01:御曹司と - 3/9

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「そー王子様っていいけどさぁ」
「はい」
 くるくると一緒に回りながら東眞は答える。ベルフェゴールの肩に止まっているマーモンも少し足を宙に浮かせて一緒に回っていた。ただスクアーロはその奇妙な空間に入るのを躊躇いつつ、かつかつとその後ろから歩く。もう暫くも歩けば、XANXUSの所、共用広間に到着する。
「ベルでいいって、それと敬語もなーし。うしし、王子優しーぃ」
「…名前はできますが、敬語は使わせて下さい。ベル」
「じゃー名前に様とかさんつけたらキス一回ねー」
 それで手うったげる、とにししと笑いながらベルフェゴールは回転を止めて東眞の方に手を伸ばした。そして、その手でひょいと東眞がかけていた眼鏡を取った。あ、と小さな声が口からあがる。
「ベル、返して下さい。それがないと前が見えないんです」
「こんなだっさい眼鏡似合わねーって」
「ベル、お願いですから」
 そう言って途端ふらつきだした足取りにスクアーロはぎょっとする。かなり視力が悪いのか気をつけていないと壁にぶつかりそうな勢いである。
「お、おい」
「眼鏡を…」
「だーめぇ」
 東眞の頼みを笑いながら断ってベルフェゴールはひょいひょいと回廊の上を跳ねるようにして先に進んでいく。一体どれほど見えていないのだろうか、とうとう東眞が躓いた。
「あ」
「う゛お゛ぉい、気をつけろぉ」
 地面と衝突しかけた東眞の腹を抱えてスクアーロはそれを防いだ。そうすると、有難う御座いますと声が返ってきた。それを揶揄するように少し遠いところからベルが騒ぐ。
「スクアーロ、顔真っ赤ー!うししっ」
「な、だ、誰が真っ赤だぁ!!」
 う゛お゛ぉい!とまた唸るような叫び声をあげてスクアーロはベルフェゴールを追いかけて行ってしまった。東眞は慌ててその後を追いかけようとしたものの、眼鏡がない状態で走るのはかなりの危険行為だ。一歩足を踏み出してまたタイルの間に足を躓き、こけかけるのをどうにか耐えて立ち止まり息をはく。
「…困った…」
 ここから先の道も何処をどう行けばXANXUSがいる部屋にたどりつくのかも分からない。さぁどうしようと東眞は腕を組んだ。それと殆ど同時に背後から声がかけられた。
「あっらー、まぁまぁ女の子だなんてめっずらしぃわ―っ」
 女の声にしては随分と低く、見えるぼやけた影は大層大きい。
「…おはようございます」
「まぁ!礼儀も正しいのねー!久し振りにおはようございますだなんて聞いたわ!」
 きゃらきゃらと笑う様子から、ほっと安心して東眞はふわりと笑った。
「まー笑った顔も可愛いじゃないの!」
「可愛いと言われるのは修矢以外では久し振りです。はじめまして、桧東眞といいます」
「ジャッポネーゼなら、東眞が名前かしら?」
「はい、そうです」
 ルッスーリアよ、と自己紹介を受け東眞がルッスーリアさんと言うと、その表情を曇らせた。
「さんだなんてよそよそしいわぁ。ルッスーリアでいいわよぉ。私も東眞って呼ぶから」
「…分かりました、ルッスーリア」
「その口調もどうにかならない?」
「初対面の方にはどうしても…癖のようなものです」
 困ったようにはにかんだ東眞にルッスーリアはその肩を抱いて歩き出す。
「なら仲良しになったらそれもなくなるのね」
「…そうですね。ところでXANXUSさんはどちらか御存じですか」
 一拍のためらいの後、東眞は頷いた。そしてその質問にルッスーリアはええと笑う。
「今の時間なら広間でしょうね。私も今行くところだったから一緒に行きましょう」
「助かります。スクアーロさんに案内をしてもらっていたんですが、途中で…」
 はぐれて、というよりも置いていかれたという方が随分正確なのだが東眞は少し考えてはぐれてという言葉を選んだ。
それにルッスーリアは頬を膨らませ、鮫ちゃんったら!と怒っていた。東眞はそれに小さく声を出して笑って、ついていった。

 

「…俺は東眞を連れて来いと言ったはずだが?このカスが」
 XANXUSは机の上に足を尊大に置いて、スクアーロを鋭い視線で睨みつける。その視線を一身に受けながら、スクアーロはたじたじとした様子で言葉を濁らせながら視線を泳がせる。
 ベルフェゴールはその様子をソファに凭れかけながら笑いながら眺めていた。しかしXANXUSはそのベルフェゴールが持っている物に気付いてさらに眉間に皺を寄せた。
「おい、それはどうした」
「しし、東眞の」
 だとすれば今一体東眞はどうやって歩いているのだろうか、とXANXUSはふと思う。彼女はかなり目が悪く、初めて会った夜だって二度ほどぶつかったくらいだ。
 XANXUSはベルフェゴールに手をのばしてそれを差し出すように目で言った。ベルフェゴールは一瞬きょとんとしてから眼鏡をXANXUSに差し出した。それを受け取る。眼鏡を手の中で音をたてさせながら、静かにしている。
「…」
 そして暫くそうしていた後、腰を上げかけた。が、それが扉を開ける音で止まる。ベルフェゴール、マーモン、スクアーロそしてXANXUSの視線が一気にそちらに向けられた。そこにはルッスーリアと探しに行きかけた人物が立っていた。
「遅ぇ」
 上げかけた体をずっしりとソファに戻してXANXUSは睨みつけるようにして言う。そして眼鏡をその顔に投げつけた。眼鏡は東眞の顔に当たる前にルッスーリアが取って渡したが。
 ベルは東眞の姿を認めて、ひょいと抱きついた。
「はぐれてしまって…すみません。スクアーロさん」
「カスが置いてったんだろうが、謝る必要なんざあるか」
「ま!鮫ちゃん置いてったのぉ?駄目よ、女性を置いて行ったりしちゃあ」
「う、うるせぇ!俺の所為じゃねぇ!!それにその鮫ちゃんってのやめろ!大体な、ベルの野郎が…っ」
「王子知らね」
「…ベル」
 ぎゅ、と抱きついたベルフェゴールをXANXUSは鋭い視線で睨みつける。それに気付き、ベルフェゴールは笑っていた顔を一瞬だけ真顔に戻して、そして再度笑うと東眞から離れた。
「そうよぉ、あんな鮫に謝ることなんてないわぁ。こーんな可愛い女性ほって行くなんてねぇ」
 ルッスーリアは信じられないわぁと小指を立ててスクアーロに冷たい視線を向ける。スクアーロは言葉を詰まらせて、ぐぐと唇を噛締める。しかし一拍置いて話を切り換える。
「お、お゛ぉ、そ、そういやそのスクアーロさんてのはやめろぉ。スクアーロでいいぞぉ」
「なーに話変えてんだかー必死に誤魔化そうとしてるの見え見えでカッコ悪ぃ」
 つつかれてスクアーロはまたベルフェゴールを追いかけだす。そしてそのまま部屋が戦場のようになる。どこから取り出したのかスクアーロはその手に刀つけて振り回す。
 その喧騒に最初にしびれを切らしたのは言うまでもなくXANXUSである。大きめのがっしりとした手が目の前の酒瓶を掴み取り、ぶんと放り投げた。投げた酒瓶はスクアーロの側頭部に綺麗にクーリンヒットする。
「うるせぇよ」
「うしし、怒られてやんの」
「てめぇ何度俺にそれぶつけりゃ気が済むんだぁ!!俺はテメェのサンドバックじゃねぇぞぉ!」
 がなりたつスクアーロをXANXUSは睨みつけて黙らせた。その視線を東眞の方に移す。東眞はきょとんとしてXANXUSを見返す。そしてXANXUSはぐい、と机の上にあったカップを東眞に向かって突き出した。
「淹れろ」
「…紅茶でいいんですか」
 机の上にずらっと並ぶ酒瓶を端から端まで見てから東眞はそう問いかける。XANXUSは黙ったままでそのまま動きを止めている。ふと表情を緩めて東眞はそのカップを受け取る。
「分かりました、茶葉はどこにありますか」
 XANXUSはそれに答えない。答えない、というよりも知らないと言った方が確かである。そこにルッスリーアが助け船を出した。
「ボス、私が台所まで案内してくるわ」
「有難うござい……ありがとう、ルッスリーア」
その返答にルッスーリアの顔に満面の笑みが広がった。ぴくり、とXANXUSの眉間に深い皺が寄る。
「……とっととしろ」
「ボス怖ぇ」
にたぁと口元の笑みを広げたベルフェゴールを再度諌めるようにしてXANXUSは睨んだが、今度は肩を竦められただけだった。