06:日常の私とあなた - 5/6

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「いただきまーっす」
「頂きます。坊ちゃん、肘を机につかないでください」
 行儀が悪いですよ、と哲は細かに注意する。それを受けた修矢は一瞬止まって、そっと肘を机の上からのけた。哲は溜息混じりにさらに続けた。
「お嬢様の前だからといって、行儀悪くするのは感心しません。家族であるからこそ食事の作法は正しく。分かりましたか、坊ちゃん」
「…哲、お前さぁ…」
「哲さんの言う通りだよ、修矢」
「だよな!」
 その変わりように哲は頭を押さえながら、バケットに入れられてある焼きたてのパンをちぎり、シチューにつけて食べる。相変わらず美味しいと嘆息する。
 東眞はふと思い出したように切り出した。
「そう言えば、今日修矢にお弁当を届けに行った時に変わった子と会ったんだけど…知ってる?こんな髪型してて、雰囲気に似合わず可愛らしい鳥を肩にとまらせている子」
 学校に入れてくれなかったんだよね、と東眞はパンをちぎりながらぼやく。修矢はそれにああ、と頷いた。
「あいつは並盛風紀委員。名前はえーっと…なんだっけか。鳥みたいな苗字してた。今度から弁当は忘れないようにするから、参観日とか以外は学校に寄るなよ、姉貴」
 弁当を忘れて行ったのは修矢だろうにと苦笑しながら東眞は頷いた。
「でもあの子並盛じゃないでしょう?学ランだったし…」
 東眞の質問にパンをちぎって口に放り込み、修矢は答える。
「風紀委員は特別で、なんでか皆学ラン着てんの。でもあいついつから並盛に在籍してんだろうなぁ…。俺が一年の時すでにいたんだけど」
「じゃぁ今三年生?」
「さぁ。ま、正直な話関わりたくないやつ。群れてるとか言って攻撃してくるんだぜ。群れてる人間を襲いたくなる症候群にでもかかってる危ない人間だよ」
 酷い言いようだが、部外者と言うだけで校内に入れてもらえなかったので東眞もそれに僅かながら同意した。
 先に食べ終わってしまった哲におかわりを尋ね、鍋によそって差し出す。ぱりっとパンを割いてシチューに浸した。
「それと修矢友達できたんだね」
「え…?」
 全くの予想外の質問に修矢はキョトンとする。東眞は小さく笑って屋上に、と続けた。
「姉貴って本当に見るとこ見てるよな…油断も隙もない」
「何言ってるの。更衣室に入ってきた修矢よりかはまだま…あ、哲さん?」
 げほっと噎せ込んで、鼻から牛乳ならぬ鼻からシチューの惨事を起こしそうになりながら、哲は口元をぬぐう。今聞き捨てならない発言がされたような気がしたのだが、と哲はちらと修矢に視線をやる。修矢はそれに気付いて、すいと視線をそらした。
「あ、でも普段はしてないそうなので、安心してください」
 フォローにならないフォローをして東眞は哲に笑顔を向ける。
「坊ちゃん!」
 怒鳴った哲に修矢は慌てて反論をする。
「あ、あの時はだな、き、緊急事態だったんだよ!それに姉貴の裸くらい見てんだから今更恥ずかしがることなんてないだろ!」
「年頃の女性の更衣を覗くとは何を考えていらっしゃるのですか!」
「だから姉貴の裸なんて小学の時に見てる!風呂に一緒に入ったことあるんだから!!それに姉貴の裸見て欲情なんてするほど俺は落ちぶれちゃいねぇ!!」
「そういう問題ではありません!年を考えなさい年を!」
「年ぃ!?だったら、28でプリンが大好きなお前だって年考えろよ!!糖尿病になっても知らないからな!」
「…っこ、この年でプリンが好きと言うだけで非難されるいわれは自分にはありません!」
「大体俺と姉貴は姉弟なんだから、そんな裸とかなんとかでぎゃぁぎゃぁ騒ぐ哲の方が考え方腐ってるって思わないのかよ!」
「思いません!道徳上の問題です!!」
 きっと哲は修矢をまっすぐに叱りつけた。

「年頃の女性の肌を見るのは、初夜の褥と決まっているでしょうが!!」

 流石にその一言に修矢は一瞬黙った。そして呆れかえってこう言った。
「…いや、その考えは古すぎるって」
 一体どこの世界にそんな箱入り娘まっしぐらな考え方をする人間が生きているのだろうか。こいつは生きた化石だ、と修矢は哲をみてそう思った。
「ねえ」
 突然そんな危うい沈黙に柔らかい声が入り、修矢と哲は反射的に返事をして声のした方を向いた。そしてぴくっと固まる。ああ、彼女が笑っている。
「楽しく会話もいいけれど、食事も冷めるし」
 何と素敵な笑顔だろうかと言い争いをやめた二人は冷や汗を流した。

「修矢とは少し、話し合う必要があると思うんだ」

 私、と続けた笑顔に修矢は自分の失言をはっと思いだしてあ、と頬を引き攣らせる。
「あ、あれはそういう意味じゃなくて、や、疾しい目で見てないって意味で…っ」
「分かったから、冷めないうちに食べてね」
 笑顔でパンを差し出されて、修矢ははい、と大人しくそのパンを受け取った。当分この仮面の笑顔を向けられることを想像するだけで、修矢はがっくりと肩を落とした。ちらっと哲に非難めいた視線を向けたが、哲は素知らぬ顔をしてスプーンを手にしていた。
 東眞はシチューを口に運びながら、笑顔の下で怒る。人の裸について論議するのは勝手だけれども、いくらなんでも言い過ぎだ。大体そこまでひどい体をしているとは(自意識過剰ではないけれども)思っていない。確かにふくよかな体、とは言いづらいが、それでも標準体型ではある。
 もしっとパンを口に放り込んで咀嚼する。そしてふと思ったことを心配そうに口にした。
「で、でも男の人ってそういうふ、ふくよかな体の方がこ、好み…?」
「え、いや、俺は姉貴に文句ないよ」
「…」
 参考にならない、と東眞は哲に視線を向けた。哲はその視線に目を泳がせたものの、どこか必死そうな感じがうかがえたので、渋々ながら口にした。
「ま、まぁやせぎすよりかはふくよかな方が自分は好みですが…」
「哲、お前むっつりスケベだったんだな」
「そんなことはあ、ありません」
 冷たい突っ込みに哲は慌てて弁解を入れて、こほんと気まり悪く咳をする。東眞は少々ボリュームの少ない胸に目をやって、そしてまた視線を上げた。
「む、胸も大きい方がいいですか…?」
「それは個人の趣味によるかと」
「あいつなら絶対でかい方が好みだって。そんな顔してた」
 修矢はびしっとパンを東眞に向けて言った。これで東眞がXANXUSをあきらめてくれればという下心は見え見えである。
「…か、顔に出るものなんですか?そういう好みって」
 真剣に聞き返されて、哲は反対に答えに困る。
「か、顔は…ちょ、ちょっと…分かりかねます」
「XANXUSさんの写真携帯にあるんです。鑑定してもらってもいいですか?」
 そもそも鑑定の時点で間違っていることにいい加減誰かが突っ込んでくれるのだろうと思いきや、残念なことにこの場にはそれがいない。話は相変わらず間違った方向に二足飛びくらいの勢いで進んでいく。
 哲は慌てて顔の前で手を横に振る。
「自分にそのような大役は…そ、そうですね、坊ちゃんの方が」
「お、俺!?やだよ!なんであんな奴の顔見なくちゃならないんだ!夢に出てくるって!」
 悪夢だ!と修矢は顔を引きつらせて全身全霊をもって拒否した。東眞はテレビの上に置いてある携帯を取りかけていたその手を落とした。そして、ぽつんと呟く。
「…胸筋つけたら底上げできるかな…」
 それはいくらなんでも違うだろうと、男二人は同時に思った。

 

 こつ、とピンヒールの音が冷たい廊下に響く。その音は静かな回廊に反響して、まるで氷のようにその床に落ちてそして溶けて消えてしまう。音が響くたびにさらさらとまるで絹糸のように流れるブロンド。膝上からすらりと伸びているモデル顔負けの足は綺麗な足取りを描いていく。ピンヒールは止まらず、その廊下を歩き続ける。そしてルージュの口紅が塗られた形の良い唇が初めて動いた。
「そこのあなた」
「あ゛あ゛?」
 ブロンドではなくシルバーの長髪が音を立てて揺れて、その声に振り返る。そして怪訝そうな表情と一体誰だという緊迫感、明らかな殺意を女に向けた。
 攻撃態勢に入りかけたスクアーロに待ちなよ、と子供の声が通る。
「彼女、ブラッキアリファミリーの令嬢だよ。ちなみにブラッキアリはボンゴレの同盟ファミリー」
「あら御存じ?」
 ふふと妖艶に微笑んだ女にスクアーロは眉間に皺を寄せる。こう言った類の女は苦手としている。
「それで、そのブラッキアリファミリーの令嬢が何の用だぁ」
「XANXUSに会いに来たの」
「…XANXUS…?」
 彼の名前を呼び捨てにできる同盟ファミリーの人間など本当に限られている。呼び捨てなどにすれば次の瞬間女であろうとも顔の形が変形していること間違い無しだ。
「ええ、そうよ。案内して頂戴」
「だから何の用だぁ…用事もねぇのに会わせることはできねえ」
 鋭い態度を崩さずに睨みつけてくるスクアーロを可愛い、と形容して女はクスッと笑う。
「女が男に会いに来るのに…理由なんて必要?野暮よ、あなた」
「…そんなのは俺の知ったことじゃねぇ…兎も角理由がねぇとボスとは会わせねえ」
「頑なね。別にXANXUSの命をとろうなんて思ってないわ。疑うなら服をひんむいて全身くまなく調べてもらっても構わないのよ?」
 両手をあげて、女はその癪に障る笑顔をやめない。スクアーロは気持ちの悪さを感じながら、嫌悪感で顔を顰めた。その表情を見て、女はあらそうと上げていた両手を下ろす。
「以前仕事を付き合ってあげたでしょう?その時のお礼に食事に連れて行ってもらおうと思っただけよ」
「仕事?」
 聞き返したそれにマーモンがスクアーロの肩で答える。
「そう言えば、一度女が必要だっていうことでブラッキアリに頼んだことがあったよ」
「そう。その時にあたしが手伝ってあげたの」
 教養礼節、社交界に出て花ある女というのはヴァリアー本部にはほんの一握り、ヴァリアー自体にそれに適した女はいない(皆揃って生粋の暗殺者であるマフィアはほぼ完全なる男社会であり、マフィア主催のパーティーでは厨房ですら男が受け持つといった具合だ。(ボンゴレでは多少の例外はあるが)ボンゴレに要請してもよかったが、それよりも同盟ファミリー婚約者という扱いでXANXUSの傍にいた方が便利である。そしてXANXUSはその手を取った。
 そこでスクアーロははっとそのことを思い出す。スクアーロの表情に女はようやく思い出した?と淫靡に微笑んだ。そうだ、この笑みだとスクアーロは舌打ちをした。好きになれない笑顔。XANXUSの女付合いに口を挟むつもりはないが、この女だけは嫌だと思っていた。陰湿、そう表現するのがぴったりだ。
 そもそもそのブラッキアリファミリーにもあまりいい話はない。暗殺独立部隊の一角を担っている自分がいい話も悪い話もあったものではないが、それでも気分が悪くなるファミリーだ。裏では人体実験、人身売買、コカイン、ヘロイン、ともかくそういう噂には事欠かない。それだけならばまだいい。そのような話を抱えているファミリーは山ほどあるし、大体ボンゴレですら麻薬にだって手を染めていた時代もある。
 そんな一見すれば普通のファミリーなのだが、彼らはイタリアマフィアならば絶対に手を染めないであろう売春商売を裏で手掛けている。何故そんな絶対厳守の掟すら守れていないファミリーと同盟を結んでいるのかが疑問に思えてくるくらいだ。
「サンドラ、サンドラ・ブラッキアリ」
「名前まで覚えてくれたなんて、嬉しいわ」
「…」
「素敵な名前でしょう、サンドラ。アレクサンドロスから取ってるのよ。ギリシャ語での意味は男たちを庇護する者、戦場における戦士たちの女神ヘラの称号の一つ」
 そう言ってピンヒールの音を立てて、すっとスクアーロの顎に指先を乗せる。
「あなたたちも男ね、私が――――――――守ってあげましょうか?」
「触るんじゃねぇ」
 ぱしっとスクアーロはサンドラの手を払い落して、嫌悪に満ちた瞳を向けた。サンドラはその瞳を大して気にする様子もなく、優雅にブロンドをなびかせた。
「用事も教えた事だし、XANXUSの所に案内してくれないかしら?」
 優美な姿をさらす女はNOという答えは求めていなかった。そしてスクアーロもYES以外の答えを持ち合わせていなかった。