07:電話の向こう - 2/5

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 机の端に置いてある電話が鳴った。XANXUSは受話器を取らずにスピーカーを押す。すると、向こう側から声が届いた。
『XANXUSかい』
 九代目の声にXANXUSは表情一つ変えずに、続きを待つ。無言の答えに納得したかのように声は続けた。
『頼まれていたブラッキアリのことだけれども、あの組は一週間ほど前に内部抗争により全滅していたよ。そっちに行ったというご令嬢はそれを運良く逃れ、お前に助けを求めに来たんだろう』
 くだらねぇ、と心の中で吐き捨ててXANXUSは電話を切ろう指を伸ばす。しかしまだ続きがあるようで、息を吸った音にXANXUSはその手を止めた。
『――――XANXUS』
 この宥めるような声には虫唾が走る。それでもどうにか電話を切らずに耐え抜く。
『彼女は令嬢として以外の生き方を知らなかったんだ。だからお前に取り入ろうとした…どうか咎めないでやっておくれ。それはごくごく当然のことだ。彼女が頼れるのはお前しかいなかった、それを分か
「おいぼれ」
 XANXUSは九代目の言葉を声で遮る。苛立ちと怒りが滲んでいるそのトーンの低い声に周囲の温度が一気に下がる。
「カスみてぇな発言してんじゃねぇ。甘っちょろい理想は他所でやれや。あんなカスの役にも立たねぇ女なんざ必要ねぇ。大体、あれは勝手し過ぎた」
 限界だ、とXANXUSは冷たく返した。それから嘲笑して、電話に向かって話しかける。
「用済みなら消す。不穏な芽は潰す。てめぇの情けは道端のカスにでもかけてろ」
『XAN
 最期まで聞かずXANXUSは電話を躊躇なく切った。
 そして適当に部下を呼ぶ。入室の仕方が気に喰わなくて、一人を殴り飛ばして、恐怖に震えている二人目に命じておく。
「独房の女、殺しとけ」
 ぱら、と机の上の報告書を取り上げて目を通しながらXANXUSはあっさりとそう告げる。隊服を着た男ははっと敬礼を取り、倒れている男の両脇に手を入れてずるずると引きずっていく。
 そしてXANXUSは目を通した報告書を机の上に戻し、そしてペンで大きくがっと線を引いた。 サンドラ・ブラッキアリ。その名前はたった一本の線で、真っ二つに裂かれていた。
 男が引きずり出され、そして扉は静かに、静かに静かに―――――――――閉められた。

 

 じゃ、じゃと東眞は米を洗う。音が連続して響き、そして水を捨ててまた入れて洗う。普段ならば三回程度で済ます米とぎ。哲は隣で人参の皮をむきつつ、彼是十分以上米をとぎ続けているという奇怪な光景を目の当たりにしながら、声をかけられずにいた。水をまた捨てて、東眞は手をのばしてまた米を洗おうとした。だが背後から声がかかる。
「姉貴、俺米食って死にたくはないなぁ…」
「え?」
 背後からの声に東眞はぴたりと動きを止める。哲は苦笑して東眞の手に持たれているものを指差す。
「お嬢様、それは洗剤です…」
「…あ、あは。ご、ごめんなさい。卒論が終わって気が抜けたんでしょうか」
 顔を赤くして笑う東眞に修矢は笑い返す。
「姉貴の飯に殺されるならば本望!ってか」
「もう、ごめんって」
 本当に洗剤入れるよ、と笑いながら東眞は洗剤を元の場所に戻した。そしてその中に水をはる。炊飯器のぽちりとボタンを押す。だが何時までたってもスイッチがつかない。故障だろうかとおたおたとしていると、修矢がひょいとコンセントを持ち上げた。
「コンセント入ってないって。ホントにここ二三日抜けてるなぁ…何かあったの?」
「え、ううん。卒業単位も無事にとれそうだからやっぱり気が抜けてるだけだと思うんだけどなぁ」
 怪訝そうに顔を覗き込んだ修矢に東眞ははにかんで首を横に振った。そして修矢からコンセントを受取って、笑いながら壁に突き刺す。が、なかなかささらない。それを幾度か繰り返していると、修矢が見かねて言った。
「…姉貴、そこ電気のスイッチ…」
「え、あ、あ、本当だ!」
 いやーと誤魔化しながら東眞はその下にコンセントを突き刺し、耳まで真っ赤にして炊飯器のボタンを押した。が、途端ぱかりと蓋に開かれて、びくっと飛び上がる。
「あ、あれ?」
「…それは開閉ボタン。炊飯ボタンはその右」
「そ、そうみたいだね」
 そう返事をして赤いボタンを押す。しかしけれどもランプが点灯しない。コンセントも入れたし、蓋も閉じた。
東眞はぽちぽちと数回押すもののやはり点灯しない。それに哲が非常に言いづらそうに洗い場を指差した。
「お嬢様…その、中身がセットされていませんよ」
「…す、すみません…あ、わ!」
 慌ててそれに手をのばして東眞はコンセントに足をひっかけてこけかける。修矢が東眞の体を腕で支えて流石にそれは回避したが。
 あまりのひどさに哲と修矢は顔を見合せてしまう。東眞は何もなかったように手をかけて、修矢に有難うと礼を述べる。
「…なぁ姉貴、本当に何かあったんじゃないのか?」
「何が?」
「何がって、何か」
「何も」
「何も?」
「何も。あ、そういえば」
 東眞は思い出したようにぴんと指を立てた。それに修矢はほっと胸をなでおろす。しかし向けられた笑顔にぴくっと頬を引き攣らせる。
「この間の期末テスト――――――…国語の点数についてちょっと」
「え!い、いやちょっと待てよ!!あ、あれはもう終わったことで…っそ、それに俺国語はに、苦手なんだって…っ」
「言い訳しない!」
「ご、御免なさい」
 きつく言われて修矢はぐっと視線を下に向ける。東眞はその反応に、おなかを抱えた。修矢はそれにはっと顔をあげて、もしや腹痛か!と慌てる。
「あ、姉貴!」
「ふっ…――――く、は。あははは!!もう、そんなに怒ってないよ、修矢」
「…姉貴…。哲!」
 何か言ってくれ!と修矢は哲を見たが、哲は自業自得ですね、と素敵な笑顔を修矢に向けただけだった。東眞は涙目になりながら笑う。そして一通り笑ってから、かけていたエプロンを外す。そしてこつんと修矢の額を小突いて、笑う。
「でも他のでどうにかカバーしてても、赤点ギリギリはもう駄目だからね。私が使ってた参考書があったと思うから、後でそれあげる」
「姉貴の?」
「そう。結構成績良かったんだから」
 頑張って勉強しなさいよ、と言った東眞に修矢ははにかんで、頷いた。そしてはっと思い付いたように顔をあげた。
「あ、じゃぁ今度実力があるから、そのテストで五十点取ったら一緒に遊園地行こう!」
「…志は高く持ちなさい、修矢。そうだなぁ…八十点…」
「無理!七十点!」
「…仕方ないなぁ、七十五点で手を打ってあげる」
「よし!約束だからな!」
「はいはい」
 小指を差し出されて東眞は笑ってそれに小指を絡める。修矢はまるで子供のように笑いながら歌う。
「ゆーびきーりげんまん、うーそつーいたらはりせんぼーんのーます、ゆーびきった!」
 にこにこと笑いながら修矢はガッツポーズを取る。
「よっし!哲、晩飯で来たら呼んで!」
「どうされたのですか」
「今から国語の勉強」
「…他の勉学も怠ってはいけませんよ」
「分かってるって!」
 そう言って修矢はその場を駆けだして行ってしまった。
 東眞はくすくすと笑いながら、椅子を引いて腰掛ける。それに誘われる様にして、哲もついつい笑う。
「いつまで経っても可愛いものですね」
「本当にお嬢様にべったりで。あの調子なら本当に七十五点…いや、百点取りそうですね」
 赤点が、と笑って哲は豚肉を炒めていた鍋に人参とジャガイモ、それに玉ねぎを加えてサッと炒めると、中に水を入れて蓋をする。そして若芽を水に戻しながら、油揚げをかるくトースターで焼く。東眞はその背中を見ながら、ぽつりと言った。
「哲さん」
「なんですか、お嬢様」
「私――――――――…よくよく考えたんですけど、やっぱり日本に残ることにしました」
「…また、何故?」
 哲は慌てて振り返る。あれほど、幸せそうな顔をしていたからこそその言葉は意外だった。東眞はやはり優しく微笑んでいた。
「やっぱり、修矢を残してはいけないって思ったんです。あ…いえ、私が弟離れできてないんです」
 困った姉ですね、と笑って東眞は哲が出した茶を礼を言って受け取り口にする。美味しいですと素直に感想を言い、東眞はふと茶を眺めて、破顔する。
「見て下さい、茶柱です」
「おや。本当ですね…自分のは、残念」
 立っていません、と笑って哲は見せて頭をかいた。東眞はそんな哲を見つめて、そして続ける。
「修矢には言わないで下さいね」
「どうしてですか?間違いなく喜ばれますよ」
 あの悲観な表情を思い出して、哲はキョトンとした。東眞はにっとまるでいたずらっ子のような笑みになって、少し前に乗り出す。それに哲も秘密話をするかのように距離を詰めた。
「驚かせちゃいましょう。びっくりした顔はきっと見ものですよ」
 写真も撮っちゃいましょうと東眞はこそこそと話す。哲はそれにいいですねぇと賛同して破顔した。ぷっと吹き出して両者は笑う。そう言えば、と哲はポケットに手を入れた。
「またルッスーリア氏から絵葉書が来ていましたよ。今回は早いですね」
 差し出した絵葉書を珍しく受け取らなかったので、哲はどうしたのかと思い小さく首をかしげる。東眞は一拍置いた後にその絵葉書を受取って、そして裏側を見る。そして、いつものように笑った。
「今回も綺麗ですね。これはどこでしょうか」
 普通に帰ってきた返事に哲はその葉書を反対側から見やる。
「ああ、これなら自分も知っています」
「どこですか?」
「サンタ・マリア…えぇと、デッラ・サルーテ聖堂だったと」
 この間少しかじりまして、とはにかむ哲に東眞はそうですかと笑って返す。哲はここだけの話と付け加えた。
「三人でイタリア旅行というのも悪くないかもしれませんね」
 イタリアは料理もとても美味しいそうですよ、と楽しげに説明する哲に東眞は目を細めた。
「――――――ええ、そうですね」
「ですが、彼らに鉢合わせたら坊ちゃんが大変なことになりそうです」
「それは、きっと。あ、私これ部屋に戻してきます」
「晩飯は任せて下さい、お嬢様は部屋でゆっくりと。できたらお呼びします」
 哲の優しさに今日ばかりは、東眞は有難う御座いますと礼を述べてその場を後にした。
 とんとんと廊下を歩き、自分の部屋にはいる。そして襖を開いて、閉じた。閉じた襖に背をつけてて、ずるずると落ちるようにして座りこむ。ルッスーリアから届いた絵葉書を眺めながら、東眞は文字の書かれている方に裏返した。そこには、綺麗な日本語が綴られていた。口を開けて、小声で、読み始める。
「――――…こんにちは、東眞。元気にしてるかしら」

 元気にしています。

「こっちは皆元気にしてるわ。もう元気すぎて時々ものが壊れたりするくらい。スクアーロが買った二枚目の絵葉書よ。サンタ・マリア・デッラ・サルーテ聖堂。スクアーロにしてはいいセンスだと驚いたわ。ベルも驚いてたし。そうそう、レヴィが東眞に会いたがってるのよ。レヴィはあたしたちVARIAの幹部の一人。もうこっちが引いちゃうくらいの…」
 一拍置いて、東眞は続けた。
「ボス、命…よ」

 XANXUSさん。

「こっちに来たときは気をつけてね、あの子本当に嫉妬深くて。気をつけないとやられちゃう、わよ…。ベルが東眞からメールが来たってとっても喜んでたの。マーモンと二人で東眞の似顔絵描いちゃって…ボスがそれを見て、似てねぇって…。スクアーロも描いてたんだけど、そっちは綺麗に燃やされちゃったわ。
東眞、もう一月ちょっとだっていうのに、とっても長く感じられるの。早く―――――…」

早く、

「はや、く…あい…」
 ぐ、と言葉が滲んだ。喉が震えて声が出せない。東眞は顔を膝に押し付けた。流れてこなかった涙が、今頃になってぼろぼろと頬を伝う。
「あい、―――――…た、い…わ…―――…っね…」
 ひくりとしゃくりあげて東眞は声を押し殺す。う、と流れ出る涙をジーンズに吸わせた。うく、と喉を小さく鳴らして東眞はただ、ただ、一人で泣いた。机の上に置かれていた携帯が音もなく震えもせず、その泣き声を聞いていた。