06:日常の私とあなた - 6/6

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 ごつ、とスクアーロは大きな扉を開いた。
 いつもながら返事はない。こちらから声をかけて返事があることなど稀。それが分かっているので、スクアーロはそのまま扉に話しかけた。
「う゛お゛おぉい、ボス!客人だぁ」
返事はないかと思われたが、少し経っていつも通りの不機嫌そうな声が返ってきた。
「帰らせろ」
 その言葉にスクアーロはほっと胸をなでおろして、サンドラの方に顔を向け告げた。
「だ、そーだぜぇ」
 だがサンドラはスクアーロを無視して扉に近づき、そして止まる。勝ち誇った、自身に充ち溢れた笑みを顔に湛えていた。
「あたしよ、XANXUS」
 失礼するわ、とサンドラはその赤いマニュキアが塗られた手で扉を押して、そして中に踏み込んだ。それにスクアーロはぎょっとして声をかけるが、サンドラは止まらない。
 部屋の中にはXANXUSがいつものように椅子に鷹揚に腰掛けていた。瞳は侵入者を睨みつけられている。
「出て行け」
 不機嫌さをあらわにした声が部屋の空気を震わせる。否、震わせているのは声だけではなく、出て行けというそのXANXUSから放たれる威圧感でもあった。サンドラはその身も震えるような感覚に僅かに笑みを湛えた口元を歪ませた。
「覚えてないの?仕事上ではあったけど元婚約者じゃない」
「出て行け」
 二度目の拒否。
 それも気にせずにサンドラは一歩、かつりとピンヒールを鳴らして進む。美しいブロンドをさらりと手で流して、さらに歩を進める。
「最近あなたの女遊びがぴたりとやんだって言う噂を耳にしたのよ」
「出て行け」
 三度目の拒否。
「あなたみたいな人が誰か一人と付き合うなんて信じられなくて、まさかあたしを思い出してくれた?他にも沢山いたわよね。アレグラ、キッカ、ニコラ、ヴェルディアナ、プリッシラ、ラファエラ…」
 かつかつとサンドラの足は床を打って音を奏でる。そして、XANXUSが座っている机に艶めかしく腰を下ろして妖艶に微笑んだ。その視線はXANXUSが手にしている携帯の画面。
 ルージュの口紅が弧を描く。淫靡に魅惑的に、男を誘う色香を漂わせて。

「それとも―――――――――アーモンドの瞳のジャッポネーゼ…東眞、かしら?」

 XANXUSはぱたりと携帯を閉じた。赤い瞳が明らかな殺意と怒りをもってサンドラを睨みつける。しかしサンドラはひるむことなくそっとXANXUSの頬に手を這わせ、鎖骨に細い指を乗せる。
「あたし、あなたを愛してるのよ。XANX
 その言葉が最後まで紡がれることはなかった。
 XANXUSの大きな手のひらがサンドラの首に食い込み、そしてそのまま机に叩きつける。椅子から立ち上がり、冷たいしかし焼け焦げるような怒りを瞳に宿してXANXUSはサンドラを見下す。サンドラは酸欠で咳をしながら、続ける。
「あ、なたっ…の、そ、いう…残忍でぇ…げはっ…冷酷なと、に…たまら、なく…っは、惹かれて、るの…よっ…」
「言いてぇことはそれだけか」
 ぐっとXANXUSは首を絞める手にさらなる力を加えた。サンドラの顔が赤くなり、そして白くなっていく。スクアーロはそれを見てはっと止めた。
「う゛お゛ぉ゛おい、ボス!そいつは、同盟ファミリーの令嬢だぁ!」
「知るか」
 スクアーロの制止をXANXUSは完全に無視して首の骨を折ろうとさらに力を込める。冷たい視線を腕の下から見上げながらサンドラは笑った。うふ、と口から零れ落ちる笑い声。
 そこに平静な声が一つ通った。ボス、と。ANXUSはスクアーロの方向に視線を向ける。そこにはマーモンがいた。
「九代目に迷惑がかかるよ。暴力ならばともかく、殺しは不味い。仮にも同盟ファミリーだからね」
「…ちっ」
 吐き捨てるようにして舌打ちをし、XANXUSはサンドラの首を掴んだまま床にたたきつけるようにして投げ付けた。サンドラは数回咳をして、肩で呼吸してXANXUSに笑いかける。その首にはくっきりと指の跡が残っていた。XANXUSはもうサンドラなどという女はいないといった風に椅子に座った。
 しかしサンドラはめげずに笑った。乱れたブロンドからのぞいた瞳は色艶に濡れている。
「…XANXUS、何回だって言ってあげる」
 くすっとサンドラは熱っぽい瞳をXANXUSに向けた。
「あたし、あなたを愛してるのよ。ボンゴレ十代目になるあなたの、XANXUSの妻になりたいの」
 沢田綱吉が十代目に決定したことは確かに現在極秘事項で、XANXUSが九代目の血を引いていないということもそれと同様である。XANXUSは顔色一つ変えず、瞳を閉じた。もう彼の世界にサンドラなどという女はいない。
 サンドラは落ちたバックを手にとって立ち上がる。そして告げた。
「また、来るわ」
 そう言ってサンドラはスクアーロの隣をブロンドを揺らして場を後にした。残り香にスクアーロは顔をしかめて、椅子に座っているXANXUSに視線を向ける。XANXUSはかたん、と椅子を鳴らした。スクアーロは不安が頭をもたげ始めている問題を口にした。
「う゛お゛お゛おい、ボス。あの女は東眞のこと知ってんのかぁ」
「知らねぇ」
 XANXUSは一言そう返す。
 あの女は頭で記憶している言葉を口にしたのではなく、明らかに自分が開けていた携帯の名前を読んだ。加えて言えば、名前も覚えていない女の所属するファミリーなどに大した情報力などない。嗅ぎつけているとは到底思えない。それに東眞という名前の女は日本にいくらでもいる。その何人もいる日本人の中から自分と東眞の関係性を絞るだけの力があの女にあるとも思わない。
 心配はいらない。
 何か問題があれば、それを力を持って排除すればいいだけのことだ。ボンゴレの女に手を出せばどうなるのかということを、身をもって教えればいい。闇は闇に葬る、それこそがマフィア。
「あの女に一人つけとけ」
 名も知らぬ、仕事だけの付き合いだった女。XANXUSは先程のことを不快に思いその記憶から抹消した。

 

 スクアーロは部下を一人回した後、こつこつと回廊を歩く。何故だか嫌な予感が付いて回っている。そこにマーモンが声をかけた。
「珍しく難しい顔をしてるね、スクアーロ。何か心配事かい」
「…」
 返答のないスクアーロを気にせずマーモンは単調に続けた。
「サンドラ・ブラッキアリのことかい?ボスも心配いらないって言ってたしいいじゃないか」
放っておいて、そうマーモンが続けたが、スクアーロは一向にその難しい表情を崩さない。
確かにXANXUSは女の噂には事欠かない男ではある。けれども全てにおいて一回限りの関係で、本当に性欲処理、それだけなのだ。そのXANXUSがここ一ヶ月半程女に関しての情報がない、それは他の者から見れば奇異に映るだろう。それはあのサンドラとて同じだったに違いない。それにXANXUSが言うとおり、あの女に日本にまで手を伸ばすだけの力はない。何も心配することはない。そのはずなのだが、嫌な感じが払拭されない。
眉間に皺をよせて考え続けているスクアーロにマーモンは告げる。
「ああいう女はね、ボスよりも権力、それと自分に絶対の自信を持ってるのさ。スクアーロが心配しなくてもボスがあんな自己顕示欲の塊のような女に興味を持つはずもない」
そういう心配をしているわけではない。
スクアーロとてXANXUSがあんな女に手を出さないことくらい分かっている。いくら美人であっても中身がまるっきり駄目だ。XANXUSの後ろにあるものにしか興味がない者に、XANXUSの隣は立てない。
 だが、そうだ。
「ああいう女は馬鹿なんだよなぁ」
「馬鹿?だったら余計に心配する必要はないよ」
「違ぇ、馬鹿は何するか分からねぇから困るんだぁ」
 兎も角女ということからして自分たち男とは根本的な発想が違う。ルッスーリアもそういうきらいはあるものの、やはり男なのだ。違うものは違う。
 理論的ではなく感情的に動く生物。感情は個人のものであるからこそ、予測がつかない。
 スクアーロはがり、と銀糸を混ぜて、豪奢な装飾がされている天井を見上げ、そして息を吐いた。
「何もなけりゃぁいいんだがなぁ…」
 それが自分の杞憂でありますように、と願わざるを得なかった。