09 :Sei unica. Sei unico. - 2/6

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「ボス、入るぞぉ」
 返事がないのはもういつものことなので、一言だけ断りを入れてスクアーロは部屋にはいる。電気の一つもついていない薄暗い部屋。どうにも景気が悪い。気分が落ち込む。さらに部屋中に咽返っている酒の臭い。思わず顔を顰めてしまうほどだ。
 スクアーロは溜息をついて電気を入れる。ぱちっと灯りがついて、椅子に凭れかかるようにして座っているXANXUSが明るみに出てくる。机の上には酒。椅子の下にも酒。そして手にはグラスに入った氷とウィスキー。いくらなんでも飲み過ぎである。
 がっとスクアーロは足音を立ててXANXUSに近づく。しかしそれはたった一言で動きを止める。
「任務はねぇ。出て行け」
「…俺は用があるんだぁ。まずは俺の話…っ」
 ひょん、と飛んだ中身が全部入っている酒瓶を青い顔をしてスクアーロは紙一重でよけた。流石にあれが当たると昏倒だけでは済まないかもしれない。
「俺の声が聞こえなかったのか。このカスが」
「…聞こえてたぞぉ。俺の耳はまだ遠くねぇからなぁ」
 此処で引いてはならぬとスクアーロはさらに一歩踏み出した。
 XANXUSの肌を震わす威圧感と殺気がそのまま直接当てられる。戦場ならば心地よいものであろうが、ここ執務室ではあまり好ましいものではない。ぎらぎらと触れれば一瞬で灰になりそうな熱さをもった視線に耐えながら、スクアーロはようやっと足を止めた。XANXUSが立ち上がれば間違いなく、殺されるであろう距離。そしてスクアーロは地雷ともいえる一言をゆっくりと口にした。
「――――――…東眞のことだぁ」
 ぴくり、と指先が僅かに動いたのをスクアーロは見てとる。XANXUSは視線を背けてちっと吐き捨てた。
「胸糞悪ぃ。その名前を口にするんじゃねぇ」
「一つ、確認したいことがある」
「確認することなんざねぇ」
 その話は終わりだと言わんばかりに、XANXUSは目を閉じた。これ以上話を続ければ普段の暴力ではすまないことは目に見えているのだが、スクアーロは続けた。
「…最後に、東眞に連絡を取ったのはいつだぁ?」
「黙れ。燃やすぞ」
「いいや、黙らねぇ。ボス、てめぇは最後の連絡をいついれた」
 手に灯された炎にスクアーロはぐっと息をのみながらそれでも追求した。XANXUSはちらとそちらに視線をやってすぐに元に戻す。そして、静かに答えた。
「三四週間前だ」
 その言葉にスクアーロは目を見開く。そして、ポケットからくしゃくしゃになった紙をXANXUSの机の上に置いた。
「こいつを見てくれぇ。電話会社に忍びこんで手に入れた携帯の発信履歴だぁ」
 無断で悪いなぁと取敢えずの謝罪をしてスクアーロはその履歴をなぞっていく。そしてもう一枚、ミミズがのたくったような字の紙を隣に置いて、日付の部分で指を止めた。それは確実に二週間程前を指している。
「――――――電話したのは、三四週間前だろぉ。何で、ここに東眞への発信があるんだぁ」
「…」
 XANXUSが初めて酒を飲む手を止めた。それを見て、スクアーロはよしっと心の中でガッツポーズをとる。そしてさらに続けた。
「サンドラ・ブラッキアリ。ボス、あいつはどこにいる?あいつに聞きてぇことがある」
 その質問にXANXUSは視線をまっすぐにしたまま平坦に答えた。
「殺した。用済みだったからな」
「…」
 それでは話を聞くこともできない。死人に口なしとは全くもって笑えないジョークだ。
 折角積み立ててきた論理が最後の一手で行き詰った。思わず小さく溜息を吐く。しかし、と思い直してスクアーロはウィスキーの入ったグラスを飲まずに揺らしているXANXUSに目を向けた。そして告げる。
「俺にできるお膳立てはここまでだぁ。後は―――――てめぇ次第だぞぉ」
 にっと笑って、スクアーロは踵をかえして部屋を出た。ANXUSは一人になった電気の光だけが妙に明るいその部屋で、ウィスキーが氷を溶かす様子をじっと見ていた。

 

 さて、と東眞は携帯を机の上に置いて、正座をする。一回二回三回と深呼吸をし、ゆっくりと携帯に手を伸ばした。触れた携帯は落ち着いていて、機械の冷たさがある。これが今まで彼と自分を繋いでいたものだと思うと少しばかり滑稽な感じもしないではない。
 人は自分の思いを伝える時に様々な手段を取る。表情、声、文字、言葉、トーン、目。黙っていて伝わることは、余程の仲ではない限りあり得ない。だからこそ人はそれらを使う。理解しようと努め、伝えようと努力する。相手に背中を向け黙りこくったままでは何も変わりはしない。
 手の中の重みをしっかりと感じながら、携帯を開く。ぱっと画面が表示されて、デジタルの時計が右上でこちこちと秒を正確に刻んでいる。膝の上に手を置き、もう一度深呼吸した。偉そうなことは言ったけれども実際の話そういう行為にはどうにも勇気がいる。有言実行。素敵な言葉だが、言うは易し行うは難しである。
 落ちてきた髪を耳にかけ直し、瞳を閉じて心を落ち着ける。心臓がどきどくと早鐘のように鳴っているのを耳が感知している。たった一本の電話に何を此処まで緊張しているのかと人は言うだろうが、そんなものだ。
 立ち止まって振り返って前を向いて踏み出す。それだけの行為だというのに山ほどの勇気がいる。好きな相手に酷い言葉を投げつけられれば悲しいし、嫌いだと言われれば辛い。そんなのは普通だ。けれどもそうやって想像ばかり膨らませて、それに怯えていても仕方がない。
 心臓の音が次第に静かになっていくのを全身で感じながら、東眞はそっと目を開けた。ゆっくりと、慎重にボタンを操作して名前を押す。メールか電話か。電話番号の上がちかちかと光っている。
「…」
 決定ボタンの上で指が止まる。一度、画面が省電力のために暗くなる。
こくりと唾を飲み込んだ。
 さぁ。
 しとりと手に嫌な汗が浮かんだ。きゅっと唇を噛んで東眞は指に力を加えた。
 どくどくどくどくどくどくと血が流れて行く。画面には電話のマークが震えている。そっとその携帯を耳に押し当てる。無機質なコール音が響いて響いてもう一度響いて。まるでそれは一瞬のようで一生のような時間だった。ぷつり、とコール音が切れた。東眞はすっと口を開ける。喉がからからで、わずかに引き攣った。
「あ」
『ツーツーツーツー』
ただ流れて行く機械的な話し中音に東眞はすとんと手を落とした。そして、はぁとがっくりと肩を落とす。
 一世一代の決心が水の泡に帰したような気がした。(実際に帰したわけだが)そうか話し中かとぷちりと電話を切る。何故だか力が抜けてしまった。
「…後で…明日、かけ直そうかな…」
 たった一回の電話だというのに、色々と疲れてしまったと東眞はこつんと机に凭れかかった。深く長く息を吐いて、もう一度溜息をついた。

 ぷつん、とXANXUSは携帯を切る。流れていた音がそれで途絶える。
「…誰と話してやがる」
 頬杖をついて不機嫌そうに言ったその机の上には酒ではなく、一杯の水が置かれていた。