08:理解不能行動不能再起不能? - 2/4

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「坊ちゃん、どちらへ?」
 どう考えても学校に行くようには見えない修矢に哲は尋ねた。修矢はシューズを履きながら、それに答える。
「姉貴の大学。昨日合コンだって言ってろ、多分そこで何かあったに違いないんだ」
 紐を締め直して修矢は立ち上がる。そしてくるりと振り返って哲をまっすぐに見つめる。
「姉貴のこと、頼んだぞ」
「はい。坊ちゃん」
 続きを言いたそうだったので、修矢は何だと聞き返す。哲は平坦な、しかし鋭い瞳をもって修矢に尋ねた。
「自分は一度この質問をしましたが―――――もう一度、聞きます」
「…」
「お嬢様にそこまで心を割かれる理由は何ですか。自分は坊ちゃんが幼いころから仕えて参りました。お嬢様は確かにお優しい。どのような状況でも自分というものを忘れない強さをお持ちです、それこそ」
 坊ちゃんが手を差し伸べる必要すらない程に、と続けかけたのを修矢は首を振って止めた。そして哲の相貌を見据えて、静かに返した。その口元には小さな笑みが浮かんでいる。
「でもさ、好きな人が泣いてたり哀しんでたりしたら――――俺はやっぱり助けられるならば助けたいって思う。俺は姉貴が俺に笑顔をくれたように、姉貴には笑顔でいて欲しい。心の底から幸せだって思ってほしい。二度と」
きゅっと修矢は拳を握りしめて、己の手を見つめた。

「二度と俺は自分にとって大切な人を失いたくない」

 修矢の言葉に哲は言葉を差し入れる。
「それは、先代のことをおっしゃっておられるのですか」
 ぴくりと僅かに修矢の表情が動いた。そして一度目を伏せて、地面を見やる。
「もしもと考える時がある」
「…」
「親父が俺を俺として見てくれていれば、俺は親父を手にかけなかったのかって。でも、違う。どっちにしても俺は手を下した。間違った方向に進んだならば、俺はどんな状況でも手を下す。それが子として、次代として育てられた俺が親父にしてやれたことだ。それは手向けだ」
 でもそうだな、と修矢は儚く微笑んだ。
「あんな親父でも――――俺にとっては、かけがえのない男だったよ」
 哲は修矢の言葉に黙って耳を傾ける。
「話がそれたな、哲。二度目になるけど同じ事だ。姉貴は俺に気付かせてくれた。俺が今までずっと目を逸らしてきたこと、目を背けてきたこと。心を閉ざしてきたこと。姉貴が教えてくれた。俺は俺が思っていたよりもずっと他の人に思われてたってこと。哲、お前も同じだ」
 修矢は背中を向けて玄関の戸に手をかける。
「俺はずっとお前も親父と同じだって思ってた。こいつも俺を次期組長としか見てない、出世の足がかりだってな」
「自分は…」
「うん、分かってる。お前は、初めっから俺を見ててくれてたんだ。それも俺は姉貴に会うまでずっと気付けなかった。だから姉貴は俺の世界だし、姉貴は俺にとって一番大切な人だ」
 なぁ哲、と続けられて哲ははいと返事をする。
「今度お前自身の話してくれよ。俺さ、考えてみりゃ哲のことよく知らないんだ。お前が俺のこと知ってて、俺がお前のこと知らないなんて不公平だろ?」
「…では、この問題を片付けてからお話しますよ。お嬢様にも是非聞いて頂きましょう」
 三人で机を囲って、と優しく微笑んだ哲に修矢はおうと返して扉を引いて外に出た。

 

「君たち、気が早いんじゃないかい」
 マーモンはソファの上に乗って部屋の光景をじぃと眺める。
 机の上に並べられた豪華な食事にケーキ、それにジュースに酒。部屋の壁にはパーティーかと思わせる(実際にパーティーなのだろうが)紙飾りで装飾されている。白いテーブルクロス。黒を基調とした隊服が揃っている重苦しい雰囲気にはどうにも似合っていない。レヴィまでそれにいそいそと参加している様子が少々痛々しい。尤もレヴィの場合は東眞云々ではなく、ただたんにXANXUSが帰って来るからということなのだろうが。
 一人白けているマーモンの首にルッスーリアが花をかける。
「もーぅ、そんなこと言わないのよ!ボスが日本に行く理由なんてそれしかないじゃない!」
「ま、間違ってはいないと思うけどね。でもそれでボスが彼女を連れて帰る理由にはならないよ」
「う゛お゛おぉ゛い!マーモン!てめぇ湿気たこと言ってんじゃねぇよ!」
 がなりたてたスクアーロにマーモンは理解できないと言った様子で返答する。
「スクアーロ、君は随分と彼女を評価してるみたいだけど」
「そりゃ、あいつがあのボスに媚びねぇからだぁ。始めは相応しくねぇって思ってたが、今ではそうでもねぇぜぇ?あいつならいいんじゃねぇかぁ」
「それに朝ボスを起こしに行かなくてもいーって意味だろ?ばーか」
「あ゛ぁ゛!んだとぉ!」
 ベルフェゴールの茶々に丁寧に反応してスクアーロはその部屋でベルフェゴールを追いかけまわす。勿論ベルフェゴールもひょいひょいと攻撃を避けながらからかうが。そんな二人に溜息をついてマーモンはルッスーリアに視線を戻した。
「君も同じ意見なのかい、ルッスーリア」
 その質問にルッスーリアは飾り付けを加えながら、そうねぇと頷いた。
「私はボスがそう決めたんなら何も言わないわよ。それに東眞もいい子だし」
「へぇ。何と言うか、暗殺部隊幹部の台詞じゃないみたいだね」
 マーモンの揶揄にルッスーリアは楽しげに笑って、そして椅子から飛び降りた。そして、その口元にそっと優しい笑みを添えた。
「なぁに言ってるの、マーモン」
 心地よい返事にマーモンは次の言葉を待つ。ルッスーリアは小さく肩をすくめてまた笑った。
「私たちは根っからの人殺しじゃないの」
 場にそぐわない言葉だったが、十分に人物にはそっている。
「そこに東眞っていう女の子が入ってくるだけの話よ?それくらいで私たちの本質は変わらないわ」
「君からそういう言葉が聞けるなんてね」
 あくまでも中立的なマーモンの言葉にルッスーリアはサングラスの奥で瞳を笑わせた。そして窓の外をちらりと眺めて、手を大きく振る。
「あら、ボスが帰って来たみたいよ。皆、準備はいーい!?」
「お゛お゛い!!準備は万端だぁ!おら、電気消すぞぉ!!」
 スクアーロの掛声に一同は手にクラッカーを持って扉の前に立ち、紐を握る。ごつごつと近づいて来る足音。わくわくとしながら、扉が内側に押し開かれるのを待つ。そして、扉が開かれた瞬間、一斉にクラッカー音が鳴り響く。紙吹雪が散り、扉を押し開けた人物にひらひらとかかった。
 しかし、スクアーロ以外の人間はあることに気付く。
「う゛お゛おぉい!ボス!!嫁は連れて帰ってこれたのかぁ!」
 そう言ってスクアーロは静かなXANXUSに歩み寄ってポンと肩を叩く。それに気付かないまま。
「何だぁ?コートの下にでも隠してやがんのかぁ?」
 にやにやと笑いながら空気が全く読めない状態でスクアーロは続けていく。後ろのルッスーリアはあわあわと止めようと試みているが、どうやら言葉が見つからないらしい。
「それともあれかぁ。自分の女を部下にすら見せたくねぇってかぁ?流石だなぁ、ボスさんよ―――――――――――…っごぉふ!」
 顔面が殴られてスクアーロはたたらを踏み後ろに下がる。何が起きたのか分からず、スクアーロはぱちりと目を瞬いた。何しやがる、という言葉は静かな言葉に消された。

「何のつもりだ」

 ずん、と腹に直接響くような、肌を泡立たせるほどの恐怖を全身に与える声が部屋を支配する。スクアーロはわけも分からずそれに返答する。
「何って、てめぇと東眞が帰って来た祝い――――――っう!な、い、痛ぇ!はな、がっふ!」
 頭を頭蓋を砕かんばかりの勢いで鷲掴まれ、スクアーロは痛みの声を上げながら無理矢理机の前に連れてこられそのままケーキに頭を突っ込まれる。ルッスーリア会心の作は見事なまでに破壊された。その様子にやっべーとベルフェゴールは冷や汗を流す。
 XANXUSは白いテーブルクロスに手をかけて一気にそれを引き、テーブルの上のものを床に散らばらせる。グラス、皿、料理、それらが凄まじい音を立てて床に落ちた。
「酒だ」
 椅子に鷹揚に腰掛けてXANXUSは不機嫌極まりないと言った様子で告げた。
「は!」
 レヴィはさっとウィスキーと氷の入ったグラスをXANXUSに差し出す。XANXUSはそのボトルを床に投げつけて、中身を絨毯に吸わせる。その対応にレヴィは今度はテキーラを渡した。だがそれも絨毯の餌になる。きっとXANXUSはレヴィを睨みつけて、ちっと舌打ちする。
「てめぇは酒一つまともに持ってこれねぇのか」
「も、申し訳ありません…っこ、こちらでよろしいでしょうか」
「言われねぇとできねぇクズはいらねぇ。消えろ」
「…は…っ」
 吐き出すように言われてレヴィは項垂れ、今にも死にそうな顔をして一礼をしてその部屋を出た。ANXUSはルッスーリアたちにもきつい視線を向ける。
「何してやがる―――――――――――出て行け」
 出て行かねば殺す、と怒りの満ちた瞳にルッスーリアたちは何があったのか問うことも許されずその部屋を出るしかなかった。スクアーロがXANXUSに向けて何か怒鳴りつけようとしたが、ルッスーリアがその口を押えて退出した。
 ぱたりと扉が閉められる。
 一掃されたテーブル。床に飛散している食事や皿。扉付近に落ちている紙吹雪。ゴミ。
 XANXUSはテキーラをグラスに注いだ。そしてまたそのグラスを机に投げつけて壊す。机の上に零れたテキーラが筋をつくって机の端からぽたりと絨毯の上に落ちる。
『分からないんです…少しも、分からないんです―――…っ押し付けないでください…っ』
 見つめてくる瞳は自分を責めるものだった。どうしてだ、と。優しく温かい色をした瞳ではなかった。自分が悪いとでも言わんばかりに。
 一体どこが悪いのか分からない。
 忙しい合間を縫って電話までしてやった。メールには返事をしてやった。慣れないことで頭を悩ましまでした。なのに一体何が不満だった。分からないはこっちの台詞だ。人が女遊びを止めまでしたのに、想っているのに、どうして伝わらない。待っていると言ったから、だから待っていたのに、この裏切り行為は何だ。俺が、この俺がここまでしてやったのに、あいつがしたことは俺の気持ちを裏切っただけだ。手を振り払い、睨みつけ、拒絶の言葉を吐いた。
 酒瓶を叩きつけてまた壊す。部屋にテキーラとウィスキーの臭いが混ざって胸やけがする。
 しかも追っても来なかった。縋りつくことすらしなかった。待ってという言葉すら言わなかった。だが縋りつけば鬱陶しいと思ったかもしれない。いや、思っただろう。俺を裏切ったのだからみすぼらしい負け姿でも曝せばよかったんだ。そうすれば、その姿を見ながら唾でも吐き捨ててやれた。だが、そうしなかった。こちらにも非があると、睨みつけてきた。だからこそ余計に腹が立つ。気分が悪い。
 俺に非はない。俺は絶対だ。悪いのは、
「…fanculo…っ!」
テーブルを蹴る音が虚しく一人の部屋に響いた。