翼を捥ぐ

 がちん、と拘束具が外される。重たい音が空気を完全に支配した。回された鍵がゆっくりと鍵穴から抜かれ、上の拘束具を片手で外す。もう片方の腕はその手でぎちぎちと女の自由を奪っていた。不愉快気に女の眉間に皺が寄せられている。そんなに怖ェ顔すンなよ、とからかうように腕の拘束具を落とした男はニタリと不敵に笑った。女の両眼は冷たい色をして男を機械的に映す。
 自由を奪ったまま、足枷が落とされた。解放された腕と足だが、体の自由は未だ効かない。女が纏っている服を脱がせる。脱がすのではなく、女の手で持って脱がせた。一つ一つ指先でボタンが外され、上の服が肩をずり落ち床に落とされる。
 女は顔色一つ変えない。ブラジャーはつけていなかったが、鍛え上げられた体が男の眼前に晒された。女の体としては、うっとりするほどに均整のとれた筋肉がそこに余分な肉なく骨についている。体を斜めに両断するごとき傷跡は、通常であれば女を損なうかのように見せるのだが、戦う人間として作られた体を持ち合わせた女にとって、それはまるで勲章のようにすら見えた。鎖骨辺りにも大きめの傷があり、先の戦で黄猿のレーザーに撃ち抜かれた痕は軽く皮膚に引き攣りを残していた。
 すっきりと伸びた足も同じように生傷が多い。小さな傷が多く残され、それだけでこの女がくぐり抜けた戦場の多さを彷彿とさせた。銃痕もいくつか残っている。綺麗というよりも、いっそ逞しい足である。脹脛と腿の骨を覆うしなやかな筋肉が戦うためのそれである。大きめの足はしかと床を踏みしめ、体を支えるためのものである。滑らかに蟲惑的に男を誘惑するためのものではない。
 ふくよかさはなく、女らしいか否かと聞かれれば答えは否であるが、魅力的か否かと聞かれれば是である。男はニヤニヤと右手の指を動かして続きを眺める。恥じらいの無いストリップショーはいささか趣に掛けるが、睨みつけてくる瞳が堪らない。ドフラミンゴはそう思った。落とされた膝まであったパジャマを女の足がぐりと踏みつけた。心地良い殺意が飛ばされ、背筋を快感が突き抜ける。フッフ、と思わず笑みをこぼし、続きを求めた。
 ショーツは白のレースで、無論それは自分が買い与えたものだが、似合わなくもないが、取り立てて似合っていると言うわけでもない。どうせ何を履かせたところで大した反応は得られないことを男はよくよく知っている。綺麗に編み込まれたレースは地肌を透けさせている。恥じらい一つないものだから、やはり今一つ面白くはないのだが、この女に顔を真赤にして絹を裂いたような叫び声を上げられても反対に萎えてしまう。これくらいで丁度良い。
 恥じらいこそないものの、不愉快ではあるようで女は顔を凶悪なものにする。その表情変化にドフラミンゴはフッフと笑い、肩を揺らしながら、その長い指をくくりと動かした。それと同時にミトの足が一歩二歩と男との距離と詰める。鍛え抜かれた体が男の前に差し出された。殺意の籠った瞳と共に。
 長い舌がぞるりと肌に刻まれた傷跡を下腹部から沿って舐め上げる。傷の深さを確認するかのように引き攣れた肌に乗せられて行く唾液まみれの舌の感触の気持ち悪さにミトは顔を顰めた。鎖骨まで舌が歩き、そこで噛付くような痛みが走る。否、実際にドフラミンゴは肌に食いついた。歯型でもついたのだろうか、痛みが皮膚下の神経に伝達される。大きな手がやんわりと乳房を揉むが、反応は無い。声一つ上がらず、蔑んだ瞳がドフラミンゴにただ向けられた。
「おれの」
「ゲス野郎が」
 寄せられた顔にかかっているサングラスに唾が吐き捨てられる。それを指先で拭いながら、可愛くねェナァとドフラミンゴは肩で笑った。そのまま首筋を大きな口で覆い、鬱血痕が残る程に強く吸い上げる。首輪の代わりだと言わんばかりの態度に眉間に寄せられた皺に青筋が増える。束縛を最も嫌うことを知りながら、嫌がらせのようにドフラミンゴはそう行動する。
 ドフラミンゴは側においてあった紙袋を引っ張り、手を突っ込むと、中に入っていた上下の服をミトに押しつけるように渡す。体を操られたまま、ミトはそれを受け取らされた。上の服の間にはご丁寧にブラジャーが挟まっている。
「おれが選んだんだぜ?可愛いだろ」
「おめでたい頭だことだ」
 ぎりぎりと操られた腕でミトはそれを身につけて行く。フロントフックをかちんと音を立てて止め、上をはおり、長い丈のスカートを履く。足首までがすっぽり隠された。
「今日は暑いからな」
 涼しげな格好にしてみた、とドフラミンゴは大層したり顔でミトの格好を指差す。センスは悪くないものの、着せられた、という感覚は拭えない。この男が選んだという事実すらも気に食わない。
 ミトは馬鹿にするかのように口元を歪めた。
「その年にもなってまだ人形遊びが止められないのか?」
「可愛い人形が手に入っちまったからな」
 軽口を叩いてその嫌味をさらりと流す。
 夏の大きな花をあしらったサンダルをミトの足に履かせた。操ってでもいなければ、今頃自分の頭は蹴り飛ばされていることだろうと腹の底で笑いながら、ドフラミンゴは長いスカートの中に隠れた足を手でなぞりあげながら立ち上がる。内腿から外へと回すように最後に指先で下着に触れてから手を離した。すとんと持ち上げられたスカートが落ちる。
 立ち上がったことで、二人の身長差故に見下ろす関係と見上げる関係が成立し、不敵に笑う笑みが強く女の視界に残される。
 フフッとドフラミンゴは笑うと、ミトの腕をとる。尤もその片腕では指先で操っているのだから、手など取らずとも女の脚が歩くことは間違いがない。指先を絡め取られるような繋ぎ方にぞっとしながら、ミトは先へと歩かされ、長い間越えることの無かった扉の敷居を跨いだ。階段を使い一階にまで降りると外に出る。下から見上げた空の高さにくらと眩暈を覚える。手枷足枷を嵌められていても体を鍛えることだけは怠らなかったが、足が地面に触れるという感覚は久しくなかったために数歩ふらつきかけたが、腰に長い腕が回されて支えられた。
「放せ」
「おっと、そこはありがとう、だろ?」
「不愉快な口を閉じろ」
 つれねェ、とそれでも面白そうにドフラミンゴは笑い、ぐいと女の腰を引き寄せ、体を密着させた。体勢だけ見れば恋人のようにすら見えるそれだが、女の表情があまりにもそれとはかけ離れているためにそうとは見えないところが恐ろしい。放せ、と再度唸るように繰り返され、ドフラミンゴはへいへいと珍しく大人しく従い、手を絡めるように繋ぐに戻した。
 引き連れて歩かされながら、ドフラミンゴの話を右から左へと聞き流しつつ、ミトは歩いていく街並みを観察する。高さ、位置、幅、抜け道。聞いてんのかよ、とぐいと腕を引っ張られ思考を引き戻された時は、強く睨みつけた。
「久々の外じゃねェか。退屈してるかと思って連れだしてやったんだから、ちったァ楽しそうな顔しろよ」
「連れだしてやった?何様のつもりだ。くたばれ」
 睨みつける視線は一層強く、ドフラミンゴは軽く肩をすくめる。
 ドフラミンゴ、王下七武海という名よりも、彼の王国であるだけ、街中を歩けば見物するような視線が肌を撫ぜる。薄気味悪さを覚えながら、ミトは自由の利かない手足を恨んだ。だが、臍を曲げている暇などなく、ほんの一瞬の隙を逃すまいと目を光らせる。今は手枷も足枷もない。つまりは、この男から刹那でも構わないので自由になれれば、逃げ出せる可能性は0ではない。
 大人しく好機を待つ。ミトはそれに徹した。
 街中を連れまわしながら、ドフラミンゴは様々なモノを買い与える。靴、食事、花、宝石。およそ女が欲しがる物を買いながら、ドフラミンゴは詰まらなさそうにそっぽを向いているミトに口を曲げた。そして、思い出したかのように最後に服屋へと足を運ぶ。
「好きな物選んでいいぜ」
「いらん。お前の札束を着て歩く趣味は無い」
「そう言うなって。どっちにしろ入用だろ?これとかどうだ?あれも」
 ひょいひょいと大きな手が数枚の服を取ってミトの体に押し付ける。ミトは腕の中の服を眺め、今まで買い与えられた物を思い出しながらぼそりと呟いた。
「寂しい奴だ。金で買う以外の方法で女を扱った事が無いんだな」
 呟かれ落とされた言葉にドフラミンゴは言葉を無くす。殺意を持たず向けられた双眸はただ、自分一人を映しており、ドフラミンゴは咄嗟に視線を背けた。女の瞳の中の自分を見ることが不意に恐ろしく感じた。地位も金も権力も何もかも取り払われた、ちっぽけな自分がそこに居るように感じられた。
 試着いたしますか、と店員が声を掛けてドフラミンゴはようやく我に返った。操ることは止めていなかったようで、女は変わらず自分の前に立っていることにほっと安堵する。ああと一つ頷いて、試着室へとミトを連れて行く。普段のように、正しくは普段の調子を取り戻すためにフッフと軽快に笑った。
「手伝ってやるよ」
「必要ない」
「解いたら、お前逃げ出しちまうだろ?」
 当然のように続けられた言葉にミトはくっと口角と吊り上げて喉で笑った。
「この狭く閉ざされた空間で、お前は私一人捕えられる自信が無いのか?腰抜けが」
 詰られ、ドフラミンゴは一拍考えると、ミトと服を試着室のカーテンの向こうに押しやり、大人しく奪っていた自由を返した。試着室はカーテンだけのものではあるが、周囲に武器になるものもなし、目の前に自分が居れば逃げられはしないだろうと踏む。
 だが、その読みは多少甘かった。
 カーテンの向こうに押し込められたミトは拘束が解けて服を床に落とす。歩きづらいサンダルを脱ぎ、そのままカーテンを引きちぎる勢いで引っ張った。ぶちん!と上で布を引っ掛けていた棒が軋むが、それを無視して完全に布を引き千切った。布の向こう、ドフラミンゴが息をのんだ気配が伝わる。一歩踏み出し、引きちぎったカーテンをドフラミンゴの顔面に巻きつけて視界を塞ぐ。その間一秒にも満たない。半歩下がり、カーテンを下げていた棒を力任せにもぎ取ると、その先端を視界を奪ったカーテンを取ろうとしている男の鳩尾へと吸い込ませる。うぐ、と苦痛に満ちた声が布越しに響く。
 突いた棒を支店にぐるりと回し、ドフラミンゴの体を横に薙ぎ払い蹴り飛ばす。巨体がガラスのショーウィンドウにぶつかって投げ出され、ミトはその体を裸足で踏みつけて外に出た。その際に数枚のガラスを拾っておく。
 足首を掴もうと伸ばされた手を棒で弾くと、外に体を投げた。どむ、と地面を踏み月歩で宙へと浮かびあがる。視線を少し移動させ、ドフラミンゴを宙高くに跳んだ状態から見下ろす。がしゃんとガラスを足で叩き割りながら、その巨体を持ち上げた。頭に巻きつけたカーテンは既に外されている。ミトは上半身を大きくひねり、動かそうとしたその腕めがけて掴んでいたガラスを投げる。ひょうんとガラスの破片はドフラミンゴの腕を傷つけ、指先の動きが鈍る。
 持っているガラスを全て投げつけ、ミトは建物の陰に体を隠そうとした。だが、一足遅く、体は建物の隙間の路地に落ちる。簀巻きにでもされたかのように体の自由は再度奪われた。どう、と体は地面に叩きつけられる。側に在った木箱が数個破壊された。
 千載一遇のチャンスを無駄にした、とミトは舌打ちをする。視界を隠すだけではなく、戦闘不能になるまで叩きのめすのが正しい方法だったと今更ながらに後悔する。暫く戦いから遠ざかって勘も鈍ったかと忌々しげに顔を歪めた。
 まだあまり高く跳びあがっていなかったので、幸いにも骨が折れるなどの事はなかった。体が落ちたところに、桃色のコートが距離を詰める。
「フッフ…やってくれるじゃねェか」
 倒れた体に手が伸ばされ、猫でも掴むかのように首根っこが持ち上げられる。がらりと木片がスカートの上を滑り落ちる。
「おいたが過ぎるんじゃねェのか?」
「おいた?引っ掻かれるのが怖けりゃかかりつけの医者をいつでも呼べるようにしとくんだな。破傷風は怖いぞ」
 ハっ、と笑い飛ばした女にドフラミンゴは顔を顰める。全く、やってくれる。油断も隙もない。
「可愛いお人形さん遊びは家の中でやれ。牙を抜かれた駄犬になった覚えはないからな」
「おお、怖ェ」
 体をぶるりと一つ震わせたドフラミンゴにミトは鋭い視線を向けながら、言葉を紡ぐ。獣のように。
「怖けりゃ隅に籠ってガタガタ震えてろ、鳥野郎。喉を食い千切られても責任は持たんぞ」
 ケダモノのように嗤う女を捕らえ、壁に押し付けドフラミンゴは口角を吊り上げた。吐息が触れる程の距離まで顔を近づける。視線が近距離で絡み合い、お互いの目に目が映し出される。尤もドフラミンゴの場合はサングラスに大きく映っただけだったが。
 上等だ、と男は歯の隙間からそう答えを返す。びりと空気が震えた。
「徹底的に躾けてやるからそのつもりでいろよ?」
「躾ける?フン、躾けるつもりで振り上げた手を持っていかれないように気をつけることだ」
「なら、まずは牙を折っておくか」
 ドフラミンゴはべろと長い舌を出したが慌ててひっこめた。首から上が自由であった女の歯が先程自分が出した舌の部位を噛んでいた。あのまま出していれば間違いなく食い千切られていた。
 女の右の口端がつつりと持ち上がる。嘲るような笑い声を言葉に乗せながら、鼻が一つなる。
「閻魔様に抜かれる舌を失くさんようにな」
「…アア、そうだな」
 その通りだ、とドフラミンゴは空いている方の手で拳を作り、先程の仕返しとばかりに深くミトの鳩尾に沈めた。どう、と背中から壁へとその衝撃が伝わる。吐き出した息が口から飛び出る。強すぎる衝撃は数度の咳込みとなって現れた。
 首根っこを掴んでいた腕を少し移動させて、掌で一周できる首を絞めつけた。呼吸が苦しいのか、頸動脈を押さえたために意識が薄れて行っているのか、睨みつけてくる瞳が次第に虚ろなものになっていく。二三分もそうやって押さえていれば、体の力がとうとう抜け、ミトは膝から崩れ落ちた。その落ちた体をドフラミンゴは抱え上げる。
「今日の散歩は失敗か」
 そこでふと手に走った痛みに視線を落とせば、ガラスでいくつか切っており、赤い滴が指先に滴っていた。全く、手酷く噛まれた。腹を打たれた衝撃もまだ残っており、軽くさすれば痺れるような鈍痛が走った。
 店の修理費は札束を投げておいたので問題もない。大きな体を揺らし、女を小脇に抱えた状態でドフラミンゴは元の通路に戻る。国民の視線が向けられており、それを鬱陶しく感じてそちらを向けば、あっという間に視線は消えた。一歩一歩地面を踏みながら歩く。途中で買った物を空いている片手にぶら下げる。買いながら、理解はしていた。この女が本当に欲しい物を。それでもそれをやってしまえば、自分の腕から消えてなくなる。それは嫌だ。面白くない。
 寂しい奴だ。
 その言葉を頭の端で繰り返しながら、ドフラミンゴは小さく笑う。
 一体どんな顔をして今抱えている女がそれを言ったのか、あまり想像したくない。女を金で買うことはワニ野郎だって大差ねェと言い訳を考える。好きな女を着飾らせたい、自分の好みの色で染めてみたいと思うのは至極当然のことではないだろうか。それをたった一言、寂しい奴だで斬り捨てられるのはいささか納得がいかない。
 抱えた体が、ずしりと重く感じる。着せた服も靴も、正直女には似合っていなかった。似合っていると思って買ってきたのに、似合っていなかった。それは女が内面から発する態度のせいだろうとドフラミンゴも予測はついている。同じものを例えばクロコダイルが買ってきて、女に与えたとすれば、それは大層似合うのだろう。有難うと女が笑い、それを喜んで着るから。
 不毛すぎる。あまりにも。自分の想いはどう考えても空回りしている。
「どうすれば」
 てめぇはおれを見るんだ?喜ぶんだ。笑うんだ。
 答えは見つからないまま、ドフラミンゴはゆっくりと歩いた。いくらゆっくりと歩いても、その答えは見つからないような気もした。