11:君に笑顔を - 6/7

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 あの絶望に染まった瞳を覚えている。指先からどんどんと冷えていく体でその瞳を見ていた。きっと今頃自責の念に駆られて泣いているだろう。容易に想像できる。自分のために誰かに泣いてほしくはない。自分の行動のために誰かを泣かしたくない。だからこんなところで意識を手放していることなどできない。それにそれに。
『待ってろ――――――――俺を』
 彼を待たなくてはならない。裏切らないと約束した。信じると誓った。ならば、金縛りにかかったように動かない体を動かさなくてはならない。指一本の動きままならぬこの状態でも。世界の暗闇しか写さぬこの瞼でも。起きなければならない。大切な人を大切だと思うのであれば絶対に。大切な人を守れて死ねるならば本望、以前はそう思っていた。以前は。だが今は違う。涙を流さぬように涙を与えぬように。
 必ずそこに――――――――戻らなければ、ならない。必ず。

 

「おい小僧」
 スクアーロの呼びかけに修矢はすっと視線を上げた。その細めの顔の両脇にカーテンのようにかかっている銀髪の所為で表情はよく見えない。
「てめぇはいつまで東眞のケツ追ってんだぁ。あいつはてめぇの奴隷じゃねぇぞぉ」
「誰が!」
 その一言に修矢はカッと顔を赤くして怒鳴る。奴隷などと、そんな風に思ったことは一度としてない。大切な家族だ。
 スクアーロはちらりと視線だけを動かしてそのまま続けた。
「さっきから聞いてりゃ全部てめぇの我儘じゃねぇかぁ。東眞の意思は無視かぁ?」
「無視なんて―――…っ」
「してるだろうがぁ」
 顔を歪めた修矢にスクアーロは遠慮なく鋭く言い放つ。さしもの哲もその一言には表情を強張らせた。今言う言葉ではない。
「スクアーロ氏」
「なんだぁ?本当のことだろうが――――…いつまで甘ったれたことぬかしてたら、こいつのためになんねえぞぉ」
 スクアーロは哲の制止を無視してさらに続ける。その紡がれていく言葉に修矢はぐっと歯を食いしばる。
「今回のことは東眞が悪ぃ。殺せなかったあいつの落ち度だろうよ」
「な」
「殺せねぇんだったら、その場からとっとと逃げるなりなんなりするべきだ。てめぇにも勿論一因はあるんだぜぇ?東眞が撃った時点でてめぇはその動かなかった体を叱咤してでも離脱するか、即相手のとどめをさすべきだったんだぁ」
 さらりと銀色の髪が揺れて表情が露わになる。まっすぐに見つめてくる瞳に修矢は反論をし損なう。逸らされた視線にスクアーロはむ、としながらも言った。静かすぎるほどの声が、はっきりと届いてしまう。
「戦うってことは、殺すか殺されるかだろうがぁ」
 分かっている、と修矢は呟いた。しかしスクアーロは分かってねぇ、と返す。数え切れぬほどの死線をくぐり抜けて来た男の言葉が綴られる。
「いいかぁ。剣を振り上げたなら必ず振り下ろせ。何があっても躊躇うんじゃねぇ」
 林檎一つに躊躇ったせいだと修矢は思い起こす。あれが、この損失の、悲しみの原因だと。正しくはそれによって起こった自分の躊躇が。
「躊躇った方が死ぬ。自分の命すら守れねぇ男が他に何を守れる」
「…っ」
「俺は別にてめぇを責めてるわけじゃねぇ。肝に命じとけ――――二度と、同じことを繰り返したくなけりゃぁな」
 そこでスクアーロは話の大筋が随分と逸れていたことを思い出して、それでだと続けた。
「話がそれちまったが、なら東眞はてめぇにとって何なんだぁ?」
「姉貴は―――、姉貴だ。俺の大切な家族だ。何物にも代えがたい…っ大切な人だ!」
 スクアーロの質問に修矢は眦を吊り上げて答える。ぎりっと奥歯を噛みしめた。息をすべて吐き出した修矢にスクアーロはなら、と言葉をかけた。
「何でてめぇはその大切な人の気持ちを尊重しねぇ」
 スクアーロの言葉は遠慮なく修矢の心に突き立つ。そんなこと分かっていると言い続けてきた、その心に。
「スクアーロ氏!」
 哲は居たたまれなくなって再度の制止をかけるものの、スクアーロはそれを一瞥しただけだった。刃を隠すための銀色のカーテンはもう開かれている。
「大切な人の気持ちを踏みにじることがやることか?大した男だなぁ」
「…違う!」
「やってることと言ってることが全然違うじゃねぇか―――てめぇは」
「うるさい!!」
「なんだぁ、都合が悪くなったら怒鳴り散らすのかぁ」
 うく、と修矢は言葉を詰まらせ唇を噛んだ。スクアーロは相変わらずの冷たい視線を修矢に向けている。それがなお修矢を苛立たせる。そして、スクアーロの一言は確実に修矢の弱い部分を抉った。認めたくない部分に牙を突き立て、食い荒した。
「てめぇはちっともあいつのこと大切になんかしてねぇじゃねえか」
 空気が一瞬で凍りつく。ひゅぅと吸い込んだ息が肺の中で氷の結晶になった。
「東眞の気持ちに少しくらい気付いてやったらどうなんだぁ」
「――――――――――――そんな、こと」
「あいつが優しいからっていつまでも甘えんじゃねぇ」
 はっきりとした言葉に修矢は顔を歪ませる。分かっている分かっているそんなことは、言われるまでもなく誰よりも本人である自分が。
「でも!」
「いい加減にしろぉ―――――聞き分けのねぇ餓鬼でいつまでもいるんじゃねぇ」
 獰猛な生物の臭いがした。
「あんたに俺の何がわ
「そんな言葉で甘えるんじゃねえって言ってんだぁ。俺がてめぇだったらそうするぞぉ」
「――――――――……っ」
 押し黙った修矢からスクアーロは視線を外して、そっぽを向いた。哲はかけるべき言葉を見つけることができないまま口を噤む。完全に居づらい雰囲気になった綱吉たちは顔を見合せて、どうしようかと口を曲げた。

 起きなければならない。生きなければならない。誰のために自分のために。誰かのために。人は一人では生きていない。だから生きていかなければならない。
 瞼を開けて視界を押し広げる。息を吸ってはいて。指先を動かせ。

「遅ぇよ」

赤い瞳が、そこにあった。