01:御曹司と - 5/9

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 紅茶をカップに注いで、それぞれに渡す。マーモンに渡すときは多少戸惑ったが、それでもきちんと受け取った。そして東眞もゆっくりとソファに腰を下ろす。
 XANXUSは無言で差し出された紅茶を飲んだ。そこにスクアーロが茶化すようにして言葉を挟む。
「てめぇが酒じゃなくて紅茶なんて飲む日が来るなんてなぁ、驚きだぜぇ」
 空気の読めないやつ、とヴァリアー一員は心を一つにしてそう思った。目にもとまらぬ速さで中身の入った酒瓶がスクアーロの頭を直撃した。
「黙ってろ、カス」
 倒れて酒だけでなく熱い紅茶まで頭にぶちまけてのたうちまわるスクアーロを東眞は心配そうに振り返ろうとしたが、ベルフェゴールによってそれは阻まれる。自業自得ーと笑うベルフェゴールの隣ではルッスーリアが紅茶とクッキーをつまんでいた。
 そう言えば、とそこで東眞は思い出す。
「XANXUSさんはどんな仕事をされているんですか」
 にこやかに聞ける内容ではないのだが、東眞自身彼が何をしているのかしらないので、聞くことができた。ベルフェゴール、ルッスーリア、スクアーロ、そしてマーモンまでがしんと静まり返りXANXUSの返答を待つ。XANXUSはカップから口を放してちら、と東眞を見た。ごくり、と一同はXANXUSの次の言葉に耳を澄ませた。

「…ケーキ」

 がっくん、と一気に張りつめた空気が弾けた。XANXUSはカップの紅茶をもう一口飲むと、何でもないことのように続けた。
「ケーキが食いてぇ。作れ」
「…え、えぇと…」
「作れ」
 全くの想定外の答えに戸惑っている東眞に考える隙を持たせぬようにXANXUSは言葉を強くした。東眞は一拍置いた後に、相好を崩して笑った。
「分かりました、何作りましょうか」
「何が作れる」
「結構色々作れますよ。チーズケーキ、ミルフィーユ、タルト、ザッハトルテ、モンブラン、パウンドやブラウニーも大丈夫です」
「ミルフィーユ」
「手伝ってくれますか」
 またなんと命知らずな!とスクアーロが慌てて止めにかかったが、XANXUSの手が出ることはなかった。その代り、ぎとソファから重みが一つ減った。スクアーロにいたっては驚愕でぽかんと目を見開いている。
「う゛、う゛お゛おぃ、ボ、ボス正気かぁ…?」
 ぱくりと口を動かしながら怯えを含んだそれでスクアーロが尋ねる。XANXUSが振り返る前に、東眞が先に振りかえった。
「スクアーロも一緒に作りませんか」
「王子も作るしー」
「お菓子作りならあたしも混ぜて頂戴!」
 ベルフェゴールとルッスーリアも立ち上がってワイワイと群がる。スクアーロは慌てて立ち上がり、その後を追いかけた。

 

 とんでもない光景を今目にしている、とスペルビ・スクアーロは思っていた。
 自分が着ているこの普通の服の上にあるエプロンも十分にそうだが、あのXANXUSが、そうあのXANXUSが。エプロンを着て、台所に立っていると史上稀に見る(稀にも見ない)の非常事態が発生している。
 だが残念なことに誰もその非常事態に突っ込んでくれる人間はいない。唯一まともかとおもわれたマーモンでさえ小さな(よだれかけのような)エプロンをつけて分量を量っていた。そして、そんな自分にもぽんと大量のイチゴの入ったボールを手渡される。
「これを洗ってもらえますか」
「ぅ、ぉお…い、いいぞぉ」
「お願いします。XANXUSさん、卵は卵黄と卵白に分けてください。一緒にしちゃいけませんよ」
「うるせぇよ」
 不器用ではないのだろうが、黄身が卵を割った時に割れてしまい卵白と一緒になっている。
 東眞は笑って、手本を一つ見せる。XANXUSはそれを見てからもう一度卵を割る。卵黄と一緒に。それを見たベルがにししと笑いながら卵を一つとって器用に分ける。
「やっぱ王子天才!」
「…フン」
 こつん、とXANXUSは今度はできるだけ丁寧な動作で卵を割り、どうにか分ける。
 これが世界最強と謳われる暗殺部隊の姿か、と頬を引きつらせながらスクアーロは固まった。その肩をとんと柔らかい仕草で手が撫でた。
「あっらーん、まだ洗えてないの?」
「う、うるせぇ!今洗うところだったんだぁ!」
「あらあら、東眞ー。こっちの計量終わったわよぉ」
「あ、じゃぁルッスーリアはホイップクリーム作ってもらっていいですか」
「任せて頂戴!」
 東眞はパイ生地を作りながらルッスーリアに頼み、時々不器用な手つきでカスタードクリームを作るXANXUSの手伝いをする。 マーモンとベルフェゴールはスクアーロが洗っているいちごの他に何か材料がないか冷蔵庫をあさっていた。そしてチョコレートやオレンジなどを持ち出して東眞に見せる。
「これもいれていーい?」
「いいですよ。一つずつ、小さめのものを沢山作りましょう」
「それサイコー!」
「ベル、そっちのクランベリー取って」
「んー」
 ほい、とベルフェゴールはマーモンにクランベリーの入ったボールを渡す。マーモンはその中でも一際良いものを一つ二つと取りだしていく。動きを止めていたスクアーロの肩をつん、とルッスーリアがホイップクリームを作りながら突いた。
「?」
「ほらほら動き止めてないでちゃぁんと苺洗うのよ?」
「洗ってるぞぉ」
 ばしゃと水をはねさせながらスクアーロは苺を洗う。その隣でボールの中身を混ぜながら、鼻歌を奏でる。
「うるせえぞぉ」
「何だか平和ねぇ」
 不気味なくらい、との言葉にスクアーロは動かしていた手を止める。そして、ちらりとXANXUSの方を見やった。だが彼はかちゃかちゃとボールをかき混ぜている。何とも不思議なほどの不釣り合いっぷりだ。
 その光景にがっくりとスクアーロは体の力を抜いた。
「何だか力が抜けるぜぇ…」
 退屈すぎる日々が少し変わって、少し変わって変な具合に平穏になってしまった。始まりはあまりにも唐突で、そして今に至る。どうせ、いずれは終わってしまうこの非凡な空間がまるで一生のように感じてしまうのは何故だろうか。
「おい」
「はい、何ですか」
 連れてこられて閉じ込められていつかは帰ると笑顔でそう言って、巻き込まれたものに動揺もせずに溶け込む女。初めて会った女を自分の女と決めつけて連れて来て傍に置き、退屈だからとその一瞬に興じる男。そしてそんな二人の、ピースのようにはまった関係にとりこまれていく自分たち。
「牛乳を少しずつ入れながら滑らかになるまで溶いて伸ばして下さい」
 かちゃとXANXUSの腕がうごき、物を作るということに没頭している。壊してばかりの彼が、何かを作っている。
 それはやはり歪な光景にスクアーロには見えて仕方なかった。
「XANXUSさん」
「何だ」
「今日の夕方ぐらいにお暇してもいいですか」
「やれるもんならな」
 XANXUSが混ぜる様子を眺めながら東眞は普通に切り出すものの、あっさりとそれは否定された。そして切り出した本人もそれに落ち込む様子もなく、そうですか、と返した。
 奇妙だな、とスクアーロは幾度思ったかもしれないことを思った。
 そして会話は普通に続く。
「それくらいでいいですよ。それで次は中火にかけてほどよい固さのクリーム状になるまで練り混ぜてください」
 焦がさないで下さいね、と笑って続ける。XANXUSは鼻を鳴らしてコンロの上に鍋を置きその中にボールの中のものを入れて火を付けた。
 東眞はその一方で寝かせ終わったパイ生地を丸い形に取りながらオーブン皿に全て乗せて、予熱を済ませたオーブンに入れる。
「ルッスーリア、できました?」
「こんなものでいいかしら?」
 ちょんと角を立てたホイップクリームを見せながらルッスーリアは自慢げにボールを差し出して見せた。東眞は親指を立てて、ばっちりです、と笑う。そしてはっと慌ててXANXUSの方に振りかえった。見れば、少し焦げくさい。
「XANXUSさん、もういいですよ!」
 少しばかり焦げた香のするカスタード。
 東眞はそれをコンロから上げて、少しずつ熱を取っていく。XANXUSは東眞の隣でその工程をじっと何も言わずに見ている。
 スクアーロは最後の苺の水洗いを済ませた。
「う゛お゛ぉぉい、終わったぞぉ」
「遅ぇよ」
「な!カスタード焦がしたり、卵もまともに割れねぇてめぇよかましだぁ!」
「…」
「スクアーロって本当に学習しねー」
 けらけらと笑うベルフェゴールにはっと気付いたが時すでに遅し。はっと気付いて視線を元に戻せば、ごん、と激しい音がして空になっていたボールが頭に綺麗に直撃した。