11:君に笑顔を - 7/7

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 頬をなでる武骨な手。見つめてくる細められた赤い瞳。手は酸素を与える機械を無造作に顔から外し、東眞の顔が良く見えるようにした。ひゅぅと入ってきた冷たい空気に東眞はけほんと一つ咳をしてから、やんわりと微笑んだ。XANXUSの口が緩く開き、言葉を発する。
「馬鹿野郎が」
 指先が髪を撫ぜて、さらりと視界から黒が一筋ずれた。
「弱ぇ奴が体張ってんじゃねぇ」
 口元が自然に微笑み、一日近く使っていない喉から答えがこぼれた。
「―――――ご心配、おかけしました」
 その笑顔にXANXUSは瞳を柔らかくする。それ以外の言葉は必要ない。
 数分間、ぬくもりを確かめるように肌に触れていたその手をXANXUSはようやく離した。そしてそのままその手でナースコールを押し、音をたてて立ち上がる。東眞が慌てて起き上がろうとすると、XANXUSは寝てろ、と止めた。そしてにや、と笑う。
「今じゃねぇ」
 からからと誰かが部屋に近づいて来る音が近づいている。XANXUSはドアノブに手をかけた。そのまま振り返ることはせずに告げる。
「待ってろ」
 幾度目になるだろうか、このやりとりに東眞は目を細めて、はいと返した。XANXUSはかちりとドアノブを回す。ドアを引くと、目を丸くした白衣の男が立っている。
「き、君!ここは面会謝絶で
「うっせぇ」
 先の言葉を潰してXANXUSは医者の横を通り過ぎる。そして椅子に座ったままのスクアーロを蹴りつけた。
「帰る」
「?もういいのかぁ」
 スクアーロの質問には無言の肯定を返してXANXUSはがつと足音を鳴らす。それに制止をかけたのは修矢の声だった。立ち上がって、修矢はその背中に待ったをかける。
 あのXANXUSに無謀な!と綱吉はさっと青ざめる。しかしそんなことを修矢は知る由もない。
「姉貴が――――――――――心配で、来たのか」
「行くぞ」
 修矢の問いかけには答えず、XANXUSはそのまま足を進める。スクアーロはいいのかぁと聞いてXANXUSに殴られつつ、その後を追う。自動ドアが閉まり、二つの黒は完全に白の中から姿を消した。修矢はぎりっと歯噛みして、拳を握りしめる。そこに看護師の声が入る。
「桧さん、お姉さんの目が覚めましたよ」
「!」
「ぼ
 っちゃん、と最後まで言わせずに修矢は病室に駆けこむ。視界に一番飛び込んできたのは上半身を起こして、笑っている姉の姿だった。その二つの瞳がこちらを向いて、そして柔らかく微笑んだ。そして、一言告げた。大丈夫、と。
 医者が哲にもう大丈夫ですと説明しているそれはもう耳に入ってこない。足と手は勝手に動いて、縋りついた。動いている温かい。死んでいない生きている。沢山言うべきことがあった。言わなければならないこともあった。聞きたいこともあったし、告げたいこともあった。だが、そんなことは今全て消えてしまった。言葉にならない音が、泣き声になって布団に埋もれる。
 東眞は優しくその背中をぽんぽんとさする。白い病室の中で、ごめんなさいと泣いて謝るその姿に哲は目を細めて、部屋から退出した。

 

 ごめんなさい、と謝り続ける修矢に東眞は困ったような顔をしてその顔を上げさせる。涙でぐしゃぐしゃのその顔を見て小さく吹き出す。
「変な顔」
「へん、っなかおでも…っいぃ」
「今日学校でしょう?」
「きょ、はやす、む」
 ぎゅ、と抱きつく力を強くして修矢は首を横に振った。東眞は苦笑して行きなさい、と告げた。
「学生の本分は勉強」
「でも」
「大丈夫だから」
 ほら、と東眞は修矢の眦に浮かんでいる涙を指で拭ってやった。修矢はすんと鼻をすすって頷いた。そして居住いを正して、東眞と向き直る。
「ごめんなさい」
 頭を深く下げた。
「本当に―――――――――っごめん、なさい。俺自分のことしか、考えてなかった。姉貴のこと、何も考えてなかった」
 でも、とそれに修矢は続ける。
「置いて行って欲しくなくて、姉貴にあいつに着いて行って欲しくなくて…我儘、言った。俺はずっと姉貴と一緒なんだと思ってた。これから本当にずっときっと…ずっと続くと思ってた」
 東眞は静かに修矢の独白に耳を傾ける。
「姉貴があいつの傍で幸せになれるって、そう思ったなら俺は――――本当は、それに頷かなくちゃいけなかったんだ。笑顔でいってらっしゃいって、言ってあげるべきなんだ。でも、俺はそれができるほどまだ大人じゃなくて、つらくて」
「うん」
「だから今回みたいなことも引き起こして――――――姉貴が死んだらどうしようかと思った。俺なんであの時喧嘩したんだろうって、何で我儘言ったんだろうって、凄くすごく、後悔した」
「うん」
 修矢はごくりと唾を飲み込んで、そして東眞と視線を合わせた。
「俺―――――――――これからも姉貴の弟でいい?」

 たとえどんなに離れていても。

 東眞はそっと修矢の頭に手を置いた。そしてくしゃりといつものように撫でて、微笑む。
「ありがとう」
 その一言に、修矢は泣き顔で笑顔を作る。どういたしまして、と笑った。

 綱吉たちは明けていく空を眺めながら、ぼんやりと虚をつかれたような表情で道を歩く。
「XANXUSが…何だか嘘みたいだ」
 夢じゃないのかな、と綱吉は頬を引っ張る。しかし痛くてやはり外す。
「信じらんねー…っすよね、十代目…」
 夢でも見てるんでしょうか、と隼人は同様に頬を引っ張りそれが痛いことを確認して放す。一人武だけは爽快に笑ってそっかー?と言っている。
「あ、でもスクアーロもXANXUSも元気そうにしてたのな」
「…あ、ぁあ、うん」
 そうだね、と綱吉はあの瞳を思い出してぶるりと震える。出来ることならば、もう二度と敵として会いたくはない。体を震わせる威圧感にもう既に飲まれている。
「でも、お姉さんが…XANXUSの彼女って…」
「明日は槍でも降るかもしれないっす」
「槍だけじゃ済まないかも…」
 ね、と綱吉はははと頬の筋肉を少しばかり引きつらせた。何しろ相手はあのXANXUSなのだ。あの。信じられない等々全て通り越して奇想天外だ。天変地異一歩手間ではないだろうか。世の中分からないことだらけだ、と綱吉はがっくりと肩を落とした。