Rivali in amore

 セオ、と掛けられた声に、セオは大きな体をのっそりと動かして声のした方向へと顔を向けた。しかし視線の先には誰もいない。なんだと思いつつ眉間に軽くしわを寄せた時に、下からひょいと手が伸びてきた。そしてああ、とセオは下へと視線をずらす。高すぎる身長は時として小さな相手を視野に入れてくれない。
 下げた視線の先には、髪で稼げるのではないかと思われるほどの滑らかな髪と女性性を持った人間が一人、立っていた。足元が見えない程の豊満な胸がその制服に包まれている。でかい胸、とセオはそんなことを思った。目をぱっちりと見させるためにきちんと整えられた睫毛がぱちぱちと動く。
 厚めで形の良い唇が動かされ、鈴が転がるような可愛らしい声がそこからこぼれた。
「あの、よかったら今度の日曜日に、その、遊園地に一緒に行かない?」
「今度の日曜日に遊園地?」
「うん」
 日曜日ね、とセオはふっとかぶりを振ってその日の予定を思いだしつつ、ああと軽く笑って女を見下ろした。そして、何の悪気も一切なく、あっさりと次の言葉を女に返した。
「駄目だ。用事がある」
「用事って…どうしても外せない用事?」
「どうしてもってわけじゃないけど」
「だったら、私と一緒に」
「何で?先に約束した方を優先するのは当然だろ?ところで――――誰?」
 お前、とセオは話しかけてきた女生徒を見た。どうにも見覚えがない人間に対して軽く眉間に皺を寄せている。知らない人間に声を掛けられるのは決して珍しいことではないにせよ、食い下がられることは珍しいので、セオは取り敢えず名前を尋ねた。そうすると、私のこと知らないの、と反対に驚いた声が返ってくる。知っていることを前提に話しかけていたのか、とセオは反対にそのことに驚きを覚えた。
 世の中知らない人間の方が多いと言うのに、知っていることを前提として話しかけてくるのはおかしいことだ。
「知らない。顔も見たことない、覚えもない。話しかけた覚えもないんだが」
 多分、とセオは付け加えてまじまじと女の顔をもう一度よく見た。が、よく見てもどうにも記憶から女の顔は一切登ってこない。ここまで豊満な胸をしているならば、欠片くらいは覚えていてもよさそうなものなのだがと思いつつ、覚えていないともう一度同じ言葉を繰り返した。
 そんなセオに女は恥ずかしさで少し頬を赤らめて、こほんと一つ咳をした。
「ソフィア。ソフィア・アマーティよ。名前くらいは聞いたことあるでしょう」
「名前?ソフィアなんて名前どこにでも転がってるだろ?」
「…っ、フェルディナンド・アマーティを知らないの!」
 ソフィアと名乗る女の口から激しく吐き出された名前にセオはああ、と笑って頷いた。
「そいつなら知ってる。今をときめく政治家だろ?たしか有力者の一人だとか何だとか、ドンが言ってた」
「そ」
「あと、裏で相当小汚いことやってるやつだってのも、聞いた」
「…」
「それで?俺、日曜日は用事があるから行けないけど。まだ何か用か、アマーティ」
 顔から完全に笑顔を無くしたソフィアだったが、ごほんと強く咳をしてから、乱れた髪をざらりと指先で後ろへと流した。すまし顔になって見上げてきた顔に、セオは一体何なんだろうかとそれを見下ろす。どうでもいい話、この見下ろすと言う行為は非常に疲れるのでそろそろやめにしてしまいたい。
 パパーに言われなければ、こんなデリカシーの欠片もない男に話しかけたりするもんですかとソフィアは腹の底で苛立ちを募らせながらも、見下ろしてくるセオを辛うじてつくり上げている笑顔で見上げる。さだたるコーザノストラの頂点に君臨するボンゴレファミリーの前代、九代目ティモッテオの実子XANXUSの息子。取り入っておけと言われて、声をかけたのだが、この素気無い仕打ち。今までだれ一人として自分にこんな無礼も無礼の無礼の極みの最北に位置する様な仕打ちを与えたことはない。
 男は自分を見れば、振り返り跪き傅き甘い言葉を囁き淑女に対する礼儀を持って自分の腕を恭しく取った。だが、この男ときたら、先程から自分が持っている荷物一つに興味を持たないし、その上、こちらから誘ってやったと言うのに、先約があるとあっさりと断ってきた。何と無礼な男だろうかとソフィアは目の前のセオという馬鹿でかい男を腹の底で思う存分に罵った。
 淑女たる者これくらいのことで動揺してはいけない、とソフィアはすっと胸を張った。
「付き合いなさい」
「嫌だ」
 即答。なさい、と命令の「さい」の部分で既に彼の口は動いていたようにソフィアは感じた。
「分からない奴だな。俺は用事がある。だから行けない。チケットが勿体ないなら、他の奴誘え。アマーティなら引く手数多じゃないのか?」
 ほら、とセオはクラスの中の男をちらと見やった。それと同時に多くの視線が慌ててそらされる。分からないのはあなたの方よ、とソフィアは思いっきり怒鳴りつけたい衝動に駆られたが、必死にそれをこらえる。
「私は、セオと行きたいの」
「俺は行きたくない。多分、行けても行きたくない」
「…っな!」
 かっとソフィアは顔を恥辱で真赤に染め上げて、セオを睨みつける。しかし、セオはどこ吹く風と言った様子で、話はそれだけかと淡々と尋ねた。その様子がまた癪に障る。とどめを刺したのは、セオの一言だった。
「楽しくない。お前と行っても」
 何たる屈辱何たる恥辱何たる暴言!
 ソフィアの堪忍袋の緒はぶちんと見事にちぎられた。受けたことのない無礼の数々に、ソフィアの我慢は限度をあっさりと超えた。そして、不愉快な不届き者の頬を張り飛ばすために、ソフィアはぶんと手を振りあげた。その手は素知らぬ顔をした男の頬をこれ以上ないほどに激しく叩き、真赤な色を残す。その、はずだった。
 しかし、手は下りてこない。手首がしっかりと掴まれてびくとも動かなかった。何、とソフィアは手を掴んでいる人物を睨みつけて、むっと顔を顰めた。そして、ソフィアよりも、その前に居たセオの方がその手を掴んでいた人物の名を先に口にする。
「イルマ」
「Ciao、セオ。また、断ってたの?」
「用事がある。楽しみにしてるんだ」
「そういう素気無い断りするから、女の方がヒステリー起こすのよ。馬鹿ね」
「事実だ」
「もう少し言い方考えればいいのに」
 自分を放っておいて暢気な会話を続ける二人に、ソフィアはさらにむかっ腹を立てる。どういうつもり、と声を荒げようとしたが、それは箱入り娘であったソフィアの眼前で行われた暴力行為、それはもうかなり理不尽な、理不尽の極みをも体現した暴力に、喉の奥に消えてしまった。
 鮮やかなカラーのモヒカン。ぱっちりとした目の睫毛。パスクァーレの呻きがソフィアの耳に届く。それと同時に、セオの乱暴な声も。
「揉むな!」
「おふ…っ、ちょ、セオ…今の、はい゛、った…」
 鳩尾を押さえつつ、パスクァーレはよろよろと頼りない足取りでよろめきつつ、セオにもたれかかる。その大きく細く長い指と手はするすると制服を纏っているセオの足を外から内へとまるで愛撫するかのように擦りあげた。それにセオの顔に一気に嫌悪感にも取れる不快感が走り、もたれかかっていたパスクァーレの顔面にはセオの拳が直撃した。
 この現実は一体何だろうか、とソフィアは到底理解の及ばない世界を目撃してはく、と音もなく口を動かす。
「いいじゃん!少しくらい!」
「何が少しだ!」
「気持ちよくさせてあげるのに!天国…見せてあげるからさ!」
「ほー…なら、てめぇには今すぐ天国見せてきてやるよ…!」
「せ、制服プレイ…!?ちょ、ちょっとマニアックだけど、俺、着衣プレイもOKだから!皆に見られたいなんてセオ、大胆…!」
 がしっと服のボタンを掴んだパスクァーレのにセオは米神の青筋をさらに際立たせ、そして容赦なくその足の間を蹴りつけた。声にならない悲鳴が上がって、パスクァーレが膝からがくりと崩れ落ちる。
「セオ…っいま、つぶれ…った…」
「天国は拝めたか?えぇ?」
「折角なら、セオの口でイきだっ!」
「まだ言うか!」
 そんな二人の攻防を眺めながら、イルマは不敵に笑う。それに気付いたソフィアは、掴まれていた腕を乱暴に振り払った。絹糸のような髪がさらりと絡まることなく流れて揺れる。イルマは、その視線を受け止めながら浮かべている笑みを深めた。
「あの程度で怒るなんて、あなたにはセオはちょっと早いんじゃないかしら?Bambina」
「な、っ」
 眦を吊り上げたソフィアの隣をイルマは軽い動作で通り過ぎ、そしてセオの腕と自分の腕を器用に絡めるとぐいと引っ張った。セオはそれに引きずられるようにして前に出る。
「セーオっ。ジーモが探してたわよ。行きましょ」
「おい、引っ張るなよ」
「えぇ!ちょっと待って!」
 倒れ伏していたパスクァーレも慌てて立ち上がって、その背中を追いかける。
 チケットを片手に取り残されたソフィアは、顔を真っ赤にして、手にしていたチケットを床にたたきつけた。そしてそれを足で踏みにじり、くるりと遠ざかって行ったセオたちとは正反対の方向へと歩いて行った。

 

 珍しい光景だね、とドンは一つのテーブルを囲んでいる男女にそう声をかけた。イルマとパスクァーレはその言葉に、互いにつまらなさそうに唇を尖らして、そして同じように溜息をついた。嘆息が空気に溶ける。
「だって、セオったら私が日曜日遊ぼうって言っても駄目って言うんだもの」
「俺も、折角スィートの予約取ったのに」
 その部屋をとって一体何をするつもりであったのかは、勿論誰も聞かない。触らぬ神にたたりなしである。ドンはくっと口元を歪めながら、二人が座っているテーブルの側に椅子を寄せてそこに腰掛けた。
「セオに絡んでた女の子どうなったの?」
「知らないわよ。どうでもいいわ」
「さぁ。俺もどうでもいいや」
「あれ?二人ともセオに寄り付いたのが気に食わなくて追い払いに行ったんじゃないの?」
 ドンの言葉にイルマとパスクァーレは互いを見合わせて、そしてまさか、と笑った。イルマはひらりと手を振って、軽く肩をすくめて見せる。
「セオが相手にするわけないじゃない。相手にしたところで、どうせ『女』としてなんかこれっぽっちも見てやしないわよ。遊園地に行ったとして、結局それがどうだっていうの?セオにとってはただ遊園地に行っただけで、それだけの事実だもの。男女の愛が育める状況にはなりえないわね。私がとやかく言うまでもなく、セオの隣は未だに空っぽよ」
 そしてパスクァーレは手元のコーヒーに砂糖を一杯入れてくるりとかき混ぜた。
「セオが誰と恋しようと俺はいいよ?恋してるセオも可愛いと思うし。俺はね、セオが幸せならそれでいいんだ。勿論、俺がその恋愛対象になることができたならそれはそれで嬉しいけど。目下の目的はセオとベッドイン!かな」
「…へぇ?」
 成程、とドンは二者二様の答えを聞きつつ、セオって恵まれてるねと笑う。そして、話を聞き終えて席から立つと、ああと思い出したように二人に付け加える。
「セオが日曜日に遊ぶ相手はね」
 すいと菫色の瞳と、琥珀の瞳がドンの方へと向けられる。そしてドンは口を動かした。
「ラジュだよ。映画見に行くんだって」
 にこと笑ったドンだったが、それは突然に二人分の言葉で驚きに変わる。
「ちょっと!どういうこと!ラジュと二人でなんて…!冗談じゃないわ!」
「映画館なんて――――…っ美味しいことし放題!と、いうかラジュって誰!まさか俺以外の男…!?え、それにセオ、日曜日楽しみだって言って…っ」
 セオ!!と二人分の声が合わさって、そして二つの背中は同じ方向へと駆けて行った。ドンは走り去った後に残った、砂糖が一杯分入ったコーヒーを手にとって口にする。少しばかり苦い。
「ホント、恵まれてるよねぇ」
 ぐび、とドンはそのコーヒーを最後まで飲みほした。