10:譲れないこと - 2/5

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 ごき、と首を鳴らして修矢は息を吐き出す。
 やはり思っていたよりも低く見られている。それは年齢のことが一番幅を利かせているに違いない。仕方がないこととはいえ、あまり嬉しい状況ではないなと修矢はひとりごちた。そんなことを思いながら修矢は哲に話しかけた。
「ま、うまく事が進んでよかったな」
 如何しても通しておきたいことが通せたので問題はない。確かに自分が組長として相手に認識させることも重要ではあるが、本質はこのシマの平穏を保つ事だ。
 哲はええ、と頷いた。
「薬に溺れて暴れる人間は一番厄介ですからね」
「ったく、この界隈でやりたい放題しやがって。しかしあっさりと認めたな、向こう方も」
 修矢の言葉に哲が車を車庫に入れながら、それはそうですと笑う。ライトに照らされて車の影が地面に映し出された。
「桧の薬に関する厳しさは折り紙つきですから。着きましたよ、坊ちゃん」
 哲はシートベルトを外して車を下りると、助手席側の扉を開く。修矢もベルトを外し車の柔らかい床からコンクリートの固い地面に足を落とした。
「いらない抗争は好きじゃないしな」
 ぽつりと呟いたその言葉に哲は目を穏やかにさせる。修矢は地面に接している自分の二つの足に目を落としながら続けた。
「薬物中毒者の始末であれこれ言われたくない。先手は打っておくのが定石だ」
「乗じてシマの取り合いになるのは自分も御免です」
「俺もだ。先代から継がれているこのシマの安全が守れればそれが一番だからな」
 そして哲、と修矢が呼びかけようとした時に声がかかる。そちらを見れば、家に置いていた舎弟が二人お勤めお疲れ様です!と頭を下げていた。修矢はそれにああ、と声をかけてそっちも御苦労と声をかける。そして何もなかったかを確認した。
「へい。何もありませんでした。あ、いえ今組長の御学友がいらしてますぜ」
「学友?」
 誰とも会う約束はしていないので、修矢は怪訝そうに顔を顰める。吉佐はへいともう一度返事をしてさらに続けた。
「ツンツン頭のこれくらいの背の奴でさぁ。お嬢が相手してらっしゃいます」
 修矢は頷いて哲に振り返る。
「…分かった、すぐに向かう。哲、薬やってる奴押えたところ、地図に描きだしといてくれるか。そいつ帰したら、明日からの分担決めようぜ」
「分かりました」
 了承を聞いて修矢は少し小走りになって玄関をあがり、客間に向かう。はたはたと歩幅が広がり、先へ先へと急ぐ。そして襖に手をかけた。が、止まった。
「不愉快です」
 何だ、と思い襖を開けるのを躊躇った。それから一二拍の間を置いて、完全にうろたえている声が続ける。でも、とその先は言わなくとも何が言いたいのかは十分に理解した。この声の持ち主を修矢は当然知っている。すっと襖を開けた。

 

 でも、と続けられた声に東眞は動じることなく、背筋を伸ばしてしんと相手を見つめる。言語という手段をもってしても越えられない壁がそこには存在した。しかし襖の開く音に緊迫感が一瞬溶け、そちらに視線が集中した。襖を開けた存在の名前を東眞は呼ぶ。
「修矢…いつ、帰ったの」
「ついさっき」
「お勤め、御苦労さま」
「うん」
 平常な会話の中で綱吉はふっと置いてけぼりを喰らう。しかし修矢はその呆然自失としている綱吉に視線を向け、そこに組み込んだ。そして告げた。
「あんたさ、誰か可哀想な奴をつくってないと気が済まないのか」
 その言葉に綱吉の思考が停止する。
「ち、違う!俺はただ!」
 はっと我を取り戻して口から飛び出した言葉で説明をしようとするものの、考えがうまく言葉にまとまっていない。修矢は違わないよ、と続けた。
「人を殺す俺が気の毒だって言いたいんだろ」
「だって君は普通の中学生じゃないか!」
 その叫びに修矢は如何にも嫌そうに顔を顰めた。そのまま舌の位置と唇を動かして言葉をつくっていく。
「普通の中学生は組長やらない」
「それでも人を殺すのはいけないことだ!誰かを殺して憎まれて、憎んで…そんな悲しいことないよ!」
「だからさ、」
 修矢は溜息交じりに続けた。
「あんたと俺の道は交差しないって言っただろ、この間。俺は俺の意思で人を殺す。何故殺すかと聞かれたら、このシマでの決まりだからだ」
 それに言葉を返そうとした綱吉のそれを修矢はさらに言葉を繋げて押える。
「俺にとって掟は守るためにある。壊すためにあるんじゃない。そして俺はその掟が正しいと思ってる。それに何事にもリスクは付き物だ。そのリスクが俺たちにとっての掟だ。それがなくても遵守されるのが一番だが、時々それを破る奴も出てくる。そのために、掟がある。身近に言えば死刑制度と同じだ。無くても守られるが、決まりを破ったら絞首台に上ることになる」
「でも君は裁判官じゃない。誰かを裁く権利なんて、持ってない!」
 まったくの正論に修矢は小さく笑った。
「裁くのは俺じゃない――――掟だ。俺は絞首台に上った人間の足元の板を引っ張る役目だ。あんたはその役職の人間を気の毒だというのか。他は知らないが少なくとも俺はこの仕事に俺の信念を持ってやっている。だから誰にも俺に同情する権利なんてないし、憐れまれたくもない」
 そしてと続けた。
「前にも言ったが、俺は俺が大切に思ってる人たちがそれを理解さえしてくれればそれでいい。そしてあんたは俺の大切な人でも何でもない。ただの同じ学校に通っている同じ学年のたまたま屋上であっただけの、それだけの間柄だ。山本やあんた、それにもう一人の奴がどう思ってるかなんて知らないし、興味もない。だから」
 修矢はすっと綱吉に冷たい視線を向けた。

「俺を憐れむな。虫唾が走る」

 だからこの話は終わりだ、と修矢は区切った。東眞は静かに再度綱吉に告げた。
「お帰り、願えますか」
 かけられた声に、俯いた綱吉は小さく頷く以外の答えはなかった。

 

 突然切られた電話を耳から離して、その通話の切れた画面を見やる。
 切りやがった、と今更ながらにふつりと怒りがわく。訪ねてきやがったカスの面を殴り飛ばしたい衝動にかられた。ちっと舌打ちして携帯を机の上に放り投げる。手元にあるグラスに入ったウィスキーをぐいと一口で飲みほした。
 丁度その時、入るぜぇ、という声とともに能天気そうな顔をしたスクアーロが入ってきた。XANXUSはもうその存在自体が気に喰わないといわんばかりに、空になったグラスを投げつける。しかしスクアーロも驚きの超反応を示し、そのグラスをさっとかわしてにやにやと笑う。だがその直後に飛んできた携帯は予想外だったようで、眉間に直撃した。ぐぁ、とうめいた後落ちてくる携帯をぱしりと取ってスクアーロはいつものようにがなりたてる。
「う゛お゛お゛ぉおい!てめぇ何しやがんだ!」
 むすっとむすくれたXANXUSはそれに返事もしはしない。椅子に片肘をついてそっぽを不機嫌そうに向いている。スクアーロはその様子をみて、ははぁ、としたり顔で笑った。
「分かったぞぉ。電話が話し中だったんだなぁ?」
 当たらずとも遠からずと言ったところだが、現在の言葉は苛立ちの種にしかならない。図星を指されると人間誰しも怒りたくなるものである。ぎんっと鋭く睨みつけられたが、慣れたものとスクアーロはその笑みを崩さない。
「まぁいいぞぉ。そんなボスのために朗報だぁ」
「…何だ」
 朗報、という言葉にXANXUSはきっと椅子を回す。スクアーロはにっと笑って一枚の紙を取り出す。それはチケット。嬉しげにスクアーロは笑って、ぱんっとそれを叩いた。
「飛行機のチケットだぜぇ。待ち遠しくてならねぇんだよなぁ、ボスさんよぉ?」
「…」
 一々癇に障る喋り方に朗報、と呼べるべきもの(かどうかは甚だ不明だが)が台無しになった。
 XANXUSの眉間に一本皺が増え、顔の筋肉が僅かに引き攣った。しかしスクアーロがそれに気付くことはなく、ぺらぺらと話し続ける。
「サンタのプレゼント心待ちにしてる餓鬼みてぇじゃねぇか!可愛いもんだなぁ…ぶふっ」
 自分で言って自分で受けていれば世話はない。こつり、とXANXUSの指が机を叩いた。
「なら差し詰めこの朗報を持ってきた俺はてめぇのサンタってところかぁ!」
 そしてスクアーロは腹を抱えて笑いだす。もともと堪え性がない、堪忍袋などあってないのと同義のXANXUSはすぐに行動を起こした。かちん、と銃の引き金を引く。それにスクアーロの笑いがぴたりと止まる。
 幸い放たれたのは憤怒の炎ではなく、普通の銃弾だった。一房落ちた髪にスクアーロは視線だけで背後を見やる。
扉に銃弾が埋め込まれていた。
「…う゛ぉ
 おい、と言おうとした続きはあっさりと潰される。
「死ね」
「ま、待てぇえええええええ!!!」
 だんだんだんと容赦なく降り掛かる激しい銃弾の雨からスクアーロはどうにこうにか逃げ出した。口は災いのもと、という諺は残念なことにいつまでたってもスクアーロの頭に蓄積されなかった。