09 :Sei unica. Sei unico. - 1/6

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「ただいまー」
 返事ないかもしれないことに落胆しつつも修矢は玄関を押し開けた。だが、予想に反して返事はあった。
「お帰り、修矢」
「…あ、姉貴」
 いつものようにそこに笑顔で立っている東眞に修矢は目を見開いた。東眞はぽすりと呆然としている修矢の頭に手を置いた。そして静かに言う。
「心配かけてごめんね」
「…平気、じゃないだろ」
 俯きがちに修矢は東眞にそう言葉を渡す。東眞はそれに柔らかく微笑んで、そっとその両頬に手を添えた。優しく触れてきた手に修矢は泣きそうになりながら、眼鏡の奥の瞳を見つめる。目元は、やはり少し赤い。唇がゆっくりと言葉を紡ぐ。
「もう、平気」
「嘘つけ…」
 きゅっとつらそうな顔をした修矢に東眞はこつりとその額を当てる。眼鏡が肌触れる。静かで大人びた声が修矢の耳に届く。
「私、きちんと話そうと思う」
 その言葉に修矢の拳がきつくきつく握りしめられる。ぎっと二つの瞳が東眞を見つめた。その後に来るであろう言葉を東眞はしっかりと受け止める。修矢はやり切れないかのように言葉を吐き出した。
「なんで――――――――…っアイツちっとも姉貴のこと大切に思ってない!まるで自分が裏切られたみたいに言いやがって!自分が悪いなんてちっとも思ってない!自分本位で、最低な奴だ!そんなやつと、話し合うことなんてあるのかよ…っ」
 電話をしたのかと東眞は思いながら、そっと言葉を紡ぐ。
「あるよ」
「何が!」
 東眞はすっと目を優しく細めた。
「だって、私もあの人のこと何も分かって無い。どうして怒ったのか、まだ聞いてない」
「どうせただの思い込みで姉貴を悪者にしたいだけだ」
 吐き捨てるように言われた言葉に東眞は目を伏せる。修矢は頬に添えられたその手を掴んでぐっと唇を噛みしめた。東眞の肩にその顔を押しつける。
「あんなやつ…っ姉貴がわざわざ話聞いてやる価値もない…っ」
 ジワリと滲んだ冷たい感触に東眞は修矢が泣いていることを知る。こうやって自分の代わりにいつだって泣いてくれる彼がいるから、自分は泣かずに済んでいるのかもしれない。東眞はきつく掴まれた手が僅かに震えていることに気付く。
「人を、」
 ぽつんと一拍置いて東眞はその瞳に悲しげな色を混ぜた。
「―――――――――人を好きになるのに理由がないように、人を嫌いになるのにも理由なんてきっと要らない。それは仕方のないことだと思う。でも、人を憎むのには理由がいる」
 私はと続けて東眞は掴まれている手にそっと触れた。
「あの人が、XANXUSさんが私を憎むほどに、私が彼を傷つけたのだとしたら、私は当然あの人に謝らなくてはいけないと思う。だから私はXANXUSさんと話し合わなくちゃいけないし、そうでないと私も前に進めなくなる」
「…姉貴は、お人好しなんだよ…。姉貴だって傷ついたじゃんか」
「そうだね。でも思うに」
 私の傷よりも、彼の方が何故かもっと傷ついているように思えた。
「少なくとも、私は裏切られたなんて思ってない」
 修矢の話を聞きながら、東眞はやはり自分とXANXUSの間には何かすれ違いが生じていることに気付く。その何かが一番最後の行動だけを他の一連のつながりから確実に浮かせている。きつく掴まれて痣のできた手首はまるで彼の憤りのようだ。
「遊びでも戯れでも、少なくとも私は彼を傷つけたから」
 ぎゅぅと掴む手が強くなる。
東眞はなだめるように優しく告げた。
「話し合う必要があるの」
 優しいけれど強い言葉に修矢が言えることなど何一つなかった。
 そっと肩から顔をのけて、涙が滲んでいた目をぐいと拭う。そして預かった鞄を東眞に差し出した。それからうつむいて、ぽつりと言う。
「…学校、さぼってごめん」
 口をへの字に曲げている修矢に東眞はにこりと微笑んだ。

 

 ひょいとルッスーリアはスクアーロの手元を覗きこむ。キーボードを触っているものの、その動きはぎこちない。戦闘技術においては右に出る者はいないものの、こういった事務関係に関しては滅法弱いようだ。
「何してるのかしら」
「…調べものだぁ」
 スクアーロはそう言って、エンターキーを押す。画面は変わって、また文字の羅列。それにがしがしとスクアーロは頭をかいた。くっそ、と呟きながらまたかちかちとキーをいじる。
 任務は通常に振られているし、ヴァリアーとしての機能は全く停止していない。むしろ普通だ。変わったことと言えば、XANXUSの部屋に運ばれて出て行く酒の数が増えたということ。それと報告書を持って行く時に見られるその目元に見える疲れ、それと苛立ち、眉間の皺。それが増えていっているということだ。彼は相変わらず強い男であるし、揺るがぬ誇りも持っている。けれども、その様子は正直な話見るに堪えない。女一人で腑抜けたりはしていないが、女一人でこうも悩んでいる。
 スペースキーを押してスクアーロは僅かに止まった。
 こんな状態がもう三日も続いている。あんな電話があったものだから、こちらから東眞に連絡を取ることもできない。連絡なぞしたら、次の瞬間憤怒の炎が飛んでくること請け合いだ。
 マウスを動かしながら、画面を睨みつける。
 ああいう男だから、自分から誤解を解くなどという真似は絶対にしないことはスクアーロにも分かる。ともかく謝るという行為をしない。悪かったと、自分に非があることを認めない。だからこそいいのだが。彼の行動は常に自分が中心であり、それ以外に法律はない。だからこそ非がない。とは言っても、このままでいいはずもない。
「ボスったらまたお酒飲んでるのよ…さっき報告書渡しに行った時の酒の臭いときたら」
 酒に関してはそれなりに飲める男なので、そう心配もいらない。アルコール中毒にはならないだろう。酒で身を持ち崩すなどという馬鹿はしない。
 スクアーロはそうかぁと答えて画面とにらめっこを続ける。流石のルッスーリアも話を流されているのに気付いたのか、スクアーロと同様に画面を見る。
「さっきから何を調べてるの?」
「履歴だぁ」
「履歴?」
 いい加減目が痛くなってきて、スクアーロは画面から目を離す。そしてゆっくりと話し始めた。
「もし、あの小僧の言うことを信じてだな、この原因が東眞になかったとするだろぉ。で、二人の連絡手段はメールか電話だぁ」
 何かが引っ掛かっている、とスクアーロは唸る。本当にどうでもいいことだったのだが、不吉な感じを覚えていた。それが何なのか引っ掛かっていまいち思い出せない。
 そこでスクアーロはルッスーリアに駄目もとで尋ねてみる。
「ボスが不機嫌になる前に何かあったかぁ…?」
「不機嫌に?突然だったじゃない」
 全くその通りである。
 しかし、ルッスーリアの次の言葉にあ、と声を漏らした。
「でもそうねぇ…いつも返信してくれるのに、ちょっと前から返信がなかったわね」
 ばっとスクアーロは携帯を取り出そうとして動きを止めた。そう言えば、自分の携帯は先日破壊されて、データが壊滅したのだった。着信履歴など残っているわけもない。がっくりと肩を落としたスクアーロの前にルッスーリアから携帯が差し出される。
「?」
「見てもいいわよぉ。知りたいんでしょ?」
「…助かるぜぇ」
 スクアーロはそう言ってルッスーリアから携帯を受け取り、着信履歴を調べる。最後の返信、それからルッスーリアが東眞にメールを出した日。二週間程前だ。
「…何かあったかぁ…?」
 特別これと言ったことはなかったように思う。返信してきたメールを見てもいいか確認を取ってスクアーロはそれを見る。やはり普通のメールである。ショッピングに行ったやら卒論が大変だとか、普通すぎるほど普通なメールである。こちらに何かがあったのかと聞かれれば、任務も普通にこなしていたし誰かが大怪我をしたということもない。
「…何か、何か…」
「何ぶつぶつ言ってるんだい、スクアーロ」
 ひょいとソファに乗ったマーモンにスクアーロは視線を移す。そして思い付いたように聞く。
「なぁ、二週間前って何かあったかぁ?特別な事」
 その問いにマーモンは覚えていないのかと反対に聞き返す。
「スクアーロ、珍しく君が何か悩んでたじゃないか。あの女のことで」
「女ぁ?」
 怪訝そうな顔をしたスクアーロにマーモンは小さく頭をふる。
「ほら、サンドラ・ブラッキアリだよ」
 その名前にスクアーロは目を見開いて、マウスを操作し、かちかちとクリックする。スクロールをしながら画面の文字と時間を追って行く。発信記録、メール受信記録。
「…こいつかぁ…?」
 一本の発信の後、それから随分と間が空いている。それまで確実に一週間に一本あったメール受信がない。そのページを印刷し、さらに日付を紙にメモってスクアーロは音を立てて立ち上がった。スクアーロ?という周囲の声も耳に入らず、そのままソファを乗り越え、かつかつと速足で歩きだす。
 無論向かうのは酒の臭いが充満しているであろうその部屋へ。