07:電話の向こう - 5/5

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「ね!東眞ーっ、お願いだからっ。今日だけだって!!」
「…」
「佐知子が風邪で欠席しちゃったんだ。人助けだと思ってっ」
 お願い!と頼む友人に東眞は教科書を整えて、鞄に入れてうんと考える。今日の晩御飯当番は自分ではないし、卒論の提出も済んだ。修矢には連絡を入れておけばいいだろうから、と考えて東眞は頷いた。
「うん、いいよ」
「ありがと!じゃぁ、針谷って飲屋に七時集合。東眞後二つ授業あるんだって?」
「うん。でも七時には間に合うから」
 大丈夫、と手を振った東眞に友人はもう一度手を合わせてその場を去った。東眞はカバンを肩にかけて次の教室へと移動する。移動時間十五分しかないが、教室自体は棟を渡ればいいだけなので存外近い。東眞は時計を見て、学校が終わっていることを確認してから携帯を取り出した。ざわざわと人が行き交う雑踏の中で携帯のコール音が耳にする。数回コールがして電話が取られた。
『姉貴!』
 こちらが名前を言う前の毎度の反応に苦笑しながら、東眞はうんと答える。
「今日帰るの遅くなるから、連絡しとこうと思って。後、晩御飯私の分はいらないから」
『…何、誰かと食べに行くの?』
「クラスの友達と飲み会。一人突然欠席しちゃったらしくて」
『それさ、いわゆる合コンって奴だよな。絶対に反対だからな!』
「合コンって大げさな…まぁ、ただの人数合わせだから心配いらないよ。十二時までには帰るから」
『十二時!?駄目!十時!これは譲れないからな!』
「はいはい、じゃぁ十時までに帰るから」
 相変わらずの対応に笑いながら、東眞は教室の戸をくぐって適当な席に座り、教科書などを机の上に出す。まだ五分ほどあるので電話と続けていても問題はない。
 電話の向こうで眉間にしわを寄せているであろう義弟の顔を想像すると笑えてくる。
『男に声かけられても返事するなよ。』
 そんな無茶なと東眞は思いながら、続きを黙って聞く。
『それと酒は飲まないこと。飲んでも三杯まで。』
「…前から聞こうと思ってたんだけど、どうして三杯なの?」
 東眞の問いかけに修矢は口ごもった。そして、何か分からない言葉をもごもごと言って、門限までには帰ってこいよ!と叫び電話を切った。切られてしまった携帯電話の画面を眺めながら東眞は首をかしげて携帯の電源を落す。鞄に入れたと同時に授業が始まった。

 

「ボスを知らないか」
 珍しくレヴィがそう言って焦っている様子だったので、スクアーロはきょとんとしてするめを齧っていたのをやめた。そういえば、この共同広場にルッスーリアもマーモン、ベルフェゴールも、そしてレヴィまでもがいるのにXANXUSがいない。スクアーロは少し待って答えた。
「ボスなら出かけたんじゃねぇのかぁ」
「何!一人で行かせたのか!!ボスを!」
 いきり立ったレヴィを鬱陶しいと思いながら、スクアーロはするめを噛むのを再開する。
「あいつだって子供じゃねぇんだぁ。一人歩きして危ねぇのは相手の方だろうぜぇ」
 もっともな発言にルッスーリアが笑う。しかしレヴィは気に喰わないと言った様子で顔を顰めたままだ。そこにマーモンが口を挟んだ。
「ボスならさっき僕に東眞の場所を聞いて来たよ」
 電話でね、と付け加えてマーモンは柿の実をつまんで食べる。その答えにスクアーロは首をかしげた。
「東眞なら日本じゃねぇかぁ。聞く必要はねぇだろぉ?」
「日本のどこかってことさ」
「それならあれかぁ?辛抱たまらず会いに行ったってことかぁ!随分と血気盛んなガキじゃねぇかぁ!!」
 先程の発言を撤回するような発言をしてスクアーロは笑う。ひぃひぃと笑うだけ笑って、腹を抱える。
「お゛お゛い、ベル!てめぇが作ったカウントダウンも無駄になっちまったなぁ」
「別にこれはボスが東眞を迎えに行くまでのカウントダウンじゃねーし」
「でも卒業式まで待てないなんてボスもせっかちさんねぇ」
「あいつが短気だなんてのは前からだろうがぁ。あーっしかし面白ぇー…っ」
 未だにソファの上で笑っているスクアーロにマーモンが声をかけた。
「なら賭けでもするかい?」
「賭けぇ?」
 ようやく笑いを止めたスクアーロにマーモンはそうさ、と返す。レヴィも気になってきたのか、輪の中にその大きな体を突っ込む。
「ボスが東眞を連れて帰ってくるかどうかさ」
「なら俺は連れて帰ってくるにAランク二倍だぁ」
「アタシも連れて帰るにそれだけ賭けるわ!」
「王子も連れて帰るに」
「お、俺は認めんぞぉ!連れて帰ってくるわけがない!!」
 怒鳴ったレヴィをマーモンはちらりと見つめて、じゃぁと続けた。
「僕も連れて帰らないに賭けようかな。Sランク二倍で」
「へぇ、マーモンがレヴィと一緒なんて珍し―じゃん」
「別にレヴィと一緒ってわけじゃないさ。僕なりの意見だよ」
「ふぅん」
 それに、とマーモンは思い出す。電話越しに聞いた声は静かな怒りを、孕んでいたように感じられた。あれはまごうことなき怒り。まぁとマーモンは柿の実をもうひとつつまんで口に入れた。
「勝ったら君たち大損さ」

 

「カンパーイ!」
 ジョッキが鳴って、わいわいと騒がしい店内に明るい声がまた加わる。
 東眞はオレンジジュースをこくりと飲んだ。それを見た向かい側の男性が東眞に下戸?と尋ねる。その質問に東眞は苦笑していいえ、と答えた。
「お酒飲むと弟が怒るんです」
 肩をすくめて笑うと、隣の友人が肩を組んできた。
「そーなんですよー。この子まじでブラコンで、弟も極度のシスコンなんですって!今日の門限はー?」
「十時」
 はは、と笑った東眞に向かい側の男がつられて笑う。
「十時はねーでしょ」

 ごつん。

「まじなんですよ。この間大学にこの子の弟君が来てたんですけどね?隣に座ってた男子生徒睨みつけてましたもん!そう言うわけでこの子に手を出したら、怖いですよーっ」
 アタシにしときません?と笑う友人にその場がどっとわく。机の上に並べられ行く料理をつまみながら、東眞も笑顔になる。明るい友達楽しい会話。
「あ、俺、勇雅っつーんです」
「東眞です。桧東眞」

 ごつん。

「え!あの教授の授業受けてるんっすか!あの教授偏屈でちょー有名だって話っすよ」
「そうでもないですよ。論理的展開が好きなだけで、いい教授です」
「へー…」
「お、なになに?もう早速?」
「ばーっか、ちげーよ」

 ごつん。

 東眞はメニューを見ながら飲み物をどうしようか決める。大きな手が指差しながら笑う。
「またソフトドリンクっすか?一杯くらいばれませんって」
「勇雅ぁ!酔わせてエロいことするつもりかー!?」
 からかいに男は笑って、冗談!とジョッキを上げる。で、と続けた。
「飲みます?」
「やめときます」
 にっと歯を見せた笑顔に東眞は笑顔で返した。

 ごつん。「いらっしゃいませ!おひとり様でございますか?お客様?あの」

 もう一杯!とコールが起こる。コールの渦に耳を浸しながら、東眞はリンゴジュースを頼んだ。
「っぷはー!」
「よく飲まれますね」
「俺ざるなんっすよ。酒のみならぜってー負けませんよ?」
 零れかけたビールをぐいと袖で拭って男は笑う。

 がつがつがつがつがつがつがつ。ごっつ。

「そーいや弟君は何で駄目って言ってるんすか?前後不覚になるとか?」
「実は一度飲んだことがあるんですけど、三杯目以降の記憶がなくて」
 それ以来駄目だって言われたんですよ、と言った東眞に男はメニューを差し出す。
「それなら、二杯まではOKってことっしょ?飲みましょーよ。東眞さんだけのまねーのって、つまんねーでしょ」
 サワーとか軽い奴ならいけるんじゃないっすか、と男はメニューをなぞっていく。東眞はそれを眺めながら、目を細めた。

 がつ、ごっ―――――――――――――――ごつり。

「あ―――――…と、誰っすか?」
 冷たい赤い瞳が動く。
 指が止まったのに気付き、東眞はふと顔を上げる。そして、男が声を向けた方向に顔を向けて――――――――――――息を呑んだ。
 黒い隊服、赤い瞳、顔の傷。威圧感。それらは全て東眞が知っているものだった。
 静かな怒りが、ただそこを異空間に仕上げた。