捨て置かれた - 1/2

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 一室。窓からの採光が部屋に暖かい。その部屋の木製の机を前に座り、革張りの椅子の背凭れに全体重を預けた白猟の二つ名を持つ男は、いつも通り葉巻を二本咥え、机の前に立つ一名とその後ろに立つ二名と顔を合わせていた。
 あの女がインペルダウンに投獄されて以来、初めての面会であった。手袋をした両手を組み、スモーカーは椅子を小さく慣らす。背後二名の表情よりも、その前に立つ約一名の顔に注意が言った。小首を傾げてその中佐階級の男は目が全く笑っていない状態で口元だけ笑わせていた。
 スモーカーは本題を切り出す。もとより、これを言うためだけに呼び出しただけの話である。
「…お前の部隊はおれが引き受けることになった」
「おれの部隊じゃありませんけど」
 口元を軽く持ち上げ、男は砕けた調子で返答する。ふざけた様にも見える。否、この男を知らぬ人間であれば、ふざけているとしかとれない。こんな男を自分に預けた女をスモーカーは心底呪わしく思った。
 溜息を長く一つ煙と共に吐き出し、スモーカーは威圧的に拳を机に叩きつけた。
「残っている奴らの中で、階級が一番上なのがお前だ。お前の、部隊だ」
 痺れを切らしたような物言いに男は肩を竦めてあからさまに鼻で笑った。
 男の態度にスモーカーは額に青筋を浮かべたが、ここで怒鳴りつけたところで話が進むとは到底思えない。ぐっと喉まで出かかった叱責を堪え、拳を固く握りしめることでそれを堪えた。
 小さな笑いを終えた後、男は傾けていた顔をさらに傾け、半ば覗き込むようにスモーカーの瞳を覗き込んだ。
「分かりました。では、以後宜しくお願いいたします、大佐殿」
「殿はやめろ。そういう堅苦しいのは好かねえんだ」
「生憎と」
 男は傾けていた首を元へと戻し、口に刷いていた笑みを一切合財取り払い、ひどく冷めきった声でそれに答えた。
「おれの大佐はあの人だけです。あなたはおれの大佐じゃない」
「おい」
「業務に戻ります。用件があればなんなりとスズメをお使いください」
「待て!」
 スモーカーの制止も虚しく、男は踵を返して部屋から退出した。背の正義の二文字は部屋を出て右に曲がったところで完全に見えなくなった。
 部屋に残されたスモーカーは先程の溜息よりもさらに深く項垂れ、唸るような溜息を零す。それを見かねたのか、残っていた男の内の傍らが申し訳ありません、と切り出した。一寸、名前が思い出せず口籠ったスモーカーに男は頷く。
「スズメです。階級は少佐です」
「悪ぃな。何しろ丸々一部隊の移動ときた」
「いいえ。ギック中佐のことですがどうぞ気を悪くされないで下さい。ただ中佐は」
「いや、分かっている」
 分かっているのだ。
 スモーカーは髪の毛をぐしゃぐしゃとかき回す。そう、分かっているのである。あの男があの女を如何に慕っていたか、それを知らないわけではない。頼んだなどと全く簡単に言ってくれるものだとスモーカーは既にインペルダウン最下層に移送された女の顔を思い出して眉間に深い皺を刻み込んだ。
 下を向けていた顔を上げ、スモーカーは美しい起立の姿勢でいる二人へと視線をやる。ギックと比較すればまともな性格をしていそうな二人である。違うか、とその考えを改める。際物中佐と比較する方が間違っている。あの女の部隊員は荒くれ者が多いが、性格はひねていない、つまり単純な連中が多い。その中で、あの男は一線を画していた。頭脳明晰だが性格に問題がある。
 いつぞや三日で除隊させられた部隊があるとそんな話を思い出し、そんな男を預かる気苦労に頭が痛くなった。
 スモーカーはスズメの隣に立つもう一人の男へと今度は紹介を求めた。こちらも名前は覚えていない。
「トラであります、スモーカー大佐殿。自分は練兵のみに明るい准尉であります」
「殿は」
「申し訳なくあります。自分のこれは癖でして…」
 ならば仕方ない。あの中佐と違って意図的なものでないのであれば、強制する必要もない。できればやめてほしい旨を伝え、スモーカーは切り出そうとして言葉を濁した。
 しかし、意を決して言葉を繋げる。
「あいつのことだが…いや、中佐のことだ。あいつは、どうにかならねえのか」
 このままでは支障が出る、と暗に告げた上官に少佐と軍曹は顔を見合わせ困ったように眉尻を下げた。
「仕事に関してでしたら心配は無用です、スモーカー大佐。あの人はああ見えて仕事は真面目にする方ですから」
「今、おれの指示を無視して部屋を出て行ったばかりなんだが」
「それは」
 そこまで言い、スズメは隣のトラと視線を交わして逡巡してから、スモーカーへの返事とした。
「中佐は、准将…いえ、絶刀をよく慕っていました。無論おれたちもあの人のことを慕っていましたが、中佐は別だったようで」
「恋だの愛だのそんな話は勘弁してくれ」
 まさかと先に言い、スモーカーはうんざりした顔で頬杖をついた。
「いいえ。そのようなものでなく、その、中佐は孤児院の出でして」
「それがなんだ」
 珍しいものではない。
 スモーカーは、一体何が理由だと口を曲げ、先を促した。スズメは目を細め、小さく笑う。
「あの人にとってこの部隊と絶刀は家族も同然でした。こと絶刀のことは、上官として大層慕っておりました。寄る辺とでもいいますか。あのように去られて、気持ちが消化しきれていないんです」
「…お前らはどうなんだ」
 短い沈黙の後に問われた質問にスズメはそうですね、と視線を斜め下に落してから答える。
「おれもトラさんも、他の部隊員も、勿論今回の件では非常に戸惑いましたし、未だに信じられません。准将が。ですが、分別はあります。何かおれたちに説明できない理由があったのかもしれませんし、何より、いえそれ以上に、准将はおれたちを庇った。巻き添えにもできたのに、准将はそれをしませんでした。なら、おれたちはそうありたい」
 少しずれた視線がしっかりと合わされ、まっすぐな目がスモーカーへと向けられた。それは若さ故か。
「おれたちはあの人に恥じない海兵でありたい。それがきっと、准将の最後の願いだと思うから」
 成程、とスモーカーは頷いた。これならば、あの男以外の心配をする必要はない。トラへと視線をやったが、それに同意のようで穏やかに微笑み頷いている。もとよりこのトラという男は兵を育てる人間であるから、あの女の行動にも然程左右はされないのではないかと検討は付けていた。
 スズメはですから、と頭をかいた。
「中佐を見捨てないでください。多分、今すごく傷ついているんです。分かりづらいですけど。中佐はあれでとても頼りになります。頭も切れます。その…あの扱いづらいと思いますけど」
「誰が」
 スモーカーは立ち上がった。随分とちびてしまった葉巻を二本とも灰皿へと移し、新しい葉巻を二本咥えるとマッチを擦り火をつける。深く吸い込み、深く紫煙を吐き出す。
 お前になら、付いていくだろう。
 本当か、とスモーカーは牢屋の奥にいた血塗れの女の言葉を思い出す。あの癖の強さは一等どころではない。あいつむちゃくちゃ言いやがってと葉巻の先を軽く噛み潰す。
 そして、スズメとトラへと両方の視線をしっかりと合わせる。
「もう、おれの部下だ」
「…准将も、よく、そう言って下さいました。私の部下だと。どんな時も、おれたちがどんなへまをしても、いつも助けて下さった。おれたちはあなたに従います。あなたを上官とし、あなただけに付いていく」
 スズメはスモーカに右手を差し出し、反射的に出された手を両手でしかと握る。どうぞ、と部屋に声が響く。
「覚えておいてください。おれたちはそういう部隊です。頭を決めたら、決して裏切らない。時に盾となり、時に鉾となり、あなたの意志を支える武器となる。お願いです、スモーカー大佐」
 握られた手にぐっと強く力が込められた。スモーカーはスズメの顔を見る。ひどく、傷ついた顔をしていた。
「理由も言わず手綱を放すことだけは、されないで下さい」
 スズメの言葉にスモーカーは言葉を失くす。
 この男は中佐はいたく傷ついている、と言った。それは正しくない。あの女の部隊員は全員が傷ついている。あの女が理由も言わず去ったから。
 自分勝手だ、お前は。
 血塗れで牢屋の奥に座りこんでいる女を思い出しながらスモーカーは目を伏せた。
 こんなにもお前を慕う部下を捨てて、一人満足したように海賊の墓場へ行った。どこまでも身勝手な奴だ。
 手袋越しに感じる掌は熱い。僅かに震えているようにさえスモーカーには感じられた。それを強い力で握り返す。手袋にしわがより、あまりにも強い力で握ったのか、スズメの顔が僅かに強張った。それにも構わずスモーカーはしっかりと握る。
「…よろしく、頼む」
「お願いします」
 お前はどこまでも残酷だ。
 スモーカーは肩の震えているかつての女の部下を眺めながら、苦い煙を一筋吐き出した。