Biancaneve e i sette nani

 風邪をひいてしまった、とセオは呻く。げほ、と白いベッドの柔らかいシーツに包まれて一つ咳込む。熱が高いのか、頭がくらくらしてあまり正常に物事を考えられない。
 額に乗せられた冷たい布にほっと目を細める。心配そうな黒い布を目元に当てた自分の可愛い妹が覗きこんでいる。心配するな、とセオは嗄れてしまった喉の代わりに大きな手でその頭をくしゃくしゃと撫でた。それでもラヴィーナはやはりまだ心配そうに冷たい両手で熱くなったセオの頬をはさみこんだ。冷たくて、気持ちがいい。
 声を発生させない自分の妹の優しさに触れながら、セオはこんなに気持ちがいいなら風邪をひくのも悪くないとそんな風に思う。
 風邪をひいたことによって弾かれてしまった本日の学校の風景を知らぬまま。

 

 ぱっとお洒落なヘナを施したその手が高々と持ちあがる。パスクァーレ、とその名前を呼ばれた、カラフルなモヒカンの青年はきらきらと眩しい笑顔を浮かべて、その題材を口にした。
「白雪姫がいい!白雪姫の劇!」
 白雪姫、と言う単語に周囲の生徒がざわりと湧く。
 前に出されたホワイトボードにパスクァーレが叫んだ白雪姫という題材が書かれた。他にもその隣には、フリーマーケットやケーキなどの文字が連ねられている。
 パスクァーレは席から立ったまま、さらに発言を重ねた。
「勿論俺が王子様!で、セオが白雪姫!」
「…」
 随分とごつくて恐ろしい顔をした白雪姫が居たものだ、と周囲はそんなことをそれぞれに思ったのだが、それをわざわざ口にする者はいない。パスクァーレから「あの」セオへのアタックはもはや学校一有名なことであるし、そしてそれに対してセオの拳がパスクァーレを毎回直撃しているのも周知の事実である。だがしかし、今回その拳を振るう張本人の席にはだれも座っていない。所謂欠席、というやつである。
 白雪姫かーとその席の隣、クマのように大きい男がほのぼのと笑いながら、手を挙げた。
「なら、俺小人やりたいなぁ」
 お前が小人なら、俺たちはゾウリムシかと一つになった心の言葉は無論クマのような男、ジーモには届かない。気さくな頬笑みだけが、一つ浮いてクラスの空気を冷やしていく。空気があまり読めない男はそれに気づくことはない。そんなジーモの言葉を切り裂くように、辛辣な言葉が響くのが日常であった。だが、おかしなことにそれが今日はない。むしろ楽しそうな笑い声と共に、それいいねと賛成案が響いた。
 ドンはジーモの指先と比べると一回りも二回りも細い指先で自身の机をこつんと叩いた。
「いいんじゃない?白雪姫。折角セオも休みだしさー、ここはいつも報われない悲惨な恋の戦争を繰り広げているパスクァーレの肩を皆で持つべきだと思うんだけど」
「ドン!君最高!」
「Grazie. セオが白雪姫なんて面白いじゃない。きっとどこよりも盛り上がると思うよ。劇なんて基本あんまりやらないんだしさ。他のところとメリハリつけて、話題をかっさらうのって――――最高だと思わない?」
 にやぁ、と意地悪く笑ったドンの言葉にクラスメートはちらちらと視線を交わし、それをよくよく咀嚼する。確かに演劇をするクラスはそうそうないし、文化祭の話題をこのクラスがかっさらうのも面白い。幸い、パスクァーレの熱い口づけを受けるのは自分たちではなく、本日欠席のセオである。
 クラスの心は一つになった。
「いいな!」
「おう、それいいなー!じゃ、白雪姫で行こうぜ!」
「私、小道具やりたい!」
「あー…でも、肝心のセオが承諾するのか?あいつ、白雪姫なんて台本見た瞬間に捻りつぶしそうだろ…」
 ぼそっと零れた冷静な意見に一瞬湧きかけた空気が瞬間でおさまる。それにドンは心配ないよとひらりと手を振って、話し合いを続けるように求めた。
「セオなら黙っとけば分からないし、相手がパスクァーレだって知らなかったら、大人しく受けるでしょ?クラスのためだっていったら問題ないよ。ああ見えて、意外と放り出すことないしね。平気平気。俺からも言いくるめて置くから」
 説得して、ではなく言いくるめて、と言うあたり性格の悪さが出ているが、もうそれを気に掛ける雰囲気は一つとして残っていない。一丸となったクラスは、セオを除いて――――――見事な白雪姫を演じることを誓ったのである。

 

 何でこうなった、とセオは眉間に深い皺をよせながら、肩幅の広いドレスを身に纏っていた。どうにかこうにかで押し通して、下には七分丈のズボンをはいている。膝下スカートからは、その黒いズボンがひょっこりとのぞいて随分と不格好である。その手には丸められた白雪姫の台本が握られていた。
 ひょっこりと幕間から顔を出した、したり顔のドンにセオはそれを思いっきり投げつけた。無論言うまでもなく、ドンはそれを顔面で受け止める趣味はなくあっさりと攻撃をかわして叩き落す。ちっとセオは小さく舌打ちをした。
「…何で俺が白雪姫なんだ。王子とか王とか、七人の小人の一人ならまだしも」
「あのさ。ジーモも君もだけど、その身長でどうして小人が務まるとか思うわけ?ばっかじゃないの?鏡見たことある?靴のサイズは?シャツの大きさとか見たことないでしょ?基本的に見上げるよりも見下ろす方が多い人間が要望する役柄じゃないことくらいどうして分からないかなぁ?頭空っぽなの?馬鹿だから?でかいから?どれでもいいけどね」
 もはや巨人である。尤も、それでもジーモの今回の役は小人の一人であるのは、ただドンが、倒れた白雪姫を棺に誰が入れるのさと一言で決着をつけた。気を失ったセオの体は重たい。それを持ち上げることができるのはこのクラスでは、ジーモが適役であるとはっきり、ドンは言える。小人とは言い難いものの、役割的に間違ってはいない。
 じろりとセオは笑顔のドンを睨みつけて、牙をむく。
「大体、王子役は誰だ。クラスの誰も教えてくれないし…」
「良いじゃない。お楽しみだよ、お楽しみ」
 そう言って、ドンはひらひらと継母の服をはためかせる。セオはそれに、お楽しみも何もあるかと噛みついたが、そうなる前に、出番だよ!と声がかかったので、セオは渋々と言った様子でそのずるずると動きづらいこのこの上ないドレスを足に絡めながら溜息つきつつ舞台に出た。
 セオが居なくなった楽屋で王子の格好を決め込んだパスクァーレは、セオが拙い棒読み演技をしているのを惚れぼれと眺めた。
「セオ…可愛い…!」
「あれが可愛いなんて思えるなんて、君は一度眼科に行った方がよいんじゃいかって俺は思うけどね。あ、そうそうこれ」
 そう言って、ドンはパスクァーレに小さな小瓶を渡す。それを受け取ったパスクァーレは中に揺らめく液体を眺めつつ、何と尋ねた。それにドンは手元の籠に入った林檎と一つ手にとり、にやりと笑う。
「ラジュにちょっと頼んでね。ラジュ特製の毒を仕込んだ林檎を食べたら、セオが寝ちゃうから。時間が経てば起きるけど、強制的に起こしたい時はそっちの薬を皮膚にたらせばいいってさ。ちなみに無害だから。『皮膚ならどこでもいいって』」
 にこやかに、あまりにもにこやかにドンはパスクァーレにそう告げた。その言葉を聞いたパスクァーレはにっこりとドンに負けないくらいに素敵な笑顔を口元に添えて、そうと笑った。その笑みにドンは満足げに笑って、パスクァーレの肩にぽんと優しく手を置いて、
「頑張って!応援してるから」
「Graaaaazie!ドン!最高!クラスの皆にもお礼言っとこう」
「あっはっは、気にしないでよ。俺はただセオに痛い目見させてやりたいだけだから」
 最後の方はぼそっとつぶやいただけなので、幸せに浮かれるパスクァーレの耳には届かなかったが。
 一方、セオは狩人から逃げて(というよりも白雪の服に不機嫌な顔で追っ払ったと言う方が正しいのかもしれないが)背景としての大道具が変わり、七人の小人―――小人の中にあからさまに小人ではない人間が一人混じっているせいで、むしろ一人の巨人と六人の小人になっているのだが―――の、シーンに移った。空の鍋をつついたり、箒で無意味に掃き続けたりする行動を、白雪姫ならぬ白雪王子は死んだ魚のような眼で繰り返していた。
 と、その時こつこつと如何にも怪しげな黒衣を纏った小さな、と言うほど小さくもないのだが、ドンが籠に真赤なセオの大好物、林檎をたくさん抱えてやってきた。そしてセオはそれをシナリオ通りに一つ手にとって齧る。おそらくシナリオに林檎を食べるシーンなどなくても、彼は喜んで林檎を食べたであろうことはその場にいた誰もが知っていたが。
 がじりと一口齧って、セオはそこでべっと慌ててその林檎を吐き出した。林檎好きの彼には到底信じられない行動である。ドン、と短い声をセオはその口からこぼす。揺らめく視界のなか、セオはドンの口元に描かれた三日月をくそ、と睨みつけてその場にどうと倒れ込んだ。
「おやすみ、白雪姫」
 にぃぃと笑ったドンは、その後役をばっちり受け止めて高笑いをしながら、颯爽と姿を消した。
 ドンの高笑いが消えた後、七人の、一人の巨人と六人の小人が舞台裏から出てきて、白雪姫!と倒れたセオに駆け寄る。白雪姫と称するにはいささかどころではなくごつい体型をしているし、いかにもガンを飛ばしそうな白雪姫を白雪姫として認めるには非常に問題があるのだが、そこは演劇楽しい演劇、小人と巨人は気にせずに軽く無視を決め込んだ。
 ああ、白雪姫!と倒れたセオの脈をとって(勿論まだ動いているのだが)白雪姫が死んでしまった!とお決まりのセリフを口にする。そしてそのセオの大きく重たい体をジーモは、もとい巨人は軽々と持ち上げて、丁寧に作られたひつぎの中に落とし込んだ。恨みがあるのかと思われる程の行動であるが、彼に悪意がないのは皆もよくよく知っている。中に敷き詰められていた花がぶわりと持ちあがり、そのいくつかは外に溢れだして落ちた。
 巨人と六人の小人が白雪姫の死を悼んでいる中、唐突に、およびかい!と言わんばかりの対応で王子の衣装をまとったパスクァーレが現れる。カラフルなモヒカンの王子と言うのも外見と年代的に色々無理があるようだが、やはり誰も何も言わない。
「おお、何と美しい…俺のセオ…!」
 もはや白雪姫ではないのか、と周囲の心は当然幸福で一杯のパスクァーレに届くはずもない。王子と白雪姫を中央に、小人と巨人はいそいそと少しばかり後方に下がる。後は、王子が白雪姫にキスをする「真似をして」、無事に目が覚めた白雪姫と王子は幸せに暮らしました、で円満解決する話である。
 俺たち(私たち)頑張ったよな!とクラスの心は充実感と達成感に満ち溢れていた。
 しかし、誰も気づかなかった。何故パスクァーレが王子役だというのにセオがいつまでたっても寝たままでいるのかという事実に。普段のセオであれば、ふざけんな!と役も何もかも放り出してパスクァーレを殴りにかかることだろう。だが、セオは瞼をつむったまま表情一つ変えずに、まるでパスクァーレからのキスを待ち望むような形で待機している。おかしな話だ。尤も、セオを持ち上げたジーモ本人は、セオが本気で気絶したのには気づいていたのだが、それはわざわざ口にするようなことでもないし、恐らくドンの仕業であることはジーモにも理解できた。問題ないだろうとジーモはパスクァーレの背中と、寝っ転がっている随分と逞しい白雪姫の光景を眺めた。
 そして、パスクァーレはドンから預かった小瓶を客からは見えぬように口に含み、そしてそのまま、おもむろに、迷うことなく一直線に、大胆かつ豪快に、しかしどこか繊細に――――Mouth to Mouthを白雪姫に施した。あ、と観客もそれに気付く。黄色い声が上がったり、驚きで目を丸くしている人間もいるが、盛り上がっていることに間違いはない。
 う、とセオは呻くようにして瞼を軽く痙攣させた。林檎を食べて、変な味が、ドンが渡したから毒ではないのだろうが、それに準じたものだろうと思って慌てて吐き出したのだが少し遅かったらしく、そのまま意識を失って倒れてしまった。後で叩きのめすと思いつつ、セオは瞼をうっすらと開けて、そして唇に何かの熱が添えられている事実にようやく気付いた。何だ、と疑問に思いつつ状況をゆっくりと整理して、白雪姫がどういう話であったかを思い出す。そして、戦慄した。
「―――――――――!!!!」
 声にならない悲鳴が上がる。セオが起きたのに気づいて、パスクァーレは大層嬉しげに、そのまま上から体重をしっかりかけて顔を固定する。貪るように舌を滑り込ませた。
 カラフルなモヒカンが誰であるかなど、セオには即座に理解できた。そして、今一体何をされているのかを大変客観的に理解し、そして主観的に認識し。セオは迷うことなく、自由になっている拳をがら空きになっている王子の頬に叩き込んだ。めきっと音がして王子が吹っ飛ぶ。
 王子がキスをして姫が起きると言う感動的シーンが舞台の上で再現された。色々と問題はあったが。
 失神しそうな凶悪な笑みを浮かべながら、セオはゆらりとプラスチックで作られた棺の中から立ち上がる。その様子はさながら吸血鬼のようであった。白雪姫など目ではない。てめぇ、と地獄の底から響いてきそうな低音が舞台の空気を震わせる。
「ふざけんじゃねえええ!!ぶっ殺す!!」
「おふっ!で、でも上手かったでしょ!俺のキス!」
「うるせぇ!あんなの人工呼吸以下だ!その口一生きけねぇように歯ぁ全部へし折ってやる!」
「大丈夫!歯はなくても、舌技でセオをイかせ――――っぐふ!」
 鳩尾に見事に膝が決まる。くの字に折れ曲がった体をセオはそのまま横に蹴り飛ばした。先程まで白雪姫の寝床であった棺にパスクァーレが激しい音を立てながら滑り込む。げほげほと咳込むパスクァーレを掴みあげ、セオは豪快に頭突きを決めた。
 世にも奇妙な白雪姫を観客は眺めながら、おお、と白雪姫のあり余る愛情、もとい怒りを目の当たりにした。
 流石にこれ以上やると不味いと思ったのか、後ろに控えていた小人の一人、ジーモが慌ててセオを止めにかかる。力技で来られてはセオもどうしようもないので、ぎりぎりと歯ぎしりをしながら、美しく倒れるパスクァーレを親の敵と言わんばかりに睨みつける。
「まぁまぁ、セオ。いいじゃない。減るものでもないし」
「くそ…!こんなキスカウントしてたまるか!」
「うんうん。ノーカウントすればいいよ。だからちょっと落ち着いて」
 と、丁度その時、もうこらえられないと言った様子の笑い声が舞台の端から響いてくる。聞き覚えのある笑い声にセオの米神にははっきりと青筋が浮かんだ。ジーモもその笑いの主を知り、セオを羽交締めしていた腕を離す。笑い声の主はセオの攻撃から十分に逃げられることをジーモは知っている。
 ひぃひぃと笑いながら、ドンは壁を叩いていた。だが、銀朱の目が怒りに沸騰しているのを見つけて、一瞬だけ笑うのを止める。
「もー、そんな怖い顔しないでしょ、セオ。いいじゃない。キスの一つや二つ」
「…おい、ドン…てめぇ…覚悟はできてんだろうな…」
「おっと」
 大道具が見事に宙を舞い、木の形をした木の板はドンが居た場所に直撃した。しかしドンは軽い足取りでそれをかわす。笑顔で逃げ出したドン、もとい継母を白雪姫は般若のような形相で追いかける。
 ジーモはそんな光景を眺めながら、進行役からマイクを借りて、にこやかな笑顔でいつものように二人の争いをほとんど無視をして収拾させていく。
「えーと…?白雪姫は継母に真っ赤に焼けた靴をはかせ、その後はとても幸せに暮らしました。おしまい」
 乱闘を繰り広げる舞台を他所にジーモはがらがらと幕を引いていく。手なれた行動に、クラスの人間はジーモに称賛の言葉を送りながら、 何故か大成功しているようすで、幕の向こうからひっきりなしに響いてくる拍手の音にそこはかとない感動を覚えた。

 

 ラジュ、とセオは木の下に座ってのんびりしている青年に声をかける。それに黒髪の青年は青い目を持ち上げてセオを見た。セオの手には小瓶が握られており、ラジュは何も言わずにそっと長いローブの下から手を伸ばす。
「頼むから、ドンの悪巧みに加担するなよ…」
「落ち込むことは、ない。大丈夫、のーかうんと」
 ん、と頷いてラジュはかがんだセオの頭をくしゃくしゃと撫でた。それに、セオは幼いころからの理解者には、自分の落胆はおそらく分かってくれないのだろうと諦め、そして、そうとがっかりと肩を落とした。