甘えたい、それだけ。

 男はベッドに倒れ込んだ。
 大きな体がもっすりとベッドシーツを宙へと舞わせながら、沈み込む。沈没。そのままぴくりとも動かなくなった体に手足に枷を嵌められたままだったミトは怪訝そうに眉根を寄せた。ぐったりと倒れ込んだ体は普段のように不愉快な笑みを発することも、慣れ慣れしく触ってくることもしない。どちらも大層有り難いことだが、ベッドに倒れられたのは領域侵犯も甚だしい。退け、とミトは倒れ込んだひよこ頭を自由の利かない両足で蹴りつけた。だが反応は無い。
 流石に不気味に思い始め、ミトは蹴りつけた足を一度折りたたんで、四つん這いになり、膝と掌を上手く使って前に進み、ベッドシーツにキスをかましているドフラミンゴの頭をぺしぺしと叩いた。そこでようやく、倒れ込んだ男がひどくしんどそうに呼吸をしていることに気付く。触れた部分は馬鹿みたいに熱い。ウイルス性の何かでなければ、ようは風邪、発熱である。
「おい」
「…しんでぇ…」
「死んでくれりゃもうけものだがな」
 しんどい、を、死んでぇ、と違う当て字を添え、ミトは溜息をついた。このまま放置することもできる。できた。今は、鍵は閉められている扉も、ここに入ってきたということは、扉の鍵をこの男が持っていると言うことである。つまり、逃げ出せる。そう、逃げ出せるのだ。この足枷からベッドに繋がっている鎖さえなれば。だがしかし、問題はドフラミンゴが本日枷の鍵を持ってきているかどうかということである。
 先程吐いた溜息よりももっと深いそれを吐き出す。今日の手枷は幸か不幸か手首を戒めるだけのものである。一度ベッドの下に降りて、ドフラミンゴの投げられた足から靴をぽいと投げ捨て、その足をベッドの下へと回す。行動範囲をかなり狭められている足枷は全く不便極まりない。ベッドに対して平行にした体を、上に登り両手を万歳させ、手枷が嵌められたまま両脇に前から手を入れると、そのまま上に引きずり、大きな体を完全にベッドの上に引き上げる。うぇ、と小さな呻きが漏れたがこの際気にしない。
 ベッドの端に腰かけ、ミトはドフラミンゴの体に上掛を乗せると掌を大きく出された額に乗せた。熱い。やれやれと、一歩の幅が鎖のせいでかなり狭い歩行距離に苛々としながらミトは洗面所まで歩き、掛けてあったタオルを手に取り、思う存分水を吸わせると枷の嵌められた手でそれを絞り上げる。ぽたりと最後の水が落ち、一度それを大きく音をさせて伸ばすと、器用に畳む。枷を嵌められた上での行動に慣れてきた、というあまり面白くない事実にミトは舌打ちをする。他に乾いたタオルも数本手に持って帰る。
 そして、来た時と同じように、今度は足枷からベッドへと繋がる鎖を絡ませないように、男が横たわるベッドに戻った。サングラスを取ると、畳んで側の机に置き、濡らしたタオルを額に乗せる。うんうんと喧しく唸る口に体温計でも突っ込んでやりたいところだが、そんな武器になるようなものはここには存在しない。尤もタオルとて使い方一つで武器にもなるわけだが。唯一言言うならば、自分に適した武器にはなってくれない。そう言った類のものはこの部屋には置いていない。
 物を凍らせて武器にするのを防ぐために冷凍庫はなく、冷蔵庫だけのそれを開けて、中に水を入ったペットボトルを二本取り出す。中身は十分に冷えており、先程持ってきたタオルで巻くと、ドフラミンゴの左右の首筋においた。ひやりとした低温が心地良いのか、しんどそうにしていた表情が少し緩む。医者を呼ぼうにも電伝虫はいない。
 再度洗面所に戻ると冷たい水を盥一杯に張ってベッド脇の机の上に置く。足の拘束具がしかし本当に忌々しくミトの足の行動を制限した。一つ間違えれば床は一面水浸しである。一度ドフラミンゴの額に置いたはずの濡れた布は既に温く、ミトはそれを手に取ると冷たい水に浸して絞り、またドフラミンゴの額に戻す。
 シーツの上からドフラミンゴのポケットを探るが、鍵は一つしかなく、取り出して足枷に合わせても嵌まらない。扉に差し込めば簡単に鍵は右へと回った。落胆に肩を落とし、ミトは手にしていた鍵を床に放り投げた。使い物にならない鍵に用は無い。扉が空いても、足首を戒める鎖がある限り、この部屋から出ることは叶わない。全く、憎たらしい程である。
 がっかりとしつつ、ベッドに戻り、そのベッド端に腰かける。ぬれた布をもう一度冷たい水に浸して絞り、また乗せる。氷でもあればもう少し冷やせるのだがとミトは無い物ねだりをした。
 自分が熱を出した時、そういえばクロコダイルもぶつぶつと文句を言いながらも看病をしてくれたことを思い出し、小さく笑う。ひんやりとした手は大層気持ちが良かった。スナスナの実の能力者だからかどうなのか、それとも元から体温が低めなのか、氷枕も冷たかったが、やはりクロコダイルの手が一番気持ち良く、ほっと安心できた。風邪を引くと、人恋しくなるものなのかとそんな風に思う。
 首元に添えたペットボトルもそろそろ生ぬるくなり始め、役目を果たさなくなってきている。新しいペットボトルをと思い立ち上がって冷蔵庫へと進めば、じゃりと足首の鎖が音を立てた。閉じられていた瞳がその音で瞼を持ち上げ、視界をクリアにする。げほ、と一つ咳込む。
「…あー…あ…?」
 あ、とドフラミンゴは意識を取り戻し現状を把握する。額には濡れた布、両首筋には水の入ったペットボトル。そしてココがどこか。
 ぎょっとして、体を跳ね起こす。ポケットに入っていた扉の鍵がない。ドフラミンゴは慌てて周囲を確認し、女の姿を探した。ベッドの足から繋がってる鎖の先を追いかける。その先には。ペットボトルが、あった。
 鈍い痛みが眉間に直撃する。痛い、と思う暇もなく、頭は後ろの枕へと倒れ込んだ。ぼっすり、と空気が枕から抜ける。
「病人は寝てろ」
「…逃げて、なかったのか」
 ペットボトルによる攻撃を受けたドフラミンゴは、くるりと一回転して落ちたそれに再度強襲を食らった。伸びた女の手が胸に転がった冷たいボトルを拾い上げ、元は首筋に置かれていた、それは既に温くなっていたが、ペットボトルから布を外し、その布で冷たい方のペットボトルを巻くと倒れた男の首筋に再度置いた。反対側も同じようにする。
 そこまで終えて、ミトはようやくドフラミンゴの問い掛けに答えた。
「お前が足枷の鍵を持ってきてたら逃げていた。安心しろ。その場合はフロントの奴に一声掛けて行く。馬鹿が倒れてます、とな」
 そうなのだろうか、とドフラミンゴは額の冷たい布の上に手を乗せながら、ミトの横顔を見る。そして思う。こいつは多分自分が足枷の鍵を持っていたとして、逃げ出せる状況においても自分の看病をするのではないかと。
 黒猫を思い出す。雨の日の、あの日の黒猫。クロコダイルが手を下した小さな弱り切った、もう死を待つばかりの子猫。この女は見捨てられないのだ。弱り切ったものを見ると、どうしても見捨てられない。どんなに嫌いな相手でも、そう、自分のような存在でも。溜息を吐き、嫌そうな顔をしても、こうやって手を伸ばすのだ。馬鹿で愚かで偽善的かつ独善的で、どうしようもなく優しい。だから、自分は今日ここに来た。医者に行かずに、こちらに足を運んだ。
 フフッと口から笑いがこぼれる。何がおかしいと苛ついた視線が向けられる。尤も、上手くいけば逃げ出すつもりでいたのは間違いがない様子で、実際、手枷と足枷の鍵を持ってこなかったのはそのためである。
 逃がしてたまるか。あいつの所に帰してたまるか。ここにいてくれよ。おれの側にいてくれよ。
 言葉にならない声が頭の中で鳴り響く。熱は本格的に上がってきているようで、ふらりと脳味噌を包み込む液体を沸騰させ、思考を時折阻害する。首を軽く横に傾け、ベッド脇に腰掛ける女の背に視線を注ぐ。あの男はいつもこんな光景を見ていたんだろうなと劣等感をわざわざ自分で刺激する。熱が上がるとロクなことを考えない。
 いつも側に居る安心感。当たり前のように隣に居る女。
 目が覚めても今お前の側にその姿はない。どんな気持ちでお前はいると、そう、今頃海に居るであろう男の心境をドフラミンゴは慮る。それともあいつは言うのだろうか。想いはここにあると。今時洒落た三文小説でも滅多にお目にかかれない台詞である。しかし、言いそうで、少し恐ろしい。鎖で繋いでも檻で閉じ込めても、勝った気が今一つしない。否、全くしないのだ。敗北感だけが、心に残る。
 ああ熱い、と呻くように言葉を紡げば、温くなったペットボトルが差し出された。冷たすぎる水は確かに喉に良くない。
「飲ませてくれよ」
「断る。意識があるなら自分で飲め」
「意識を失いました」
「ぶち殺すぞ。鼻から飲まされたいか」
「怖ェ。冗談じゃねェか」
 凄みはされたが、そうは言っても、体を起こすのは手伝ってくれるあたり、やはり優しいのだ。
 大きな体を起こし終え、ドフラミンゴはミトの手から蓋の開いたペットボトルを渡される。開けてくれたのかとちらと見れば、とっとと飲めとばかりに眉間に皺が寄っている。頭が沸いているのか、あいつなら介護付きで飲ませてくれるんだろうなと少し涙が出そうであった。一口二口飲んで、喉の渇きを癒す。ごきゅりと喉仏が大きく動く。唇からペットボトルの口を外し、一息つく。
 飲み終えたペットボトルが掌で受け取られ、蓋を閉じられて机の上に置き直される。ごろんと再度頭を枕に預ける姿勢に戻り、天井を見上げる。額に冷たい布が絞られ、また乗せられた。心地良い。
「医者を呼んだ方が良いんじゃないか。体温計もない。食べ物はパンと牛乳しかないぞ」
「浸して食わしてくれよ」
「病人食を食え。医者でもなんでも呼べ」
 取りつく島もない返事がなされ、ドフラミンゴはぶぅとほっぺたを膨らませた。
「やだ」
 ぷいっと子供のようにそっぽを向く。ミトの額に青筋がビキリと浮かび、口端が引き攣る。絞め殺してやろうかと空気が語る。
「やだね」
「…子供か、お前は。一体幾つだと…大体、自分の体の調子くらい分かっているだろう」
「一日寝りゃ治るから、今日は泊る」
 拗ねた子供のようにぶぅぶぅと文句を言う我儘な男にミトは米神を押さえて、私はどこで寝ればいいんだとたった一つのベッドを占領された状態で呻いた。少し困らせてやりたくて、ドフラミンゴはそっぽを向いたまま黙り込む。
 数秒無言が続き、そうかと溜息が一つと共に、ベッドの下でごろりと人が転がった気配を感じ、ドフラミンゴは慌てて体を起こす。額から濡れた布がぽとりと汗を吸ったシーツに落ちた。ベッドの上から覗いたドフラミンゴの顔をミトは何だと不機嫌そうに睨みあげる。ドフラミンゴは慌てて、いいよベッドで寝ろよと言葉を紡ぐ。
「染されてたまるか。他人の汗でべとべとになる趣味は無い」
 眉間の皺がより深く刻まれ、言葉は冷たい。素っ気無い。いいから寝ろ、と額を落ちた布と一緒にベッドの枕に押し付けられた。後頭部が沈む。子供のようにあしらわれ、構ってくれるのは嬉しいが、あまり面白くはない。再度ベッドの陰に消えそうになった腰に手を巻きつけてベッドに引きずり込む。熱い吐息が押し倒した女にかかった。
 手首を戒めている枷を片手で押さえつけ、膝を割るように(尤も足首で一纏めにされているのでそう開けもしないが)足を入れる。無論、蹴りつけられないように脛で相手の脚を押さえることも忘れない。
「熱の効率的な下げ方、知ってるか?」
 挑発するように声を掛け、嗤う。だが、女は馬鹿にしたような嘲笑を鼻に乗せただけだった。
「ためにもならない思春期のガキが言う様な民間療法か。全く、当てにならんな。そんなに腰が振りたきゃ発情期の犬でも襲ってこい。お前みたいな男でも喜んでお相手してくれるだろうよ。子種が残したけりゃ他所の女を当たることだ。あまりふざけていると、窒息死させるぞ」
「この状態でか?」
「ああ、この状態でだ。本調子でないお前なんぞ問題にならん」
 掌の下の鎖ががちりと動いた。実際に、相手にならないかもしれないとドフラミンゴは目を細めて薄く笑う。意識は朦朧としていて、相手の行動の先も読めない。この状況下からどうやって逃げ出すのか、全く分からないのだが、この女ならやりかねない。
 ああもう駄目だ。ドフラミンゴは押し倒した状態から全身の力を抜いた。どすんと女の体を押し潰して、倒れ込む。ぐえ、と蛙が潰れたような声が上がった。ミトの柔らかい髪がドフラミンゴの頬を擽る。べちゃりと倒れてベッドとドフラミンゴの体でサンドイッチされたミトは鬼ですら裸足で逃げ出しそうな形相をその顔に浮かべていた。幸か不幸か、ドフラミンゴはうつ伏せになっているために、その顔を見ることはない。
 鎖を押さえつけていた手が離れ、両腕がミトの腰とシーツの間に潜り込んでがっちりとホールドする。
「おい」
 不愉快極まりない声が女の口から発される。しかし、ドフラミンゴは軽くそれを無視して、体を擦りつけるようにミトを抱きしめた。
「何もしねェから」
「既にしてるが」
「これくらい」
 いいじゃねェか。ワニ野郎なんていつもやってんだろ。
 そう続いた言葉は喉の下に飲み干す。ぐりぐりと鼻を女の首筋に押し付け、背骨を折らんばかりにきつく抱きしめる。みしみしと背骨が悲鳴を上げるのをミトは聞き、嫌々ながら勝手にしろと呻いた。
 なァ、と小さな呟きが全く熱いことここに極まれりな体から発された。ミトは丁寧にそれになんだと返事をする。ただし、それは不愉快な色を呈していたが。
「あのよォ。おめェ、昔、海賊だったんじゃねェか?」
 ドフラミンゴは熱で浮かれた頭でそれを口にした。あくまでも仮定の範囲を超えないそれが、ミトの耳に届く。
 集められた資料と状況から考えられうる可能性は二つ。まず一つは、この女が海兵と手を組んだ海賊に支配された村出身である可能性。もう一つは、彼女自身が海賊であり、それを海賊と手を組んだ海兵で壊滅させた可能性。彼女が海兵時代、唯一人命を奪った海賊。インペルダウンへと収容される原因となった将校殺害。海賊だけならば、賞金稼ぎにでもなればいいが、本部将校にもなれば、賞金稼ぎ程度では近づけない。結論的に、海兵になるしか道はなくなる。海賊が海兵になること自体は基本的にスパイ容疑がかかって不可能なのだが、考えられないことではない。
 クロコダイルとの接点は、村ならば寄港した際、そこを拠点としていた数年があったか、海賊であれば、海で会ったのどちらかである。海賊が好きだと言うのも、どちらも頷ける。ただ、一つ疑問なのが、海賊も海兵も。この女は恨んでおかしくないのだ。殺害した二人を恨んでいたのならば、尚更、おかしくはない。仮に復讐を遂げるためとはいえ、そんな殺したい程に憎い相手の下につくような真似をするだろうか。ただそれだけがやはり一つだけの疑問なのである。
 ドフラミンゴの言葉にミトはぼんやりと焦点をぼかしながら天井を眺める。そして答えた。
「そうだ」
 是。
 あっさりと返された言葉にドフラミンゴの方が言葉を迷う。一寸迷って口にした言葉は少し裏返っていた。
「よく、海軍に入軍出来たな」
「そうだな」
「マァ、おれも五分五分で仮定の話だったんだが。正直、てめぇがインペルダウンに入る前までは推測の域を出なかったし、その仮定の話すらなかった」
「そうだろうな。海軍が海賊全ての顔を覚えているわけじゃないだろう。賞金首でないなら尚更だ」
「へぇ」
「そんなものだ」
「おれとしては、お前がそうもあっさりと認めた事の方が驚きだがな」
 首筋でぼつぼつと落ちて行く言葉を聞きながら、ミトは眉間に軽く皺を寄せて、視界をはっきりとさせた。肺に、息を吸い込む。吐き出し、言葉を乗せる。はっきりと。くっきりと。確かな意志をそこに乗せて。
「私は、クロコダイルが私の友人であることと、私が海賊であったことだけは、否定しない。絶対に。何があっても。曲げない」
 クロコダイルという男の名にドフラミンゴは反応し、抱きしめる力を僅かばかりに強くした。ぎぢり、と背骨が悲鳴を上げる。本当にへし折れてしまいそうなほどの力で圧迫されながら、ミトは顔色一つ変えなかった。
「幸か不幸か、誰も私の過去に関して詳しく問い詰めるようなことはしなかった」
「何て答えたんだ」
「海賊に家族を殺された」
 そんな事を言われれば、海軍はそれ以上問い詰めることは出来まいとドフラミンゴは思う。調べさせた資料の中で、ミトという女が海軍に入ったのは十代前半であったとされていた。そんな子供が海賊に家族を殺されたと一言言えば、海軍としてはそれ以上は何も言うことをしなかったに違いない。そして受け入れたのであろう。この女を、海軍へと。
 しかしよくしゃべる、とドフラミンゴは不思議に思いながら、すりと顔をミトの肌に擦り寄せた。肌が擦れあう。
「今日は、よく喋るんだな」
「お前が聞いたことだ」
「話したくないって言ってなかったか」
「言った。今でも思っている。話したくないことはお前には話さない」
「…てめぇは、ずりィなァ」
 腕が体を圧迫する。内臓が飛び出そうである。まるで、子供が親のぬくもりを必死に求めるかのような動作であった。それは、振り払えない。一瞬、ほんの一瞬その一瞬だけ、ミトはドフラミンゴに己の姿を見た。
 船長船長と飛び付いて抱きしめて貰った、懐かしい記憶の中の大切な欠片。私の本当のお父さんとお母さんに会いたいと駄々をこねたこともあった。手掛かりなど何一つないから、それは叶わなかったが、いつの間にか、船の皆が自分の家族になっていて、そんな事はどうでもよくなっていた。今、一番大切な家族は周りに居る皆なのだと、そう思うようになった。そして、その出会いをくれた、産んでくれた両親にも感謝しようと思えるようになった。
 寂しくて、誰かに縋りつく。その腕の強さを、ミトは知っていた。ドフラミンゴの力は、大層それに酷似していた。
「ああ、ずるいな」
「分かってて言うあたり、余計にずりィ。ワニ野郎が、全く憎いぜ」
「クロコダイルは、あいつは、特別だ」
「ずりィずりィ。おれにだって、少しくらい分けろよ」
「断る。私はお前が」
「ストップだ」
 それ以上はと、いつの間にか一本の腕が腰の下から抜け、大きな掌が口を覆った。
「言うなよ。おれは病人なんだぜ。ちったァ労わってくれ」
「殴ってない時点で多少労わってるんだがな」
 ドフラミンゴの呟きにミトは鋭く返す。一部の隙も与えずに、天井を見上げる。一つに枷を嵌められている腕ごと押し潰されているので、いつも以上に自由が利かない。風邪を染されてはたまらんな、と溜息をつきながらそう思う。
 黙ったミトに、ドフラミンゴはそっと口から手を外して腕をまた腰に戻した。安眠抱き枕のように抱きしめる。ただし、力は尋常ではないが。
「なんか歌ってくれ。眠ィ」
「取敢えず放せ」
「ヤだ。子守唄歌え。労われ」
「四十目前の男の言葉じゃないな」
「フフフッ。好きな女には甘えたくなるのさ、男ってのは。ナァナァ、なんか歌えよ。何でもいい。歌うのがいやだったら、おれが寝るまで話しろよ」
「首を絞めて眠らせるのはありか」
「永眠はパスだ」
 八方塞でミトはとうとう折れた。口ずさむ。紡ぐ声にメロディーを乗せ、歌とする。ビンクスの酒。ドフラミンゴはその歌声を聴きながら、フッフと笑った。耳のすぐそばで聞こえる心地良い子守唄に体を任せる。海賊の歌を、元海兵が、元海賊が歌う。
 歌声を響かせながらミトは懐かしむ。甲板での宴。日々の生活。どんなものよりも大切で宝石のようだった毎日。二度と帰ってはこない、思い出の日々。
 ほたりと擦り寄せていた肌に一滴触れる。ドフラミンゴはすり、と頬を女の首筋に寄せた。
「泣いてんのか」
「お前の汗だ」
「そうか」
「そうだ」
 終わったメロディーにドフラミンゴはそっと目を閉じた。