海賊だからな - 1/2

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 と、男は言った。

 部屋を埋め尽くす程に大きな鳥が一羽、机の前に在るソファに腰かけていた。座るべき場所にはその大きな足が乗り、背を預ける部分に尻を乗せる。この子はまともに椅子に座ることができないのだろうかと疑問に思いつつ、もう一羽の鳥は開けた扉の下で溜息をついた。それに中に既にいた桃色の鳥は、邪魔してるとさも当然のように鳥の巣の主にそう告げた。やれやれと主は溜息をつき、かつりと足を鳴らして座り慣れた椅子に腰かけた。男のような奇妙な座り方ではなく、きちんと椅子に椅子たらんとさせるための座り方をする。
 つるは大きな体を猫背で丸めてしまっているドフラミンゴへと声を掛けた。何の用だい、と。男は笑っている癖に、何故だろうか、不自然に歪み、少し寂しげに見えた。派手派手しい桃色は、その錆びた青色を覆い隠すためのもののようにすら、つるの目にはそう映った。
 つるの問い掛けに、桃色の片足鳥は逃げちまった、と呟いた。
「折角、捕まえたのによォ」
 至極残念そうに言葉は呟く。ドフラミンゴ、とつるは珍しく己から質問をした。普段は向こうからパフォーマンスがない限り、質問なぞをして無駄に時間を食うような真似は絶対にしない。
 つるの問い掛けに、ドフラミンゴのサングラスが動き、顔が少し傾いた。フラミンゴの首がゆるりと曲がる。
「手に入らないから、欲しいんじゃないのかい。あたしには、そう、見えるけれどね」
「手に入らないから」
 繰り返したドフラミンゴにつるは、そうさと繋いだ。
「まるで子供が玩具を欲しがるように。手に入らないから魅力的でより渇望してしまう。だけどね、手に入ったら入ったで、お前は飽きるんじゃないかと、あたしはそう思うのさ。だから…いや、あの子の心配をあたしがする義理は、もうないね」
 手配書で賞金まで掛けられた。あの子は海賊。
 まるで、と言葉が続けられる。だが、続けようとした言葉はドフラミンゴの言葉が先に発されてしまったために、最後まで続けられることはなかった。ドフラミンゴは鶴の言葉を潰した。
 そうならよかったのに、と。
「そうなら、よかったのにナァ」
「違うのかい?」
 ドフラミンゴの視線は、窓の外に見える広い広い、広大な海へと向けられていた。サングラス越しの世界は、色が少し異なって見える。指でサングラスを持ち上げ、その海そのままの色を見つめた。尤も、これも大気中の汚れなどを考えると、実際の色、と言うには甚だ遠いのかもしれない。
 つるの言葉にはYESかNOで返答をせずに会話を繋ぐ。
「おれは、あんたも欲しいんだぜ?おつるさん」
「…棺桶に片足突っ込んでるババアに欲情してるんじゃないよ」
「あんたは綺麗だよ。とても」
 素直な感想をドフラミンゴは呟いた。実質、つるは年を取っていようがいまいが、大層綺麗に映るのだ。彼女の羽織る正義の海軍コートは彼女自身をも白く見せた。白い羽をつやりとさせて、いつだって背筋を伸ばして生きている。それは本当に、美しい。触れることすら躊躇われる程に。
 フラミンゴの声を測りかねている鶴に、ドフラミンゴは言葉の添え木を与えた。
「でもアンタだって、多分あいつと同じで、どう足掻いたところでおれのモンにはならねェだろう。そんなことは、おれにだって分かってンだ。だけどマァ、アンタは諦めがつく。手に入らなくても、それは仕方のねェことだってことが、いや、手に入らないからこそイイもんだって思ってる。アンタは綺麗過ぎて、触れるにゃ、ちと恐ろしい。見てるだけでいいのさ、アンタは」
「人を骨董品扱いするんじゃないよ」
「フフ、プラトニックラブと言ってくれよ」
 白は、美しく、ある。潔癖なまでの白。たまらなく高潔で、まさに、高嶺の花と称するに相応しい。ドフラミンゴは続けた。
「そう思い切れンなら、いっそ良かったのに」
 落ちて行く女の姿をドフラミンゴは脳裏に思い浮かべる。勝ち誇った顔で落ちて行った。飼えるものかと笑いながら。手に入らないのではなく、とドフラミンゴは思い直した。あれは、手に入れさせないだけだ、と。
 おつるさん。そうドフラミンゴは一羽の鳥の名を呼んだ。老兵の瞳がゆるりと動いた。
「面白くなかったのさ」
 おそらくそれには続きがあるであろうことを察して、つるは即座には返事をしなかった。案の定、ドフラミンゴは窓枠に切取られた海を眺めつつ、言葉に哀愁を乗せて続けて行く。
「籠に入れてから、ちっとも面白くなかったんだ。あいつはちっともおれを見やしねェし、いつだってワニ野郎の事ばっか考えてんのも腹が立つわ、おれのことを心底嫌ってるのも目に見えて分かった。何より」
「何より」
 澱んだ言葉を継ぎ足すように、つるは最後の言葉を繰り返した。桃色の羽毛の塊がそっと動いた。持ち上げていたサングラスが落とされ、鼻に戻った。
 瞳に映るのは、奇妙な色の海。
「…どんな最低の手段を取っても、あいつがおれのモンにゃならないのが、分かった」
「手に入らないのが分かって、熱も冷めたかい」
「全部欲しい」
「ドフラミンゴ」
 つるの質問には返答せず、ドフラミンゴは全部だ、と続けた。いつもならここで詰まらなくなって終わりなのだ。傷つけて踏みにじり叩き壊して放り捨てる。
 面白くないから。
「全部欲しいんだ、おつるさん。眺めてるだけじゃァ、満足できねェ。手に入れるだけじゃ、駄目なのさ」
 つるの視線に気づき、ドフラミンゴはフッフと口を笑わせた。
「女も男も、壊し方なら知ってるんだがなァ」
「壊れなかったんだろう」
 見通したような言葉がつるの口から紡ぎだされ、ドフラミンゴは是を答えた。壊れなかったのだ。自分に溺れさせるような、そういう閉じ込め方をしたのに、彼女は何一つ変わらなかった。
 海を愛し、クロコダイルを求め、そして、自分を厭うた。
 女性としての尊厳を貶める手段を講じても、それでも手に入らなかった。
「人を壊すのは簡単だ。尊厳を奪い、生きる糧を握れば、たったそれだけで大抵の人間はころりと落ちる。命が惜しいんだろうなァ。這いつくばって、乞うてくる。それが駄目でも、いやでも相手はおれを意識するモンだ。憎悪したり嫌悪したり。やりすぎると、ま、空っぽのお人形になっちまうから、それでしまいなんだけどな。その頃にゃ、反抗する気力もねェ、奴隷と同じさ」
 つるは返事をしなかった。しかし代わりに眉間に皺を寄せ、ドフラミンゴに厳しい視線を送った。それに気付いたドフラミンゴは、軽く肩をすくめ、怒るなよおつるさん、と笑って許しを請うた。
 だが、その笑みは直ぐに取り除かれ、瞳が大きな手を見下ろす。サングラス越しの手は、相変わらず奇妙な色をしている。
「不意に、惚れこんでいる自分を見て、それに冷められたら、楽だったんだ。手に入れて、犯して叩き壊してそれで満足して捨てられたなら、楽なんだよ、おつるさん」
「惚れ薬でも、持ち出すかい」
「惚れ薬なんか使っても、おれが空しいだけさ」
「そうだろうね」
 つるは小さく息を吐き、そして立ち上がると戸棚から茶筒と急須、それから湯呑を二つ出して二人分の茶を注いだ。それをドフラミンゴの前に置く。大きな桃色の羽が動いてその湯呑を手にすると、礼を言う。
 おかしいだろう、とドフラミンゴは笑いながら、湯のみの茶を一気に傾ける。熱くないのだろうかとつるは多少不思議に思いながら、自分の机に湯呑を置くと、席に腰かけた。困った子供のような笑みを浮かべている鳥に目を細め、おかしくはないよと返した。
「アンタは優しいな」
「あの子は優しくなかったかい?」
 つるの言葉にドフラミンゴは口をへの字にして即座に否定した。
「優しいなんてもんじゃねェよ。人の指は食い千切ろうとするわ、首の骨をへし折ろうとするわ、唾ァ吐きかけるわ、頭突きはするわ…まぁ、列挙しきれねェ程にゃ優しくねぇな。あいつの優しさはワニ野郎だけみたいだぜ」
「首輪をつけて檻に閉じ込めてる張本人だものねぇ、それは仕方ないよ」
「ああでも」
 一度膝を貸してくれた。
 ドフラミンゴは思い出す。雨の降っている日だった。あまりにも綺麗な顔をしてクロコダイルのことだけを心配していて、それにばかり心を寄せて、自分の方などかけらも見ないあの女にたまらなく悲しくなって。弱り果て困り果て。どうしたら自分にもそんな顔を向けてくれるのか分からなくて。しがみついたら、膝を貸して頭をなでてくれた。
 一度だけ一度だけ。
 黙りこんだドフラミンゴにつるは、一口茶を飲むと静かに言った。
「お前も、難儀な子だ」
「…アイツよか、マシだと思うだろ?」
「どっちもどっちだよ。アタシは忙しいんだ。アンタの失恋話なんて聞く暇はこれ以上持ち合わせちゃいないよ。ほら、茶を飲んだら出て行きな」
 ひらりと手を振ったつるにドフラミンゴは首を傾げ、そして笑った。
「まだ失恋したわけじゃねェよ」
 ペンを手にしたつるの動きが止まる。半分ほど残っていた茶をドフラミンゴは綺麗に最後の一滴まで飲み干し、そして湯呑を机にことりと指先で弄ぶようにして戻した。一連の静かな行動につるは神経を張る。
「欲しいモンは手に入れる」
 ゆっくりとその巨体が椅子の背もたれの部分に立ち上がる。大な体は天井に頭をすりつけそうなほどに高く見えた。白い歯をめい一杯に見せた笑みが、そこに広げられる。
「おれは」