07:電話の向こう - 4/5

4

 かち、とボタンを押して最後のメールが届いた日付を見る。二週間前でそれは止まっていた。つまりそれから二週間は一回もメールが届いていないということを示す。一週間おきに必ず来ていたメールが、二回も来ていない。発信履歴は大体三週間程前。
 XANXUSは携帯の通話ボタンの上に手を乗せてちらりと机の端に置かれている時計を見た。グラスに入れてあるウイスキーが氷をカチリと割って音を立てる。
『東眞からメールが来てねぇって本当かぁ?』
 耳障りな声が思い出されて、こつりと机を指先で叩く。
 始めから電話は一度もかかってきたことがない。葉書や手紙のやりとりもしたことはない。唯一の定期的な連絡手段はメールのみだった。それが、途絶えた。何も言わなくても、相手は必ず自分だと分かって声をかけてきた。電話の登録機能からでもそうなのだろうが、それでも分かっていたように思う。二三回のコール音の後数秒待てば、XANXUSさん、と声が返ってくる。

 待っています、と伝えて下さい。

 電子時計の端に記されているカレンダーは後その時まで一か月を示している。
 携帯のフォルダに入っている一枚の写真を呼び出す。XANXUSはその写真を見て、小さく笑った。
「…間抜け面」
 アルバムを見ていた時に突然取った写真がかなり前にメールに添付して送ってきた。眉間に皺がより、フラッシュで僅かに瞳を閉じていた。あの時の笑い声がまだ耳に残っている。
 顔が見たい。声が聞きたい。
 ごくごく一般的すぎるそんな感想があるとは思わなかった。十七八の青臭い餓鬼ではないというのに、笑ってしまう感情だ。そしてXANXUSは通話ボタンを押した。二三回のコール音。三回四回。暫く待って、ようやくコール音が止んだ。いつものように黙っている。
『―――――…はい、どなた…ですか…』
 眠気交じりの声が携帯に届く。暫く黙っていると、ぷつん、と突然電話が切られた。何だと思って携帯の画面を見る。通話時間の時刻だけが機械的に表示されている。リダイヤルを押したが、今度は一回目のコール音で切られた。
 起きているはずなのに、出ない。どういうことだと、ふつりと苛立ちが生じる。待っているんじゃなかったのかと、怒りが指先から頭を支配していく。
『ひょっとしたら男でもできてんのかもしれねぇなぁ!』
 煩わしい声が思考を一本化した。そういうことか、と椅子から立ち上がる。
 怒りで頭が真っ白になり、机の上のものを一掃する。床に散らばり、激しい音を立てた。グラスは割れ、ウイスキーが絨毯に染みを作る。
「ふざけやがって…っ」
 怒りで目の前がちかちかとし、椅子を蹴り飛ばす。すると扉が開かれて光が差し込んだ。
「う゛お゛ぉ゛い!ボスどうしたぁ。ん?どこ行くんだぁ」
 隣を無言で通り過ぎたXANXUSにスクアーロは慌てて声をかける。XANXUSの無言の返答に、ついていくかどうかを尋ねようとしたが、どうにもついて行ったら行ったで殴られるのが落ちなだけがし、スクアーロは気をつけろよぉと言葉を投げた。
 ごっと苛立った足音が消えてスクアーロは部屋の中の惨状を眺めて溜息をついた。何があったのかはわからないが、こういう癇癪はそう珍しいものではない。
 机の下に落ちていた電子時計は滲んだ文字で時刻をちかりと表示していた。そしてスクアーロは部屋を片付けるために人を呼んだ。

 

 手の中での震えを止めた携帯を東眞は短い呼吸を繰り返しながら見つめていた。電源のボタンを押し続けていたため、携帯は終了の画面になりそして真っ暗になった。
 全身が強張って上手く動いていない。時計の針は三時を指している。無言の電話。始めの無言だけ、それだけの始めの数秒間。それで一体誰が電話をかけているのか、寝ぼけ頭でも分かった。
 呼吸を整えて頭を手で押さえれば、額は冷や汗でぬれていた。
 何故、とただ二つの疑問詞がぐるぐると頭を回っている。咄嗟に電話を切ってしまったけれど、一言告げた方が良かったのかもしれないと思いだした。もう電話しなくても構わないんですよ、と。
 握りしめた手が震えてくる。状況の整理が追い付かない。東眞はゆっくり、今度は深く長く細く息を吐きだし、そして吸いこんだ。それを数回繰り返して、気持ちを落ち着ける。
 そして携帯の電源を入れ直した。数秒待ってみたが、電話がかかってくる気配はない。しかし、着信履歴を見れば、確かにそこにはXANXUSからの着信が二度あった。
 一体どのような用件でかけてきたのだろうかと、考えてみる。思い当たる節があるとすれば、ルッスーリアたちに最近返信をしていないため。また迷惑をかけてしまったのかと思うと、視線が手元に落ちる。そろそろルッスーリアにでも、今回の件をまとめたメールを一通送っておくべきだと東眞は思い直した。
 辛い辛いと言って可哀想な女の子のふりをしたままではいけない。もう立ち止まって涙を流す時期は終わった。そうすれば彼に迷惑をかけることもなくなる。もし自分からの連絡でXANXUSに不快感を与えるのであれば、ルッスーリアたちとの連絡も断とうと考える。縋りついて、へばりついて、何かをずっと引きずっているのは、引きずられるのは嫌だ。
 ごくりと唾を飲んで、東眞は携帯の画面を眺める。そして、携帯をポチポチといじり時計を見てから東眞はまた布団にもぐりこんだ。
 着信履歴の一切は消えていた。