13:嫉妬深いカレ - 6/8

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 手の上に乗せられた手がズシリと重くなり、力が抜けたことが分かる。規則的な呼吸に東眞はすっと目を細める。
 穏やかな空間。優しい時間。
 ゆるりと東眞は口元をゆるめて目の上に置いていた手をそっとのけた。上に乗っていたXANXUSの手はゆったりと自身の目の上にかかる。東眞はベッドの端にある毛布を引っ張って風邪をひかないようにとXANXUSの上にかけた。本来ならばベッドの上にきちんと寝かせてあげたいところだが、残念なことに東眞にこの巨体を動かせるだけの力はない。また、の行動に東眞は声を立てずに小さく笑った。前回とは状況が僅かに違うものの、こんな些細な行動に幸せを感じる。おやすみなさい、と東眞は優しく告げてベッドを立ち上がって、椅子に掛けられていた一枚の毛布を手に取り部屋の電気を消した。そして、ぱたりと部屋の扉を閉じる。
 廊下にぽつぽつとついているほのかな灯りの下を、東眞はレヴィに教えられた道でしとりとした足音を立てながら歩く。こつんかつんと土足で歩ける廊下に音が響き、東眞は扉の前で立ち止まり片方の扉を押し開けた。中は暗く静かで誰もいない。暖炉にはぱちりと燃えてしまった薪が音を立てて砕けて落ちた。入って、後ろ手で扉を閉めてしまう。東眞は灯りのない部屋を手探りで歩き、ソファを見つけてそこに腰掛ける。そして、体を横にしてその上に毛布を敷いた。わずかに震えるほどに寒いが、寝てしまえばどうと言うことはない。
 ぱき、ともう一度暖炉から音がする。ぬくもりを与えない暖炉はただ穏やかに時間の流れを告げていた。もう一枚毛布か何かを持ってくれば良かったと、多少後悔しつつ、東眞は少し身を丸めた。目を閉じて睡魔を待つ。そうしていると、ぎぃと音がして一筋の明かりが差し込んできた。声が響く。
「何してやがんだぁ、こんな寒いところで」
 風邪ひくぞぉ、との後、がつんと足音が大きく部屋に響いた。スクアーロは部屋の明かりを入れて、その寒さに身震いをする。そして暖炉に薪をくべて、火をともす。まだ空気は冷たいが、それでも少しずつその炎は部屋の空気を暖めていった。スクアーロは溜息交じりに東眞の向かい側のソファに腰掛ける。東眞は半身を起して、ソファに腰かけ直した。
「暖炉くらいつけろぉ」
「…すみません」
 実はつけ方が分からなくて、と東眞は苦笑する。日本の設備上、暖炉ではなく基本的に暖房、つまりは電化製品なわけだからそういったものは普段取り扱わない。そのため全く使い方も分からないし、それに一晩くらい平気だろうと思っていたからだ。
 スクアーロはそれに呆れたように息をついた。
「夜は冷える、体は大切にしろぉ」
 そう言って身につけていたコートを脱いで東眞に差し出す。東眞は慌てて手を横に振った。
「スクアーロが風邪をひきます」
「俺はこの後部屋に戻って寝るから心配いらねぇ。…てめぇがここにいるのはまぁ、」
 想像がつくけどなぁ、とスクアーロはにやりと笑った。そして机の上に置かれているままのグラスと酒に手を伸ばし、そのまま液体を透けている固形物に注ぐ。とくりと瓶から音がこぼれる。
「別に一緒に寝てもいいんじゃねぇかぁ?」
 以前とは関係が違うのだしというのを暗に告げていたが、東眞は苦笑して首を横に振った。それにスクアーロは分からないと言った様子で首をかしげて、酒を飲む手を止める。
「一人のベッドに二人は窮屈でしょう?」
 唯でさえXANXUSは大きいのだから、一人のベッドに二人寝ることはあまり好ましくない。疲れているのであれば、ゆったりと寝た方がいい。スクアーロはそんな東眞の答えにくは、と噴き出した。
「は、ははっははは!んなわけねーよ!むしろ一緒に寝てやれぇ」
「疲れますよ」
「違ぇ。ここだここ」
「?」
スクアーロは空いた手で己の胸、心臓の真上を指す。そして穏やかに続けた。
「アイツが求めてんのは肉体的な癒しじゃねぇ。そういったことはてめぇの部屋で十分だぁ。そんなのだったら、わざわざ東眞の部屋に足を運ぶ必要なんてねえぞぉ」
 笑って、スクアーロはグラスを傾ける。そして思いだしたようにふと真剣な視線を東眞に向ける。それに気付いて東眞は少しばかり表情を引き締めた。
「なぁ、あいつに何か言われたかぁ?」
 あいつ、と言うのがXANXUSを示しているのは理解した。しかし東眞は何かというのが何を示すのか分からずに、首を傾けた。
「何をですか」
「…」
 ならばまだ言っていないのか、とスクアーロは判断して首を横に振る。
「何でもねぇ。ただ―――――いや、選ぶのはてめぇだが…」
 グラスの中の酒を揺らしながらスクアーロはすっと東眞に視線を向けた。射抜くような視線に空気が僅かに緊迫する。銀色のカーテンからのぞく二つの瞳がまっすぐに向けられていた。もし、と普段の喧しい声とは一変した真剣な声が空気を震わせる。
「―――――――もし、あいつがてめぇに何かを言ったら、首を横に振るんじゃねぇ」
 あまりにも真面目な声と表情でそれを言うものだから、東眞は答えをうまく取り出すことが出来ない。スクアーロはがり、と銀糸を乱して息をはく。
「さっきも言ったけどなぁ、選ぶのは俺じゃねぇしてめぇだが―――決定権はあいつにある」
 だから、とスクアーロは少しばかり言いづらそうに視線を落とす。しかしすぐに顔を持ち上げて、しっかりと東眞を見た。そして東眞もスクアーロを見た。
「俺たちの首は縦に振る以外の動きはねぇ」
 それが一体何を指し示すのか、東眞はぼんやりとだが理解した。つまりは東眞がXANXUSの意に添わぬ答えを出せば、スクアーロが危惧するような結果になるということだ。東眞は目を細めて、ゆっくりと口元に笑顔を添えた。そして答える。
「有難う御座います」
 それが一体何に対する感謝の言葉なのかスクアーロには東眞同様によく分からなかった。けれども、できるならばとは思っている。
 自分が命をかけている男とこの目の前の女。できることならば最も平和的な道を進んで行ってもらいたい。無論それはできることならば、の話だが。二人の様子から察するに自分の心配が杞憂で終わることを祈るばかりである。
 グラスの中の酒がなくなって、スクアーロはそれを机の上に戻してソファから立ち上がる。そして大きく伸びをした。
「さぁて、俺も寝るかぁ」
「廊下は寒くないですか。あ、そのXANXUSさんをベッドにちゃんと寝かしてあげてくれませんか?」
 私の力では無理でして、と東眞はスクアーロに頼む。スクアーロはそれに一拍置いて口元を笑わせると東眞の頭をくしゃくしゃと混ぜる。
「仕方ねぇなぁ。てめぇこそ風邪引くんじゃね
 えぞぉ、ともう一度声をかけようとした時、ばたんと扉が開かれる。スクアーロはそちらを向いて、げんなりとした様子で頭を押える。
「ボスがおられん!」
「ボスなら東眞の部屋だぁ」
 スクアーロはぞんざいにそれに答える。レヴィは何だとぉ!と案の定、喧しい返事をした。そしてその細い瞳がソファに座っている東眞を捉える。
「貴様!こんな所で何をしている!」
「え、ああ、はい。XANXUSさんにベッドを貸したので私はここ
 で寝ようと、と続けようとした東眞の言葉はレヴィの言葉でまたもや遮られる。違う、と。訳が分からず東眞は眉を寄せた。しかしスクアーロはレヴィの言葉の意味が分かったようで、溜息を深く吐いた。
「違ぇよ、たまたま俺が此処に来ただけだぁ」
「抜かせ!女――――…っ貴様ボスを…謀ったのか!!」
 謀るとはまた古い言葉を持ち出す、と東眞はどこか他所でそんなことを感じていた。別に謀った記憶など一つもない。目の前の男を謀ったことは認めるが。(呼び方について)XANXUSがベッドに寝たから自分はそれを譲って、そしてここに来た。それから偶然スクアーロと会って、話をしていただけだ。何を咎められる必要があるだろうか。
「レヴィ、偶然だって言ってんだろうがよぉ」
 スクアーロがいい加減にしろ、と言葉を投げる。しかしそんなスクアーロの言葉はレヴィには届かない。
「えぇい貴様の言うことなど信用できるか!」
 レヴィはスクアーロを怒鳴りつけてソファに座る東眞に指を突き付ける。そして、叫ぶ。
「ボスを弄んだのか!信用させておきながら裏切るのか、貴様!」
 その一言に東眞の思考が一瞬止まった。スクアーロがその一言に切れて、レヴィの胸倉を掴んだ。
「てめぇは言って良いことと悪いことの区別もつかねぇのか!!!」
 そんなスクアーロの言葉も東眞の耳を右から通って左に抜けた。レヴィはそんな言葉に眦をいからせ、反論しようとした。しかし、それはたった一つの静かな言葉に止められた。声は本当に静かで、大声を出せば一瞬でかき消されるようなものだった。けれどもそれは周囲を緊迫させるには十分な力を持っていた。
 レヴィは思わず息を呑む。当てつけられた――――――――それは、怒り。二つ、の濃い灰色の、陰ったせいで黒の色が強く出ている瞳がまっすぐにレヴィに向けられている。スクアーロでさえもその気配に肌を震わせた。それは決して荒々しいものではない。静寂さえ感じさせる。だからこそ、剥き出しの感情がより一層強く感じられた。
「撤回してください」
 静かに、東眞はレヴィにそう告げた。