11:君に笑顔を - 3/7

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 かちん、と赤いランプが付いている。
 修矢はその部屋の前で一人椅子に座っていた。無言の空間の中で哲は静かにその修矢を向かい側の壁の前に立ち見つめている。言葉はかけない、否、かけるべき言葉が見つからない。今の修矢にとってはどんな言葉も意味をなさないことを哲は誰よりも知っている。あの手負いの獣のような瞳は失せたものの、どこか虚ろな瞳は、まだしている。 長椅子に腰を落として、祈るように手を組み額にそれをつける。十字架でも持っていればキリシタンだ。眉間に寄った皺はぎゅっと固く締められている。
 その時、ばたばたと足音が入口から響いて来る。哲がそちらを見ると先程の少年が三人、走り込んできていた。一人の少年の傍にはあの言葉の達者な赤ん坊がいる。いや、そもそも赤ん坊でさえないのだろう。
「あの、お姉さんの容体は――――…っ」
「現在手術中だ。出血が酷かったからな…生死はこれの結果次第だ」
「そんな」
 その時、ふと静かな声が割って入る。祈るようにしていた修矢が初めてまともに言葉を口にした。
「あの女は――――、無事だったのか。俺を知っていた、あの子」
「…ええ無事です」
「そう、か…よかった」
 良かった、と言っている割には今にも死にそうな声である。そして修矢はまた黙り込む。綱吉は恐る恐る言葉を一生懸命選びながら修矢に尋ねる。
「その、何が…あったの?」
「関係無い」
「テメェ!十代目が心配してくださっているんだぞ!」
「獄寺君」
 隼人の言葉を綱吉は静かに止めた。修矢は黙ったままそしてやはり返事をしない。しかし、暫く立ってから、ようやく口を開いた。
「守れなかった、それだけだ」
「それだけって」
「他に何かあるのか。理由が他にいるのか。必要か。あんたは俺が何を言えば満足するんだよ」
 ばっと綱吉の方を向いて一気に言いきった修矢に綱吉は言葉を詰まらせて、ごめんと謝った。修矢はそれに悪いと言ってまた俯いた。
「それと、先日の屋上のことも…悪かった」
 八つ当たりだった、と修矢は謝ってまた口を閉ざした。
 そして修矢はふっと自分の頬に触れる。心配しないでと添えられたその手の平の感覚がまだはっきりと残っている。どこまでも自分を心配してくれたのに。指先に触れた絆創膏にすっと目を細める。手当は済み、体を支配していた痛みも時間がたてば薄れた。
 何故喧嘩なんてした。何故口ごたえなんてした。何故飛び出したりなんてした。何故あの時動かなかったと死ぬほどに後悔する。何故痛みなどで動くのを躊躇した。何故自分はここに座っている。何故姉はこの扉の向こうで横たわっている。何故何故何故何故何故何故なぜ。
 なぜ、まもれなかった。
 くそ、と修矢は小さく言葉を吐き出して手の平に顔をうずめる。哲はその様子を見てから、修矢に声をかける。
「坊ちゃん、自分は電話をかけてきますので、ここを外します」
「ああ、分かった」
 修矢の了承に哲は一旦病院の外に出た。綱吉たちは顔を見合せて、取敢えず長椅子に腰かける。
 唯長い長い、何とも形容しがたい沈黙が流れていく。かちかちと音をたてている赤いランプだけが無情に空気を震わせる。それに耐えきれなくなったのか、綱吉はそっと修矢に言葉を投げた。
「…お姉さんって、どんな人なの…?」
 答えはないと思っていたのだが、修矢はその質問にゆっくりと答えた。暗く沈んだ声。
「強い人だよ、色んな意味で。俺なんてその足元にも及ばない」
「君にとって――――とても、大切な人だったんだね」
「…そうだ、なのに守れなかった。何を差し置いても―――守りたい、人だったのに」
 視線は床に落としたまま、会話はただ進んでいく。かちんと音がした。
「いつも俺を心配してくれて、大切に思ってくれて、俺にとってかけがえのない人だった…っ」
 吐き出された痛みを伴う声に綱吉は悲しげな色を目に浮かべる。修矢は一拍置いて、今にも泣きそうな顔で言葉を吐き出し続ける。
「もしおふくろっていうものがあるならば、きっとこんな風にあったかい人なんだなって思ってた」
「え、お母さんは――――…」
「生きてるよ。実家の方に帰ってもらった。此処にいてもあの人の居場所はないし、何もいいことはない」
 そう、と綱吉はほっと胸をなでおろした。修矢は話し過ぎたな、と括ってまた口を閉ざした。
 このままこのランプが永遠に灯され続けるようなそんな錯覚にとらわれる。姉は一生ここから出られずに、幾度も死に続ける。姉がこの部屋に入ってランプがともされてから一体どれほどの時間がたったのか分からない。ただ無情に消されることのない明かりだけが廊下に色を示していた。
 病院の自動ドアが開いて哲が戻ってくる。
「申し訳ありませんでした」
「いいよ」
 哲、と修矢がそう言い終わったちょうどその直後、赤いランプがぱちりと消える。跳ねあがるようにして修矢は立ち上がり、扉が開くのを見開いた瞳で映し出す。鼓動が異様に早く聞こえる。がらがらとゆっくりと運び出される姉。姉貴、と修矢はそれを追いかけかけたが、哲にその手を掴まれる。今は担当医の話を聞く方が先だと哲は無言でそう示していた。修矢は足を止めて、手術を行った医者の話を聞く。一言一句がひどく重たく暗く、修矢の胸にずしりと重石のように沈みこむ。
「出来うる限りの措置は施しました。ただ、出血がひどすぎて―――…今夜が山ですな」
「…助かるんですか」
「彼女次第です」
「…助けて、ください…っ」
 俯いてきつくこぶしを握りしめている修矢の肩に哲はそっと手を乗せた。姉貴、と呟いた悲痛な声に哲はやはり何も言うことができなかった。

 

「ボス!大変よぉ!」
 ばたん、と開かれた扉にXANXUSはゲームをしていた手を止める。スクアーロは蹴られて床に突っ伏していた。ルッスーリアの慌てようはただ事ではない。なんだ、とXANXUSは尋ねた。
「今、電話があったの!」
「…だからどうした」
 嫌な予感がする、とXANXUSはそれに胸騒ぎを覚えながら、ルッスーリアの言葉の続きを待つ。そしてルッスーリアはXANXUSの質問に答えを返した。想定外、否、聞きたくない答えだった。
「東眞が意識不明の重体なのよ!」
 その返事にXANXUSは眉間の皺を寄せた。スクアーロは冗談だろぉ!と驚きで目を丸くしている。XANXUSは、がつ、と机の上に載せていた足で絨毯を踏む。椅子にかけておいたコートをその手で持ち上げた。黒のコートをざらりと肩に羽織り、一歩踏み出してルッスーリアの隣を過ぎる。ボス?と間の抜けた声が追って来ている。
「発つ」
「う゛お゛お゛ぉ゛おい、ボス!俺も行くぜぇ!」
 後ろをついて来るスクアーロに目もくれずにXANXUSはがつがつと靴を鳴らして廊下を歩く。ルッスーリアもそれに着いて来ていたが、連絡のためにXANXUSは残れと告げた。マーモン、ベルフェゴール、レヴィは全て現在任務に出ている。ルッスーリアは心配そうにしていたが、スクアーロに後で電話で知らせてね、と告げてその場に残った。
 スクアーロは喧しい声でXANXUSに話しかける。
「一体何があったんだぁ?」
「知るか」
ただ重要なのは。
XANXUSは扉を開けた。