11:君に笑顔を - 4/7

4

 こちんと時計の針が動く音を耳が受け取る。哲は待合室の椅子に丸一日半座り続けている修矢に目を落とす。東眞はいまだ意識不明の重体で面会謝絶の状態である。
「坊ちゃん、仮眠を取られた方がよろしいのでは」
「――――いい」
 ここを訪ねていた他の子供たちは流石に帰宅した。ただ帰り際にツンツン頭の少年はひどく心配そうな視線を残していた。そして今に至る。
 ルッスーリアには連絡を入れたのだが、果たしてそれが功を奏すかどうかは哲には分からない。ただ、知らせておいた方が良いだろうという独断である。修矢がこのことを知れば、怒鳴られるに違いなと確信しつつ仕方あるまいと内心溜息を吐く。
 しかし問題は今である。治療は施したものの、やはり休息を取らねば倒れる可能性も否めない。入院するほどの傷ではなかったにせよ、体は休みを取らなくてはならない状況だ。だというのに、修矢は東眞がこちらに運ばれてから一睡もしておらず、ずっと座りっぱなしだ。そろそろ夜も明けてしまう。空が白んでいた。
 哲はもう一度繰り返す。
「―――お嬢様が目を覚まされた時に坊ちゃんがそのような顔色では心配されますよ」
「…でも、俺のせいで姉貴は」
 その後に続かなかった言葉は容易に想像がつく。哲は誰よりも知っている。修矢がどれほどに東眞を慕い想い大切にしていたのかを。
 言葉が途切れて小さな沈黙が下りた所に修矢はすっと顔をあげて小さく微笑む。
「哲、お前が休めよ。疲れてるだろ」
「自分は負傷の一つもしておりません」
「俺は平気だから。こんなの―――――――――――…っ」
 ぐっと拳を握りしめて修矢は唇を食いしばる。悲しくて辛くてどうしようもないこの現状。
「姉貴の怪我に、比べたら」
 なんてこと、と修矢は小さく吐き出した。哲はその言葉に僅かに眉を顰める。それを聞いた時の東眞の表情は容易に想像できた。
「俺のせいで…っ俺が!」
「坊ちゃん」
 固く固く握り締められた拳を哲は片膝をついてそっと包み込む。正直な話痛々しくて見ていられない。こくり、と唾を嚥下して哲はサングラスの下から柔らかい瞳をそちらに向けた。
「お嬢様は大丈夫です」
「…そんな保証、どこにあるんだよ…。あんな大怪我させて!俺の腕の中でどんどん冷たくなって!!」
「大丈夫です」
 坊ちゃん、と哲は吐き出される悲鳴を言葉で区切った。いつもよりも冷たい手。哲はそっと瞳を閉じた。
「お嬢様はお強い。必ず戻ってこられます」
 優しい色をその眼に浮かべて哲は修矢の瞳に溢れかけた涙をそっと拭ってやった。
「坊ちゃんを残して逝かれることなど――――考えられないでしょう?」
 哲は確信している。東眞は誰よりも人の気持ちに対して敏感だから、そして自分の行動がどういう結果をもたらすのかよく分かっているから。だから修矢を庇って死ぬことなど決してないということを。あり得ないことなのだ。誰かを庇って死ぬなど。死んだ自分ではなく、残された相手の気持ちを考えてしまうだろうから。大切に思っている人を間違いなく傷つけてしまう行為であろうから。だから、決して死んだりしない。命を落とさない。
「どんな状態であっても、坊ちゃんを置いてはいきません。お嬢様のことを坊ちゃんが信じられなくてどうされますか」
「―――俺が、信じて…なくて…」
 ぽつりとこぼした言葉に哲は瞳を落ち着かせた。そしてその肩にそっと自分のスーツの上着をかける。
「お嬢様のことは自分が見ております。ここでお待ちになりたいのであればそれでも構いません。ただ、どうか仮眠は取ってくださいませ。お嬢様のためを思うのであればなおさら」
 かけられた上着に修矢はそっと指をかけ、一拍置いた後にゆっくりと首を縦に振った。疲労しきっていた体は何をせずともずっしりと瞼を下ろさせていく。意識が沈んでいくのを感じながら修矢は目の前の世界がかすんでいくのを見ていた。
 だが、が、と開いた自動ドアにその意識は浮上する。気弱そうな少年とその両脇には爆弾少年と武。修矢はつむりかけた瞼をぱちりと持ち上げた。綱吉はぱたぱたと近づいてそして東眞がいる病室をちらりと見やって止まる。そして、お姉さんは?と尋ねる。修矢の代わりに哲はいいえ、と答えた。その返事に綱吉はすっと視線を下げた。しかし思い出したようにはっと手元の包みを差し出す。修矢は怪訝そうにそれを見つめる。その視線に苦笑しながら、綱吉はふっと笑う。
「桧君もおなか減ってるだろうし、その、おにぎり。よかったら食べて」
 その言葉に修矢は冷たい視線をすと和らげる。そして小さく笑った。
「――――お前ってさ、変な奴。普通あそこまで言われたら嫌うだろ」
「え、そ、そりゃでも!」
「十代目はてめぇと違って心が広いんだよ!!」
 獄寺はがっと拳を握り締めて唇を尖らせる。それを見た修矢ははと嘲るように笑う。
「ああ、あんたの心とはどうやら違ってな。頂くよ」
 有難うな、と修矢は綱吉の手からそのおにぎりを手にとって口に含む。少しばかり塩味のきいたそれをもしもしと食べて、ぴたりと動きを止める。桧君?と尋ねた綱吉に修矢は小さく首を横に振って美味しいよ、と返した。
「哲も貰ったらどうだ?」
「いいか?」
「あ、ど、どうぞ!母さんが沢山作ってくれたんで…」
 哲の言葉に綱吉は慌てて首を縦にものすごい勢いで振り、了承の意を示した。それに哲はではと言って握り飯を一つとってかぶりついた。
「桧、お姉さんの容体はどうなんだ?」
 その手には同じように握り飯をもった武が修矢にそう尋ねる。武の質問に修矢はすっと視線を落して、ゆっくりと答えた。
「意識不明の面会謝絶だ」
「――――そっか」
 ああ、と答えて修矢は綱吉からもう一つ握り飯を貰う。それを咀嚼して、ごくりと喉に通した。よく姉と作ったな、とそんなことを思い出す。中々綺麗な形にできなくて、放り投げようとした自分に根気強く教えてくれた。
 そしてふと思い出したように哲を見た。ところどころに見られる銃弾のかすり傷。自分が撃ったそれがつけた。
「あ――――――――――…て、」
 ごめん、と謝りかけた修矢に哲はいいえ、と答えた。柔らかく微笑んで、構いませんともう一言付け加える。
「自分は坊ちゃんがご無事で何よりです」
「…でも、ごめん」
「――――ならば、二度と我を失うようなことをしないで下さいますか」
 約束してください、と続けた哲に修矢はこくりと小さく、けれども力強く頷いた。哲はそれに満足げに笑って、修矢の頭をくしゃりと撫でてやた。そして、哲は伝えていなかったことを伝えようと口を開けた。
「坊ちゃん、先程電話をしに行ったのですが」
「知ってる」
「その電話先なんですけれども」
 車が止まり、黒いコートが揺れる。
「う゛お゛ぉ゛おい、ボス!ちょっと待てぇ!」
 影が二つ地面に映し出される。ごつりと重たい足音が空気を振動させる。白い病院とは何もかもが対照的なその二つ。扉の前まで来れば、自動ドアは機械音をたてて両脇に開かれる。白い床に足を踏み入れ、黒が白を侵食した。
 視線の先の三つの表情が固まった。

「XANXUS―――――――――――――」

紛いものではない真の王者の威圧感を纏う男に、その名前が与えられた。