ガラスの靴 - 1/2

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 首を傾けて音を鳴らす。ミトはその大きな手で扉を押し開けた。
 普段むさくるしい、もとい同じ服装ばかりしている連中が正装し、整然としている様は不気味であり、多少の眩暈をミトは覚えた。喉を重たく鳴らし、履きなれないヒールでただでさえ高い背丈をより高くさせながら、しかし爪先のあまりのしんどさに傍にあるイスに乱暴に腰掛ける。動きやすさを重視したために深いスリットの入ったドレスで男らしく足を組む。生傷の多い足がざっと曝け出される。部下の視線が一瞬集まるものの、深い溜息と共にそれは一瞬に四散する。お世辞にもガッツポーズをとりたくなるような女の足ではないらしい。知ったことかと、しかしそうも深い溜息をつかれると腑に落ちないものがあり、ミトは何だと視線をぎこちない正装で身を固めた部下たちに投げつけた。勿論それに返される言葉はない。はずだったのだが、調子に乗った声が楽しげに響いた。そりゃもう!と、からから人の神経を逆なですることだけが目的のような声が軽やかなステップを踏む。
 踵を美しく揃え、きっちりと決め込んだ自身の階級よりも一つ低い階級に在籍する部下に、ミトはあからさまな溜息をついて見せた。先程の部下達の溜息の理由も似たようなものだったのかもしれないと思い、難癖をつけたのを心の中で小さく謝罪する。
「大佐の生足なんて見たらげっそりですよ!勃ってたものも萎えます。いいですか、大佐?我々が求めているのはもっとこう程好く触り心地が良い程度の脂肪が筋肉の上にそっと乗せられた感じのやわらかそーな足です。間違っても!大佐のようなそんな触って固そうな残念極まりない足ではありません。まあ贅沢を申し上げるのであれば、情事の際に腰に絡みつくでしょう?その時に感じられる脹脛のですね、あの女性特有の頼りないんですけど、でも頑張ってほしがってくる…!あれがたまらないんですよ!いいですか?大佐の足なんて言ったら、相手の腰をへし折りそうじゃないですか。嫌ですよ。そんなの。おれの純情ハートまでへし折られます。ああ悲しい。あ、でも体毛薄いんですね。すね毛分かりません。剃られました?」
「喧しい」
 上官に対しては失礼極まりない言葉を一気に述べた部下を、ミトは口元を引き攣らせながら一蹴した。もうこの事象に関しては諦めるしかないことを誰よりもミトは知っていた。それでも足を振り上げ、顔面にヒールの先をめり込ませるくらいの逆襲はしておく。尤も、それもこの一癖も二癖もある部下にとっては大したことがない様子で(奴は不死身なのかと一時は疑ったほどだったが、ただ打たれ強いだけなのかもしれない)ギックはああと蹴られた部位をさすりながら、酷く残念そうな顔をした。何だとミトは律儀に答えてやる。部下である男はどうして、と誰にでも分かるほどに落胆を示した。両膝を床に絶望的に落とし、額を床にこすり付ける。ある意味、土下座のようにも見えるが、謝罪ではなく落胆しているだけである。
 数秒そうして、そしてギックは凛々しい面持で顔を上げた。顔だけは悪くない。性格は色々と難ありだが。可哀想になる程に女好きだが、将来的に見てこいつの伴侶は現れるのだろうかとミトはそんな下らない心配をそっとした。結婚相談所、もしくはベストパートナーを探すパーティーにでも口を縫い付け両手をガムテープで縛りこんで放り込めば少しは良い目が見れるのではないか。そう思わずにはいられない。ひょっとしてスモーカー辺りが、その辺に詳しいのではないかと現在未婚の男である彼に今度聞いてみる算段を取り付けた方がよいのかもしれないと、ミトは眼前の部下の存在を無視しながら思考を巡らせる。しかし、そんな思考も悲しみに満ちた部下の悲痛な叫びによって遮られる。その言葉に向けられたのは同情ではなく、いや、それは確かに僅かばかりの同情も含まれていたのかもしれないが、軽蔑の視線であった。
「どうしてひもじゃないんですか」
「すまん、もう一度言ってくれるか。言葉の意味が理解できない、中佐」
「ですから、どうしてひもパンではないのですか。大佐」
「お前私に余程殴られたいのか?どうなんだ」
「おれにマゾヒストのきらいはありませんよ」
 深い深い、それこそ海底一万メートル以上の深海につくほどの深い溜息がミトの口から零される。他に何の反応のしようがあっただろうか、いや、ないだろう。中佐、とミトは米神に浮かんだ青筋を親指で押し潰しながら、念のために聞き間違いでないかどうか再確認のためにもう一度だけ尋ねた。
「私の聞き間違いならそれで良しとしよう。下着に関して難癖をつけられた気がしたんだが」
「大佐…いやまあもう三十路の大台も越えてらっしゃいますし、記憶力低下の兆しも分かりますが。よろしいでしょうか、大佐。よくお聞きください。大佐が現在身に着けておられるドレスには深いスリットが入っています」
「ああそうだな」
 もう全てが面倒くさくなりながら、ミトはギックの熱演に生返事をする。
「スリットとくれば、手を差し入れるための場所じゃないですか!パーティー警護と申しましても、その物陰でやらしいことし放題ですよ?あ、やだ、大佐。そんな気の毒なものを見るような視線止めてくださいません?傷つきます。まあそれでですね、スリットでひもパンとくれば、もう美味しいめくるめくる大人の薔薇色濃厚展開まっしぐらだとおれは思うわけです。魅力皆無、いえ、むしろマイナス方面に突き進んでおられる大佐でありましても、スリットにひもパンで攻めれば少しはくらっとする男性もいらっしゃるのではないかと、大台を越しても浮いた話一つない女として枯れ果ててしまっていおられる大佐を心配致しまして、進言させて頂きました」
「私はお前を医務室に運んだ方がいいか?それとも椅子に縛り付けて待機を命じた方がいいのか?」
「大佐がひもパン履いて下されば万事上手く行きます。あ、心配されないでください。こんなこともあろうかと、おれたち皆で募金して購入しておきましたから!我々は大佐の将来を案じているわけでして」
 明日の訓練の長距離走、重しをつけた上で普段の倍走らせよう。ミトは決めた。
 しかし子供のような笑顔で下着を差し出されるなどセクハラも甚だしい。全世界の無垢で純粋な子供に謝ってこいと叱り飛ばしたくなる衝動を堪えつつも、しかし部下が自分のために贈り物の内容は何であれ購入してくれたのだから受け取らないわけにもいかない。欠片も嬉しくはないのだが、一応一言の礼を述べてミトはそれを受け取った。そんな上官の疲れ果てた表情に部下は気づき、安心してくださいと追加の言葉を続ける。
「一般に下着を送るという行為は脱がせたいという気持ちの表れだそうですが、おれたちは断じて!ええもうそれは!この正義に誓いましてそんなことはありませんので!むしろ、大佐をひん剥いてもがっかりと言いますか…残念賞になるのが見えております。大佐、お願いですから、これ以上我々の女性に対する憧れと妄想を崩さないで頂けますか」
「お前が女にもてない理由がよく分かった」
「失礼ですね。おれ女性経験ありますよ」
「誰がそんなことを聞いた。准尉!」
 今回待機班であるトラを呼び、ミトは裸足で椅子を半回転させて部下の一人を探す。半数がスーツで固めている中、准尉の海兵服は大層新鮮に映った。それ以上に隣に立っているギックと比べて見ると、その通常さにほっと胸を落ち着けさせられるものがある。
 落ち着く髭面を椅子に座ったままの体勢で見上げながら、ミトは簡潔に命令を下す。
「待機班で手に負えないような事態があれば電伝虫に連絡を入れろ。他は変更なしだ。我々の交代時間は午後十時。それまでできるな」
「問題なくあります。ところで大佐殿」
「何だ」
「自分は募金をしてなくあります」
「ああ准尉…お前ならそう言ってくれると思っていた」
 一筋の光明にミトは安堵の息をつきながら、ちらりと中佐を見上げた。無論反省の色などありはしない。寧ろこの男は反省という二文字を学習しているのかどうか、それが甚だ怪しくはある。
 そう考え込んでいるミトの頭に肩にまでくすぐったい感覚が落ちた。視界が多少暗くなる。両脇に垂れ幕のようなものがかかっていた。眼前の男はにこやかな笑顔でどうぞとその唇を動かした。触れてみれば分かりやすい、要はかつらである。ギックは爽やかな笑みを上官へ向けた。艶やかな弧を描いた唇から、上っ面だけの当たり障りの良い言葉が流れるようにして落とされた。これもまたいつものことである。
「大佐、そう大きいと目立ちますでしょう?それに合わせてその短髪だと、あまり宜しくありません」
「何故だろうな中佐。私はお前のまともな発言はどうしても真面目な発言に取れたことがないように思うんだが」
「おれまともな発言しかしません。そう感じられるのであれば、それは大佐の根性がひねくれている証拠に違いありません。なにせおれほど素直で可愛い部下はいませんでしょう?」
「ああそうだなその通りだ」
 八割方面倒くさくなったミトは、酷く抑揚のない完全な棒読みで部下の笑みに答えた。しかしギックは然程も気にすることなく、それでですねと続ける。ミトは准尉へと視線を向けたが、諦めましょうとばかりにトラは軽く肩をすくめて見せた。諦めるしかない。
 ギックは机の一番下の大きな引き出しを慣れた手つきで引き、そしてそこにある長方形の掌より少しばかり大きめの箱を取り出した。それをミトの座る椅子の机に置き、鼻歌を鳴らしながら鍵を開ける。何だと周囲の男共も気になった様子でその中を見ようと背伸びをして集まる。ドアの付近から見れば大層間抜けな姿であることは間違いがない。しかし、箱の中身は海兵が望むようなものは一切入っていなかった。もとより中佐が意気揚々と取り出すものであれば、何かしら楽しいものだと想像していたのだが、それを見事に裏切るものであったのだから仕方がない。ギックは箱にきっちりと揃えられていた化粧道具を慣れた動作で指に挟んだ。
「パーティーにすっぴんは大佐、マナー違反です」
「ナチュラルメイクはしている。大体中佐、その化粧道具どうした。まさかと思うが…」
 胡乱気な目で見られ、中佐はいえいえと笑う。
「たしぎ曹長からお借りしてきました。でも今は男でも化粧する時代ですよ、大佐。差別は感心しませんね。ほら、口を閉じて」
「おい、う」
 男の指が頬を撫でる感触にミトは思わず顔を顰めた。独りになって以来、クロコダイル以外の指をミトはよく知らない。ドフラミンゴのような忌々しい人間は除外するとしても。しかし別段下心は感じられず、眼前の男は酷く楽しそうな、玩具を見つけた子供のような顔をして化粧をてきぱきと進めている。横目でミトは一度時計を確認し、今からこの部下と議論を繰り広げているような時間がないと悟る。小さく溜息を落とし、早く済ませろと諦めを示した。それにギックは承知しましたと軽やかに答え、ファンデーションを手に取った。
 ぱちんと頭の上でかつらがヘアピンで止められる。顔の横に落ちてきた髪は、普段短髪で慣れてしまっているミトとしては酷く邪魔なものに感じた。視野が広く保てないのも文句の付けどころである。絹糸のような滑らかなストレートは胸元にまで落ちてくる。体を分断している傷を見せないようなドレスを着ているので、その髪はドレス生地の上を滑った。非常に満足げな顔をした部下をミトは視野に入れた。そして、その部下はくるりと半回転し、ばっと大きく手を広げ己の功績を褒め称えるように見せた。男が集まり手狭な部屋がわく。准尉、とミトは唯一話がまともに通じるであろう部下に話しかけた。
「なんでありますか」
「私は玩具じゃないんだがなぁ」
「仕様のないことでであります。中佐殿の手にかかれば」
 それもそうかと否定のできないことに項垂れながら、ミトは立ち上がりごきりと首の骨を鳴らした。一所に固まっているのはどうにも体がこる。体を折り、一度は脱いでいたヒールを足に引っ掛けた。刀を持っていきたいところではあるが、今回の仕事は警備がわからないようにとのことだったので、大っぴらなものは持っていけない。武器は肉体(別に女性性の意味ではない)であるので大して問題もないが、普段下げているものがないのはやはり少し寂しいものがある。
 その思考を遮るように、大佐と弾んだ声が聞こえた。ヒールを履いているために、肩よりもさらに日憂い位置で部下の顔を見ることになる。満足げな顔で見上げるその仕草は、まるで褒めてくれと言っているようにも見えた。やれ、とミトは肩を軽く落としギックの坊主頭を一撫でする。しかし、
「豚に真珠、猫に小判。よく言うものです。しかし流石はおれですね!大佐が女性に見えますよ!」
「馬子にも衣装くらい言えんのか。それに私はれっきとした女だ」
 と、笑顔のまま続けられた言葉に頭に置いたその指の力をめい一杯、林檎をひしゃぐような気持ちで込める。痛いと悲鳴が上がるのを待って、ミトは指を放す。そして、腕を引き絞り、肩の骨を鳴らした。用意していたそれなりの外套を空気にはためかせ羽織る。
「行くぞ」
 高く鳴らされたヒールの後に、革靴が鳴った。