01:御曹司と - 8/9

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 庭の中をのんびりとした調子で東眞は歩く。しかしその視界の端々にはしっかりと監視カメラの位置を捉えておく。固定されているのか、それとも動いているのか。動いているならばどれくらいの速度で動いているのか。
 身体能力は一般人であるが、それでも頭の回転であればそこそこできる自信は東眞にあった。
「あっちが門だぁ」
「…わざわざ教えてくださっていいんですか」
 スクアーロの言葉に東眞はきょとんとする。流石にそこまで教えてくれるとは思わなかった。
 その反応にスクアーロはがりがりと銀色の髪をばらつかせながら困ったように唸る。
「――――…そのぉ、ボスのこと嫌いになんねぇでくれるかぁ?」
 悪いやつじゃねぇんだ、とまるで弁解するように口を尖らせそっぽを向いて言う。東眞の返事がないままでスクアーロは続けた。
「閉じ込めちゃぁいるが、対応の仕方を知らねぇだけなんだぁ」
 他に方法を知らないのだ、とスクアーロは言う。
 それは東眞も感じていた。感情を押しつけることしか気持ちの伝え方を知らないかのように見えた。言葉の端々に感じられるそれを東眞は同様に言葉を返すことでかわしていた。
 ざと風が吹いて銀色の髪と黒の髪が混じって離れる。東眞はスクアーロの困ったような目を見ながら、微笑んだ。
「好きですよ、XANXUSさんのこと」
「!本当かぁ?!」
「はい、お世話になってますし」
「…そっちかぁ」
 あからさまに落胆した様子である彼を見ていると、どうにも笑ってしまう。笑った東眞にスクアーロはさらに困った顔になる。勿論スクアーロがどんな言葉を期待しているのかくらい、東眞にとて分かる。
 だがその望む言葉を言える立場に東眞はない。あの赤い瞳にまぎれもなく心が惹かれているという事実は今の東眞には不要なものだ。
 一拍置いて東眞はにこやかに微笑む。
「お邪魔している間だけでも、仲良くしてください」
「…何で笑ってられるのかちっともわかんねぇ」
 スクアーロの質問に東眞はぱちりと目を瞬いて、それからまた笑った。その笑いに納得がいかないと言った様子で、スクアーロは相変わらずのだみ声で自分の意見を述べる。
「死ぬも同然じゃねぇかぁ」
「死んではいません」
「気持ちの問題だぁ」
「だったらなおさら」
「他の家に引き取られたらとか思わなかったのかよぉ」
「たらればの仮定は所詮仮定でしかあり得えません。そんな夢物語に心を向けるくらいであれば、私は今のこの現実で自分がどうしたら一番幸せになれるかを考えます」
 はっきりとそう言われ、スクアーロは眉間に一二本皺を寄せた。
「本当のところ、誰かのためにというわけではないんです。育ててくれた人のために何かできることがあるならば、それをしたいという自分のためです」
 我儘なんです、とこぼした東眞の表情は横に流された髪のためによく見えない。それからそしてと言葉が続く。

「私のこの選択は、間違っていないと思っています」

 今度はくっきりと見えた瞳だった。XANXUSのように睨みつける威圧感のある瞳ではない。が、それでもその視線の強さにスクアーロは僅かにたじろぐ。
「ただ、少しばかりやりたいことがあったので…」
「やりたいこと?何だぁ?」
「秘密です」
「…」
 聞いても教えてくれそうにないことは分かったのでスクアーロは諦めて他のところを案内することにした。

 

 こつと音が響いて、そちらの方を向く。入れといえば、マーモンが扉を開いて入ってきた。
「もう調べたのか」
「まぁね」
 そう言ってマーモンはどこから取り出したのか一枚の紙を渡す。XANXUSはそれを受け取りざっと目を通す。
「身体情報はそこにある通りだけど興味深い結果はなかったよ、ボス。それよりも」
 言葉を勿体ぶるようにとぎらせたマーモンの続きを待つ。それを感じ取ったのか、マーモンはゆっくりと話し始めた。
「彼女の両親、事故死じゃないみたいだね」
「日本の警察機構も落ちたな」
「小さい組とはいえども、それなりに金はあったみたい。世の中真実ものを言うのは金だよ」
 その言葉に特に反応をせずにXANXUSは続きを促す。
「その両親だけど、母方の両親は結婚を認めてなくて駆け落ち同然で日本に来たんだ。死んで母親だけがここイタリアに遺体を引き取られたって話。墓地もこの近くさ」
 墓地、と聞いてXANXUSはふと東眞との始めの会話を思い出す。確か教会からと言っていた。教会の近くには墓地がある。つまり彼女は母親の墓地を探していたのだろう。
「父親の墓は日本らしいけどね」
「くだらねぇな」
「全くその通りさ。にしても彼女があんまりにも日本人の血を強く受け継いでいたみたいだから調べてみたけど。彼女の母はイタリア人ではなかった。日本人さ。ちなみにその彼女の母の母も日本人だった。イタリアに留学した際に日本人と結婚してそのままイタリア在住。それで母親もイタリア在住」
 イタリア人と結婚はしなかったみたいと言うマーモンの話を耳にしながら、XANXUSは一枚の用紙をじぃと見つめる。
「…義弟についての情報はあるのか」
「桧修矢?ああ、彼なかなかの凄腕だよ。次期組長でありながら、他の組を粛清するときに先頭をきってる。ついた渾名が黒蝶。何でも黒い髪を靡かせて敵を切り刻む様からついたそうだけど。でも写真で見る限り、靡くほどの髪はないけどね」
「かつらだ」
「…成程、なら東眞は彼の影なわけだね。その義弟のおかげで一時期は崩れかけていた桧組も今では少しずつではあるけれど幅を広げているらしい。そこでもっと組自体を大きくするために、関東を締める組との婚姻を結んだというわけだ。以降はスクアーロの調査と同じさ」
 そこでああ、とマーモンは言い忘れたことを付け加える。
「その組長だけど、本妻はいるんだ。だから彼女は本妻も認めた子を産ませるための女ってことになるね」
 僕には、とさらに言葉をつづけたマーモンにXANXUSは特に何を言うわけでもない。
「彼女がそこまでする理由が分からないね。両親を育て親に殺されてもなおそのために尽くそうという彼女が」
 じゃぁ失礼するよ、とマーモンはあっさりとXANXUSの前から消えた。
 XANXUSは机の上にがんと足を乗せて、テキーラをごくりと飲む。からりと氷が揺れた。氷がアルコールの中でゆらゆらとする様子を見ながら、背もたれにぐっと体重を乗せた。
 間違いなく東眞は両親が殺されたという事実を知らない。かといってそれを本人に告げたところで、状況は変わらないように思えた。育てられた、という事実に関しては変わらないからだ。
 外的部分からあの女を手に入れたいとは思わない。それは間違いなく自分が欲しいと直感した女ではなくなるように思う。
 ちらと外を眺めれば、スクアーロと東眞が二人で立っていた。多少いら、ときたがその様子を黙って見ている。カス鮫の表情が落胆、驚愕、様々なものに入れ替わる。女の表情は背中を向けているので分からない。しかし、笑っているように感じた。
 強く欲しいと思っている。理由など分からないが、ただそう感じている。東眞のその口から、ここに居たいという一言を聞きたいとXANXUSは思った。
 そしてグラスの中のテキーラを飲み干した。