06:日常の私とあなた - 2/6

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 ぱんっと洗濯物を叩きのばして、物干し竿にかける。庭から見上げることのできる空は青く遠く、どこまでもどこまでも広がっている。これと同じ空を彼も見ているのだろうかとふと考えて、やわらかい気持ちになる。
 東眞は洗濯物を片付けると、折角の天気だからとついでに布団も干す。多少重いが、一人でも十分に干せる重さである。それもどうにか終えて、はっと時計を見る。
「ああ」
 遅れてしまう、と慌ててつっかけからスニーカーに履き替えて縁側に置いておいた鞄の中に弁当包を入れて玄関に走った。勿論、哲から預かった大切なプリンの無料券も忘れていない。慌てたため敷居に躓きかけたが、どうにかこけることもなく東眞は駆けだした。

 

 ごろりと転がった屋上に広がる青くて広すぎる空にうっかり目を閉じそうになる。
 嗚呼空が高いとそっとそれに向かって手をのばして、ぐぅと腹が鳴ったの気付いて体を起こす。学校についてから気付いたのだが、どうやら弁当を家に忘れてきたようだった。姉貴の弁当をと今更悔やんでも取りに帰るのは少し問題がある。しかし購買に行って買おうにも、今日は財布すら忘れていた。なんて悲惨な日なんだろうと項垂れる。
 あの変な男に姉があってから全てが狂い始めたのだ。あの男さえいなれかばいいのにと何度思ったことか。けれども姉があまりにも嬉しそうな顔をするので、連絡を取るなとも言えない。
 ああと溜息をつき、空腹を訴える胃を押えて背中を格子に預けた。
「桧じゃねーか!」
「…ぁ…あー…あと」
 短髪で元気溌剌、悪く言えば能天気そうなその表情を捉えて修矢は言葉に詰まる。顔は覚えているのだが、名前が思い出せない。
「悪い。名前忘れた」
「おいおい、この間も同じやり取りしたんだぜ?山本、山本武」
「…ああ、野球部の」
 校内で最近妙に騒がしい奴であったことは覚えている。しかし騒がしいのは三人揃ってであり、単体ではそううるさくも―――――いや、うるさい。
 修矢は、座り直して武と向き合う。
「今日はつれがいないんだな」
「ツナと獄寺か?後から来るぜ」
「来るのか」
 騒がしいのは嫌いだと思ってふっと腰を上げたが、その拍子にぐぅと腹が鳴る。それを耳聡くとらえて武は大声で笑う。居心地の悪さにむっとしながら修矢はちらと見下ろす。
「弁当と財布忘れたんだよ」
「何だったら一緒に食うか?半分分けてやっからよ」
 さてどうしようかと考えていると、十代目!という言葉とともに屋上へと続く扉がバタンと開かれる。初対面ではないが、自己紹介も何もしたことがない(つまりは唯の通りすがり程度の仲)二人がそこに立っていた。銀色の、そう、あの耳障りな声を発する男のような色の髪をした男がぎっと睨みつけてくる。
「てめぇ、何もんだ」
「…」
「や、やめなよ獄寺君!え、えーと…お、俺は沢田綱吉。き、君は?」
 まるで怯える小動物のように、というよりも周囲との協調が一番と考えているような生徒だ。そしてその隣にいる生徒は…何故かその手に爆弾を持っている。
「山本、おまえテロリストか何かのお友達だったのか」
「なーに言ってんだよ。そいつらすげーいい奴らだぜ?ツナの隣にいるのは獄寺」
 獄寺、と聞いて頭に入れている組の名前をつらつらと回してみるが、そんな名前の組は見当たらない。
ならば関係もないかとかしゃりと凭れかかり、適当に自己紹介をする。
「桧修矢。あんたらとは組が違うけど同じ中2だよ」
「へ、へぇ、そ、そうなんだ!ほ、ほら獄寺君、普通の生徒何だし、そ、そんな警戒心むき出しにしなくても…っ」
「…十代目がそうおっしゃられるなら」
 仕方ありません、と隼人は取り出していた武器を制服にしまい込んだ。銃火器を持ってる時点で普通の人間ではないだろうなと思いつつも、まぁどうでもいいかと修矢は二人を観察する。観察という分野は姉の方がずっと得意なのだが。
 するとどこからともなく、すっと声が届いた。

「そいつは普通の生徒じゃねーぞ、ツナ」

 ばっとそちらに視線を向ける。そこには、スーツを来た子供が立っていた。
「リ、リボーン!?ていうか普通じゃないってどういう…」
 慌てる綱吉を軽く無視して、リボーンはくるりと一回転して屋上の床に降り立って修矢を見上げる。
「そいつは極道の次期組長だぞ」
「ひぃ!!ご、ご、ごくどう!!!?」
 その言葉に綱吉はぞわっと顔を引き攣らせる。見るからに関わりたくないといった顔だ。そんな表情を横目で見ながら、修矢は問題の子供に視線を向ける。
「何で知ってんだ、あんた」
「俺はツナの家庭教師だからな」
 そんなものが答えになるとでも思っているのだろうか、と修矢は思いながら、あっそと返す。
「正確には現組長だ。元組長が死んだんだ」
「え…それじゃ、その君、お父さんが…」
「ああ、死んだ」
 ごめん、と謝った綱吉に修矢は別にと答える。殺したのは自分なのだから謝られてもどうしようもない。
「桧組ってのはこの界隈でもかなり仁義固い組で、その分掟も厳しいって話だ」
「ま、それなりには」
 確かに掟自体は厳しいが、その掟自体の数は少ない。今回の件とて、記録によれば本当に何十年来かという程の掟破りだ。
 そんなことよりも腹が減ったなぁと思いつつ修矢ははぁと溜息を吐く。
「ん?何か正門で…あれ雲雀じゃねーか?」
 ふと届いた武の言葉に綱吉がそちらに視線を移して、あ、ホントだと受ける。
「女の人だよね…制服着てないからここの生徒じゃないみたいだけど…」
 制服を着ていない、という単語に修矢はぴくりと反応してばっと高速で体を回して、正門を見下ろす。
 あの眼鏡、髪、容姿、背格好。どんなに遠くても修矢には一目でわかった。
「あ、姉貴!?」
「あれ、お姉さんいた
 の、と綱吉が最後まで言う前に修矢は屋上から駆け降りていた。

 

 困った、と東眞は目の前に立つ少年を見る。細く釣り上がった瞳に端正な顔立ち。
 それはどうでもいいのだけれど、先程から腕を組んで正門に背を凭れかけさせている。その行為がどうにも正門を通るなと言っているような気がして仕方がない。通ろうとすると、すと目の前に立たれた。
「部外者は入らないでくれるかな」
「…義弟にお弁当を届けに来ただけなのですが…通してもらえませんか」
 至って普通の対応を見せながら東眞は鞄からお弁当を取り出してみせる。少年はそれを見つめて、駄目だよ、と端的に答えた。
「もうお昼御飯の時間ですし…義弟がお腹を空かせてると思うんです」
「それは忘れた彼が悪いんだ。兎も角、部外者は立ち入り禁止。帰ってくれる」
 しれっと言い放って少年は東眞に冷たい視線を向ける。一体どこの童話の中の物語を口にしているのかと言ったような会話が繰り広げられている。
 東眞は溜息を深くついてそうですか、とくるりと横を向く。こうなれば裏口からはいるしかない。こつこつと遠ざかっていく足音を聞きながら少年はその先を読んで裏口に向かう。そして暫くして、ひょいと東眞はもう一度正門に顔を出した。
「…行ったかな」
 暗殺部隊本部でも通じたのだから、ここでも通じるだろうと実行しただけはある。ほっと一息ついて東眞は校舎まで走る。たんと下駄箱についたと同時に声が下りてくる。
「姉貴!!」
「修矢、お弁当忘れてたよ」
 はい、と東眞は鞄からもう一度弁当箱を取り出して修矢に差し出す。修矢はそれを受取って、まるで子供のような笑顔を顔いっぱいに広げた。
「ありがとう、姉貴」
「次からは忘れないでね。哲さんに迷惑かかるから」
「今日は集金だっけか」
 ああそうかと、頭をかいた修矢に東眞は苦笑して思い出したように尋ねる。
「ところで晩御飯何にしようか」
「…シチューがいいな。姉貴、パンも焼いてよ」
「じゃぁ準備しとくね。勉強頑張って」
「うん!」
 弁当を忘れてよかった、と修矢は手を振って去っていく姉の背中を見ながらしみじみと思った。東眞が去った後に何処からともなく声がかけられる。
「彼女は君のお姉さんかい」
「…それが何か」
「部外者は立ち入り禁止だって言ったはずだけどね。次入ったら容赦なく噛み殺すって伝えておいてくれる」
 その言葉に修矢は鋭く冷たい視線を恭弥に向ける。修矢の殺意すら感じられる瞳に恭弥はすっと気配を鋭くする。
「俺がその前にあんたを噛み殺してやる」
「なんなら、今試してみるかい」
 その挑発に修矢は瞳を閉じてくるりと背を向けた。

 

 東眞は予想以上に長い列に驚いた。哲から預かっている無料券の店の前に並ぶこの長蛇。数回瞬いたものの、頼まれたことではあるので東眞はその最後尾に並ぶ。
 すると鞄の中の携帯が数回なった。ひょっとしたらという期待を持ちながらそれを取り上げる。携帯の画面を見たところ、名前は違ったが、それでも嬉しさを覚えて通話ボタンを押す。
「は
『う゛お゛お゛ぉい!!元気にしてるかぁ!』
 返事をする前の挨拶はスクアーロである。
「はい、元気にしてますよ。今朝絵葉書も届きました。ヴェネチアに行ったんですか?」
 長い列を待ちながら東眞は電話の相手に向かって笑顔になる。多少鼓膜が裂けそうな気もしないが、慣れれば何故かどこかなじむものがあるから不思議な事だ。スクアーロはきっと楽しそうな顔をしているのだろうと東眞は想像する。
『任務でだけどなぁ。絵葉書気に入ったかぁ?』
「とても。綺麗なところですね…絵葉書はどの場所なんですか」
『カナル・グランデの日没だぁ。他の所の絵葉書も買っといたんで、今度送るぞぉ』
「楽しみにしています。みなさん元気にしてますか」
『元気だぞぉ。ところで東眞』
 多少神妙になった声音にどうしたことだろうかと思いつつ東眞は何ですかと返事をする。一拍置いて、スクアーロは暫く考えたように告げた。
『ボスとメールしてるんだろぉ』
「?はい」
『もっと書くこととかねぇのかぁ。俺がてめぇからのメール見せたら、俺の携帯ぶち壊しやがった!』
 スクアーロの憤りを聞きながら、東眞は何とも答えようがなく、ただ曖昧にはぁと返事をする。携帯を壊されたのはそれはひどい損失だろうと気の毒には思ったものの、壊されるような一体何をしたのだろうか。
「何されたんですか」
『…あのなぁ』
 げんなりとした声に反対に首をかしげざるを得ない。兎も角東眞はスクアーロの言葉の続きを待った。
『何で俺やルッスーリアのメールは結構量あるのに、ボスのは少ねぇんだぁ?』
「…」
 その質問に東眞は僅かに言葉を詰まらす。
 そんな答えなど、東眞にとっては一つでしかない。スクアーロは黙ってその答えを待っている。東眞はそれにゆっくりと返事をした。
「そのですね、何を書けばいいのか…正直な話分からないんです」
 こほん、と咳きこんで続ける。
「話したいことも伝えたいことも沢山あるんですけど、いざ文字にしてみると何だか違うような気がするんです。それで何回も消して書いて消して書いてしてるうちに」
『一文になってわけかぁ…』
 電話の向こうで何かこう納得したような感じの返事がした。東眞はそれに慌てて訂正を加える。
「でも、メールを書くのが嫌というわけではないんです。勿論。…もしかして、迷惑でしたか」
 声のトーンが落ちたのに気付いてスクアーロは慌てて弁解する。
『そ、そんなわけはねえぞぉ!!寧ろもう少し頻繁に送ってもいい位だからなぁ!!』
 これ以上の失言は不味いと言わんばかりにスクアーロは話を切り換える。
『ところで卒業までもう少しだなぁ。首洗って待ってんのかぁ?』
 からかい混じりの言葉に東眞は苦笑した。
「もう少しって言っても後一月半もありますよ。そういえば、前から聞こうと思ってたんですが」
『何だぁ?』
「せいみあってどういう意味ですか?」
その言葉にスクアーロの反応がぴたりと止まる。そしてすっと声に緊張が張りつめた。
『―――――――――それ、誰に言われたぁ』
 何か悪い意味なのかと心配がよぎったが、東眞が恐る恐るあの時に、と答える。それを聞くと、電話の向こうの緊張がパッと溶けて、そしてまた笑い声が響く。
『そうかぁ、それならいいんだぁ。それじゃぁな!』
「あ、あの!」
 東眞は慌てて引き留める。そして、いつもメールに書いては消している言葉を口にした。

「その――――――――――待っています、と伝えて下さい」

 その言葉に電話の向こうが一瞬止まる。そしていきなりぷつりと切れた。電池でも切れたのだろうかと思いつつ、東眞はまぁいいかと携帯を鞄にしまった。それから次のお客様、と呼ばれてはいと返事をした。

 

 スクアーロは顔を引きつらせて、背後から携帯をもぎ取った人物を恐る恐る振り返る。そして弁明を始める。
「べ、別に毎日連絡とってるわけじゃねぇぞぉ!!」
 機嫌の悪い、睨みつけてくる瞳にスクアーロは相手の手の内にある携帯電話の身を心配した。これ以上電話を壊されてはたまったものではない。
「それにだなぁ、東眞も別にてめぇが嫌いでメールが短いわけじゃねぇって言ってたぞぉ」
「…」
 ふん、と鼻を鳴らしてXANXUSは取り上げた携帯電話をスクアーロに投げつけて背中を向けた。スクアーロは無事に帰って来た携帯電話に安堵しつつ、両肩を落とす。
 XANXUSの足音が消えてから、ひょっこりとソファから冠が姿を現す。
「しし、今回は壊されなかったのかよ」
「うるせーぞぉ」
「てか東眞とわざわざ連絡とるなんて恋のキューピッドのつもりかっての」
 趣味悪ぃ!とベルフェゴールは腹を抱えて笑いだす。スクアーロはそれになんだとぉ!といきり立って拳を振り上げる。その振り下ろされた拳をひょいと避けて、スクアーロの顔面を踏みつけてその背後に降り立つ。
「あーとっとと東眞こっちこねーかな」
そしたらこんな気持ちの悪い鮫ともおさらばなのに!とベルフェゴールは笑った。当然の如くスクアーロは逃げ出したベルフェゴールを追いかけた。