手に馴染む

 女は退屈そうに、甲板の上でギプスを鳴らした。左右重みの違う足、その片方には白い物体ががっちりと付いており、重たくて仕様がない。
 マルコぉ、とミトは溜息交じりに房を模した髪を持つ、なで肩の男に声を掛けた。だが、取りつく島もなく、マルコはふるりと首を横に振る。
「駄目だよい。船医の見立てでは後一週間。早く治したきゃ安静にしてろい」
「けち」
「…誰が、ケチだよい…ッ!」
「あいたたたた」
 ぎりぎりと頬を引っ張られながら、ミトはギブアップだとばかりにマルコの腕を叩く。三度叩かれたところでマルコはミトの頬からその指を離した。全くおめぇは、と口の先から出そうになった言葉が途切れた。正しくは、見張り番の男が上から声を落としたのだ。
「左舷前方!海賊船一隻!!」
「旗は!」
 マルコは下から上に向かって大声を響かせた。それに、上からやや間が空いて声が落ちてくる。
「ドッグマンの海賊旗確認!」
 二億二千万ベリーの海賊。ミトはそのようにその男を記憶していた。確か、悪魔の実の能力者。新世界に入る前は、襲った村の人間皆殺しにしてきたという逸話すら残っている(実際にそんな事は無かったようだが)。正しくは、歯向かった住人は全て殺した、だが。どちらにしろ、褒められたものではない。尤も、褒められる海賊と言うのもおかしな話である。
 ミト、とマルコは座っていた女に声を掛けた。
「向こうの追い風だ。直ぐに横につけられる。戦闘になることは間違いねェから、船内に入ってろい」
 返事を聞かず、マルコは仲間に戦闘指示を飛ばす。そんな指示をせずとも、戦い慣れした彼らはマルコの支持が飛ぶ前に大砲に砲弾を詰めたり、武器を揃えたりして、戦いの準備を始めていた。薄い笑みをその口元に浮かべると、マルコ自身も戦闘へと心を切り変えて行く。滾り踊る血に足を踏みながら、体をぼぼっと青い焔にまとわせていく。
 飛んで敵船に突っ込むよりも、この風ならば向こうが船を腹につける方が早い。ならば、船と船でかちあうべきである。遥か前方に豆のように見えていた船が見る見るうちに大きくなり、その全貌を露わにする。重々しい真赤な犬の頭部を模した髑髏。白ひげ、エドワード・ニューゲートが死んだその隙を付いて襲いかかってくる海賊も少なくはない。
 船が近づく。砲弾が向こうの大砲から放たれた。大気が大きく震え肌を打つ。こちらからも大砲が撃たれた。相手の船の一歩手前で落ちる。どうぅん。砲弾の応戦。甲板に相手の姿見えた。船が左右に流れる。銃、剣、こん棒。それぞれの武器を手にした男たちが、一斉に揺れ動いた。おお、雄叫びが響く。
「迎え撃て!」
 マルコが声を上げた。一斉に上がった声が海を震わせた。男共の戦いが始まる。
 敵船の腹から放たれた大砲をマルコが蹴り落とした。船の腹同士が競り合う様な舵を敵船が取り、互いの船が大きく揺れる。足場がぐらつき、戦場に置いてあった物が傾いた方向へと滑り落ちて行く。大砲もいくつか滑りかけたが、そこは元白ひげ海賊団。手早い動きで縄で大砲を固定し、海への落下を防ぐ。相手の大砲はいくつか横の柵を喰い破り、船員共々海に落ちた模様である。
 かちあった船と船。一瞬詰められた距離はお互いが飛び乗れる程のものであった。何人もの男が互いの船へと乗り移る。上空からの落下の衝撃を脚と膝受け止める。剣戟、銃声、咆哮、打撲音。波にまぎれた戦いの音が場の空気を支配する。
 マルコはその変化した足と手で相手を薙ぎ払い、海に叩き落す。ちらと船の方へと目をやる。甲板に飛んだ敵の数は少なくはなかったものの、そこは腕の立つ連中が集まっているのは明瞭で、こちらの優勢なのは目に取れた。敵船へと向かった数名の隊長格も相手をばっさばっさとなぎ倒していく。おれの出番もねぇなかよいと口元を歪めたが、炎でできた翼に銃弾が通る。ぼぼ、とそれは炎を纏って回復した。
「どこの、馬鹿だよい」
 ニィと口元を歪めると、マルコは先程の現実を受け入れようかどうかと迷い目を丸くして、銃を構えたままの男を見下ろした。翼をはためかせる。空気を含ませ、急降下し、男の横っ面を盛大に蹴り飛ばした。衝突時の震動は慣れたもので、脚はそのまま綺麗に振り切られ、蹴られた男は甲板を抉りながら吹き飛んだ。その際に数人の男たちも巻き添えを食らう。マルコ、気をつけろ!と声が上がったので、悪ィと手を振って軽く謝り、背後から切りつけてきた一人を肘を打ちこみ、そのまま少し膝に余裕を持たせて投げ飛ばした。背中から強く叩きつけられた男は肺にためられていた息をふっと吐き出す。受身の取り方を知らなかったらしく、おまけに後頭部も一緒に打ったようで白目を剥いて気絶した。
 二億二千万ベリーの賞金首である船長はまだしらないが、船員は大したことがない。否、それは自分たちと比べてしまうからかとマルコは舌で唇を舐め上げ、振りかざされた剣を鳥の足で鷲掴み、甲板に押し付け相手の動きを奪うとその顔面に拳をめり込ませた。
 どん、とその背中に大きな体が当たる。ジョズ、とマルコは当たった相手の名を口にした。
「ミトは」
「あいつには船内に居るように言っといたよい」
「確認は?」
「確認は…」
 と、マルコは言い澱んだ。
 確認はしていないが、あの足では邪魔になることは子供でも分かる。それに戦いになると分かって、ウッカリ攻撃でも食らったらそれは死んでしまうだろうし、もしくはクロコダイルの元へと帰る期間が延びるだけだ。考えたら、そう、馬鹿でも分かる。確認せずとも、大人しく船内に避難したことだろうとマルコは思う。だが、ジョズの言葉は違った。
「あいつが、船内に大人しくこもるか…?」
 海賊の戦闘なのに、と最後はぼそりと転がる。言われた言葉に、マルコはジョズの言うとおりである、と、大変すんなりと納得してしまった。身体こそいい年をした大人であれ、彼女の内面はどこか無鉄砲で、かつ考えなしなところがある。その上無類の海馬鹿、もとい海賊馬鹿ときた。この二点さえそろえば、雨が降ろうが槍が降ろうが、そう、船内に大人しく入った筈がないのである。
 マルコ、ともう一度ジョズに呼び止められ、マルコははっと考えに耽っていた思考を引き戻す。ジョズの死角に飛び込んできた相手を蹴り倒し、そしてその指先が指し示す先を見る。甲板に座っている女が一人。短く淡い茶色。足にはギプス。誰なのかなどと、質問せずとも分かった。
 その女に向かって、一人の海賊が剣を振り上げていた。力を込めて振り下ろされる。ここからでは。
「ミト!!」
 間に合わない。
 マルコは戦慄した。ぼぼ、と体を炎を纏った不死鳥へと変化させる。甲板を蹴る。体を空気に踊らせる。だがしかし。
 しかし、
 しかし。
 だが。
 マルコの心配は杞憂に終わった。
 座ったままの状態で、女は振り上げられた剣の柄、男の手ごと大きなその左手で包み込むと、容赦なく、そう、見事なまでに容赦なく、剣を振り上げたことで空いてしまった男の腹、丁度鳩尾に拳を捩じり叩きこんだ。空いた口から唾が飛ぶ。どう、と後ろにまでその衝撃が飛ぶような拳がめり込む。がくがくと男の顎が震え、そして止めとばかりに股間をギプスの足で蹴り上げた。あれは痛い。ひぃ、とマルコは思わず顔を青褪めさせた。尤も、もとより不死鳥の羽は青であったが。
 マルコの青よりもさらに顔を蒼白に、それこそ紙の色と見紛わんばかりに白くさせ、男はとうとう膝をつき、ぐったりと泡を吹いて気絶した。えげつない。ギプスと生身の足と両足で甲板を踏んだ女は男の手から剣を奪い取った。そして、久々に取った刃の付いた武器をくるくるくるりと掌になじませるように持ち回す。かりと顎を人差し指で一掻きすると、すとんとその刃でギプスを絶ち、足を自由にする。裸足に巻かれていた足が久々に外気に晒される。垢も溜まっていよう。片方に靴を履いていたのでは座りが悪いのか、女は左の靴を脱ぎ捨て、両足を裸にした。
 ああ、とマルコはミトのその背を見て、ぞくりとした。溜まっていたのだろう。余程。さぁ、と張った声が溢れ返った。
「命の惜しい奴は逃げ帰れ!戦いたい野郎はかかって来い!」
 張り上げた声は勿論大砲などの音に紛れてはいるが、その声は確かに周辺に居た敵に届いた。獲物を持った一人二人が襲いかかる。けれども、美しいもので、一切の躊躇なく、女はその武器を使い物にならなくした。銃は細切れに、剣は斬り折られた。落ちていた剣をもう片方の腕が広い上げ、ぐんと軸足で回転しつつ群がった敵を薙ぎ払う。薙ぐ、だけではなく、絶っていく。刃が触れた部分は斬れた。腕であれ銃であれ、金棒であれ何であれ。あらゆるもの全てが。
 戦意の無くなった者をそれ以上攻撃する様な事はせず、放置して先へと進む。ギプスのとれた足はしっかりと地面を踏んだ。とはいえども、筋肉の衰えは否めぬようで、多少速度は落ちている。
 屈む。避ける。蹴り飛ばす、殴る。絶つ。振るう。久々の、否、久々どころではない程に久々の戦いに女は酔いしれていた。二十年以上。海兵と海賊としてではなく、海賊と海賊としての戦い。
 本来彼女は戦うことは嫌いではない。むしろ好んでいたはず。ただ、マルコは思う。海兵として戦えば、その後は必ず海賊を捕えなければなければならないのだ、と。自由を奪う。戦っている最中は良いだろう。海兵としても、おそらくそれだけならば、ミトは平気だったのだ。海兵として海賊として、その瞬間だけは、戦う海の友となる。だが、最後の捕縛と言う行為は、彼女にとってどれだけ辛かったのか、想像に難くない。
 剣を振るうその姿は、まさに海賊そのものである。甲板を駆け抜ける女の姿を上から見下ろしながら、不死鳥は小さく笑った。
 ミトの動きが軽く止まる。その視線は唯一つ、甲板で動いている男へと注がれた。一際大きく、手配書で見たことのある顔。ぐぐ、と足に力を込め、甲板を蹴った。既に人が渡れぬだけの距離が空いていた船だったが、女には一切関係なかった。大気を蹴りつけ、敵船の甲板に降りる。落ちた瞬間に凶刃が襲いかかったが、持っていた剣を振るい上げて、その剣を絶つ。使い物にならなくなったそれに男が唖然としているその瞬間、腹に重い蹴りを喰らわせて、飛ばせた。ごんごんと男の体は面白いように甲板を跳ね転がる。その男の最後まで見ることはなく、ミトは駆ける。目の前の人の壁などないに等しい。
 悪鬼羅刹のような強さで、ミトは目標の男の前まで出た。床を足が踏みつけ、上から落ちてきた拳が甲板の板を割る。後方に跳んで下がるのではなく、さらに前進してその攻撃を避けた。懐に潜り込んだ女に攻撃しなかったもう片方の手で拳を叩きつけた。否、叩きつけようとした手は衝撃を味わうことはなかった。
 拳の、指が、全部斬りおとされた。第一関節から全てがすっぱりと綺麗に無くなっている。親指までもが無い。正しく言えば、繋がっていた指は全て甲板に落ちていた。痛みが神経を伝わり、脳に信号を送る。その一つ手前に側頭部に女の蹴りがめり込んだ。ひねられた体で踵が米神に叩き入れられる。体を正常位に戻そうとひねった体は凄い勢いで足を乱暴に戻した。体が吹き飛ぶ。能力など、使う暇を与えない。男の鼻から赤い液体が飛び散った。
 地面に男の体の横が付く。どう、とそれでようやく痛みが男の脳味噌に到達した。しかし、その痛みで呻く程この男の海賊をやってきているわけではない。倒れ、即座に体勢を立て直そうとした。だが、それはできなかった。心臓に、剣が一つ、突き立っている。女は笑っていた。痛みは、まだ、
 ない。
 不気味な様相だった。お頭!と悲鳴じみた船員の声が響く。だが、その声を遮るように、動くな!と張りあげられた女の声が止めた。上から見下ろしてくる女はその背に太陽の光を負い、逆光で顔が薄れている。潮風が、女の短い髪を揺らした。一船の長は女を見上げる。女は男を見下ろしていた。
 刃は、心臓を突き刺してはいない。細胞を血管を筋肉を神経を、全てを縫うように刺している。ただ、僅かにでも女が意志を持って動かせば、その時は、大出血。男は死に至る。女は問うた。
「ここで引けば、その命、見逃してやる」
 くっと女の言葉に、男は口元を歪めた。そして、嗤う。大声で笑い飛ばした。
「ワシは海賊!命乞いをするような男に生まれた覚えはありゃあせん!!」
 お頭!と仲間の声が男の耳に届く、だが、男は引けなかった。そんな、男に生まれた覚えはなかった。命乞いなどしてたまるかと笑う。海の男として、戦場で散れるならば本望とばかりに、男は口を歪め、笑う。壮絶に、壮大に。ああこれこそが、とミトはその笑みを見て表情を形成する筋肉を湯潤めた。
 そして、胸に突き刺さっていた剣をずるりと引き抜く。その刃には血一つ付いていない。男の上から体を退け、ミトはくると踵を返す。だが、その背に待て!と大声が掛けられた。船医だ!と海の男が船長の斬られてしまった指の応急処置を施そうと船上を駆け抜ける。だが、男はその手当てを振り払い、背中を見せた女を怒鳴りつける。
「殺して行け!!ワシに生き恥をかかせるつもりか!!!」
 怒声が波すらも震わせた。顔は恥で赤く染め上げられ、両肩は怒りで震えている。だが、背を見せた女は笑うだけだった。何がおかしい、と男は怒鳴る。そして、振り返った女の双眸に言葉を失くす。女は潮風を唇に刷き、海を纏い三日月の笑みを見せた。私はと女は言葉を紡ぐ。
「私は、海賊だぞ?生かすも殺すも、私の自由だ。お前は私に負けた。引け。そうでなくば、足掻き無様な姿を晒すか、もしくは無駄に仲間を落とされるか、どちらがいい。一船の長ならば、お前ほどの海賊ならば分からんでもあるまい」
 この剣は返しておこう、とミトは敵から奪った剣をドッグマンのすぐ脇に投げ落とした。男はそれを取り、厳しく眉間に皺をよせ、仲間に引け、と命令を下す。それを合図に、マルコたちの船に乗っていた海賊たちは、まだ息のある者、死んでしまった者、仲間を担ぎあげ、自分の船へと戻っていく。マルコたちも自船へと引き上げた。
 ミトもそれにならって月歩を使おうとしたが、その前に男が声を掛ける。
「…ぬし、名は」
「ミト」
「ワシはドッグマン。名は、知っておろうかな。お前は白ひげ海賊団…いや、今は違うか」
「私は、彼らの一員ではないよ。ただまぁ、」
 まぁそうだな、とミトは顎をさすり、にぃと唇を歪めた。
「海賊であれば、また会うさ」
 その返答に、成程、と応急処置を施した指に触れながら、男は口端を大きく歪めて笑みを作る。
「この借り、いつか返そうぞ」
「酒の一つでも奢ってくれれば」
 上等だ、とミトは笑うとその船を後にした。マルコたちが乗る船へと大気を蹴りつけて戻る。背中に響いた抜ける程に心地よい笑い声は、暫く耳に残っていた。
 甲板におり立ち、わぁ!と歓声にもみくちゃにされる。やるじゃねェか!などなど、褒め言葉がたっぷりかけられ、宴だ!と誰かが叫び、そして連鎖するように宴だ宴だと酒の席だ!と騒ぎになる。その中の船員を縫うように現れた金色の髪の男を見、ミトはようと手を上げようとして、頭に落ちた拳に呻く。
「船内に居ろと言っただろい!!」
「…いや、いやいやいやいや、なぁ?ジョズ…無理だよなァ」
「…」
 隣に居たダイヤモンドの固さを持つ男はどうやら、口も同じ堅さらしく助け船はくれなかった。怒り心頭なマルコを除いて、周囲は既に宴の用意を始めている。大きな酒樽が転がされているのを見て、ミトはきらきらと目を輝かせた。それにマルコはもう一撃頭に食らわせる。
「…いった…い…。おい、いくらなんでも殴りすぎだ!」
「これくらい罰あたんねぇよい!!このウスラトンカチ!おめぇは人の言うことちったぁ聞けねェのかい!」
「だってなァ…海賊との戦いだぞ?船内に居ろって言う方が無理な話だろ?」
「今すぐおめぇを船底に閉じ込めてもいいかよい…ッ!」
「断る。酒が飲めない」
 ああもうこいつは、とマルコは深い溜息を落とした。頭を押さえたところでどうしようもない。小さいころから本当に世話の焼ける。ヴィグの苦労が計り知れない。
「肝が冷えた。おめぇはもしかして、まだ、追いかけたかったのかと思った」
「そんな事はないよ。私は行けなくなったんだ。あいつが、私の全部奪って行ったから」
「…兎も角、無茶は止せよい。こっちの神経が持たねェ…って、人の話は最後まで聞けよい!!」
 むしゃむしゃと出されてきた料理をつまみ食いしている女の背中をマルコは怒鳴りつけた。ミトは振り返り、ああ、と笑う。
「足だろ?うん、洗ってくる。垢はいやー溜まるもんだな」
 誰がそんな事を言ったよい!!とマルコの怒鳴り声が響き、そして続いてジョズの溜息が落ち、それを包み込むようにして、笑い声がどっと沸いた。