とルッスーリアは優しくそう諭す。へぇ、と修矢は小さく笑ったが、次に呟かれた一言でその笑顔は引き攣ったものになる。
「…は、餓鬼が」
これしきも食えねぇのか、と暗に言っていることは一目(?)瞭然である。XANXUSの呟かれた一言に修矢はがっとフォークとナイフを握りしめた。
「大和魂甘くみんな…っ!!」
大和魂の使い所が違うことは、勿論のこと誰も忠告しなかった。