39:嘘吐きと友達と失態 - 1/10

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 わらわらとクラスメートが移動をする。
 セオはその様子を横目で見ながら、反対方向へと歩いて行った。それを見た一人が、セオと声をかけた。片手に教科書と筆記用具をもったセオは首をひねって何と軽く怪訝そうに尋ね返す。子供の集団が止まり、セオと反対方向を指差す。
「そっちじゃないぜ。あっちだよ」
「?そっちじゃない。あっちだよ。教室変更は西棟で、東棟じゃない」
 セオの言葉にざわりとクラスがざわつく。そして自分たちを混乱に陥れた情報を発信した首謀者を会話を混ぜながら探し出そうとする。始業開始の鐘が鳴るまでは、まだ少しばかりの時間がある。だがその時、突然うろたえる集団の中に笑い声が弾けた。あははと誰も声変わりを済ませていないので、その声は男女どちらのものかは区別がつかない。だが、声は確実に集団の中で響いており、笑い声の持ち主はすぐに発見された。視線が一か所に集まる。
 そこに居たのは女の子だった。楽しげに笑い、アメジストの瞳を笑い過ぎで浮かんだ涙で滲ませながら、こげ茶の猫っ気の跳ねっかりの髪を揺らし、そこに立っていた。笑う少女に誰かが初めに言った。
「あたし、イルマから聞いた!」
 一つ声がかかれば、まるで伝染病のようにそれはざっとその場に広がる。イルマ、と呼ばれた少女はぷっと一つ噴きだすように笑ってから、そうよと肩口で切りそろえられている髪先を指でもてあそんだ。
「あーあ。もうばれちゃった。あなたのせい」
「俺の?」
 何を言っているのかよく分からないセオはイルマの言葉を反復する。しかし、それにイルマが返す前に批難の声が上がる。嘘吐き嘘吐きととげとげしい声が周囲にばらまかれた。しかし、イルマは未だ平然とした様子で笑っている。
「嘘吐き!何で嘘つくんだよ!授業遅れちゃうだろ!」
「私のせいにしないでよ。そんなの騙された方が悪いんでしょ?教室変更は嘘じゃないもの。ちゃーんと確認しないのが悪いのよ。人の言うことほいほい信じちゃうの、やめたほうがいいんじゃない?それにもう授業始まっちゃうし、あとあの先生いつも授業開始から十分は遅れるから問題ないわ」
 イルマの言葉に子供たちはむっと顔を歪めたが、それよりも正しい教室に行くのが先だと判断して、イルマを睨みつけるとさっさと放って教室へと駆け足で走って行った。そこにはイルマとセオが残る。
「あなた、行かないの?」
「行くけど、先生遅れてくるんだろ?だったら、急がなくてもいいや」
 それに廊下は走っちゃいけないし、とセオはくるりと踵を返して走り去ってしまったクラスメートと同じ方向へ歩き始めた。反応の薄いセオにイルマはむっと顔をしかめて、しかし口元にはまだ笑みを残してその背中に向かって言葉を投げつける。
「私の話、聞いてなかった?人の言うこと、簡単に信用したら痛い目見るわよ」
 変なこと言うなぁとセオは思いつつ、くると肩越しにイルマに振り返った。
「だって、それは嘘じゃない」
 セオの言葉にイルマは吊り上がりがちなその瞳を大きく丸くした。そしてセオは顔を前に戻して、すたすたと足を動かした。

 

 マンマ、とセオは目の前に置かれたアップルパイをフォークに突き刺しながら不思議そうに尋ねる。何ですかと東眞はそれに答えた時には、半分のアップルパイが既にセオの口の中に消えていた。毎度のことながら、一口で大きく食べすぎである。アップルパイは逃げも隠れもしないと言うのに、全く、せっかちなことである。そう言う食べ方は父親譲りかと苦笑しつつ、東眞はセオが座っている席の前に腰を落ち着けた。
 小さな丸いほっぺたがもぐもぐと動きながら、口の中のアップルパイを美味しそうに食べて行く。こうも美味しそうに食べてもらえると作っている方としても嬉しい限りである。
 セオはアップルパイを残りの分の半分を食べ、話の続きをした。
「変な子が居るんだ」
「変な子、ですか。どこが変なんですか?」
「あのね、あ、スクアーロ!」
 さらにアップルパイにフォークを突き立て、セオは説明を子細に示そうとしたが、その前に戸口に立ったスクアーロの存在に気付き、きらきらっと目を輝かせてフォークを振る。それにスクアーロは嬉しそうにはにかみ、よぉJrと反対に声をかけた。そして、キッチンの上に置かれているアップルパイに気付き、おと口角を持ち上げた。東眞はそれに一服されますかとカップを戸棚から出すと、スクアーロはそうさせてもらおうかぁとケーキナイフに手をかけた。
 だが、その時に、駄目!とセオの悲鳴じみた声が上がった。スクアーロと東眞の視線が小さな子供に集中する。セオは椅子から立ち上がって、駄目!ともう一度繰り返すとスクアーロの手からケーキナイフを奪い取った。
「これ、全部俺の!」
「…うおおぉい。これ全部でどれだけあると思ってんだぁ…腐っちまうぞぉ」
 大体食い過ぎだろうが、とげんなりとした表情でスクアーロはアップルパイの前に立ちはだかったセオを呆れて見下ろした。それに東眞はやれやれと肩を下ろしながら、林檎のコンポートありますがと冷蔵庫の取っ手に手をかけた。だが、それもセオが駄目!と叫ぶ。
「駄目駄目!マンマ!あのね、全部俺の!」
「…セオ。いつからそんなに我儘になったんですか」
 じとり、と睨まれてセオはうっと言葉を詰まらせたが、慌てて言葉を探して反論する。
「だ、だって、マンマ俺が小さいころに、俺が我儘言っても困らないって!」
「困る我儘と困らない我儘があります。スクアーロ、アップルパイ食べていいですよ。優しくないセオには暫くアップルパイは作ってあげません」
 コンポートを冷蔵庫にしまい直し、セオから視線をそらした母の言葉に、セオはさっと青ざめ、そして慌てて東眞の体に突進してぶつかり、必死の表情で謝罪する。
「嘘!ごめんなさい!ごめんなさい!スクアーロ、食べていいよ!沢山食べて…っ、で、でも俺の分も半分残しておいて」
「どれだけ食う気なんだ、てめぇは…」
 ワンホールのワンカットしか食べられていないアップルパイの残りを見下ろしながら、スクアーロは口元を引き攣らせると、セオからケーキナイフを受け取り自分の分を綺麗にカットして、側に置かれていた白い皿の上に盛りつけた。さて自分も席に着くかと振り返ったが、そこに口をもごもごさせながら、皿を差し出している少年に気付く。皿は空っぽであった。
 呆れて物も言えない。
 スクアーロは深い溜息をついてセオから皿を受け取ると、アップルパイを切ろうとナイフを乗せたが、んーんー!と口にものを詰めているために喋れないセオが抗議の声をあげ、スクアーロが置いているナイフの位置、すなわち鋭角よりも大きくするようにと、90度より大きな鈍角を指先で指し示す。いくらなんでも食べすぎである。差しものスクアーロもそれは無視して、鋭角にカットした。
「んー…」
「食べすぎだぁ。先にもうワンカット食ってんだろぉ?」
 ほら、とセオにスクアーロは鋭角のがっかりなアップルパイが乗った皿をセオに差し出す。セオは非常にしょんぼりとした顔で、それを見下ろすとごくんと口に突っ込んでいたものをようやく飲み込んだ。
「でも、食べる子は育つって言うよ」
「寝る子は育つ、だぁ。自分の都合のいいように変えるんじゃねぇ…。東眞、こいつに食わせすぎだぁ。太るぞぉ」
「そうは言っても、ちゃんと目の前で食べさせないと隠しても隠れて食べちゃうんですよ。だったら、目の前で食べさせた方がまだ、晩御飯の量とかが調整できて楽かなと」
 隠れて、という単語にスクアーロはひくりと頬を引き攣らせた。すでにセオの皿にのっているアップルパイは半分ほどに消えていた。本気でワンホール食いつくしてしまいそうで恐ろしい。
「どっちにしろ、明日から一週間はアップルパイ作りませんけどね」
「ええ!?な、何で!」
 地球が明日滅亡する、とでも言われたかのようなセオの表情に東眞は溜息をついて、冷蔵庫をすっと指差した。それにセオはぎくりと体を強張らせて、視線を他所へと彷徨わせる。
「昨日隠れてまた食べたでしょう。コンポートがごっそり減っていました」
「…だって、だってマンマ。帰ってきたらお腹空いたんだ。でね、一切れ食べたらおいしかったから…ついつい」
「駄目です。いいですか、隠れて食べないようにとあれほど言ったこと、忘れたとは言わせませんよ。セオ!」
「だだだ、だってだって!おおお、俺、成長期なんだ!」
「横に成長期になりたくなければ、きちんと野菜も肉もご飯もパンも食べて偏った食事をしてはいけません」
「だって」
「だってもさってもありません。今日はもうアップルパイは食べてはいけませんよ。半分食べたでしょう?」
「もう半分余ってるよ!誰か食べちゃう!それにマンマ、明日からアップルパイ作ってくれないんでしょ?」
 誰も食べない、とスクアーロは椅子を引いて腰掛けながら、母子の会話にああと軽く溜息をつきつつアップルパイを口に放り込む。スクアーロだってと犬のように耳と尻尾があれば垂れさがっているであろうセオを横目で見てから、スクアーロはそこに声をかけた。
「そんなに食われたくなけりゃぁ、名前でもなんでも紙に書いておいとけぇ。そうすりゃ誰も食べたりしねぇよ」
「そっか!スクアーロ頭いい!」
 きらきらとセオは目を新しいアイデアで輝かせて、目の前のアップルパイを食べる行為へと戻った。
 全く、と東眞は困ったように眉尻を下げてスクアーロのカップに紅茶を淹れると側に差し出した。それにスクアーロはGrazieと礼を言うと口につける。そこでセオはそうそうと話を一番初めに話を巻き戻した。
「それでね、マンマ。どうして嘘吐くんだろう」
「…えーと、セオ?順序立てて、もう少し分かりやすく話していただけると助かります」
 脈絡が一切ない突然の一言に東眞も、そしてスクアーロも同様に困りながら、セオの話を聞く。うんと頷くとセオは省略してしまった部分を口にした。
「教室変更があったんだけど、イルマって女の子がそれが東棟だってクラスの皆に教えたんだ」
「そりゃ、ただの勘違いじゃねぇのかぁ?」
 スクアーロの言葉にセオは違うよと首を横に振る。既にその皿の上にアップルパイは残っていなかった。
「知ってたんだ、本当は西棟で授業だって。でもわざと東棟だって教えて。俺は西棟だって知ってたから。でもその後で、先生は遅れてくるって本当のことも言ったんだ。騙される方が悪いってのも言ってた。変な子。ねぇ、マンマ。どうして嘘吐くの?嘘は、騙された方が悪いの?それとも騙す方が悪いの?」
 教えてと見上げてくる瞳に、東眞は手元の紅茶を一口飲み、そうですねぇと答える。
「嘘は吐かない方が極力いいでしょうけれど、時には吐かないといけない時もありますし、それに、吐く人には嘘を吐くだけの理由があったりするんですよ、セオ」
「理由?」
 ええ、と東眞は軽く首をかしげたセオに頷いた。
「嘘は自分を偽る行為ですからね。吐いた数だけその分の責任を持たなくてはいけません。気付いていなくても、いつかはそのしっぺ返しを食らいます。騙す方も騙される方も悪いことはないんですよ。ただ、悲しくなるだけで」
「…じゃぁ、俺、嘘吐かないよ。うん、吐かない。絶対吐かない。悲しいの、嫌だから」
 そう言ってセオはスクアーロが食べているアップルパイにひょいとフォークを当然のように刺した。それにスクアーロはう゛おお゛ぉい゛!と声を上げる。しかし、セオはにこっと笑って、頂戴!とスクアーロにねだる。一拍の間を持って、スクアーロは深い溜息をつき、それはくれてやると残りのアップルパイを手早く食べた。
 スクアーロから奪ったアップルパイを口に入れたセオに東眞は笑顔で問う。
「それで、セオ」
「何、マンマ!」
 元気溌剌とした返事をしつつ、セオは目を輝かせる。大変良い笑顔のセオに東眞はこつんとティーカップを机の上に置いて笑顔のまま口を開いた。
「スィーリオに玉ねぎ食べさせたの、貴方ですか?」
「…お、俺じゃ」
「嘘は吐かない、と言いましたね」
 笑顔で凄んだ母にセオは、ううと机に視線を落とし軽く唸りながら、ごめんなさいとぼそりと口にした。それに東眞は深い溜息を落とした。
「いいですか、セオ。嫌いだからと言って食べさせてはいけません。それに、スィーリオは犬なんですから、玉ねぎは食べさせてはいけないんですよ。スィーリオにはスィーリオの食べ物があるんです。もう二度とやってはいけません」
「で、でも…美味しそうにたべ
「いけません」
 断固として崩さないその言葉に、セオはごめなさいとしょげかえった。スクアーロはそこに、言葉を続ける。
「てめぇが任務に行った後、スィーリオが調子崩して大変だったんだぜぇ。少しは反省しろぉ」
「ごめんなさい…もうしません」
「玉ねぎは駄目です。チョコレートとかもやっては駄目ですよ。…焼いた肉なら大丈夫なので、今日のセオの晩御飯のステーキはスィーリオにあげましょうか」
「そんな!!マンマ!嘘でしょ!」
「いいえ、本気です。嘘を吐いたんですから、それ相応のことはしてもらいましょう」
 そんなぁ、とセオはがっかりとして机に突っ伏した。そんな様子にスクアーロは厳しいなぁと笑った。東眞はそれに、玉ねぎは本当に怖いんですよと続けつつ、もうほとんど空に近いカップに紅茶を注ぎ足す。
 中の液体がとぷんと揺れた。
「運を悪くすると死ぬかもしれませんからね。それに、嫌いなものだからと言って隠して他の人に食べさせる姑息な真似をしたのを怒っています」
 平坦になった声に、スクアーロはぶるりと肩を軽く震わせて見せる。
「おお、怖ぇ。Jr、次からは気をつけろぉ」
「…うん。次はスクアーロの皿に入れる」
「そう言う問題じゃねぇ!俺の皿に入れるなぁ!」
「だとしたら、明日のセオのマグロのカルパッチョはスクアーロのお皿に入って、セオには野菜たっぷりの皿をにしましょうか」
「冗談だよ!マンマ、冗談!」
「知ってますよ。私のも冗談です」
 冗談と言う単語に、セオはでもとぼやく。
「冗談と嘘って、やっぱ違うんだよね…。冗談はこうやって笑って許せるけど、嘘って嫌だな。何で吐くんだろ?」
「聞ける時が来たら、聞いてみたらいいですよ」
「うん」
 そうする、とセオはスクアーロの空になった皿を寂しそうに見つめ、そして東眞をちらりとうかがように見てから、未だキッチンに残っているアップルパイへと視線をやった。まだ食べ足りないのかとスクアーロはある意味ぞっとしながら、そんなセオの視線をほぼ無視の状態で受け流す母親を少しばかり尊敬した。
 穴があくほどに見つめても揺れ動かない母の意思に、子は一つ溜息をついて諦める。そして代わりに、ひょいと立ちあがると冷蔵庫まで歩き、林檎ジュースをコップに入れてまた座っていた椅子に腰を落ち着けた。コップを傾けて中の甘い色をした液体を一口飲むと、セオは思いだしたようにあと言葉を漏らした。それに東眞はどうしたんですかと問い尋ねる。セオは困ったような顔をして、肩をすくめた。
「ローガンがさ、また虐めてるみたいなんだ。なんでああやって誰でも彼でも子分にした気になって偉がるんだろ?」
 馬鹿みたいだとぼやいたセオにスクアーロがまだいたのか、と呆れた声で返す。東眞は視線をずらして、どういうことですかと隣に座っていたスクアーロに声をかけた。スクアーロはその銀糸を軽く揺らして、おおと答える。
「風の噂だが、どこぞのファミリーに手を出そうとして流石に痛い目みたみてえでなぁ。ここ最近は大人しくしてるもんだぜぇ。まだこっちに居やがるとは…何を虎視眈眈と狙ってるのかしらねぇが、いい加減に相手の土俵で戦ってることを忘れてるのを思い出した方がいいんじゃねえかぁ?」
 ここはアメリカではないと暗に告げたスクアーロの言葉に東眞は成程と頷いた。しかし、どちらにしろ父親が家における態度を崩さないのであれば、子供にもそれは当然変わらず伝わることだろう。虐めですか、と東眞は溜息をついた。セオはそれに、嫌になると頬を膨らませた。
「自分の荷物持たせたりしたり、掃除当番押し付けたり。自分でやればいいのに」
「その子は何も言わないんですか?」
「言えないんだよ。名前なんだっけ…えーと、ロニーだ。ロニー・テス。あんまり自分の意見言わない子で、黙ってやってる。だからローガンがつけ上がるんだ」
 頬を膨らませて腹を立てているセオに東眞は少しばかり冷たい目を向けた。それに気付いたセオは僅かに体を引く。
「セオ、虐められていると分かって傍観しているのは、虐めていることと同じことですよ」
「俺、友達でもなんでもないし」
「友達だったら助けて、友達でなかったら助けないんですか?」
「迷惑だって思われるの面倒だし。俺、もうローガンにあんまり関わりたくないんだ」
「そうですか。なら、それで構いません。好きなように行動しなさい」
「…」
 突き放されたような言葉にセオは手にしていた林檎ジュースに目を落とした。
 本当にロニーがローガンの部下になりたがっていて、それに口を突っ込んで恥ずかしい思いをするのが嫌だとセオはひっそりと考えていた。ローガンに関わりたくないと言うのも本当だけれども、どちらかと言えば、そちらの方が大きい。出しゃばったりするのは正直好きではない。恥ずかしい思いも嫌いである。それを、見抜かれたような気がして、座り心地が悪い。
 黙りこんだセオに場の空気が少し悪くなる。居たたまれなくなったスクアーロはセオに声をかけた。
「そういや、一番初めのイルマだったかぁ?ありゃファーストネーム何て言うんだぁ」
「何で?」
 突然聞かれ、セオは首を傾げる。それにスクアーロはどっかで聞いた名前なんだよなぁと顎をさすりながらふんと唇を軽く曲げた。セオはそれにモナコ、と答える。
「イルマ・デル・モナコだよ、スクアーロ」
「モナコ…ああ、モナコファミリーかぁ。そこの一人娘にイルマって名前の女がいやがったぜえ。多分そいつで間違いねぇ。しっかし、あそこのボスは人あたりも良くて娘を可愛がってることで有名なやつだがなぁ」
 なんでまた嘘なんざと不思議そうに首をかしげて考えるが、流石に逆立ちをしても分かりそうにはない。目の前の子供から分かるように、この年頃の子供の心はどうにも理解しがたいものがある。
 そして、そこでようやくスクアーロはココに来た本来の目的を思い出した。それと同時に遠くの方でごっしゃんと激しくものが壊れた音がした。さぁとスクアーロの顔から血の気が引く。思わずキッチンに広がっている空気に絆されてティータイムとしゃれこんでしまった。
 Jr、とスクアーロは林檎ジュースを半分ほど残しているセオに声をかけた。それにセオは何スクアーロと返事をする。冷や汗が流れおちるのを感じつつ、スクアーロはすまねぇと軽く謝っておいた。
「ボスが、報告書だせと吠えてたぜぇ…」
「…スクアーロ、言うの、遅
 い、とセオは戸口に立っている気配に気づいて、さっと顔を青ざめさせた。般若の形相で立っている黒い影が誰なのか、セオは誰よりもよく知っていた。あう、と声にならない声が悲鳴のように口から溢れだす。大きな手は戸口の壁をばきんと握力だけでひびを入れた。
 暗がりの中から赤い双眸が爛々と光り輝き、標的を発見してその殺気を膨れ上がらせた。がん、と一発の銃声が響いてセオの手に持っていたカップが盛大に割れ、残っていた林檎ジュースはその破片と共に机の上に広がった。セオは待って!と両手を前に慌てて椅子から飛び降りる。
「いいいい、今!今、聞いたばっかりなんだ!それに、昨日は疲れててうっかり眠っちゃって…!」
「うるせぇ、くだらねぇ言い訳するんじゃねえ。てめぇもだ、ドカスが!誰がそいつの代わりに報告書代理で書けと言った…あぁ?」
 怒りの矛先がセオからスクアーロに向いたことで、銀色の剣士はさっと青ざめる。
「いい、いや、待てボス。流石にここ一週間Jrの奴は連続で任務にかりだしてたじゃねぇかぁ…学校もあるし、朝も早ぇわけだしな。一日くらい同伴した俺が書いても問題は…う、お!」
 今度は紅茶のカップが割れた。机には一つの銃痕が残っている。ルッスーリアがまた泣いてしまうだろうかと東眞は見なれた光景に溜息を一つついて紅茶のカップを傾けると最後まで飲み干した。
「とっとと行け、カス共が!!」
「あ、ちょ、バッビーノ、それ、俺のアップルパ…あ――――――!!」
「うるせえ。行け」
 適当に切ってがつがつとアップルパイを食べるXANXUSにセオは非難を交えた悲鳴を上げた。しかし、XANXUSはそれを一睨みして黙らせ、セオ、そしてスクアーロをキッチンから追い出し、先程までセオが座っていた椅子に乱暴に腰かけた。そして、どんとマグカップを東眞の前に置く。東眞はそれに、ブラックでいいですか、と尋ねた。キッチンの上に置かれていた残り半分のアップルパイを自分の前に置くと、XANXUSはああと答えながら、大口を開けてそれを食べた。
 アップルパイがなくなった頃、東眞はXANXUSにコーヒーを差し出す。大きな手はマグカップを受け取り、芳しいコーヒーを口にして、そしてようやく落ち着いた息をこぼした。