枯死

 今日も今日もでイソップ・カールは手当てを受ける。
 納棺師のスキル上、ハンターに失血放置されることも少なくはない。最後の一人になれば、納棺の意味を果たさなくなるため、その際は椅子に座らされるが、それ以外であれば、座らせて一カウントとるハンターか、それとも監視者と人格で失血放置するハンターかのどちらかである。
「立てる?」
「はい」
 医師であるが故の、治療速度でイソップは失血死寸前から息を吐いて立ち上がる。
 本日のハンターは後者の失血放置タイプのようであった。幸い、監視者は持っていなかったようで、治療速度が遅延をもらうことはなく、かなりの速度で治療は終了した。
 イソップは膝についていた土を払う。
 傭兵がチェイスをしている。
 スタン系のサバイバーはおらず、残りは自身の他に医師と、それから機械技師。傭兵はファーストチェイスでやられた機械技師を救助した際にダブルダウンを取られて吊られており 、医師に九割救助を受け、後一回椅子に座れば、荘園へと強制送還される。医師は救助の際に二撃目を受けたものの、危機一髪で即ダウンとはならなかった。
 負傷状態の味方がいれば、解読が遅くなるのが機械技師の特徴で、現段階での負傷状態では機械技師本人の解読速度は見込めない。
 危機一髪を付けた状態で、こちらに走り、治療をして、一言言い残して倒れたエミリーの治療をイソップは始めようとしたが、それは手を振って断られる。
「私は平気よ、起死回生が残ってる。暗号機を回して」
「ですが」
 言い淀んだが、イソップは残りの暗号機の数を眺め、エミリーの提案を受け、すぐそばの暗号機を回し始める。
 暗号機の数は二つ。暗号機を回さなければ勝ちへの道筋は立たず、「ハンターが近くにいる」と叫ぶ傭兵がハンターを引き付けている間が解読のチャンスである。幸い、ハンターの特質は監視者ではない。
 で、あれば、ハンターの特質は何か。
 イソップは考える。
 ハンターは白黒無常。試合場は軍需工場。
 軍需工場のマップは広くはない。諸行無常で移動が可能な白黒無常がわざわざ瞬間移動を積んでくるはずもない。
 リッスンは解読遅延と救助の五割越えを狙えるが、走りさえしなければハンターに見つかることはなく、それを積むこともない。スタン系のサバイバーがいないので、興奮はない。
 残るは、神出鬼没、巡視者か異常。
 がん、と反対側で機械技師が回していた暗号機があがる。あと一つ。機械技師は、ロボットをゲート前に配置させ、反対側のゲートには自身が向かい、最後の暗号機が解読と同時にゲートを開けにかかるはずである。
 エミリーが後ろで立ち上がり、治療する間も惜しみ、暗号機を回す手伝いをする。解読速度が向上する時間が迎えており、社交恐怖症の自身が一人で回すよりもずっと早い。エミリーから治療を受け、立ち上がって回し始めた暗号機は、初めて触られるもので、0からのスタートである。二人で回しても、まだ七割。早く。
 イソップは暗号機を回しながら考える。
 八割。
 現時点において、傭兵が肘当てを使い切っていないとは考えられない。故に、強ポジにおけるチェイス、板、左右に振った人格から乗り越えだけで戦っている。
 神出鬼没のクールタイムは一五○秒。少なくとも、このチェイス時間で傭兵が肘当てもなく逃げ続けていることを考えると、特質は神出鬼没ではない。
 巡視者か異常。
 異常であれば、暗号機の解読はもっと遅延されているはずである。は、とイソップは息を吐く。
 後、一割。八分、五分。
「巡視者か」
 傘が、差される。
 どっ、と強く鳴り響いた心臓に、思わず解読の調整を失敗し、暗号機から火花が散る。
「いいえ」
 チェイスしていたはずの傭兵は、ダウンしていた。
 傘が振りかざされる。
 イソップはエミリーを突き飛ばす。違う。
 傘は、暗号機を叩いた。それは、攻撃失敗のように跳ねることはない。特質の正解は。
「異常」
 一気に解読が引き戻される。その絶大な効果に、絶望に満ちるイソップの表情を見て、ハンターは満足げに目を眇めた。
「これが、最後の暗号機でしょう?」
 降り立つと同時に発生していた吸魂で、体に不具合が生じる。突き飛ばしたエミリーも、後少しということろで、その効果範囲に接地しており、影響を受け、窓や板の乗り越え等ができなくなる。
 逃げなければならない。
 完全治療してもらっているので、一撃を喰らっても問題はない。大して、エミリーは救助する間を惜しみ暗号機の解読へと移行したため、一撃喰らえばダウンする。起死回生は使ったので、この負傷状況であれば誰も救助には来れない。
 瞬間的な決断をイソップは迫られる。逃げるか、それとも肉壁になるか。
 しかし、その決断はイソップよりもエミリーの方が早かった。
「私のことはいい!」
「せん、せ」
 視界に栗色の髪が揺れる。ナースキャップが振りかざされた攻撃で宙に跳ね飛ぶ。イソップはかけられた言葉に、ほぼ反射的に背中を向ける。
 この状況下で椅子に座らせる以外の選択肢はないはずである。
 エミリーが起死回生を使用しているかしていないかは、ハンターからは分からない。二撃与えられなければ倒せない自身を追いかけるよりは、先に座らせる。
 は、と息を吐く。鼓動が小さくなっていく。
 傭兵が最後に触っていたと思われる暗号機へとイソップはかける。医師が座らされる。傭兵はまだ起き上がらない。状況を察知した機械技師が、同じように暗号機へと向かってくれていれば、御の字である。
 エミリーは、まだ一回目。こうなれば、九割救助を狙うしかない。
 暗号機に触れる。まだ、二割程度しか進んでいない。先程の暗号機に戻るかと思ったが、傍にはエミリーが座らされた椅子がある。受難の効果でエミリーの近くにハンターがいるのが分かる。あの暗号機には、近づけない。
 イソップは暗号機を回し始めた。遅い。解読速度が上がっていても、なお遅い。じりじりと焦燥から手に汗が滲む。場所が察知されれば、再度異常で解読が戻されるため、一度も調整は失敗できない。額に汗粒が浮かぶ。呼吸が、うるさい。
 その暗号機に血塗れの手が乗せられる。
「悪い」
 起死回生で起き上がったナワーブが暗号機の解読に参加する。長時間に及ぶチェイスと、攻撃による痛みは相当なものなのか、呼吸が荒い。中治りの人格をつけているであろうから、治療はせず、目の前の暗号機に集中する。
 傭兵の解読速度は遅い。それでも、一人よりかは二人の方が早い。
「ごめん!ゲート前のロボットが壊された!後、ハンターの特質が変わった」
 機械技師が、暗号機に触れる。
 イソップは顔を上げる。暗号機に集中していたため、エミリーの方を確認していなかったが、ハンターが椅子から離れている。
 暗号機はラスト一つ。四人残っているこの状況下、機械技師のロボットは二体破壊。白黒無常が選ぶ特質はたった一つ。引き留めるの人格を積んでいるならば、通電後への対策。
 解読は残すところ四割。
 傘は飛んでこない。
 傭兵が、救助へ行こうと顔を上げる。しかし、イソップは先に手を離した。負傷状況から言えば、起死回生を使っておらず、納棺しておりかつ一撃も受けていない自身が行くのが最良の選択である。
「僕が、行きます。救助後、一撃もらいますから、すぐにつけてください。その後は中間待機を」
「分かった」
「僕は、反対のゲートにいく」
「いいえ。おそらく、それは読んで諸行無常で飛んできます。なら、監視者を排除してゲートを開ける方がいい。ぎりぎりまで、解読を手伝って、それから向かってください」
「うん」
 イソップは暗号機から手を離し走る。ぎりぎり、間に合う距離。
 受難で、ハンターは椅子から離れたのを確認した。監視者をゲート付近に置きに行っている。
 全員で逃げる。
 今度は自分が肉壁になる。倒れて、後はゲートに向かっても、その隙に起死回生で立ち上がればいい。信号銃でも機械技師が引いていればもっとよかったが、箱を開ける暇はなかったらしい。
 全力で走り、息が切れる。エミリーと視線が合う。口が、開いている。
「ああ、それも、読んでいますよ」
 しまった。
 ハンターから目を切ったことを恨む。いつの間にか背後に回られていた。手がかざされる。吸魂による救助不可を狙っているのは、わかっていた。
 板を通り抜け、乱暴に倒し、距離を引き離す。迂回している間に、スキルは途切れる。
「先生!」
 もう少し。もう、少し。
 イソップはエミリーを縛る縄を引きちぎった。恐怖の一撃を狙った攻撃を背中にもらう。それを待っていたかのように通電の高い音が鳴り響く。
「僕らの、勝ちだ!」
 赤い光がたなびく。
「いいえ。これからです」
 傘が振りかざされる。背を向けてていたエミリーの間にイソップは体を差し込む。
 想定通りの引き留める。監視者はゲート前に置いていたならば、まだ溜まっていない。イソップは打ち下ろされた傘に地面を転がる。
「イソップく」
「行って!僕は、いい!」
 一瞬止まりかけたその足に、イソップは痛みを堪えて叫ぶ。揺れた視界に悲痛な顔が滲む。
 吸魂は先程使用していたことから、クールタイムがまだ終わっていないはずで、白無常の足がいくら速くとも、中治りで加速した足にはすぐには追いつかない。
 上限解放された自己治癒を開始する。
 そうはいっても、エミリーの内在人格では引き留めるから逃げ切るのは難しい。大切なのは、ゲートが開けられるまでの時間を稼ぐことである。
 案の定、そう時間はかからず、医師がダウンする。
 通電後、ハンターにとって一番嫌なのはゲートが開けられることだ。
 監視者を置いていることから、白黒無常がエミリーをダウンさせた後にすることは、反対側のゲートを確認し、あわよくば監視者をそちら側のゲートにも置くことである。
 諸行無常で反対のゲートに飛べば、クールタイムの都合上、反対側のゲートに向かう頃には、監視者があろうとすでにゲートは開いている。ゲートを確認へ行っている間に、医師の治療を傭兵が行い、全員脱出が可能のはずである。
 その、はずで。
 途端、中間待機していたはずの傭兵がダウンした。
「え」
 嘲笑うかのように、続けて機械技師がダウン表示となる。機械技師が椅子に座らされる。心音がうるさい。技師が開けようとしていたゲートはこちら側のゲート。
 自己治癒が完了し、イソップは立ち上がる。心音が最大警告を鳴らした。正面ではない。背後である。
「それも、読んでましたよ」
 立ち上がった瞬間を狙って、傘が背後から振り下ろされる。地面に頬を擦り付けるようにして、滑る。
 殴りつけた後、白い三つ編みを流れるような動作で揺らし、背中へと回す。にこり、と狡猾さが滲んだ笑みに、イソップは息を吐いた。
 通電後。二回目の中治りはなく、起死回生は使った。仲間からの治療でしか立ち上がれない。しかし、起死回生を使っていないのは、もはや機械技師だけで、その機械技師は椅子に座らされている。
 ハンターは、ダウンして失血死を待つイソップの前でしゃがむ。
「投降、なさいな。もう誰も立てないでしょう?」
「ど、して」
 エミリーが起死回生を使ったことを、白黒無常は知らないはずである。
 イソップの質問に、ハンターはこともなげに答えた。
「暗号機。チェイス中も、ずっと、二つ揺れていましたから。誰も、彼女を治療していない。でしたら、起死回生を使ったと考えるのが妥当では?中間待機も想定の内です。まだまだ読みが甘いですよ」
 ああでも、とハンターは笑う。
「今日はエミリーを納棺しませんでしたね。それは、褒めてあげましょう」
 その回答に、イソップは投降を選択した。

 そんなに落ち込まないで、と頬の擦り傷の治療を受けながら、イソップはエミリーの慰めに肩を落とした。完全なる読み負けである。
 消毒液で傷がひりひりと痛む。
「肘当てのない傭兵はただの敗残兵だ…」
「あなたもそんなに落ち込まないのよ。彼の方が一枚も二枚も上手だっただけじゃない。次は頑張りましょう。はい、治療はこれで終わり」
 二人とももう大丈夫よ、とエミリーは笑顔でそう告げた。
 イソップはふと口を開く。白黒無常とは、どうにもいい思い出がない。
「あの」
「なにかしら」
「彼は、手心を加えたりしないんですか。あなたが、ゲームに参加しているのに」
「そんなことはしませんよ」
 音もなく、差された傘の影にイソップは飲み込まれ、椅子から転げ落ちる。尻もちをつき、呼吸も荒く、唾を恐怖で飲み込み、薄い体を強張らせる。
 ナワーブは平素の態度のまま、驚きすら見せない。慣れているのか、あるいはそれとも、白黒無常がゲーム外では攻撃しないと思っているかのようなそれであった。
 イソップは指を折られそうになった過去を思い出し、守るように両手を前で組み合わせる。
「獅子博兎。ハンターとして格好の悪いところは見せられませんからね」
「つまりなんだ。俺たちは兎だって言いたいのかよ」
「兎は足をもぐまで走りますけど、あなた六回しか走れないでしょう?」
「あーあーそうだよ!篭手のなっなく、う」
「ちょっと」
 負け試合にとどめを刺され、下唇を噛みしめて落ち込みを見せたナワーブを見て、エミリーは非難を込めた視線を謝必安へと送る。
 それに謝必安は首を傾げ、本当のことを言っただけですよとさらに突き落とす。
 落ち込むナワーブを他所に、謝必安はイソップへと顔を向ける。細められた瞳に敵意はないものの、不気味さを覚えた。
 は、と短く息を吐き出す。
 温厚な笑みの下に見え隠れするのは、獣のそれである。動けぬままのイソップの耳元に三つ編みが掠め、くすぐるように耳元に口が寄せられる。
「それに」
 ハンターの背の向こう側では、エミリーが傭兵の肩を叩き慰めている。
「あなた方のよいところなんて、見せたくありませんから」
 手など抜きませんよ。
 暫くは白黒無常がハンターの試合に出たくない。イソップ・カールはそう思った。