09 :Sei unica. Sei unico. - 6/6

6

 東眞はバツ印が一つ二つと増えていくカレンダーを眺めながら、嬉しい反面悲しいと思う。きゅっと一つ増えて、マジックのキャップをした。乾燥防止をされたマジックをポケットに入れる。
 まだ修矢にははっきりと言っていない。言う機会を逃している、といよりも言おうとすると修矢の方が話を逸らす。聞きたくない、耳にいれたくないとはっきりと態度に表れている。このままではいけないことは分かるのだが、話を切り出そうとした時の修矢の顔が思い浮かばれて溜息をつくしかない。
『俺を―――――、支えて。一人にしないでくれ』
 あの伸ばされた手を放しても良いものだろうかと、不安が付きまとっている。
 自分は確かにXANXUSのもとへと行きたい。彼が自分を必要とし、自分もまた彼を必要としている。そしてなによりも彼が、XANXUSが好きだ。彼は確かに自分本位で我儘で傲慢だ。けれども常に誠実な人間だ。来いと彼が言ったのであれば自分ははいと返事をしたい。いや、するだろう。
 だからこそこの問題は片付けておかなければならない。そもそも先延ばしにし過ぎていた感も否めない。修矢には祝福して欲しい。自分の唯一人の義弟であればこそ、そう強く思う。
 ああ、と溜息をついた東眞の背中に声がかかった。
「お嬢様、出かけます」
「あ、はい」
 からりと襖を開けて東眞は哲の横に立ち、玄関に向かう。そこにはスーツを着込み、刀の入った袋を携えた修矢が立っていた。先程まで考えていたこともあり、東眞は少しだけ声をかけるのを躊躇う。
「…会合、だっけ」
「うん、相手の方にもいい加減顔見せしとかないとな。それと、最近ちょっと治安が悪くなってる。隣のシマからうちのシマに入ってきてるようだから、それについても言及しとく」
 こつ、と修矢は皮靴を鳴らした。哲も玄関から降りて靴を履き、そしてふっと振り返る。
「お嬢様、今夜は念のために二人ほど残しておきます。心配はいらないと思いますが」
「大丈夫ですよ、一人でも」
「そうはいっても、女性の一人寝は危険です。吉佐と太一は置いておきますので」
「姉貴。気をつけてくれよ――――――俺は、遠くにいると姉貴を守れない」
 どこか苦しげな表情で言われて東眞はすっと目を細める。そして苦笑をこぼして修矢の頭をくしゃりと撫でた。
「修矢も気をつけて」
「――――うん。哲もいるし心配いらない」
 あまりにも嬉しそうに笑うものだから、東眞はやはり困ったように笑う。哲はその二人を視界でとらえて、そっと目を伏せた。東眞はいってらっしゃいと手を振って二人を見送る。
 二つ分の足音が外に消えて、東眞はさてと部屋の中に足を向けた。残されている二人に挨拶をして、それから自分の部屋に戻る。襖を引いて、そして閉じる。一人しかいないその部屋にはやはり一人分の音しかしない。
 東眞は本棚に立てかけてあるアルバムを取って、それをめくった。XANXUSが訪れた時に一度開いたことがある。一番最後のページには一枚だけ、驚いたXANXUSの写真が貼られてある。その前のページは全て修矢と自分、偶に哲が入っている程度だった。節分初詣年越し、クリスマス、夏祭り、色々な思い出がそこに映し出されている。そこに映っている二人はいつも笑っていた。姉貴と呼び慕ってくる小さな手をいつも握り返してきた。だが次からはその手は大きな手に変わる。大きくて広くて、そして暖かく優しい。それは一番最後の写真の彼の手だ。
 アルバムを眺めながら、東眞は思い出に想いを馳せる。今でも鮮明に思い出せる辺り、そう昔のことではないのではないだろうか。本家に引き取られたのは高校生のころ。丁度今の修矢と同い年の時だ。そして修矢は小学生。あれから六年も経ったという事実に気付いて、くすりと笑みをこぼす。
「六年、か」
 年をとれば時が経つのが早く感じられるというがまさにその通りかもしれない。小さく笑っていると、携帯電話が振動しているのに気付いた。誰からだろうかと思い、それを取って耳に添える。無言の一時。ああ、と納得して東眞はいつものように話しかける。
「こんばんは、XANXUSさん」
 あの事件以来、三日に一度は電話がかかってくるようになった。それを嬉しく思いながら、東眞は柔らかく微笑む。  少しずつ、だが返答の語彙も増えてきている。殆ど一方的だった電話にやりとりというものが発生した。
「元気ですか?」
 一番初めの決まり文句、その後に来る返事もいつも同じ。
『ああ』
「卒業式まで後、二週間と少しです」
 電話の向こうの声が少し笑った。
『待ち遠しいか』
 きっと電話の向こう、イタリアの彼の執務室、椅子の上でウィスキーを片手に笑っているのだろうかと東眞は想像する。そして、はい、と答えた。優しげな眼が、一瞬見えたような気がした。しかし東眞はその後に、一拍置いた。視線はアルバムに向けられている。すると電話から声が届く。どうした、と。
「いいえ――――…大したことではないです」
『あの餓鬼のことか』
「…まるでエスパーですね。どうして分かるんですか」
 苦笑をこぼしてそう言った東眞にXANXUSは、からりとグラスを鳴らした。
『てめぇが悩むなんざそれしかねぇ』
「まだ、話せてないんです」
『だが連れて行くぞ』
「それは」
 分かっています、と答える。指先が笑っている写真の上をなぞって止まる。別に、とそして東眞は続けた。
「別れを言うのが嫌というわけではないんです。遅かれ早かれ私は修矢の元から去ることになる。ただそれが―――――――二週間と少し後なだけで」
 その話をしようとすれば、さっと視線を背け話を切り換えられる。声のトーンが僅かに落ちた。
「…甘いんでしょうか」
『甘ぇ。とっとと片付けろ』
 後悔をしたくなければ、と暗にそう言っていた。東眞はええ、とそれに返事をする。分かってはいるが、それは難しい。少し黙っていると、電話向こうからごつりと何かを置いた音が響いた。
『ケツでもひっぱたいて分からせろ、いつまでもてめぇの姉じゃねぇってな』
 は、と短く息が吐き出される。東眞はそうですね、と小さく答えた。
「そういえ
 ば、と言いかけた時にチャイムの音がピンポーンと廊下に響いた。二人のうちどちらかが出るのだろうが、その際それが一般人だとすれば、それなりに恐怖を味わうことになる。
 東眞は慌ててXANXUSに告げる。
「すみません、ちょっとお客様がいらしたみたいで…失礼します」
『おい』
「今行きます!」
 携帯の通話を切って東眞は襖を開けた。案の定二人分の言いがかり満載な視線を受けて震えている人がいた。ぱたぱたとスリッパの音を鳴らしながら東眞は二人に声をかける。
「吉佐さん、太一さん、どなたですか」
「お嬢、こいつ
 なんですがね、と指差した先にはツンツン頭で気の弱そうな少年が一人鞄を抱えて立っていた。制服を纏っている姿からそれは十分に並盛中の生徒だと分かるが、それ以前に東眞はああ、と声を上げた。先日修矢にノートとプリントを届けに来てくれた、弟の友達。
「沢田さん」
「あの」
 少年の瞳がすっと上がって、おずおずとした調子、けれどもはっきりとした意思を持ったそれが東眞を見つめる。
「その、桧君の、ことで…話が――――――あって、来たんです…けど」
 その名前に東眞は一瞬言葉を詰まらせた。