01:御曹司と - 4/9

4

 東眞とルッスーリアが去った後の広間で静かな声が響いた。
「ところでボス」
 XANXUSは鷹揚に視線だけで返事をした。それはいつものことなので特に気にせずにマーモンは話を続ける。
「あの女は誰でこれからどうするのさ」
「あの女は俺の女でこれからもここにいる」
 手は出すなと無言の威圧感をかけていることは、誰が言わずとも分かった。
 マーモンはふぅん、と返してまた何で、とスクアーロと同じことを返しかけたが、やめた。ベルフェゴールも東眞の発言を聞いていたのだが深く問うことは同様にやめた。
「…まぁ僕らはボスの言うことに従うだけさ。何処かのスパイという線はないんだね」
「ない」
 端的に二言でそう言ったXANXUSは机の上にあった紙の束をマーモンに投げて渡す。それをベルフェゴールが受け取ると、ぺらぺらとめくりながら、二人はそれに目を通した。
「ずっさーん。ねぇボス、これ誰が調べたの?」
 ベルフェゴールの問いかけにXANXUSは赤い瞳孔をスクアーロの方に寄せたが、それが完全にそちらに向く前にスクアーロのがなりが響く。
「言いたい放題言ってくれんじゃねぇかぁ…この野郎!!」
「ベルの言うとおり杜撰の極みだと思うけどね」
「……っっ、て、てめぇらぁ…三枚におろされてぇのかぁ!!」
 わなわなと怒りで体を震わせながらスクアーロは頬を盛大に引きつらせて刃をじゃんと構える。しかしマーモンはスクアーロを一瞥してXANXUSに言った。
「図星だったわけだ。ボス、でもこれは色々と抜けていて資料と呼ぶには難しいよ」
「てめぇが調べるか、マーモン」
「抜けているところだけでいいならBランクの報酬三倍で手を打つよ」
 淡々と会話が進んで、XANXUSはさも当然のように言葉を投げた。
「そこのカス鮫の口座から引いとけ」
「う゛お゛おぉい!!冗談じゃねぇぞぉ!」
 ひでぇ!という叫びにベルフェゴールが笑ったのは言うまでもない。

 

 茶葉を蒸らしながら東眞はのんびりと腕時計を眺めている。ルッスーリアはその隣で皿に茶菓子代わりのクッキーを乗せていた。
 カップを温めて、東眞はその湯を捨てる。
「でも随分と豪華なところですね」
 ここは、と調度品を見渡しながら東眞は感動したようにそう言った。
「そりゃそうよ、どれもこれも一級品だもの」
「XANXUSさんは凄いお金持ちなんですね」
「…?まぁ、そうね。お金持ちよ、ボスは」
 どこか齟齬を感じつつもルッスーリアは会話を続ける。しかしその東眞の眼鏡が目について仕方がない。ファッションセンスを気にするものとして許せないセンスである。その視線に気付いたのか、東眞はにへらと笑った。
「これはこのままで構わないんですよ」
「でもねぇ、ひどすぎるわ!」
「…大切な人のものなんです。レンズだけ変えて使用してますから、かれこれどれだけ使ってるんでしょうか…」
 もう分からないですね、とポットをトレーの上に乗せてすいと持ち上げる。カップは取敢えず人数分だけ温めておいて同様にトレーに乗せた。
「あら、私が持つわよぉ」
「大丈夫です。これくらい持てますよ」
 そんな心遣いに東眞はくすくすと笑いながら歩きだした。190にも近い長身のルッスーリアの隣に並ぶと、東眞が小さく見える。そう小さな方ではないのだが。
「ルッスーリアはXANXUSさんの家族なんですか?」
「…家族…?違うわねぇ、ボスは私の上司よ」
「上司?仕事を?」
「…ねぇ、私ボスから何も聞いてないの?」
 あまりの情報不足にさしものルッスーリアも不安を覚えてそう尋ねた。
東眞はその問いに、はい、と答えた。
「そう言えば知っているのは名前くらいですか」
 あまりにも想定外の答えに驚いたのはルッスーリアの方である。
 XANXUSが話し忘れているのか、それとももとから話すつもりがないのか、それかこれから話すのどれかである。そのどれにしても自分が話してまずい結果になるのは目に見えている。
 東眞はそんなルッスーリアの葛藤に気付くことなく、尋ねた。
「どんな仕事をしてるんですか」
「え…あー、そ、そうね!ボスに聞いた方が早いわよ!」
「…それもそうですか。お茶を飲む時にでも聞いてみることにします」
「ええ是非そうして頂戴!」
 心の底から安堵しながらルッスーリアは叫ぶようにして返事をする。
 しかしそこであることに思い至る。女がここまで何も知らないと言うことは、つまり彼女は新しいヴァリアーの人間ではないことになる。そもそもイタリア・マフィアには女は基本的に存在せず、ヴァリアー内にも女性はいない。ボンゴレ自体には特例として僅かに存在するが。ならば何故ここにいるのか。思えばボスのことをXANXUSさん、とそう言っている時点でおかしい。
 ちらと僅かな警戒心を持ちかけたが、どう頑張っても彼女は腕が立つようには到底見えない。一般人、鍛えられた体も持ち合わせておらず、また警戒心も薄い。
 マーモンは警戒心を解いてはいないようだったが、あのスクアーロが斬りかからずにいたということが不思議だ。
 奇妙な点はいくつもあったが、XANXUSが特に何も言っていないのだから問題はないのだろうとルッスーリアは考えるのをやめた。何はどうあれ彼に従うのだから。
「でもあれねぇ」
「どうかしたんですか」
「レヴィが知ったら…」
 ちら、と東眞を見やってうんと唸る。あの嫉妬深いレヴィのこと、XANXUSに近づく物はことごとく闇に葬り去りそうな気がして仕方がない。
「レヴィ?まだお会いしていませんね」
「今は長期任務の最中なのよ。でも後もう一週間もしたら帰ってくるわ」
 そしたら会えるわよ、とにこやかに微笑むルッスーリアに東眞は僅かな間を置いてからそうですか、と返した。
「会えないかもしれませんね」
「あら、どうして?」
「そう長い間は滞在しないので」
「…そうなの?」
 けれどもXANXUSは居て当然、これからも当たり前のように此処に据える、と言わんばかりの様子だった。彼女の台詞と彼の行動はどうにも食い違っている。
 ただ一つ言える事と言えば、あのリング戦からずっと暇で死にそうで何もかもが面白くないと言っていたボスの顔が、少し面白そうで楽しそうで、そしてどこか暖かそうなものを見せていたのは確かである。ボスとしては少し(というよりもかなり)横暴で傲慢な男だけれども、ルッスーリアはそれでもボスをボスとして慕っている。尤もレヴィ程ではないが。
 だからこそその変化は少し嬉しかった。
「どこにもいかないでくれる?」
 もしも彼女がその変化の原因であるならば、ここから去ってしまうのは忍びない。
 東眞はルッスーリアの問いかけに、ごめんなさいと言った。
「どうして?ここはいいところよぉ」
 ある意味此処以上に安全な場所などない。殺し屋としての精鋭がいる以上、命の危険にさらされることなどそうはないだろう。丁度品も素晴らしいし、文句のつけどころがない。
「ここに来たのは、用事があるからです。それが済めば、私は日本に帰ってすることがあります」
「それでもまた来てくれるかしら」
 ぴくり、と東眞の肩が僅かに動きを止めた。ルッスーリアはそれに敏感に気付く。
「駄目なの?」
「海外に来るのはこれが最後ですから」
「残念ねぇ」
「本当に。でもとてもいい思い出になります」
「忘れられなくなるほどに強烈な思い出になるわよぉ」
 ふふと笑ったルッスーリアに東眞は笑い返した。しかし今度はそうですね、という返事はなかった。

 

「ああ、親父?うん、俺だ」
 小さな携帯を耳に当てて修矢はそれに話しかける。
「姉貴?勿論元気にしてる。いいじゃないか、姉弟水入らずで楽しむ時間を邪魔するなって。しかし姉貴もあの年で温泉めぐりがしたいだなんて、可愛いよなぁ」
 嘘がぺらぺらと何でもないことのように零れて落ちる。
「心配するなって、姉貴は自分の立場は分かってるんだ。逃げ出したりなんてするわけないだろ。<会いに来る?余計なことすんな、もう姉貴の時間も少ないんだから…。親父もちっとは姉貴のこと信用してやれよ」
 ちゅん、とその隣で鳥が鳴いた。
 修矢は口元に笑みを作った。
「そんなに心配しなくてもなぁ。ちゃんと俺と姉貴で帰ってくるって。逃がすなんてことするわけないよ。次期組長の俺を信じてくれないのか、親父。姉貴は今俺の隣で疲れて寝てるし、ここは日本だ。疑うな」
 そういう修矢の視界に広がっているのは西洋の建物が立ち並ぶ姿だ。
「姉貴の声が?疲れて寝てる姉貴を起こすのは嫌だ。俺はこう見えても姉貴を大切に思ってるわけだ」
 良い弟だろ?と冗談めいて言う。親指の腹と人差し指を擦り合わせながら、修矢は電話を続ける。
「もう暫く温泉旅行楽しんでから帰るよ。土産も姉貴と選んで帰るから楽しみにしててくれ。じゃぁな、親父」
 返事があったのを聞き終えてからぷつんと電話を切った。そして、疲れたように足の間に顔をうずめる。ぎり、と歯噛みした。
 あの変な男たちに連れて行かれた先を暫く見張っていたものの、鉄壁、としか言いようのない守りだ。これでは入り込んで連れ出すということもできない。騒ぎを起こせば父が気付く恐れもある。
 しかし、と同時に考える。もし相手がマフィアや裏の人間だとすれば騒ぎはもみ消される可能性だってある。だが相手が唯の金持ちな場合、大事になる可能性は大だ。
「…畜生」
引き延ばせて三日、それ以上はもう無理だろうと修矢はぐと奥歯を噛みしめた。