13:嫉妬深いカレ - 3/8

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 ふっと意識が昇って東眞は体を起こす。いつもと違う風景に一瞬頭がついてこなかったが、はっと思いだして首を軽く横に振る。服のまま寝てしまったのかとそんなことを考えながらゆっくりと柔らかいベッドから下りた。時計を見れば、もう夜半なのだから驚きだ。
「…これ、今日の夜眠れるかな…」
 寝過ぎたに違いない、と多少の不安を覚える。辺りを見回したものの、手洗い場はないので探さねばと東眞はぐんと伸びをして立ち上がり、扉に手をかけた。そしてドアノブを回して引くと、広い廊下に出た。否、出るはずだった。目の前にあったのは黒い壁。
「…」
「どこへ行くつもりだ」
 声が落ちてきたので、それは壁ではなく人間であることに気付く。東眞がすいと視線を上げれば、その瞳にはツンツン頭の目の細い男が立ちはだかっている。何とも鋭い目つきで睨まれているのは分かった。
「あ…いえ、顔を洗いに行きたいのですか」
「貴様、そんな口実で俺をだませると思うな!」
 怒鳴られて東眞は目を丸くするが、一体何を騙すというのか。少し冷静になって考えてみるものの、自分が彼を騙さなければならない理由など一切ない。その上、騙したことによって発生するメリットもない。
「いえ、騙すつもりは」
「そうやってボスに近づくつもりだな!俺は許さんぞ!ボスに会いたくば俺を倒して行け!」
 どこかでそんなゲームの名前を聞いたことがあるようなないような。武蔵野坊弁慶ではあるまいし、と困ったように笑って東眞は眉尻を下げた。
 東眞は気を持ち直して質問し直す。
「では手洗い場まで案内していただけませんか?レヴィさんも一緒に来て下されば問題はないでしょう?」
「…むぅう、成程」
 それならばと言うことでレヴィは東眞を案内する。先導するレヴィの後ろを東眞はゆっくりとついて行った。しかし大きな体躯をしていると思う。
「レヴィさんはXANXUSさんと親しいんですか?」
 しかし何が気に喰わなかったのかレヴィは突然足を止めてぎんと東眞を振り返り見下ろす。睨まれて東眞は思わず体をぴたりと硬直させる。
「貴様!何と言う呼び方を…!!ボスを侮辱しているのか!!」
「え、い、いえまさか。ただ、私にとってXANXUSさんはボスではないので…」
 他に呼びようがないのである。XANXUSという名前以外の呼称はボスしか知らない。しかし東眞にとってXANXUSはボスではない。怒鳴られてもどうしようも無いのである。レヴィも東眞の返答には一旦口ごもったが、すぐに口を開いて怒鳴る。スクアーロよりも少しばかり五月蠅いかもしれない。
「様だ!」
「…様…XANXUS、様?」
 思わず東眞は笑ってしまう。今までずっとさん付けだったので、不思議なまでの違和感が発生している。くすくすと東眞が笑っていると、今度はレヴィが怒鳴る。
「何がおかしい!」
「いえ、ちょっと…呼びなれないなと」
 実際に生活上で様をつけて人を呼ぶというのはあまりない。以前にはあったが、現在ではない。バイト先で客を呼ぶ時に使った程度だろうか。それを見慣れた見知った人に向かって、様。これほど奇妙な事はない。
 しかし東眞はレヴィをちらりと見て、それから咳を小さく一つした。
「尤もです」
「分かったならいい」
 誰も呼ぶとはいっていないのだが、うまく納得してくれたようだった。今度こそ騙した、と言うべきなのだろうがまぁいいかと東眞は先導を再開したレヴィにのんびりと足をついていかせる。暫く直進に歩いて右曲がった先にある扉を押しあけると、そこにはなんとも広い洗面所が広がっている。東眞は礼を一つ言ってそこに入った。しかし動かないレヴィにその、と声をかける。レヴィはむすっとした様子で、その扉の傍に立っていた。
「貴様が抜駆けをせぬように見張っているだけだ」
「…はぁ」
 そうですか、と東眞はまた困ったように笑って扉を閉じた。しかし、レヴィが足をはさんでそれを止める。流石の東眞もそれには戸惑う。
「あの…」
「俺の目を盗んで逃げるつもりだろうがそうはいかんぞ」
「…」
 そんな馬鹿な、と言葉を失う。まぁここで着替えをするわけでもないし構わないかと東眞は諦めて、渋々と言った様子で頷いた。
 蛇口を捻って水を出し、眼鏡を外してそれで顔を洗う。冷たい感触に肌を合わせながら息を吐く。置かれていたタオルを取ってそれに顔をうずめる。柔らかなそれに目を閉じて体の力を抜く。
「まだか!」
「は、はい!」
 せかした声に東眞はびくりと体を震わせて返事をする。慌てて眼鏡を取ってそれをかけて扉を開ける。そこには相変わらず機嫌の悪そうな顔をした男が立っている。振り切ろうにもそんなことが不可能なのは東眞自身が良く良く分かっている。ここは大人しく従うのが一番である。
「あの、XA、いえ皆さんは…」
 XANXUSの名前を危うく出しそうになって東眞は慌てて言い直す。目の前の彼にとってXANXUSの名前が爆弾なのはもうすでに良く分かった。しかしそれは嫌っているというものではなく、むしろ好き、心酔しているという表現が正しいのだろう。そう考えるとXANXUSは好かれているのだろうなぁと東眞は何故か嬉しくなった。笑いそうになって慌ててその笑いを引っ込めた。そしてレヴィの顔色を窺う。だが幸いにもレヴィには気付かれなかったようで、先先へと歩いて行っている。東眞は慌ててその後ろについた。
 XANXUSに部屋まで案内してもらったのはいいが、この部屋から他の部屋への通路がさっぱりわからないという問題がある。レヴィによって教えられていく道を東眞は視界に入れながら頭の中に地図を描いていく。そうやって地図がのんびりとした調子でできていると懐かしい大扉が見えた。レヴィは立ち止まってここだと示す。
「有難う御座います」
「ふん、ボスに不届きをしたならば俺が許さんからな!」
「…はぁ」
 そうですか、とここまで来ると多少の呆れも含んで東眞は返事をした。そして、案内された扉を押してあける。そこに懐かしい顔ぶれがそろっていた。
「あらためて、御久し振りです」
 笑顔でそう告げた東眞に声が重なった。

 

「ボスもよく待ったわよねぇ」
 意外だわぁ、とルッスーリアは手にしたクッキーを軽く振る。マーモンはそうだねとそれに返す。
「待つ、という選択肢を選んだ方が意外だったけどね」
 僕としてはとマーモンはそれに返事をする。
「それに断られたわけじゃなかったからじゃないかな」
 何だかんだいっても脈ありだったし、と続けたマーモンにルッスーリアはそうねと返す。確かに東眞はあの時、首を横に振り否定はしていたものの、脈なしというわけではなかった。
「それとボスも正式に申し込んだわけでもなかったし」
「いつするのかしらね」
「さぁね、僕には分からないよ」
 クッキーを一つ齧ってマーモンはそう言う。ルッスーリアは紅茶を一口飲んで、あら美味しいと頬に手を添えた。
「東眞のことだから首を縦に振ってくれると思うんだけど」
「横に振ったらどうなると思う?」
「ボスが?」
「そうさ」
 マーモンの質問にルッスーリアは暫く考え、そして人差し指を唇に添えた。首が僅かに傾く。
「…待つのかしらね?」
「また?そうみえるのかい」
 言葉を重ねられてうんとまた唸る。そしてうーんと笑った。
「どうかしら。やっぱり待てないかもしれないわね」
「だとすれば悲惨だね、彼女にとっては」
「そうねぇ、ここまで待ったんだから…これで台無しになるのは私やーよ?」
 ルッスーリアの答えにマーモンはどうして君が嫌がるのさ、と薄く笑った。