10:譲れないこと - 1/5

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「行くのか、ツナ?」
 単調だけれど高めの己の家庭教師の声に綱吉はこくりと頷いた。
 ずっとベッドに腰かけて考えにふけっていたが、やはり納得がいかなかった。こんなことはおかしい、間違っていると今までの自分が叫んでいる。今までいろんな事件に遭遇して、辛い目にも苦しいことにも悲しいことにも全てに出会ってきた。でもやっぱりそういったことはない方がいいし、誰にもそんな思いをして欲しくない。人を殺す、それをどんな事情があったとしてもしてはいけないことだ。臆病者と罵られるかもしれないが、人を殺すことが勇気ある行動であるとは一度も思ったことがない。それは違う。
 人が人を殺すのなんて悲しすぎる。人が人を憎むなんて辛すぎる。人が人を蔑むなんて心が締め付けられる。
 それは以前の、ボンゴレリング争奪戦の時に身をもって体験し、そして学んだ事だ。
 人を殺すということを平然と言ってのけるヴァリアーに憤慨し。人を憎み蔑んできた男、XANXUSという男を見て胸が締め付けられた。無償の愛はいらないというXANXUS叫びに、私の過ちだと嘆く九代目に。言葉では到底表現しきれない感情に襲われた。同情もできず、ただ怒ることもできない。彼がやったことは間違っているということは言えるのに、どうしても心の底から彼を嫌えない。
 甘いと言われようがなんだろうが、やはり自分は平和が好きなのだ。皆が笑顔でいられるそんな平穏な毎日が一番素晴らしいと―――――そう、強く思う。だから。
 綱吉はすっと顔をあげて、リボーンに笑顔を向けた。
「行くよ、俺」
「…止めはしねーぞ」
「うん。お姉さんはきっと分かってくれると思う」
 そう微笑んだ綱吉にリボーンは何も言うことはなかった。ただ少し、満足したような顔をしていた。

 

 東眞は綱吉を客間の一室に案内する。吉佐と太一には修矢の友達であることをきちんと説明し、危険がないことを言って置いた。そして東眞はかちっと緊張しきっている綱吉の前に以前のように茶を置いた。
「どうぞ」
「あ、有難う御座います」
 それを慌てて一気に口に含んだ綱吉は熱!と慌てる。東眞はそれに苦笑して水を一杯差し出した。差し出されたグラスを受取って綱吉は頭を下げる。
「…しゅ、すみません」
「いいえ。それで、お話があるとのことでしたが…修矢のことで」
 綱吉は東眞の問いかけに一瞬口ごもったが、うんと一つ頷いてすっと顔をあげた。その表情を見て、東眞はしっかりしたいい目をしていると印象を持った。確かに、一見びくびくとしていて気は弱そうだが、しかしその中には一本折れぬ芯を持っている。強いけれども優しい心。周囲を常に気にして、平和と安寧を求める。
 東眞はそんなことを考えながら、同時に赤い瞳を思い出した。対極的なその瞳。強く鋼のような心。ただし僅かな亀裂を覆い隠すようにして存在しているその心は傷に触れるものには容赦しない。全てのものを焼き尽くすその怒りを持ってそれらを排除する。裏切りという単語に異常なまでに拒絶反応を示していた。同時にそれに深く傷ついていたように見えた。何があったのかは聞かないし、まだ聞けない。いつか、と東眞は思っている。彼のその傷の大元が癒される日が訪れればと。それがたとえ自分でなくても構わないから。
「あの」
 声をかけられて東眞ははっと思考を止めた。そして綱吉に視線を向け、はいと返事をする。その躊躇った唇がはっきりと動いた。
「突然、こんなこと言って驚かれるかもしれません。でも、俺はお姉さんに止めて欲しいんです」
「…何を、ですか」
 話がまだ見えてこない。東眞はゆっくりとその続きを待った。声が、音を形作っていく。
「桧君に、人を殺させないでください」
 音が一瞬で止む。しかし綱吉の声は続く。
「俺は、そんなの間違ってると思うんです」
「人が人を殺すなんておかしいです」
「掟だからって、それに従うなんて絶対に違います」
「彼は笑顔が好きだって言ってました。それで皆が平和な暮らしを送るために殺すなんてやっぱり変です」
「そんなの」
 ぷつんと一拍置いた。

「ただの犠牲じゃないですか」

 綱吉は言葉を一気に吐き出して、はぁ、と肩で息をした。が、返事はない。不思議に思って下を向いていた目線を上に向ける。目の前の瞳を見た瞬間、全身が凍りついた。今度は東眞の唇がゆっくりと動き始める。そして音を紡ぐ。
「用件は、それだけですか」
「そ、それだけって――――…っだ、だって」
「お帰り下さい」
 冷たく、東眞は言い放った。完全なる拒絶に綱吉は目を見開く。
 分からない。分かってくれると思っていたのにという思考が頭の中で渦巻く。優しげで朗らかな女性だったから、自分の考えを理解してくれると思っていたのにと。
「どう、どうして―――――…っ桧君が、そ
「沢田さん」
 んなことをしなくちゃいけないんですか、という質問があっさりと東眞の言葉によって区切られてしまう。東眞は静かに言葉を紡いでいく。静かな、本当に静かで小さなけれどもはっきりとした怒りを瞳に滲ませて。
「修矢をこれ以上貶める発言をするのであれば、私は本気で怒ります」
 本気で怒ったところで、目の前の女性の力ではたかが知れている。けれども綱吉はその言葉にごくりと唾を呑んだ。瞳の強さに気圧される。東眞は静かに続けた。決して声を荒げることはない。それ故に怒りが伝わってくる。
「人の行動を自分の物差しで測るものではありません」
「でも!」
「犠牲なんて言葉で、」
東眞は綱吉を強く見た。その瞳に綱吉は言葉を失う。

「修矢の信念を穢さないでください」

不愉快です、と告げた声に綱吉は完全に思考がショートした。