07:電話の向こう - 1/5

1

 ぱんぱんと破裂音が耳を劈く。次の瞬間叱咤が響き渡った。
「もっと速く!そんな遅さでは相手に撃たれます!」
「はい!」
 ぱん、ともう一発。また響く。
「必ず二発連続で!」
「はい!」
 ぱんぱんと二発。遅いと叱咤。二発、叱咤。二発、叱咤。それが彼是一時間ほど続いて、音がぴたりとやんだ。
 東眞は呼吸を整えながら、額に浮かんだ汗をぬぐった。と、ひょいと前に白いタオルが差し出される。

哲がお疲れ様でした、と笑顔でタオルを持っていた。東眞はそれを礼を言って受け取り、首筋の汗をぬぐう。哲は穴のあいた的を眺めながら、ふむと難しそうな顔をする。
「考えたのですが」
「はい」
「…銃を撃つ上で視力が悪いというのは致命的なんです」
 コンタクトにされては、と哲は東眞に勧める。眼鏡に比べればコンタクトの方がずっと落ちづらい。それに東眞はあ、と言って下を向いた。僅かに耳が赤い。一体どうしたことだろうと哲はどうされましたと尋ねる。
「その」
 哲の問いかけに東眞は目を泳がせながら答えた。
「眼鏡を外したら、わ、分からないような気がして」
「何がですか」
「ですから、XA、XANXUSさんが…私を、分からないような気が」
 その一言に哲は笑う。哲さん!と声をあげられたので、哲は顔を背けてすみませんと謝った。くすくすと笑いながら、ちらりと東眞の方を見やる。
「大丈夫ですよ、彼はきっと分かります。東眞お嬢様はもう少しご自身に自信を持たれた方がよろしいですね」
「そうでしょうか」
「ええ、そうですよ」
 東眞はしばらく考えたが、首を横に振った。
「いいえ、このままでいいです。何だか、こっちの方がずっとしっくりきますし」
 コンタクトは変な感じでしょう、とはにかんで東眞は哲の申し出を断る。眼鏡を落としさえしなければいいだけの話なのだから、まぁいいかと哲も納得した。しかしと哲は的を見て頷いた。
「なかなか筋がいいですね」
「有難う御座います」
「ただお嬢様」
 声が僅かばかりにトーンを落としたので、東眞ははいと返事をした。哲は東眞をすっと見つめて、静かに言った。

「銃を向けるならば殺される覚悟もなさってください。そして、自分を守るために相手を殺す覚悟も」

 哲の言葉に東眞は表情を引き締める。そして、まっすぐに、揺らぐことない返事をした。
「はい」
 その表情、声音に哲はしっかりと頷いた。
 哲はくるりと踵を返して後方に置いておいた黒い箱に手をかけて、開く。その中を東眞はひょいと覗き込んだ。中にあるのは、銃。大きすぎなければ、小さすぎもしない。哲はそれを手にとって、東眞に差し出した。差し出された銃を東眞は確かに受け取る。 東眞が受け取ったのを確認して哲はその銃から手を離して説明を始める。
「そいつの基本構造は普通の銃と同じです。今後はそれを使って訓練していきます」
「分かりました。随分手に馴染むような…」
「特別製です、お嬢様のために作りました。サイレンサーが内部に組み込まれています」
「サイレンサーが?」
 はい、と哲は東眞の疑問に答える。
「銃声を聞きつけてやってくる輩はあまりいいたぐいのものではありませんからね。警察でも呼ばれれば厄介です。銃を撃つならば必ず相手を殺すこと、殺したかどうかの確認いりません。確実に致命傷を与えて下さい。私はそのための銃をお嬢様にお教えしているのです。情け容赦は決して用いないこと。死にたくなければ」
「はい」
 哲はそれともうひとつ小型のホルダーを渡した。
「普段はこちらに入れて携帯なさってください。肌身離さず常に携帯しておくこと、分かりましたか」
「はい」
 では今日はこれくらいにしましょう、と哲はさっさと片付けを始める。東眞はそれを手伝いながら、自分が撃った的を見据える。
 そのほとんどが的には当たっているものの、致命傷の位置かと聞かれればそこに当たっているものはほんの僅かだ。これが動く的であれば、致命傷などないだろう。哲はそんな東眞を見て、笑った。
「大丈夫ですよ。相手の姿が見えなければ威嚇射撃だけでも十分に効果があります」
「そうですか」
「はい。それに、お嬢様の場合は動く的の心配はいりません」
「どういうことですか?」
 哲の言葉に東眞はキョトンとする。哲は笑って、答えた。
「お嬢様の場合、狙撃というよりも捕まえて人質とした方が価値があります。ですから、相手が必ずお嬢様に銃を突き付けてくるはずです。それはほぼ止まっている的と同じです」
「成程」
 その時、東眞はふと手を止めた。少し離れた椅子、脱いだ上着の上に置いてあった携帯が震えてちかちかとしている。哲もそれに気付いて、後はお任せ下さい、と笑った。東眞はすみませんと謝罪して携帯を取った。
「はい、東眞です」
 返事はない。先週電話を貰ったばかりなのに珍しいと思いつつ、しかし東眞は嬉しくてぱっと笑顔を浮かべた。
「XANXUSさんですか?珍しいですね」
 くすぐったくなるような感覚を覚えながら、東眞は電話に話しかける。
「今、私銃を哲さんに教えてもらっているんです。筋がいいと褒められました」
 東眞はちらっと哲の方を向けば、哲はにっこりと微笑んで、器具を片付けに倉庫に向かった。しかし、いつものような返事がない。ああ、とあの短い、ほっと落ち着くあの声がない。
どうしたことだろうかと思い、東眞は携帯を少し離して電話がどこからかかってきたのかと画面を見る。画面には確かにXANXUSと記載されていた。首をかしげながら、携帯にまた耳を押しあてる。
「XANXUSさん?」
『こんにちは、東眞。はじめましての方がいいかしら?』
 返事はXANXUSの声ではなく、女性の声だった。ぴたりと東眞は動きを止める。電話の向こう側の声はそれを気にすることなく、話を続けた。
『ねぇ、あなたXANXUSの恋人なの?』
「え…あ…」
 恋人、という関係ではないと東眞は思っている。なにせ好きだと言われたことすらない。
 僅かな間を持たせて、東眞はいいえと返事をしようとした。が、その前に女の声が先に発される。
『もうXANXUSに近づかないでくれるかしら、東眞』
「…それは、どういう」
 声が、わずかに震えた。優しげな声は続ける。
『私、あなたのことを心配して言っているの。XANXUSは気まぐれな人だから、女もとっかえひっかえ。ジャッポーネは繊細で傷つきやすいって聞いてたけど、あなたの声を聞いて確信したわ』
 一体何を確信したのだろうかと、東眞は電話の声を待つ。
『何人も女が捨てられるのを見てきた私が言うんだから間違いないわよ。あなたみたいな優しい人はXANXUSにはもったいない。もっといい人を探しなさい』
「でも、私」
 反論を女の声はあっさりと潰す。
『…そう』
 僅かに声に悲しげが混じったのを東眞は確かに聞き取った。涙声が、その声に入る。
『こんなこと、言いたくなかったの。私、さっきXANXUSがあなたを迷惑だって、鬱陶しいって言ってたのを…聞いたのよ。返事をするのも本当は億劫らしいんだけれど、部下に言われて仕方なく…って。ごめんなさいね』
「どうして、貴女が謝られるんですか?」
『私はあの人の元婚約者だから』
「…そう、ですか」
『私の話、分かってくれたかしら。XANXUSには、もう』
 きゅ、と東眞は携帯を握る手を強くした。そして俯き、声を、言葉を落とす。
「――――――――はい。ご迷惑を、おかけしました」
『本当にごめんなさい』
 その言葉を最後に電話は切られた。東眞はだらん、と手を下に落とす。

 鬱陶しい、迷惑、億劫、部下に言われて仕方なく。

 そうだったのだろうか、と東眞は床を見つめながら静かにその言葉を反芻する。胸が締め付けられるように痛い。これが失恋というものだろうと東眞は胸のあたりの服をきゅっと掴んだ。
 苦しい。
「待ってますなんて―――――――――なんてこと、言ったんだろう」
 何故こんなにも悲しい。飽きられるのは分かっていたというのに。始めから好きなんて言われたこともなかったのに。
「唯の、暇つぶしだって……知ってたのに」
涙も、出てこない。ただ喉が、心が、体がぎりぎりとピアノ線で締め付けられているような痛みを覚えている。
「お嬢様、閉めます」
 扉の方から哲の声が響く。東眞はすっと顔をあげた。そして、両方の口端をくっと持ち上げた。それは俗に言う笑顔である。
「はい、すぐに行きます」
 銃をホルダーに、上着を手に、そして携帯をズボンのポケットに入れて東眞はゆっくりと歩き出した。

 

 サンドラは先程の発信履歴を消して携帯を机に戻す。そして部屋の主の帰還を待つ。ここ一週間ほど、ずっとこの部屋に通い続けてきた。XANXUSが自分を無視するほどに。いないものとして扱うように。
 かちゃりと扉が開けられ、シャワーから上がってきたXANXUSが部屋に入る。XANXUSはサンドラの姿を認めると、拳を握り、その頬を殴り飛ばした。体は簡単に地面から離れて、壁にぶち当たる。頬の痛みに薄ら笑いを浮かべながら、サンドラはゆらりと立ち上がる。
 XANXUSはすでにこちらを見てなどいない。人、彼がいうカス、虫けら、それ以下の存在になり下がっている。それでもサンドラは笑った。
「あたしは、ここよ。XANXUS」
 その声を無視してXANXUSは椅子に座り、グラスに水を注いで一口二口と飲む。そして椅子に腰かけて、机の上に置いてあった携帯を手に取り、ぽちぽちと操作し始める。数秒画面を見つめて、それから携帯を閉じた。
 サンドラは立ち上がりXANXUSに近寄る。そしていつものようにまた言った。
「愛してるわ、XANXU
 S、という言葉を聞く前にサンドラの言葉は消える。スクアーロが後ろから首筋を打って昏倒させていた。
「ボス」
「何だ」
「こいついい加減どうするか決めたらどうだぁ」
「ブラッキアリに連絡がつかねぇ。独房にでもぶちこんどけ、うぜぇ」
「連絡がつかねぇ?どういうことだぁ」
 サンドラをかついで怪訝そうに聞いたスクアーロにXANXUSはそのままだ、カスと返答した。しかしスクアーロの耳にそんな話は届いていない。XANXUSは吐き捨てるようにちっと舌打ちした。
「今老いぼれに連絡取らせてんだよ」
「そういや、ブラッキアリは小規模で本部移動型って面倒くせぇファミリーだったなぁ」
 足がつかないようにという信念だったらしいが、XANXUSから言えば、それはただの弱者の言い訳だ。本当に強いものであれば、どこにいようがなにをしようがそこに立っていられる。
 スクアーロはXANXUSが携帯を持っていたのに気付いて、にやっと笑う。
「何だぁ。また東眞からのメール見てやがったのかぁ?偶にはボスからメールしてやってもいいんじゃねぇかぁ」
元気ですかぁとかよぉ、とからかったスクアーロにXANXUSは水を飲み干したグラスを投げつけた。