01:御曹司と - 1/9

1

 結局流されるままに世話になることになってしまった東眞は荷物を運んでいた部屋にあったベッドに腰かけた。ベッドは恐ろしい位にふかふかとしていて、心地が良い。上半身をそのまま倒せば体を埋めるくらいの柔らかさだ。
 どさりと体をその白いシーツに埋めた。黒髪がざらざらと白の中に散る。腹の上で組んだ手をそのままに、ゆっくりと瞳を閉じた。が、その瞳はすぐにぱちりと開かれる。
「…」
「何だ、起きてたのか?」
 ごつ、と足音を立てたXANXUSに東眞は慌てて上半身を沈むシーツから起こした。ぱちぱちと間抜け面で瞬きをする東眞にXANXUSがごっごっと足音を立てながら近づく。その両腕が体を挟み込むように落とされた。
 吐息が交わるほどの距離。  東眞は向けられている瞳をまっすぐに捉えた。鈍い赤の視線が瞬き無しに黒い瞳を覗きこんでいた。
「今、寝ようと思っていたんです」
 ふわと東眞はその距離で微笑んだ。場にそぐわない笑みにXANXUSは眉間に皺を一つ寄せた。そしてその頬に掌を這わせる。
「随分と覚悟がいいじゃねぇか」
「手を、放して下さいますか」
「俺がテメェの命令を聞くと思うか」
 さも当然のように言い放つXANXUSに東眞は相変わらずの笑みを崩さずに向けたままでいる。東眞は頬に添えられた手に自分の手を添えてやんわりと下におろした。
「命令ではなくお願いです、XANXUSさん」
 にこにことしてそう、東眞は笑って言う。牢のように挟んでいた手をずらして体を逃し、ゆっくりとXANXUSの隣に東眞は立つ。そして動かず、視線だけをそちらへと向けていくXANXUSを置いてゆっくりと閉じられた扉に手をかけて、開けた。暫く扉を開けていると、銀色の髪が通りかかる。
 東眞はそれをみとめて声をかけた。
「こんばんは」
「ぉ、おう?こんばんは…?」
 のんべりとした空気に巻き込まれ、スクアーロはうろたえながら返事をする。東眞は流れるような動作でスクアーロの手を取って部屋に引き込むと、XANXUSに笑顔で告げる。
「寝るなら三人で寝ましょう」
「…おい、どカス」
「な、何言ってやがんだぁ!お、おお、俺はやらねぇぞお!」
 顔を真っ赤にして怒鳴るスクアーロの腕を東眞はぎゅぅと逃さないように強く掴む。そして相変わらずの調子でスクアーロに尋ねた。
「そう言えば、名前をまだ聞いていませんでした」
 何と言うのですか、と微笑む東眞にスクアーロは本来の調子を完全に崩されおたおたとしながら、名乗る。
「ス、ス、スペルビ・スク、スククスアーロだ、だぁ…手、手を放せえ!」
 スクアーロは顔を真っ赤にさせてその腕を振り払う。しかし東眞はその袖をつかみ直してずるずると部屋に引きずり込む。
「二人は嫌ですので、三人で」
「そいつが襲うとは考えねえのか」
「考えませんよ。全く」
 そう言いきられる方も男としてはどうなのだろうかと思わざるを得ない。スクアーロは一人密かに落ち込んだ。
「俺にこのカスと寝ろと?」
「私も一緒ですよ、駄目ですか。それが駄目でしたら、私はあちらの広間のソファの上で寝ます」
「俺もそっちに行くと言ったら」
「そしたらこのスクアーロさんにも一緒に」
「う゛お゛おぉい!俺を巻き込むなぁ!!」
 そう叫んだスクアーロに東眞はちらと視線を向けた。
「無抵抗の私に刃を向けられたのは、どなたでしたか」
「…お、俺だぁ…」
「でしたら」
 大人しくてどんくさいだけの女だと踏んでいたのだが、想像以上に頭が回る。
 XANXUSはちっと舌打ちをした。別にこのままスクアーロを追いだしてやることも可能だが。
「…今夜は何もしないでやる。そのカスと寝るのは御免だ」
「俺だって御免だぜ!!」
 折れたXANXUSに東眞は相好を柔らかいものに崩して、有難う御座いますと礼を述べた。
 そして、ぼけと立ちつくしているスクアーロにXANXUSは出て行けと睨みつける。完全に巻き込まれただけの被害者は踏んだり蹴ったりの状況でその場を後にした。
 再度二人きりになった。が、状況は先程と違う。
「今日はどこで眠るんですか?」
「ここだ。ここは俺の部屋なんでな」
「…私の部屋も用意してもらってもいいですか…」
「寝ろ」
 ぐいとそのままシーツの中に引きずり込まれる。大きな腕に抱きしめられるようにして、まるで湯たんぽか何かのように腕にくるまれる。何もする気配がないのは分かったので、東眞は取り立てて抵抗をしなかった。
 暫くもすれば二度目となる寝息がゆっくりと聞こえてくる。柔らかな布に包まれて、冬の寒さは感じない。寒さを防いでいるのは布だけではなく、人の温かさもあったが。

 あたたかい。

 東眞は少し顔をあげて瞳を閉じたその表情を覗き見る。
 自分を助けてくれた男の顔は残忍で暴力的で、しかし理知的にも見える。眼鏡を拾うのを手伝ってくれた時から、そう怖くはなかった。怖いという要素がどうにも欠けていた。
 しかしこれは戯れ、これは夢。自分に残された僅かな時間の小さな桃源郷。
 初対面でここまでしてくれる(されて)普通ならば泣いて喚くかどうにかするのだろうが、東眞はそれをするだけの時間がもったいない。どんなことが自分に起きようとも、それらを全て楽しもうと心に決めている。
ここイタリアに来てやるべきことをやり終えたならば、それでもう自分のために使える時間は終わりだと思っていた。だが、この奇妙な人々に巻き込まれて(巻きこんで?)予定していたことよりももっと楽しい時間が過ごせそうである。籠の鳥になるまでの残された時間を如何に有意義に過ごすか。

 それでも自分はここを去る。

 戯れには戯れを返すべきだろう、と温もりに身をまかせながら東眞は微笑んだ。
 何かに心を残して空に恋い焦がれる鳥になるべきではないのだから。籠の鳥は籠の鳥らしく、空ではなく与えられる餌に籠に心穏やかであるべきだからだ。「もう暫く」もないであろう人との関わりを一つ一つ楽しむことに、東眞はした。